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より善く生きるためのガイドライン(最新版:2023年11月3日現在)

 

目次

 

はじめに

 

第1章 霊魂について

1 霊魂について

2 霊魂の成長について

3 霊魂と肉体の関係について

4 男性魂、女性魂について

5 個性光り輝くことについて

6 神法、宇宙の法則、宇宙の叡智について

7 自由意志の原則について

8 「自灯明」・「法灯明」の意義等について

9 お釈迦様が説かれた「中道」について

10 「大和魂」とは何かについて

11 「一切皆苦」の本当の意味について

12 生まれ変わり、臨死体験について

 

第2章 天命について

1 全ての存在に共通する天命とは

2 天命をより善く悟ることについて

(参考)

私、田村俊昭の天命を全うするための生き方の指針の内容(2023年4月2日現在)

 

第3章 愛、愛の実践について

1 愛の実践のやり方等について

2 愛の実践として、仕事や精進に励むことについて

3 仕事の真の意義・目的について

4 愛の実践の一つである布施の実践について

5 愛の実践は「信じること」から始まることについて

6 自然やモノに日々、感謝し、愛を込めて、大切にしましょう

7 愛の実践に当たっては手をより善く使いましょう

8 愛が何よりも大切だと意識し自覚することについて

 

第4章 次元上昇について

1 次元上昇とは

2 次元上昇を行う理由

3 次元上昇した場合、この世はどうなるか

4 全ての人間に対する最後の警告

5 「土の時代」から「風の時代」に移行したことについて

6 天罰執行予告

7 『土の時代』の終焉について

 

第5章 「より善く生きること」に関する参考情報等について

1 より善く生きることの欠点・利点について

2 「敬天愛人」について

3 「正義仁愛」について

4 質素倹約を心がけ慎ましく生活することについて

5 私が、毎朝、実践している「全ての存在に対する私の願いの祈り」の内容(2023年4月2日現在)

6 他の存在を騙し、嘘をつき、傷つけ苦しめることは大罪

7 男は男らしく、心身ともに格好良くなることについて

8 快楽を求める思いについて

9 瞑想について

10 より善く生きるために必要な子供の徳育について

11 無病で元気に長寿を全うするために必要なこと

12 真に幸福な人生とは何かについて

13 「我慢と努力は世界を制す」

14 街などを清潔に健やかに美しくするための人々への意識付け・意識高揚について

15 「悪なる行いをして、謝罪すれば、謝れば、その悪なる行いの罪は赦され、罰を免れることができるのか」について

16 『越後屋、そちも悪よのう』?!

17 「何故、他の人と仲良くなったり、嫌ったりするのか」について

18 精神世界の史実や予言(未来予測)、所謂、アカシックレコードをはじめとする宇宙の叡智に関する守秘義務について

19 『改善』と『根本原因』について

20 娯楽・趣味嗜好は、程ほどに、ええ加減により善く愉しみましょう

21 幸せ・幸福とは何かについて

22 自分にとって辛く苦しい時(試練)こそ必要な心構え、心の持ち様について

23 自分自身のネガティブな感情とどのように向き合うか?について

24 常日頃のちょっとした気配り、心遣いの大切さについて

 

第6章 人間社会の改善・成長について(私、田村俊昭の私見等)

1 国家として「より善く生きること」について

2 災い(自然災害、人災)により善く学ぶことについて

3 全ての人間に「共存共栄の心」が満ち溢れますように

4 戦争が無くならない理由等について

5 ロシアが戦争を始めた本当の理由を教えてください

6 我が国日本と戦争について

7 日本が「真の先進国」になりますように

8 広島市の原爆死没者慰霊碑の御言葉について

9 韓国ハロウィン雑踏事故について思うこと(田村俊昭私見)

10 真の「人生の勝ち組」とは

11 命を懸けて責務を全うする覚悟について

12 国の評価・格付け、ランキングに関する私、田村俊昭の私見(副題:国家の豊かさとは何か?)

13 インターネット上の誹謗中傷を抜本的に無くすために

14 ワールドサッカーを観ていて気付いたことについて

15 自然と共生することについて

16 映画「ラーゲリより愛を込めて」の主人公である山本幡男様御本人が書かれたご家族宛の遺書の記載内容一部紹介

17 憲法を改正するならば

18 日本人の生活スタイル等の見直し改善・温故知新について

19 性的マイノリティーの問題について

20 母国語(日本語)をより善く「読み書き」することについて

21 『多様性を認める社会』における禁止行為について

22 今、この世の人間社会に必要なことについて

23 『八紘一宇』の実現に向けて

24 子供達の自殺を皆無にすることについて

25 核の抑止、戦争抑止のためのAIの活用について

26 教育の無償化の障壁(悪魔的視点の見解)

27 お金や株価は幻のようなもの

28 ラグビーW杯を観戦していて気づいたこと

29 将棋について思うこと(私、田村俊昭の私見)

30 福島の原発事故処理水の問題について

31 温故知新

32 政治を中道・中庸の精神・考え方で見直し改善することについて

33 民主主義は「各国民が、自分の言動を、自分自身でより善く律すること」をしないと様々な弊害等が生じることについて

34 働くオジサンとは

35 自然に抗うことなく、共に、より善く生きることについて

36 科学技術は何のためにあり、高めなければならないのか?について

37 柵(しがらみ)の乱用・悪用について

39 天皇陛下の選定議論に関するスピチュアルの視点からの私見について

40 女性がより善く活躍する社会に向けて(田村俊昭の私見)

41 禅語「災難にあう時節には、災難にてあうがよく候。死ぬる時節には、死ぬがよく候。是はこれ、災難をのがるる妙法にて候」良寛

42 少子化対策及び子供の徳育について(田村俊昭の私見)

43 人生とは何でしょうか?

 

最終章 宗教・信仰について

1 私、田村俊昭の宗教に対する考え方・宗教観について

2 私、田村俊昭の神様・仏様への想い・考え、寺院に対する向き合い方などについて

3 自分の思いどおりにならないのが人生

4 宗教・信仰・精神世界の闇の部分、おそろしさについて

5 神様、仏様の救いはあるのか?

6 私、田村俊昭の死生観、子供達を死なせない社会について

7 現代の人間に必要なより善い心の拠り所・価値観について

はじめに

 

この「より善く生きるためのガイドライン」をご覧の皆様は、自分がなぜ、存在し、生きているのかについて、考えたことはありますか?

 

私、田村俊昭は、今から約5年前に、以下に示す内容について、より善く悟りました。

☆自分という存在は霊魂であり、霊魂が、田村俊昭という人間の肉体に宿り、この世に生きていること。

☆全ての存在(全ての世界、物質、生命体、霊魂など)は、創造主である明主様(イザナギ様)と弥勒様(イザナミ様、生命創造主)が創り上げたこと。

☆愛は、何よりも大切であり(自分の命よりも)、全ての存在は、そのことを常に意識・自覚し続けなければならないこと。

☆霊魂の成長とは、愛に関する智慧とその実践力を高め向上させることによって、その霊魂の放つ生命エネルギーの波動の振動数とその放出量を高め、霊格を高めていくこと。霊魂の成長を妨げ、阻むのは、その霊魂自身の私利私欲の心、エゴ、弱き心、これらの心は、霊魂の波動の振動数を低下させ、邪念、邪気を引き寄せ、霊魂の穢れを生じせしめるものであり、全ての霊魂は、それらのネガティブな心に打ち勝ちつつ、愛に関する智慧とその実践力を高めていかなければならないこと。

☆生命体(生きとし生けるもの)の命には寿命はあるが、霊魂は、永遠に存在し、生き続けること。

☆明主様と弥勒様は、人間に対し、物質を活用してモノやお金を作る叡智、そして、言葉を話し、それらを文字にし、人間同士で情報交換・情報共有するとともに、後世に伝え残す叡智を与えたこと。

☆自分は、多くの存在のお陰、特に、明主様、弥勒様をはじめとする神様、仏様のお陰で生かしていただいていること。

☆全ての霊魂は、日々、愛を深く学び、愛を深く理解し、他の存在を心より信頼し信じ、日々、愛の実践を誠心誠意励み、それらのことを、粘り強く、一生懸命、愛を込めて、即ち、自分の命を懸けて誠心誠意やり続け、心を浄め磨き上げ、他の存在と共に、切磋琢磨しつつ、成長し続けなければならないこと。

☆そして、全ての霊魂が、上記のとおり、愛が何よりも大切であることを常に意識・自覚し続け、より善く生き続けることにより、

全ての世界を、

絶対に戦争のない、絶対に犯罪のない、絶対に貧困のない、絶対に差別のない、皆平等な愛満ち溢れる平和な世界にするとともに、

共存共栄の心満ち溢れる、皆が共により善く成長し続け、皆が共により善く発展し続け、皆が共により善く繁栄し続け、皆が共に、日々、喜び満ち溢れる充実した素晴らしい幸せ(人生とはこの上なく有難く、素晴らしいものだ。自分がこの世に生まれ、生きてこられて本当に善かったなどとこの上ない喜び、充実感、感動など)を実感する、より善い人生を歩み続ける、より善い世界にすることが、

明主様、弥勒様が全ての存在を創造された意図、理由、目的、願い、想いであり、

これらのために、全ての存在は、愛が何よりも大切なことだと常に意識、自覚し続け、日々、より善く生きなければならないこと。など

 

私は、上記のことをより善く悟るとともに、私の天命、即ち、自分が存在し生きていることの真の意義、理由、目的、目標、使命を全うするための生き方の指針を、指導神である明主様達からご指導、お導きを受け、自ら創り上げ、以後、同指針に基づき、心身の錬成強化の精進と自分ができる及び自分やるべき愛の実践をやり続け、本当に必死で、命懸けで歩み続け、死ぬ思いを何十回も経験してきた結果、生存欲もなくなり、死を含め恐れるものが全く無い、無欲知足の境地に達し、天上界の最高会議のメンバーの神様、仏様と会話ができる唯一無二の人間となり、神法、宇宙の法則、宇宙の叡智を全て判り、活用することができるようになりました。

 

どうか、このガイドラインをご覧の皆様におかれましても、より善く生きることを自分の生き方として選択し、決意し、愛を何よりも大切だと意識・自覚され、私のように天命をより善く悟るために、死にものぐるいで精進、努力し、自分の私利私欲の心、エゴ、弱き心に打ち勝つという試練を乗り越えてください。

人生は、試練の道であるとともに、愛に関する智慧とその実践力を高め、向上させるという学び・修練の道なのです。私利私欲のためだけに生きたいがために、私利私欲の心、エゴ、弱き心に打ち勝てず、自分に甘ったれるのは、やめた方がより善いですよ。努力、我慢、辛抱無くして、絶対に必ず、自分の魂、心、肉体をより善く改善、成長させることはできないのです。

なお、自分自身の生き方は、それぞれ各個人が、宇宙の法則・真理である「自由意志の原則」と「自己責任の原則」に基づき、自分自身が選択し、決意し、その選択した生き方を歩み続け、その結果、どのような人生の結果になろうとも、自分がちゃんと、その結果を受け入れることしかないのです。

Facebook等のSNSの私のページや私が管理者であるページ「敬天愛人の道」では、私の指導神である明主様達から教わり、そして、それらを踏まえ私が歩み続けている「より善く生きること」に関する宇宙の叡智、そして、この世をより平和でより善い世界に改善、成長、発展、繁栄するために必要な宇宙の叡智に関する情報として、「より善く生きるためのガイドライン」などを適時、適切に投稿、情報公開しています。

私、田村俊昭は、特定の宗教を信仰していませんが、私の尊敬する歴史上の偉人として、お釈迦様、聖徳太子様、空海様、西郷隆盛様、山本五十六様などの方々を尊敬しています。これらの方々は、皆、より善く生きることの大切さを悟り、より善く生き抜いた素晴らしい方々だと確信しています。私は、何らかの宗教を信仰して下さいと、皆様にお伝えしようとは、全く思っていません。何らかの宗教を信仰するか、しないかの選択は、各個人の自由意志に委ねられています。私は、特定の宗教を信仰してしまうと、各宗教ともに、宗教を創設した人やその宗教の指導的立場にある人の思惑、意図によって、言い方は悪いですが、それらの方々の都合の良い戒律や教えが決められ、それらの戒律を厳密に厳守してしまうと、様々な問題が生じてしまうと考えます。信者が破産してしまうほどの献金を要請したり、いわゆる、霊感商法で何の霊的効果もないモノを購入を余儀なくされるなど、宗教に関わる社会問題が現に発生しているのです。これらのことは、やはり、各宗教の主宰者・指導者の魂の霊格が低いこと、つまり、私利私欲の心に打ち勝てず、自身の保身や権威意欲を捨てきれていないことによるものだと考えています。

私は、それぞれの既存の宗教にも、意義深い、善い教え、考え方などがあることも事実であり、私、田村俊昭は、既存の宗教の善い教え、考え方などを参考にして、自分の生き方の指針を創り上げたり、それらの指針を見直し改善する際に、適宜、活用すれば、要は、いいとこ取りで活用すれば善いかと考えています。

私は、ただ、天命、即ち、自分が存在し生きることの本当の真の意義、理由、目的、目標をより善く悟った人間として、より善く生きることを自ら実践するとともに、未だ天命を悟られていない多くの人々に対して、天命をより善く悟り、より善く生きることができるよう、より善く生きることに関する神法、宇宙の法則、宇宙の叡智をより解りやすく簡明にお伝えすることを私のライフワークとして行っています。

なお、我々人間の霊魂に比べ、その波動の振動数が極めて高く、無欲知足の心境に至り、この上ない大愛ともの凄い人知を超えた智慧と能力(例えば、新素粒子や新物質を創造したり、新たな科学技術開発を行ったりする能力など)を有する御霊・存在である神様、仏様は、確実に存在されています。このことは、紛れもない真実なのです。

私、田村俊昭は、より善く生きることを、日々、粘り強く、一生懸命、愛を込めて、即ち、私の魂、命を懸けて、誠心誠意、やり続けるとともに、日本男児の誇り、プライド、情熱、情け深さ、そして、「絶対に諦めない、屈しない、逃げない、曲げないド根性」を持ち続け、決して諦めず、私の命を懸けて、全ての人間の皆様に対しまして、「より善く生きること」に関する智慧を私の天命の一つとして、世のため、全ての人のため、すべての存在のため、見返り求めず、無償の愛の実践として、このページや「敬天愛人の道」などの場をお借りし、より理解しやすく、より適切、かつ、より有効な情報を発信し、お伝えし続けていくことを宣言いたします。

皆様におかれましては、皆様ご自身の生き方をとして、「より善く生きること」を選択され、決意され、「より善く生きること」をやり続けるに際しまして、この「より善く生きるためのガイドライン」を参考資料として、是非ご活用いただきますよう、宜しくお願い申し上げます。また、私の身勝手なお願いでありますが、このガイドラインの電子データをコピー・シェアしていただき、皆様のSNSのページ等に掲載するなどして、皆様のお友達などにも、幅広く周知していただけらば幸いです。

 

なお、「より善く生きること」に関する記事作成に当たっての私の基本姿勢・視点について、以下のとおり、申述べさせていただきます。

私、田村俊昭は、自ら、「より善く生きること」を、日々、粘り強く、一生懸命、愛を込めて、即ち、私の魂、命を懸けて、誠心誠意、やり続けるとともに、日本男児として誇り、プライド、熱意、情け深さ、そして、「絶対に諦めない、屈しない、逃げない、曲げないド根性」を持ち続け、決して諦めず、私の命を懸けて、全ての人間の皆様に対しまして、「より善く生きること」に関する神法、宇宙の法則、宇宙の叡智に関する情報を、私の天命・使命の一つとして、世のため、全ての人のため、すべての存在のため、見返り求めず、無償の愛の実践として、私の個人ブログやFacebook等のSNSの私のページ「田村俊昭(敬天愛人の疾風)」などにおいて、より理解しやすく、より適切、かつ、より有効な情報を発信し、お伝えし続けています。私、田村俊昭は、これまで、「より善く生きること」に係る神法、宇宙の法則、宇宙の叡智に関する様々な内容の投稿記事を作成し、公表してきましたが、「より善く生きること」、即ち、「愛が何よりも大切だ」と意識し自覚し生きていくためには、自分が霊魂であることなど精神世界に関する知見をある程度理解しておく必要があります。私は、精神世界の知見を出来る限り、物質世界の科学技術の知見なども交えて、精神世界に関する知見に興味がない方々やそれを否定・批判される方々にも、出来る限り、理解していただくよう、当該記事を検討・作成し、公表・シェアさせていただいております。また、私の魂の中におられる指導神の方々のメッセージの内容は、全て真実であり、無神論者の方々をはじめ、精神世界に関する知見を否定・批判される方々も、酷な不謹慎な言い方ではありますが、この世を去られた時に、それらの内容が全て真実であることを理解し、認めざるを得ず、確信することとなります。これらのことに関しまして、様々な反論意見などあるかと思いますが、私、田村俊昭は、以下の視点で「より善く生きること」に関する記事を検討・作成・公表するように努めていることを申し添えさせていただきます。

私、田村俊昭は、東日本大震災において精神を病み、以後、「自分が存在し生きることの真の意義、理由、目的、目標」を悟るために、様々な思想、宗教、精神世界に関する書籍を善く読むようになるとともに、臨死体験など「もう自分は死ぬのだ。死とはこのようなことなのか。」といった苦悩・試練の経験・体験を経て、自分の心(本心・自我・表層意識)が浄め磨き上げられ、その波動の振動数が自分の魂の中にある良心(真我・超意識)と同等以上のものとなり、瞑想などすることなく、良心におられる指導神の皆様と会話できるようになりました。日頃、指導神である明主様(イザナギ様・創造主)から、

「田村俊昭よ。この世の人間社会を、我々神様・仏様の立場になって俯瞰的に観るとともに、その真逆の悪魔・鬼畜生の立場になって観るように努めよ。さすれば、人間社会の実相、真実をより善く見極めることができ、それらを踏まえて、より善く見直し改善する方策を導き出すことができるのだ。」

旨のご指導、お導きをいただいています。これらのご指導等を踏まえ、私は、常日頃から、人間社会で起こっている出来事や人々のコメントや意見などを、客観的、達観的に、そして、神様だったらどう観るか、悪魔の立場だったらどう観るかなど、人間社会の様々な柵の外側から俯瞰的に観て、考察するように努めています。

例えば、「宇宙開発」を例にあげ、「神様の視点」と「悪魔の視点」の違い等について、説明いたしますが、

「神様の視点」で「宇宙開発」を観てみると、宇宙の開発研究により、未だ解明できていない宇宙の起源や生命の起源などの知見を深め、宇宙・自然との共生のあり方等の検討を進めていくいくとともに、宇宙開発で得られた科学技術を生かし、人間社会の生活環境の改善や地球環境保護の取組みを図ることが考えられます。

一方、「悪魔の視点」で「宇宙開発」を考えてみると、「宇宙開発」のための新型ロケット開発技術をミサイルなど兵器開発製造に転用したり、人工衛星を監視衛星など軍事スパイ活動に用いたり、仮に、月探査や火星探査などにより人間社会で利用可能な新規物質・資源が発見された場合、宇宙開発先進国は、その新規物質・資源を自国の所有物とするための開発激化・資源の奪い合いなどを行うことが懸念されます。

私の愛読書の一冊である「『般若心経』(手帳)中村元訳、堀内信二編著」において、「菩薩」とは「菩提薩埵」を略したもので、「菩薩」は「上求菩提、下化衆生」(上に向かっては悟りを求め、下に向かっては、生きとし生けるものすべてを教化する)という大いなる志を持つ仏道者であると記述されています。私は、数年前、私自身の天命、即ち、「私が存在し生きていることの本当の真の意義、理由、目的、目標」をより善く悟るとともに、この私の天命を全うするための生き方の指針を、お釈迦様が後世に託された有難い教えをはじめとする、「より善く生きること」に関する「神法、宇宙の法則、宇宙の叡智」を参考にし、それらを活用しつつ、自ら創り上げ、この指針に基づき、愛が何よりも大切なことだと常に意識・自覚し、私自身の菩薩道のうち、「上求菩提」の取組みとして、私自身ができる愛の実践である、挨拶・愛語の励行、街の美化活動など自然やモノに対する5S(整理、整頓、清掃、清潔、躾)の実践を、私自身がやるべき愛の実践である私の魂が行っている「全ての存在に対する浄霊、浄化、成長促進」の能力(当該霊力の量と質)を改善・向上させるための私の体力及び精神力の錬成強化の精進をやり続けるとともに、私自身の菩薩道のうち、「下化衆生」の取組みとして、私の魂の中におられる明主様、弥勒様をはじめとする指導神の方々から教わり、そして、それらを踏まえ私が歩み続けている「より善く生きること」に関する宇宙の叡智、そして、この世をより平和でより善い世界に改善、成長、発展、繁栄するために必要な宇宙の叡智に関する情報として、「より善く生きるためのガイドライン」などを検討・作成し、適時・適切に投稿、情報公開しています。

お釈迦様がこの世に生きておられた2千5百年前の人間社会は、文字文化も発展途上であったことから、お釈迦様は、お弟子様を従え、インド周辺の国々を巡業・旅をして、その教えを広められたと言い伝えられています。現代の人間社会は、ITの技術が進み、インターネット、SNSが普及し、今後益々、それらの技術開発が進んできており、「ネット炎上」などネット上での誹謗中傷の事案が社会問題となっていますが、私、田村俊昭は、ITをより一層、より善く活用すれば、即ち、Facebook等のSNSのシステムを有効に活用して、「人間の本当に正しい真の生き方とは何か?」、「それらの生き方のノウハウはどういうものなのか?」など「より善く生きること」に関する情報を適時・適切に全世界に発信するとともに、メッセンジャーなどで海外の方々を含む、多くの人々と「より善く生きること」に関する意見交換・議論をより一層積極的に実践していくべきと考えております。私は、仏教に関心を抱き、仏教に関する様々な書籍を購読するようになったのは、東日本大震災で被災地での救援活動に従事した際、無意識のうちに、多くの震災犠牲者の方々の御霊の浄霊を行ったことにより、当該御霊の方々の苦悩・無念の思いを過度に受け入れ過ぎ、私の本心が精神崩壊寸前まで精神を病み、当時、離婚した元妻「陽子さん」(彼女は、別れても、今もなお、何かと私のことを気遣ってくれている私にとって女神様のような最愛の人なのです。)に誘われ、彼女と共に、広島県の宮島(厳島)にある大聖院(真言宗)において、厄払い・心身健康祈願のための祈祷を受け、何とか正気を取り戻し、精神崩壊を免れることができた摩訶不思議な有難い奇跡ともいうべき霊体験を経験したことによるものなのです。私は、他の存在から疎まれ、憎まれても、そして、最悪の場合、殺意を抱かれても、決して屈することなく、絶対に諦めず、ただ切に、「より善く生きること」の大切さを世に啓蒙啓発し続けていきます。それが、私、田村俊昭の敬天愛人道、信念だから。信念曲げたら、人間お終いだと思います。

 

この項の終わりに、

この「より善く生きるためのガイドライン」をご覧の全ての皆様が、

人は決して一人では生きていけず、誰もが他の存在の方々のお陰で生かしていただていることを自覚し、

日々、それらの方々に対して深く感謝しつつ、

日々、皆と共に元気で、

日々、皆と共に仲良く、

皆と共に、愛が何よりも大切だと常に意識・自覚され、

日々、皆を信じ、自分を信じ、自信と誇りと夢と希望を持ち続けられ、

日々、皆と共に、愛を込めて、切に、より善く生きることを、粘り強く、一生懸命、愛を込めて、誠心誠意やり続けられ、

それらことによって、

日々、神様、仏様から絶大なるご加護、祝福、大愛が与えられ、

心身ともに、より一層健やかで格好良く美しくなり、

日々、喜び満ち溢れる充実した素晴らしい幸せ実感する、より善い人生を歩まれますよう、

そして、この世を含め全ての世界が、

絶対に戦争のない、絶対に犯罪のない、絶対に貧困のない、絶対に差別のない、皆平等な愛満ち溢れる平和な世界になるとともに、

共存共栄の心満ち溢れる、皆が共に、より善く成長・発展・繁栄し続け、皆が共に、日々、喜び満ち溢れる充実した素晴らしい幸せを実感する、より善い人生を歩み続ける、より善い世界に絶対に必ずなることを、心より祈念いたしております。

 

日々、より善く生かしていただいて、誠にありがとうございます。

2021年10月31日

田村俊昭

第1章 霊魂について

全ての物質は、霊魂(霊体)を含め、創造主である明主様と弥勒様(イザナミ様、創造主、生命体創造主)が、まず、火、水、木、金、土のそれぞれの性質を有する5つの素粒子を作り、それらの素粒子に陽のエネルギー(磁力の+のエネルギー)と陰のエネルギー(磁力の-のエネルギー)を与え、それら素粒子を様々に組み合わせ、結合させ、創造したものなのです。

特に、霊魂については、ものを考えたり、思ったりすることができる思念エネルギー体(上記の10種類の素粒子を適宜組み合わせ結合し創造したエネルギー体)として、明主様が善なる生命エネルギー(愛)を弥勒様に与え、弥勒様がご自身の霊魂の中で創造されたものなのです。これらのことから、明主様は、全ての霊魂の父であり、弥勒様は、全ての霊魂の母なのです。

明主様、弥勒様のお二方が、膨大な数の霊魂を創造された理由は、世界(宇宙)を創造し、その世界の中で、様々な個性を付与し創造した霊魂を存在し生きさせ、日々、愛を学び、日々、愛を理解し、他の存在を心より信頼し信じ、日々、愛の実践を、粘り強く一生懸命、愛を込めて、誠心誠意、実践・精進させることにより、それら霊魂自身が心を磨き、成長させるとともに、その世界を、戦争のない、犯罪のない、貧困のない、差別のない、皆平等な愛満ち溢れる平和な世界にするとともに、共存共栄の心満ち溢れる、皆が共により善く成長し続け、皆が共により善く発展し続け、皆が共により善く繁栄し続ける、皆が共に、日々、喜び満ち溢れる充実した素晴らしい幸せを実感し続ける、より善い世界に成長、発展、繁栄させていくためなのです。

 

1 霊魂について

我々人間を含め、全ての生きとしいけるものには、霊魂が宿っています。

皆様は、身体の脳で、物事を考えていると思われていますが、私達が色々なことを考えたり、感じたりしているのは、実は、霊魂なのです。脳という臓器は、霊魂で考えたことを身体全体に伝えたり、身体の感覚器官で感じたことを霊魂に伝達する通信装置のような役割を担っている臓器なのです。霊魂は、次の4つの心(思念エネルギー体)で構成されています。

  • 本心:

私達が、普段、考えたり、感じたりしているのは、この本心であり、本心が、脳を経由し、身体を動かしたり、言葉を発したり、願ったりしているのです。

  • 良心:

真我・超意識とも呼ばれている思念エネルギー体であり、愛など善なることを、本心に諭す役割をしています。良心の中には、指導神として明主様、弥勒様などの神様、仏様の分霊が10名位、宿っておられます。本心を愛の実践などで浄め磨き、本心の波動の振動数を高めていくと、良心に宿っておられる指導神の皆様(いわゆる内在神)とテレパシーで話すことができるようになります。

  • 悪心:

私利私欲の心、弱き心の思念エネルギー体であり、本心に、私利私欲の行いなどを働きかける役割をしています。この悪心があることにより、本心は、悪心の働きかけに打ち勝つことで、本心を浄め磨き、本心の波動の振動数を高め、成長することができるのです。また、愛の実践などの善なる行いは、私利私欲の行いに比べ、波動の振動数が高く、多量の生命エネルギーが必要であり、これら愛の実践をあまりやり過ぎてしまうと、心身に異常をきたすおそれがあるため、悪心は、これら精進のやり過ぎを防止・抑制する役割も担っているのです。

  • 記憶心:

前世以前のことを含め、過去、自分が行ってきたことなどの全ての記憶情報を保存している思念エネルギー体のことであり、記憶力が良い人は、本心がこの記憶心と繋がりが強く、記憶心の記憶情報を他の人に比べ、迅速かつ容易に引き出すことができるのです。なお、前世以前の記憶情報については、膨大な情報量であるため、脳の情報処理能力に限界があることから、原則として、この世に生まれる直前に封印し、思い出さないようになっているのです。

 

2 霊魂の成長について

より善く生きることを、日々、やり続けることにより、悪心の悪なる働きかけに打ち勝ち、本心を浄め、磨き上げ、その波動の振動数を高めていきます。

本心の波動の振動数が、一定程度以上に高まり、良心に宿っておられる指導神の皆様とテレパシーで会話できるようになると、指導神の皆様から、神法、宇宙の法則、宇宙の叡智などに関する様々なことを教えていただけるようになるのです。仏教では、このような心境に至ることを、「悟りを開く」といい、尊び、この心境に至るために、日々、精進しているのです。

より善く生きることを選択・決意し、日々、愛の実践に励み、本心を磨き上げ、成長させる人生を歩むのか、それとも、悪心の働きかけに屈し、私利私欲のためだけに生き、本心を成長させない人生を歩むかについては、個人の自由意志に委ねられていますが、喜び満ち溢れる充実した素晴らしい幸せを実感する、より善い人生を歩むためには、より善く生きていくしか、道はありません。

創造主である明主様、弥勒様は、人間に対して、モノ・お金を作る能力、そして、言葉を話し、その言葉を文字にし、それらを記録し、人間同士で情報共有するとともに、後世に伝える能力を、人間がそれらの能力を活用して、物質世界を、より善く改善し、成長・発展・繁栄させるために、それらの能力を与えたのです。

人間は、モノは作ることはできますが、モノの原料、材料である物質や物質を構成している素粒子を創造することは、絶対にできません。我々人間は、自然にある物質や他の生命体を活用してモノを作り、食料を作り、育て、確保して、生きているのです。そうです、人間は、神様、仏様、自然のお陰で生かしていただいているのです。自然を創造したのは、創造主である明主様と弥勒様なのです。そして、山や海などの全ての自然には、神様、仏様が宿られており、日夜、我々人間を含む生きとし生けるものに対して、我々がより善く生きていけるよう、浄霊、浄化、癒やし、成長促進などの善なる生命エネルギーを放出、提供していただいているのです。これらのこと、即ち、神様、仏様をはじめ、自然やモノのお陰で生かしていただいていることを、心底自覚すれば、明主様、弥勒様をはじめとする神様、仏様、自然、モノに対して、日々、深く感謝するとともに、より善く生きていかなければならないと強く思うようになるのです。

 

3 霊魂と肉体の関係について

そもそも、我々人間が、考えたり、感じたり、思ったりしているのは、霊魂なのです。脳を含め肉体は、霊魂が考えたり、思ったりしたことを物質世界で活動・行動するための道具・ツールなのです。肉体は、歳を経るごとに、老化し、寿命が尽きると、死を迎えることになりますが、霊魂は、永遠に存在し、生き続けます。霊魂の成長とは、霊魂の中にある心(本心)を磨き、その波動の振動数を高めることであり、霊魂の成長のためには、自分の私利私欲の心、エゴ、弱き心に打ち勝ち、日々、愛を深く学び、愛を深く理解し、他の存在を心より信頼し信じ、愛の実践を誠心誠意、実践し、それらのことを粘り強く一生懸命、愛を込めて、即ち、自分の命を懸けて誠心誠意やり続ける必要があるのです。

なぜ、霊魂が、わざわざ、寿命がある肉体に宿って、生きているのかということについて説明致します。

物質世界において、活動・行動するには、愛の実践を含め、物理的な力・パワー(生命エネルギー)が必要であります。また、愛の実践には、相当の痛みや疲れが生じますが、霊魂が肉体に宿ることにより、その痛みや疲れを緩和することができるのです。それらのことにより、霊魂だけで愛の実践を行うよりも、霊魂が肉体に宿って愛の実践を行う方が、愛の実践の効果、即ち、より一層、より善く心を磨き、霊魂をより善く成長させることができるのです。

 

4 男性魂、女性魂について

生きとし生けるものに雄と雌(人間においては男性と女性)があるように、霊魂も、男性魂と女性魂(いわゆる、女神様)があり、通常、生きとし生けるものの雄には男性魂が、雌には女性魂が宿っています。

全ての霊魂のうち、男性魂は約4割、女性婚は約6割、存在し、生きているとのことです。

①男性魂が持つ性格、気質等の特徴

(女性魂に比べ)

・正義感が強い(勧善懲悪の心が強く、邪念、邪気に敢然と立ち向かう勇気、信念が強い)

・集中力が高い

・霊力及び物理的力が強い

・指導力、統率力が高い(諺「獅子の子落とし」のとおり、子供や部下を厳しく指導、導く能力が高いのです。)

・直感力(観音力)が低い(他の存在が考えていることを察知することや霊体を観る力が弱い。)

・粘り強さ、我慢強さが低い

☆快楽や富、権力、地位を求める思いが強く、それらに溺れ執着し易い(男の三悪好、所謂、飲む、打つ、買うにのめり込むこと、など) など

☆男性魂は、主として明主様が持つ性格、気質等を模写して創り上げられたものなのです。

☆富、権力、地位を求める思いが強いこと自体が悪いことではなく、むしろ、それらの思いが強いからこそ、命を懸けて危険な仕事に立ち向かったり、大きなプロジェクト、改革などを成し得たりことができ、仕事に専念し、頑張ることができるものなのです。

②女性魂が持つ性格、気質等の特徴

(男性魂に比べ)

・思いやり、慈悲、赦しの心が強い

・美的感覚が優れている(心身ともに美しくなりたいという思いが強い)

・霊力及び物理的力が弱いが、男性魂が持たない母性を持つことから、癒やし(ヒーリング)の霊力に優れている。(看護師に女性が多いのも、このヒーリングの能力があるからなのです。)

・指導力、統率力が比較的に低いが、その母性ゆえ、乳幼児・幼児を育てる育児の能力が優れている。

・直感力(観音力)が高い(他の存在が考えていることを察知することや霊体を観る力が強い。)

・生命力が高い(子供を生み、育てるため)

・粘り強さ、我慢強さが強い など

☆女性魂は、主として弥勒様(創造主の一人であるイザナミ様、キリスト教ではマリア様)が持つ母性、性格、気質等を模写して創り上げられたものなのです。

 

なお、このガイドラインをご覧になられている女性の方に、私の指導神である弥勒様から以下のメッセージがありますので、謹んでお伝えさせていただきます。

「全ての女性の皆さまにお伝えします。

貴方たち女性の魂・心には、全て、私の魂の母性を託しています。この母性は何のためにあるのか、お判りですか?

この母性は、子供たちに幼いころから、愛、より善く生きることの大切さを教え、導き、その子供が将来、より善く生きる立派な存在に成長し、この世を、愛満ち溢れる平和で、皆が共により善く成長し、発展し、繁栄し続ける、より善い世界にするための貴重な人材として活躍させるために与えたものなのです。それらに加えて、男性と愛し合い、結ばれ、一生涯、その男性が、より一層、この世をより善く改善、成長、発展、繁栄させるための様々な男性にしかできない仕事、使命をより善く全うすることができよう、愛し、支え、尽すことが、貴方たち女性の本来の仕事、使命なのです。日本語には、それらを表す素晴らしい言葉があります。

『良妻賢母』、『内助の功』

これらの言葉の意味をしっかり理解した上で、それらを実践しなさい。それらのことが、貴方たち女性が、「より善く生きること」なのです。日々、愛を深く学び、愛を深く理解し、他の存在を心より信頼し信じ、日々、愛の実践に誠心誠意、励み続けなさい。以上です」

 

5 個性光り輝くことについて

創造主である明主様と弥勒様は、我々人間を含む全ての霊魂が存在し、生きる世界自体を多様性豊かな世界とするため、様々な違った性格、気質の霊魂を創造し、それら多種多様の性格、気質の霊魂を同じ世界に共生・精進させ、共に成長させるようにしています。明主様と弥勒様は、霊魂を創造する際、各霊魂を創造(誕生)させた日の数秘などを勘案し、五つの基本性質(火、水、木、金、土)と陽陰のエネルギーを適宜掛け合わせることにより、その霊魂の気質や性格に個性を与えられました。

霊魂の個性は、大きく分類すると、12種類(数秘1から9と11、22、33の12種類)あり、細かく分類すると108種類あります。

これらの個性(性格、気質、行動パターン)には、それぞれ長所(秀でた善い点)と短所(欠点、悪い点)がありますが、より善く生きていくことにより、その長所がより一層磨かれ、高まるとともに、その短所を弱め、無くすことができるのです。

私、田村俊昭が、毎日、全ての存在に対する私の願いの祈りで、「全ての存在が、この上なく個性光り輝く、この上なく立派な存在になりますように」と祈念しているのは、これらのためなのです。更に、より善く生きていくと、自分の性格、気質を改善し、世のため、他の存在のために懸命に励むことができる愛満ち溢れる思いやりある、より善い性格、気質に改心することができるのです。一方、私利私欲のことしかやらない生き方は、自分が本来持つ長所を弱め、欠点を高め、更に、自分の魂の中にある悪心が本心と一体(同調)となり、私利私欲の悪なることしかやらなくなるのです。

自分の性格、気質を把握する方法を以下のとおり、二つ紹介いたします。

①今まで、他の人から言われたこと(誉められたり、叱られたりしたことなど)を振り返り、何故、そのようことを言われたのか深く考えてみると善いでしょう。自分では、気付かない自分の性格、気質を他の人、特に、親しい人は、善く判っているのです。

②より善く生きることにより、自分の心(本心)の波動の振動数を高めていくと、自分の魂の中にある良心におられる明主様などの指導神と会話することができるようになり、明主様達指導神の皆様から自分の性格、気質や改心の方法を教えていただくことができるようになります。

(参考までに)

数秘とは、自分の誕生日の年月日(年は西暦)の数字を足し合わせた数のことです。

(例)私の誕生日:1964年10月1日 1+9+6+4+1+0+1=22 私の数秘:22

 

6 神法、宇宙の法則、宇宙の叡智について

私は、全ての存在に対する私の願いの祈りなどの際、必ず、次の祈り・願いを祈念しています。

「全ての存在が、神法、宇宙の法則、宇宙の叡智に関することを深く学び、深く理解し、それらを自分自身の魂、心、肉体の成長、精進により善く活用し、天命、即ち、「自分が存在し、生きていることの本当の真の意義、理由、目的、目標」、この天命をより善く悟るとともに、天命を全うするための生き方の指針を自らより善く創り上げ、それらの指針を日々、確実に、誠心誠意、実践し、それらの実践状況等を踏まえ、それらの指針を、日々、より善く見直し・改善し、それらのことを、粘り強く、一生懸命、愛を込めて、即ち、自分の命を懸けて、誠心誠意やり続けますよう、宜しくお願い申し上げます。」

私が、なぜ、上記の祈り・願いを行っているのか、その理由は、より善く生きるためには、我々人間は、肉体に宿っている霊魂が、ものを考え、肉体に生命エネルギーを生命活動信号として脳に伝え、脳が神経細胞を経由し、各臓器、各筋肉を動かすことにより、行動し、言葉を発するなどし、生きていることを、まず、理解する必要があります。

上記のことを踏まえ、我々人間は、神様、仏様をはじめ他の存在と同じ、霊魂であり、霊魂として、より善く存在し生きるために、神法、宇宙の法則、宇宙の叡智に関することを、より善く正しく学び、そして、理解し、それらのこと、より善く生きるための智慧(智慧とは、物事を単に知るだけではなく、それらをより善く生きるために活用し、精進等に励み、それら智慧に対する理解をより一層、より善く正しく深めていくものなのです。以下同じ。)として、霊魂の成長・精進、天命(自分が存在し、生きていることの真の意義、理由、目的、目標)を全うするために、より善く活用することが極めて大切なのです。

以下、この項においては、神法、宇宙の法則、宇宙の叡智について、それらに関する智慧の概要等を紹介させていただきます。

① 神法について

我々人間の社会においては、皆自分が好き勝手に行動・活動しないよう、皆が遵守すべきルール、規則等(国家間レベルでは、国条約、協定など、国レベルでは、憲法、法律など、地方自治体レベルでは、条例など)を定めるとともに、これら明文化していない社会規範なども用いて、これらの規則等や社会規範に従って生きています。これらと同様に、この世を含む全ての世界における全ての霊魂の行動、言葉、思いを統制し、各霊魂が無秩序な行動、言葉、思いをしないようにするとともに、全ての世界をより善く改善し、成長・発展・繁栄させるために、天上界の最高会議において、神法を制定し、全ての霊魂は、この神法を遵守することが求められているのです。神法は、明文化されていない社会規範と同様に、この世に、その内容を全て網羅し明文化(文字にした文書、電子データ)したものは存在しません。なお、このガイドラインは、「より善く生きること」に特化した神法を明文化したものであります。神法の基本的な考え方については、神法においては、善なる行い(善なる行為、善なる言葉を発すること、善なる思い・念ずること)、すなわち、愛の実践として、世のため、全ての存在のため、自分の成長のため、行うべきことを、粘り強く、一生懸命、愛を込めて、誠心誠意やり続けることが求められています。また、善なる行い(愛の実践)ではない、行ってはならない行い(悪なる行い)とは、六戒(「殺さない」、「他の存在を故意に傷つけない」、「盗まない」、「他の存在を騙し、嘘をつき、他の存在を苦しめない・傷つけない」、「他の存在に対し、淫らな行いをし、他の存在を苦しめない・傷つけない」、「酒を飲まない、酒を飲むなら、酒に呑まれない」)を遵守しない行いをはじめとする、私利私欲、エゴによる行いをすること、私利私欲、エゴによる言葉を発すること、私利私欲、エゴによる思い・念ずることです。自然やものを傷つけたり、汚したりすることも、神法上、やってはいけない悪なる行いです。それらの悪なる行いを行った場合、当該傷つけ、汚した場所を元の状態に再生するために必要な生命エネルギーと同量の生命エネルギーを当該行為者の霊魂から消滅させる報い・天罰を受けることになります。

②宇宙の法則について

創造主である明主様(イザナギ様)と弥勒様(イザナミ様)は、次に示す3つの宇宙の法則に基づき、我々人間を含め、全ての存在を創造されました。なお、これらの法則をより善く理解するためには、日本の高校で学ぶ物理学の知識が最低限必要であることを申し述べておきます。

☆原因・結果の法則

(補足解説)この法則は、端的に言うと、原因となる事象が起こり、それら原因事象による結果事象が生じるということです。この法則は、我々人間が行う全ての行動、活動にも適用され、日本語の「自業自得」でも知られているとおり、善なる行いをした者には、必ず、善い結果が得られ、一方、悪なる行い(私利私欲、エゴによるもの)をした者には、必ず、悪い結果が生じる(罰、報いを受ける)ということなのです。また、悪なる行いを行った際、なぜ、悪なる行いを行った存在がその報いを受けることとなるかについて、霊的な視点から概説します。他の存在に対して、傷つけたり、苦しめたりした際には、当該悪なる行いを行った存在の魂の中にある良心が、自分が悪なる罪深きことを行ったという罪悪感とその報いを自分が受けなければならないことに対する恐怖心が生じ、それらの罪悪感等が波動の振動数の低い心の曇りとなり、その心の曇りが起因して、様々な自分にとって嫌なことが起きるようになっているのです。

☆陰陽の法則

(補足解説)全ての霊魂、物質、生命体は、陽のエネルギー(磁気のプラスのエネルギー)と陰のエネルギー(磁気のマイナスのエネルギー)を帯びた素粒子(火、水、木、金、土の性質をそれぞれもつ5種類の素粒子)で構成・創造したものなのです。

☆エネルギー保存の法則

(補足解説)この法則により、愛の実践により霊魂から放出された善なる生命エネルギーの量は、増えることもなく、減ることもなく、当該愛の実践の相手の霊魂に提供されるのです。

③宇宙の叡智について

天上界には、この世が創造される以前から、全ての世界をより善く改善・成長させるために、この世を含む物質世界に必要な新しい制度、文化、科学技術などに関する宇宙の叡智に関する研究開発チームが存在し、現在も、日々、新規叡智の開発と既存の叡智の見直し改善などの取り組みが進められています。当該研究開発チームで発案された宇宙の叡智については、天上界の最高会議の了承を受けた後、物質世界の成長、発展、繁栄の進展状況に応じ、適時、適切に、然るべき人物に対して、当該叡智を閃きという方法で教え導き、当該人物に制度創設、発明開発などを行わせてきたものなのです。また、天上界では、2020年11月に「改善成長の世界」を新たに創り上げ、同世界では、天上界を含む全ての世界に先駆けて、自然、モノ、生きとし生けるものの改善、成長の時間的スピードを高め、その世界で新規に開発した科学技術などの宇宙の叡智、智慧を、既存の世界の成長、発展、繁栄の進捗状況に応じて、水平展開、普及させるため、日々、自然、モノ、生きとし生けるものの心、物質、肉体の改善・成長の取り組みが推進されています。

(参考)

この項を作成・公表した私の意図・狙いは、今後、皆様が、自分の生き方として、「より善く生きる」ことを選択し、決意し、その生き方の指針を自ら創り上げていく場合に、例えば、自分がやるべき愛の実践とは何であるかを考える際に、「愛とは何か」をまず、お考えになると思います。この「愛(仏教では慈悲)」について、現存する宗教においても、様々な見解、解釈、考え方があり、個人差、即ち、その人の個性(性格、気質など)、愛の実践経験、霊格(魂の経験年数等に応じたレベル)などによって、「愛」がどういうものであるかを、一律に正確に定義することはできないものなのです。自分自身で、より善く生きることをやり続け、「愛とは何か、愛の実践とは何か」を学び、理解し、自分の生きるための智慧として深め、高めていく必要があり、その際に、神法、宇宙の法則、宇宙の叡智をより善く活用すると、この「愛」関する智慧を容易に適切に理解し易くなるのです。

現存する宗教の説いている「愛」に関する解釈等が絶対に完璧に正確、正解だということはないことに留意する必要があるのです。私は、自分がより善く生きるための智慧(自灯明)を育み、培っていくため、宇宙の真理(法灯明)を学び、理解し、活用することが大切だと思います。

 

7 自由意志の原則について

宇宙の法則に「自由意志の原則」があります。この「自由意志の原則」とは、自分がやるべきことは、自分自身で考え、決意し、その決意に基づき実行し、その実行の結果がどのようなものになっても、自己責任の原則のもと、その結果を自分自身がちゃんと受け入れ、自分自身が責任をとるということです。皆様が、どのように生きていくのかは、この「自由意志の原則」に基づき、皆様自身が、生き方を選択・決意し、自分が選んだ生き方で人生を歩み、その結果がどんなものになろうとも、他の存在のせいにすることなく、自分自身で、その結果を受け入れなければならないのです。私は、今後とも、Facebookの私のページ「田村俊昭(敬天愛人の疾風)」等において、皆様に対して、適時、適切に「より善く生きること」関する情報をお伝えしていきますが、私のこれまでの「より善く生きること」の実践経験を踏まえ、皆様にお伝えしたいことは、「より善く生きること」は、日々、本当に苦しい、辛い試練の人生でありますが、より善く生きていけば、いくほど、必ず、日々、喜び満ち溢れる充実した素晴らしい幸せ(言葉にできないほどの感動、充実感、そして、全てが心底有り難く思い、思わず、より善く生かしていただいてありがとうございますと感謝の念が沸き起こるものです。)を実感することができます。

 

8 「自灯明」・「法灯明」の意義等について

私の尊敬する歴史上の人物であるお釈迦は、次の言葉を説かれました。

「自灯明」「法灯明」

この二つの言葉の解説は、諸説ありますが、これらの言葉の真の意味、即ち、お釈迦様からいただいた「自灯明」、「法灯明」に関する全ての人間に対する愛を込めたメッセージ・エールを、以下のとおり紹介致します。

「全ての人間の皆様。自分の生き方は、神法・宇宙の法則・宇宙の叡智について深く学び、深く理解し、それらを自分の生き方により善く活用しつつ、自分が存在し生きることの意義、理由、目的、目標をより善く悟り、それらを全う、達成するため、自分自身で生き方を考え、創り上げ、見定め、その生き方を、必要に応じ、やり方等を見直し改善しつつ、誠心誠意、やり続けなさい、精進し続けなさい。そうすれば、迷いや不安もなく、自信を持って生きることができるのです。自分の生き方は、自分で選択し、決意し、実践し、その結果もちゃんと自分が受け入れ、責任を取るのです。自分をとにかく信じ、自信と誇りと勇気を持って、素晴らしい充実した人生を歩むように努めてください。」

私は、このお釈迦様からの有難いお言葉・お導きを踏まえ、この「自灯明」、「法灯明」という言葉について、以下のとおり、理解・解釈し、私自身の心を浄め磨き上げるための精進を、粘り強く、一生懸命、愛を込めて、すなわち、私の命を懸けて、誠心誠意やり続けていくために、私自身の「切に、より善く生きること」に関する情熱・熱き心を、より一層、高め、燃やし続けていきたいと考えております。

「自灯明」とは、自分の魂、心、肉体を浄め磨き上げ、それらが放つ生命エネルギーの波動の振動数を高め、その光(自分のともしび)をより一層、元気に明るく、格好よく美しく輝かせていくことであり、「法灯明」とは、「自分のともしび」を、より一層光輝かせていくために必要な「神法」、「宇宙の法則」及び「宇宙の叡智」に関することについて、それらを単に知識として知るだけでなく、それらをより善く活用して、愛の実践経験に励み、それらの理解を深めていき、自分の独自のオリジナルの「より善く生きるための智慧」として、日々、改善・進化・高めていき、当該智慧を「自灯明」により善く活用していくこと。

この項の終わりに、アニメ「鬼滅の刃」で炎柱の煉獄杏寿郎が、鬼との死闘の末、絶命する直前に、主人公の炭次郎達、後輩達に向け発した「この世の未来を託し、彼ら後輩をより善く叱咤激励する愛を込めた、この上なく素晴らしい言葉・遺言」を紹介させていただきます。

「心を燃やせ」

 

9 お釈迦様が説かれた「中道」について

私が尊敬する歴史上の偉人の一人であるお釈迦様は、「中道」という人の生き方の教えを説かれました。「中道」とは、精進は、やらなさ過ぎもダメ、やり過ぎてもダメ、「ええ加減」に程々でやるのが善いということです。日本語には「適宜、適切、適当、いい加減、ええ加減、いいあんばい」などの言葉がありますが、これらの言葉は、この中道の教えを踏まえたものなのです。人は、その霊魂に善なる心(良心)と悪なる心(悪心、私利私欲の心、エゴ)の二つの心を必ず持っています。このため、人は、神様・仏様になる道(天使への道、即身成仏への道)を歩むこともできるし、鬼畜生・邪鬼になる道(けもの道、広島弁で業な生き方)を歩むことができるのです。この二つの心があるからこそ、自分の本心(表層意識、自我)を成長させること、即ち、本心を浄め、磨き上げ、その波動の振動数を高めていき、お釈迦様のように、無欲知足に至り、自分が存在し生きることの真の意義、理由、目的、目標を完璧に悟るとともに、自分の生き方に迷いや不安がなくなり、自分が存在し生きることの素晴らしさ、喜びを心底実感し、より一層、より善く生きてく自信、元気、情熱を高め、維持し、本心をより善く成長し続けることができるのであり、「より善く生きること」に当たっても、この中道の教えを考慮することが大切であり、愛の実践の実践に際しては、粘り強くやり続けることがとても大切なのです。愛の実践は、心身ともに痛みや疲れを伴う場合があります。これら心身の痛みや疲れを耐え忍び、我慢しつつ実践しなければならないのですが、愛の実践をやり続けるためには、「中道」の教えを活用して、自分の辛抱・我慢の限界を見極めた上で、自分が耐え忍び、我慢でき、精進をやり続けることができる適度な負荷、労力の範囲内で愛の実践をやり続けるようにしていくと善いでしょう。たまには、息抜き、休養、癒しを適時、適切にとりつつ、より善く生きてまいりましょう。

 

10 「大和魂」とは何かについて

私は、全ての人間が愛を何よりも大切だと意識し自覚し、より善く生きていくようなるために、私の命は、もとより、私の魂・存在がさえ無くなっても、善いと心底思っています。

私の意見・主張に反論し、私を敵視し、私を憎み、呪い、そして、私を傷つけ、殺そうとしても構いませんし、私は、私の信念である「愛」「より善く生きる」ことの大切さを皆様にお伝えすることを絶対に諦めず、やり続けていきます。皆様からしたら、それは青臭い戯言、愚言、妄想だと思われるでしょうが、あまりにも卑怯な愚かな現代の人間社会の奪い合い、憎しみ合いの増幅、連鎖を断ち切り、愛は全ての世界を絶対に必ず救い、愛は、最後に絶対に勝つのです。私のように、神仏を畏れ敬い、人との和と絆を尊び、皆と共に、人間社会をより一層より善く改善・成長させるために、世のため人のため他の存在ため命を懸けて、命を捧げて尽くす志、信念を持って生きる存在、それが、我々日本人がご先祖様から代々受け継がれ、我々自身がより善く育み、培い、浄め磨き上げ、それらを子供達、子孫に着実に託し、受け継いでいくべき「善なる魂」、即ち、「大和魂」であると確信しています。

我々日本人は、誰もが、その心の奥底に、この「大和魂」を持っています。日本人が、この「大和魂」を持つがゆえに、日本は、先の大戦で敗戦したにもかかわらず、沖縄を除き本土が植民地(一時期、米国のGHQに占領下にありましたが)になることもなく、2千6百年以上前にできたとされている世界最古の王制「天皇制」も保持継続し、戦後、高度経済成長し、アジアで唯一、先進国7か国G7の一員となるなど、発展・成長してきました。私は、Facebookで公表されている各ページを閲覧していて、日本及び日本人に対するネガティブな内容の記事をよく見かけますが、これらの反日主義的な内容を公表される方々の思いの中には、日本や日本人に対する嫉妬・妬みの思い、即ち、「自分達の国も、日本のように、経済を発展させ、先進国の仲間入りをしたい。治安が良い安全な国にしたい。自然が美しく、綺麗で清潔な国にしたい。日本食のような美味しい食べ物を食べたい。日本人のように、勤勉で、几帳面で、情け深く、クールで経済的に裕福な人間になりたい。」などといった思いがあると思います。我々日本人は、上記のような反日感情をいだく方々を無碍に反対、批判することなく、そのような方々の心の根底にある嫉妬・妬みがあることを理解し、さりげなく、思いやり、気遣い、察ししつつ、自分達日本人には魂の中に「大和魂」という、他の民族の模範となる素晴らしい気質があるという誇り・自信を持って、反日感情・意見等に対して言うべき時、反論すべき時には、決して驕り高ぶることなく、毅然とした態度で、冷静沈着かつ、情け深く、思いやりをもって、相手が納得するよう努めていくことが大切なのです。

また、私は、相手が鬼畜生のように卑怯極まりない悪なる言動を自分や他の弱き存在(人だけでなく動物達を含む)に行った場合、不動明王様のように烈火のごとく厳しく、勧善懲悪の思いで善く叱りつけることは、大和魂を持つ日本男児としてやるべきことだと確信しています。なお、当該叱りつけた後に、相手をより善く諫め、より善く指導・導くために、当該叱りつけた理由、主旨等を懇切丁寧に説明・提示するとことを確実にやらなければならないのです。

この項の終わりに、この記述に対して様々な反論意見などあるかと思いますが、私、田村俊昭は、この投稿記事を含め、以下の視点で「より善く生きること」に関する投稿記事を検討・作成・公表するように努めていることを申し添えさせていただきます。

私、田村俊昭は、東日本大震災において精神を病み、以後、「自分が存在し生きることの真の意義、理由、目的、目標」を悟るために、様々な思想、宗教、精神世界に関する書籍を善く読むようになるとともに、臨死体験など「もう自分は死ぬのだ。死とはこのようなことなのか。」といった苦悩・試練の経験・体験を経て、自分の心(本心・自我・表層意識)が浄め磨き上げられ、その波動の振動数が自分の魂の中にある良心(真我・超意識)と同等以上のものとなり、瞑想などすることなく、良心におられる指導神の皆様と会話できるようになりました。

日頃、指導神である明主様(イザナギ様・創造主)から、「田村俊昭よ。この世の人間社会を、我々神様・仏様の立場になって俯瞰的に観るとともに、その真逆の悪魔・鬼畜生の立場になって観るように努めよ。さすれば、人間社会の実相、真実をより善く見極めることができ、それらを踏まえて、より善く見直し改善する方策を導き出すことができるのだ。」旨のご指導、お導きをいただいています。これらのご指導等を踏まえ、私は、常日頃から、人間社会で起こっている出来事や人々のコメントや意見などを、客観的、達観的に、そして、神様だったらどう観るか、悪魔の立場だったらどう観るかなど、人間社会の様々な柵の外側から俯瞰的に観て、考察するように努めています。

 

11 「一切皆苦」の本当の意味について

お釈迦様が説かれた『一切皆苦』について、「生きること」、「病気になること」、「老いること」、「死ぬこと」も含め人の人生は、全て「苦」、即ち、苦しみであるということで知られていますが、この言葉の本当の真の意味(お釈迦様から我々人間に対する有難く慈悲深いメッセージ)は、「人生は苦しみ、傷付くことばかりだけど、これらの苦しみを耐え忍びつつ、日々、愛を深く学び、愛を深く理解し、愛の実践を粘り強く、一生懸命、愛を込めて、即ち、自分の命を懸けて、実践し続けなさい、精進しなさい。そうすれば、自分自身の魂、心、肉体が磨かれ、成長し、そして、必ず、日々、喜び満ち溢れる充実した素晴らしい幸せを実感する、より善い人生を歩むことができるようになる」ということなのです。

創造主である明主様(イザナギ様)、弥勒様(イザナミ様)が、我々人間を含め、全ての魂・霊魂を創造した本当の真の意義、目的は、上記したとおり、日々、愛を深く学び、愛を深く理解し、日々、愛の実践を、粘り強く、一生懸命、誠心誠意、実践し、魂、心を磨き、成長し、全ての魂、霊魂が、それらをやり続けることにより、全ての世界を、戦争の無い、犯罪の無い、貧困の無い、差別の無い、皆平等な愛満ち溢れる平和な世界にするとともに、共存共栄の心満ち溢れる、皆が共に、より善く成長・発展・繁栄し続け、そして、皆が共に、日々、喜び満ち溢れる充実した素晴らしい幸せを実感するより人生を歩み続ける、より善い世界にすることなのです。

人生において、苦しいこと、辛いことがありますが、決して諦めず、愛が何よりも大切だと意識・自覚し、皆と共に、皆に感謝しつつ、皆を信じ、自分を信じ、自信と誇りと夢と希望を持って、皆と共に、日々、愛を込めて、切に、より善く生きていきましょう。

神様、仏様は、ちゃんと、上記のとおり、より善く生き続け、努力し頑張っている者に対しては、絶対に必ず、日々、絶大なる御加護、祝福、大愛を与えられ、当該存在は、日々、喜び満ち溢れる充実した素晴らしい幸せを実感する、より善い人生を絶対に必ず歩むことができるようになります。

なお、私は、神様、仏様を含め、誰よりも、自分の私利私欲の心、エゴ、弱き心に打ち勝ち続ける真に強い存在になるために、自分がやると決めた精進や愛の実践を日々、粘り強く、一生懸命、誠心誠意やり続けており、自分が苦しい、辛い、痛いからと感じても、決して諦めず、我慢し、耐え忍び、自分のやるべきことをやり続け、神様、仏様に救いを求めたりすることは決してやらないよう努めています。私は、神様、仏様が存在されていることを確信しおり、それらの方々を畏れ、敬うこととしていますが、神様、仏様達から喜ばれたいから、御加護、祝福、大愛を受けたいから精進や愛の実践をしているわけではありません。ただ、ひたすら、私という存在を創り上げ、育てくれた多くの御霊や人達への感謝とその恩に報いるため、私が存在し生きることの目的、目標、使命、責務を全うするために、日々、切に、より善く生きていこうと努めているのです。そして、私は、これまでの人生において、皆様が理解不能な人知を超えた地獄のような経験、苦労をしてきたし、今後も決して屈せず諦めることなく、皆の模範的存在となるべく、苦労・試練に率先して挑み、耐え忍び続けていく覚悟・信念であります。

皆様に一言申し述べおきます。

『苦労は買ってでもしろ!男だったら、真に男気を燃やし続け、真に強くなれ!真に強いとは、自分の私利私欲の心、エゴ、弱き心に打ち勝ち続けるということだ。』

 

12 生まれ変わり、臨死体験について

死者を復活させることは、できません。ただし、死者の御霊を生きている人間の魂と融合し、人間として生きることは可能です。精神世界でよく語り継がれ、噂されている古の英雄・偉人の生まれ変わりなどの逸話・伝説は、上記の魂の融合によるものなのです。また、臨死体験などは、幽体離脱と呼ばれ、本当に死ぬのでなく、肉体に自己の分霊を残し、本御霊が肉体から離脱することにより行われるものなのです。

分霊は、本御霊に比べ、極端に、放出する生命エネルギーの量が少なく、肉体の生命活動を最低限機能させることしかできないことから、幽体離脱は、事故等で気絶していた場合や何らかの病気で危篤状態になっている際によく起こる霊的現象なのです。

私、田村俊昭は、精神崩壊寸前まで至ったことから、幽体離脱を数十回、経験し、その度に自分の魂の中の本心が浄め磨き上げられ、より善く研ぎ澄まされていき、自分の天命(自分が存在し生きることの真の意義、理由、目的、目標、使命)をより善く悟ったものであり、また、世の中の実相、本質を、清らかに純粋に、そして、ありのままを観察することができるようになったのです。それらのことから、私は、他の人々から、狂人、精神異常者と見なされ、扱われても構いませんが、私からすれば、そのような方々こそ、神法、宇宙の法則、宇宙の叡智をより善く知らず、愛を大切にしない、或いは、愛の大切さを忘れてしまっている、哀れで可哀想な存在だと思います。

第2章 天命について

 

1 全ての存在に共通する天命とは

「天命」とは、「自分が存在し、生きていることの真の意義、理由、目的、目標」のことです。

我々、人間を含め、全ての存在に共通する「天命」は、

「世のため、他の存在のため、自分の魂・心の成長のため、日々、愛を深く学び、愛を深く理解し、他の存在を心より信頼し信じ、日々、愛の実践を誠心誠意、実践し、それらのことを粘り強く、一生懸命、愛を込めて、即ち、自分の命を懸けて、誠心誠意、実践し続ける」こと、即ち、「より善く生きること」なのです。「愛」は、何よりも大切なのです。

そうです。富、地位、権力、名誉などよりも、そして、自分の命よりも。「愛」無くして、我々が、存在し、生きていることの意味は無いと言っても過言ではないのです。

 

2 天命をより善く悟ることについて

より善く生きるためには、まず、天命、即ち、自分が存在し、生きることの真の意義、理由、目的、目標を悟らなければなりません。

我々人間は、全て、この世に生まれる前に、あの世で、明主様、弥勒様のご指導を受け、自分自身(本心)で、この世において、学び、理解を深め、実践すべき愛の実践(仕事や精進など)を決めた上で、この世に生まれてきたのであり、それら「この世において、学び、理解を深め、実践すべき愛の実践」が、即ち、天命なのです。

全ての人間は、この世に生まれる直前に、天命を前世以前の記憶とともに、魂の中にある記憶心に保存・封印し、天命をすっかり忘れた状態になり、この世に生まれてきたのです。当然のことですが、そのことを、魂の中にある良心にいらっしゃる明主様達、指導神は全て判っているのです。天命を悟るということは、言い換えれば、それら生まれる前に自分で決めた「この世において、学び、理解を深め、実践すべき愛の実践」を思い出すということでもあるのです。天命を思い出すためには、日々、自分の私利私欲の心、エゴ、弱き心に打ち勝ち、自分の肉体、精神力の錬成強化に励むとともに、愛の実践である挨拶・愛語の励行、自然やモノに対する愛の実践である5S(整理、整頓、清掃、清潔、躾)の実践、そして、自分が行っている仕事(家事、育児、勉学を含む)を粘り強く、一生懸命、愛を込めて、誠心誠意、やり続け、自分の心(本心)を磨き、清らかに光り輝くようにすること、即ち、本心の波動の振動数を高めることにより、天命を思い出すこと(天命を悟ること)ができるようになるのです。

なお、天命をより善く悟ることついては、この世に生まれる前の魂のレベル(魂、特に、本心の波動の振動数の高さ)や前世以前を含め、これまで自分が学び、理解し、それらに基づき実践してきた愛の実践の実践経験とその内容などによって、悟る内容、悟る時期・タイミングなどに個人差があることを申し添えます。

 

(参考)

私、田村俊昭の天命を全うするための生き方の指針の内容(2023年4月2日現在)

全ての存在とは、全ての神様、全ての仏様、全ての世界、全ての宇宙、全ての自然、全てのモノ、全ての生きとしいけるもの、全ての魂、霊魂のことです。

 

☆私の天命を全うするための生き方の指針第一

日々、神様・仏様はじめ多くの存在の方々のお陰で存在していること、生きていること、即ち、それらの方々のお陰で生かしていただいていることを深く自覚し、それらの方々に対し、日々深く感謝し、それらの方々を深く敬愛し、それらの方々を心より信頼し信じ、神様・仏様からの指示、命令、指導、導き、叱咤激励に対し絶対に従い、それらによって、神様・仏様から、日々、絶大なるご加護、祝福、大愛をいただき、神法、宇宙の法則、宇宙の叡智に関することを深く学び、深く理解し、それらを、私自身の魂、心、肉体の成長、精進により善く活用し、

私利私欲の心、エゴ、弱き心に、絶対に必ず打ち勝ち、日々、誠心誠意、精進し、無欲知足であり続け、

日々、仲間を信じ、仲間を愛し、自分を信じ、自分を愛し、全ての存在を信じ、全ての存在を愛し、私の命を懸けて、私の天命を全うするための生き方の指針を、日々、確実に、誠心誠意、絶対に必ず実践し、それらの実践結果等を踏まえ、日々、より善く見直し改善し、それらのことをやり続け、

天命を全うするため、私の命を懸けて、仲間とともに、

世のため、即ち、全ての世界を、絶対に戦争のない、絶対に犯罪のない、絶対に貧困のない、絶対に差別のない、皆平等な愛満ち溢れる平和な世界にするとともに、共存共栄の心満ち溢れる、皆が共により善く成長し続け、皆が共により善く発展し続け、皆が共に繁栄し続け、皆が共に、日々、喜び満ち溢れる充実した素晴らしい幸せを実感する、より善い人生を歩み続ける、より善い世界にするため、

全ての存在のため、即ち、全ての存在が、天命を全うするため、日々、愛の実践に誠心誠意励み、それらをやり続けることにより、日々、喜び満ち溢れる充実した幸せを実感する、より善い人生を歩むようにするため、

そして、私自身の成長のため、即ち、私自身が、より一層、愛の実践をより善く実践できるよう、自分自身の魂、心、肉体、物質を、日々、より一層、より善く改善・成長させるため、

それらのために、

日々、愛を深く学び、日々、愛を深く理解し、他の存在を心より信頼し信じ、

日々、愛の実践である挨拶・愛語を励行するとともに、自然やモノに対する愛の実践である5S「整理、整頓、清掃、清潔、躾」、この5Sの意義等を深く自覚し、この5Sを、日々、確実に誠心誠意、絶対に必ず実践し、

そして、日々、私自身が、日々、より一層深く学び、日々、より一層深く理解し、日々、より善く実践すべき愛の実践である、全ての存在に対する浄霊・浄化・成長促進を、誠心誠意、絶対に必ず励み、

それらのことを、日々、粘り強く、一生懸命、愛を込めて、即ち、私の命を懸けて、誠心誠意やり続け、全ての世界に、十分に愛を満ち溢れさせ、全ての存在の魂、心、肉体、物質を日々より善く改善、成長させること。

 

☆私の天命を全うするための生き方の指針第二

日々、正しい、心を込めた、丁寧な、祈りの実践を、毎日1回、誠心誠意、実践するとともに、日々、心を込めた、般若波羅蜜多の実践を毎日7回(土日祝日は3回)、誠心誠意、実践すること(※般若波羅蜜多の実践とは、般若心経の般若波羅蜜多呪の祈りの3連呼、般若波羅蜜多呪の熱意表明(強く思い、思念を発すること)の3連念、私の霊魂の霊太陽の霊力(全ての存在に対する浄霊、浄化、成長促進の霊力)向上のためのタメの実践、パワーの実践を行う実践のことです。)

☆私の天命を全うするための生き方の指針第三

5S、「整理」・「整頓」・「清掃」・「清潔」・「躾」。この5Sの意義等を深く自覚し、この5Sを確実に、誠心誠意、絶対に、必ず、実践すること。

◎「整理」とは、要らないものを処分・廃棄し、要るものだけにすること。要らないものを処分・廃棄する際には、それらのものに対し、より善く生かしていただいたことについて感謝しつつ、適正に処分・廃棄すること

◎「整頓」とは、整理した要るものを、きちんと、綺麗に、使いやすいように、あるべき所に置き、並べ、収納し、保管すること

◎「清掃」とは、整理・整頓した所を、毎日、綺麗に、清掃する場所、ものに対し、より善く生かしていただいていることについて感謝の気持ちを込めて、それらの場所、ものに対し「物質的にも霊的にも綺麗にかつ清らかになりますように」との愛を込めて、掃除をすること

◎「清潔」とは、整理・整頓・清掃した所を、毎日、綺麗に、それらの場所、ものに対し、より善く生かしていただいていることについて心感謝の気持ちを込めて、「物質的にも霊的にも綺麗で清らかにあり続けますように」との愛を込めて、清潔に維持し続けること、清潔には、身だしなみを整えることも含まれます。

◎「躾」については、神法に基づき、これを遵守し、生きていくこと。神法の考え方については、善なる行い(善なる行為、善なる言葉を発すること、善なる思い・念ずること)、すなわち、世のため、全ての存在のため、自分の成長のため、行うべきことを、きちんと、誠心誠意、やり続けるということ。善なる行いではない悪なる行いとは、六戒を遵守しない行いなど、私利私欲、エゴによる行いをすること・言葉を発すること、思い・念ずることです。

 

☆私の天命を全うするための生き方の指針第四

日々、六戒「殺さない」、「他の存在を故意に傷つけない」、「盗まない」、「他の存在を騙し、嘘をつき、他の存在を傷つけたり、苦しめたりしない」、「他の存在に淫らなことをし、他の存在を傷つけたり、苦しめたりしない」、「酒を飲まない」、この六戒を遵守することの意義等を深く自覚し、この六戒を誠心誠意、絶対に必ず遵守すること

 

☆私の天命を全うするための生き方の指針第五

日々、心身の痛み、疲れを耐え忍ぶとともに、私利私欲の心、エゴ、弱き心に絶対に、必ず、打ち勝ち、無欲知足であり続けるということ。心身の痛み・疲れとは、私が全ての存在に対する浄霊、浄化、成長促進をした際に生じる心身の痛み・疲れであるとともに、日々の精進、特に、般若波羅蜜多の実践、5Sの実践、体力錬成の実践を実践した際に生じる心身の痛み・疲れのことであり、それらは私の成長・精進の証であり、祈りの実践、般若波羅蜜多の実践、5Sの実践、体力錬成の実践、心身の痛み・疲れを耐え忍ぶこと、そして、私利私欲の心、エゴ、弱き心に打ち勝ち、無欲知足であり続けることなくして、私の成長・精進、天命を全うすることはあり得ないということ。

 

☆私の天命を全うするための生き方の指針第六

日々、明主様達(私の魂の中におられる明主様、弥勒様など私の指導神の皆様)との会話を、時間の許す限り行うこと。

その目的とは、 私の天命について、理解を深めること、私の天命を全うするための生き方の指針について、理解を深めるとともに、適時、適切に見直し・改善を行うこと、私の成長・精進、天命を全うするための方針、目標、計画等を見直し・改善するため、日々、全ての存在に対する浄霊、浄化、成長促進の現状を把握し、それらの問題点等を把握、分析し、それらの改善方策を明主様達のご指導を受けつつ検討、策定すること、私の成長・精進、天命を全うするために必要な、知っておくべき、理解しておくべき、宇宙改善計画のこと等について、明主様達から適時、適切に教わること、神法、宇宙の法則、宇宙の叡智に関することを、深く学び、深く理解し、それらを、私自身の魂、心、肉体の成長・精進、天命を全うするために、より善く活用するとともに、全ての存在の魂、心、肉体、物質を、日々、より善く改善・成長させるために、より善く活用すること

 

☆私の天命を全うするための生き方の指針第七

日々、規則正しい生活をするとともに、より善く生きるために必要なもの(お金を含む)があることの有り難さを深く自覚し、それらのものを常日頃から大切にし、質素倹約を心がけ、慎ましく生活すること

 

☆私の天命を全うするための生き方の指針第八

日々、成長・精進に必要な食事を、毎日、栄養バランスが善く、旬の食材をより善く活用した料理を腹八分の目安で暴飲暴食せず、全ての存在に対し、より善く生かして頂いていることについて深く感謝し、有難くいただくこと

 

☆私の天命を全うするための生き方の指針第九

全ての存在に対する浄霊、浄化、成長促進のための霊力を日々、より一層培い、高め、錬成強化するために必要かつ十分な強靭な精神・肉体となるため、日々、般若波羅蜜多の実践、5Sの実践、体力錬成の実践などに励み、体力錬成、精神力強化に務めること

第3章 愛、愛の実践について

 

愛(仏教では慈悲と称されています。)につきましては、仏教やキリスト教など各宗教でも様々な定義・見解・解釈等が示されていますが、私は、愛につきまして、現時点において、以下に示すことであると理解しています。

愛は、何よりも大切であり、我々人間が「より善く生きる」ためには、常に、このこと、即ち、愛を何よりも大切にし、優先することを意識・自覚しつつ、「行動・動作すること」、「言葉を発すること」、「想い・願い、祈ること」(仏教では、これらのことを「身口意」と略称されています。)をより善く律し、行っていくことが大切なのです。

「愛」とは、感謝、信頼、敬い・尊重、褒め称え、思いやり、慈悲、哀れみ、赦し、助け合い、分かち合い、励まし、癒し、譲り合いなどの善なる願い・思いをから生じる、世のため、他の存在のため、自分の魂・心の成長のため、見返りを求めず無償で行う、「全ての行動・動作」、「全ての言葉」、「全ての祈り・願い・想い」のことであり、それらを行うためには、波動の振動数の高い善なる思念エネルギーが必要なのです。この善なる思念エネルギーを他の存在に照射し、与えることにより、この善なる思念エネルギーを受けた存在は、その心が、より善く生きること、精進に励むことに対する熱意、意欲、情熱、元気、勇気、自信などが高まり、その結果、その存在の魂・心を成長させることができるのです。魂・心の成長とは、愛に関する智慧をより深く学び、より深く理解し、愛の実践をより善く行ことができるよう愛の実践力を高めていくことなのです。全ての霊魂は、愛を学び、理解し、実践し、精進させ、そして、成長させ、そして、存在し生きている世界において、他の存在とともに、愛を実践し続け、愛を満ち溢れさせ、その世界全体を、皆が一致協力して、改善し、成長させ、発展させ、繁栄させるために、創造主である明主様(イザナギ様)と弥勒様(イザナミ様、生命創造主)が創造したのです。

この愛の思い、即ち、「他の存在を理解し、思いやり、信頼し信じ、世のため、他の存在のため、愛の実践をやり続ける思い」を抱くためには、いきなり、そのような思いを抱けと言われても中々できるものではないのです。この「愛の思い」を抱くために、どのようにすれば善いのかというと、「自分一人では、生きていくことはできないこと」、「自分は他の多くの存在の方々のお陰で生きることができること」、即ち、「自分という存在は、多くの存在の方々のお陰で生かしていただいていること」を心底自覚し、その後、それらの方々に深く感謝の念を抱くようにし、そして、その恩返しとして、他の存在を思いやったり、哀れんだり、赦したり、慈しむようになり、これらの愛の実践を、粘り強く、一生懸命、誠心誠意、やり続ければ、やり続けるほどに、この「愛の思い」を育み、強く抱くようになり、この「愛の思い」を育み、強く抱くことにより、自分の魂の中にある本心を浄め磨き上げ、その波動の振動数が高まり、成長し、より一層、より善い愛の実践を行うことができるようになっていくのです。この一連の愛の思いを育む仕組み・プロセスが、宇宙の法則の一つである「愛の法則」なのです。

 

1 愛の実践のやり方等について

愛の実践には、様々なやり方、方法がありますが、全ての人が、共通して、日々、実践できるものには、次のものがあります。

①挨拶・愛語の励行

「おはようございます」、「こんにちは」、「ありがとうございます」などの愛語を他の存在に対し、元気・ハツラツ、行いましょう。病気などにより、言葉を発することができない人については、それらの愛語を念じ伝えるようにすると善いでしょう。人間が、言葉を述べる際、その言葉が、その人自身の信念から発せられた言葉であり、かつ、その言葉が愛の思い(善なる思念エネルギー)から発せられたものである場合、その言葉を聞いた人間の心(本心)には、熱意、情熱、元気、やる気、勇気、自信などのポジティブな思いを生じさせる効果があるのです。一方、偽り、虚偽その他の私利私欲の思いから発せられた言葉である場合、その言葉を聞いた人には、疑念、恨み、憎しみなどのネガティブな思いを抱かせるとともに、その人の生命力・精神力を減退させることとなるのです。

言葉や文字には、不思議な力があります。心を込めて、自分の善なる願い、善なる夢、やるべき善なること(自分がやるべき愛の実践)を、言葉にしたり、紙に書いたり、あるいは、パソコンやスマホに文字データとし入力すると、自分の思い(思念エネルギー)が、書いた文字などに宿り、その思いの強さに応じた善なる生命エネルギー、即ち、愛を放ち続けるようになります。それら文字などから放たれる善なる生命エネルギーは、自分の善なる願い・夢を実現するための取組みや自分のやるべき愛の実践をより善く行うために必要な善なる生命エネルギーとして活用することができるのです。なお、当然のことですが、当該善なる願い・夢を実現するために、日々、決して諦めることなく、粘り強く、一生懸命、誠心誠意、それらの実現に向けた努力・精進・修練をやり続けることが、極めて大切なことなのです。

このことを踏まえ、私は、座右の銘の一つである「有言実行」を確実に実践するとともに、私の大いなる善なる夢である「全ての世界を、戦争のない、犯罪のない、貧困のない、差別のない、皆平等な愛満ち溢れる平和な世界にするとともに、共存共栄の心満ち溢れる、皆が共に、より善く成長・発展・繁栄し続ける、より善い世界にすること」を実現するため、自分の天命、自分の天命を全うするための生き方の指針、自分が行っている祈りの内容のほか、日々、私の霊力向上ために行っている巡業実践(神社やお寺を巡回参拝し、般若波羅蜜多の実践を行うこと)、町の美化活動(ゴミ拾いなど5Sの清掃の実践)、体力錬成の実践など精進の実践内容を、全てありのまま、フェイスブックで電子データとして入力し、公表させていただいています。

一方、インターネットやSNSを悪用し、他の人の悪口、誹謗中傷、詐欺などの嘘・偽りなどの悪なる私利私欲にまみれた言葉・文字(電子データ)は、他の存在はもとより、それらを入力した本人に向って、邪念、邪気を放ち続け、心身ともに穢れ、生命力を奪い、結果、様々な病気を引き起こすことになるのです。この世を、清らかで、より善い世界にするためには、悪なる言葉・文字を、絶対に必ず、全て無くさなくてはならないのです。このガイドラインをご覧になっている皆様におきましても、愛の実践である、挨拶をはじめ愛語(愛満ち溢れた言葉や文字)を日頃から話し、書き、使うよう努めてまいりましょう。

 

② 自然やモノに対する愛の実践である5S(整理、整頓、清掃、清潔、躾)の実践

私の天命を全うするための生き方の指針第三に「日々、5S、整理・整頓・清掃・清潔・躾、この5Sを深く自覚し、この5Sを確実に、誠心誠意、絶対に、必ず、実践すること」を掲げています。5Sの実践は、自然やものに対し、日々、より善く生かして頂いていることに感謝の気持ちを込め、自然やものを大切にし、奇麗に清らかにする、自然やものに対する愛の実践であり、全ての健常者が、日々、誠心誠意、取り組まなければならない必須の実践事項の一つなのです。

☆「整理」とは、要らないものを処分・廃棄し、要るものだけにすること。要らないものを処分・廃棄する際には、それらのものに対し、より善く生かして頂いたことについて感謝しつつ、適正に処分・廃棄することです。この整理の実践することにより、より善く生きていくために必要なものだけで生活するようになり、知足(足るを知る)の心を培うことができます。

☆「整頓」とは、整理した要るものを、きちんと、綺麗に、使いやすいように、あるべき所に置き、並べ、収納し、保管することです。

☆「清掃」とは、整理・整頓した所を、毎日、綺麗に、清掃する場所、ものに対し、より善く生かしていただいていることについて感謝の気持ちを込めて、それらの場所、ものに対し「物質的かつ霊的に綺麗にかつ清らかになりますように」との愛を込めて、掃除をすることです。 清掃の実践として、特に、水回りの場所の掃除、特に、トイレ掃除は自分の心を浄め磨き上げる効果が高く、自宅のトイレなど水廻りの場所、自分の部屋などを毎日1回以上行うと善いでしょう。

☆「清潔」とは、整理・整頓・清掃した所を、毎日、綺麗に、それらの場所、ものに対し、より善く生かしていただいていることについて感謝の気持ちを込めて、「物質的にも霊的にも綺麗で清らかにあり続けますように」との愛を込めて、清潔に維持し続けることであり、清潔には、身だしなみを整えることも含まれます。清潔の実践として、公園、道路、山、海などで、タバコの吸い殻などゴミのポイ捨てしないようにしましょう。

☆「躾」については、神法(神の法)に基づき、これを遵守し、生きていくことです。神法の考え方については、善なる行い(善なる行為、善なる言葉を発すること、善なる思い・念ずること)、すなわち、世のため、全ての存在のため、自分の成長のため、行うべきことを、きちんと、誠心誠意、やり続けるということです。善なる行いではない、行ってはならない悪なる行いとは、六戒(「殺さない」、「他の存在を故意に傷つけない」、「盗まない」、「他の存在を騙し、嘘をつき、他の存在を苦しめない・傷つけない」、「他の存在に対し、淫らな行いをし、他の存在を苦しめない・傷つけない」、「酒を飲まない、酒を飲むなら、酒に呑まれない」)を遵守しない行いなど、私利私欲、エゴによる行いをすること・言葉を発すること、思い・念ずることです。この5Sの実践に関連しまして、自然やものを傷つけたり、汚したりすることも、神法上、やってはいけない悪なる行いです。それらの悪なる行いを行った場合、当該傷つけ、汚れた場所を元の状態に再生するために必要な生命エネルギーと同量の生命エネルギーを当該行為者の霊魂から消滅させる報い・天罰を受けることになります。

 

③神様、仏様に対する祈り

祈りの実践を行う場所は、自宅のほか、近所の神社、お寺、教会、公園等、祈りの実践を行って差し支えない適宜の場所で、普段、自分が話している言葉で、まずは、神様、仏様に対し、「日々、自分が存在し、より善く生かしていただいている」ことに対する感謝の念を伝えた上で、自分の願いを表明し、その際、当該願いの実現のために、自分はどのような努力、精進などを行っていくかについて、神様、仏様に対して、必ず、決意・宣誓の表明を行うようにしましょう。日本では、年明けに神社やお寺を参拝する初詣が行われていますが、その際に神前、仏前に向かって、何らかの願いを祈念していますが、その際の祈りの留意点等について、以下のとおり紹介します。

☆神前や仏前に向かって、必ず、神様、仏様をはじめ多くの存在のお陰で存在し生きていることに対する感謝の思いを言葉で発するか、または、強く思うことをしましょう。その理由等につきましては、私は、皆様に対して、「我々人間は、神様、仏様、自然、モノ、その他の多くの人々、御霊のお陰で存在し生きていることを深く自覚し、それらの存在に対し、日々、深く感謝しましょう。」と再三申し上げていますが、これらの自覚と感謝の思いが、より善く生きることを選択し、決意し、より善く生きていくために必要不可欠な思いであり、神社やお寺には、必ず、然るべき霊格の神様又は仏様がおられることから、それらの方々に対して、感謝と敬意の意を表明しなければならないのです。

☆初詣などでは、これからの一年の自分の健康、家内安全、商売繁盛などを祈念されていますが、それら自分の幸福に対する願いを行う前に、その願いを実現するために自分がどのようなことを努力するのか、精進するのか、頑張るのかについて、できるだけ具体的かつ詳細に神前・仏前に向かって強く思うこと、即ち、神様、仏様に対して自分が努力、精進することを熱意表明し誓うことを行いましょう。その理由につきましては、例えば、神社で「この1年、無病で元気に過ごすことができますように」と祈念した場合、神様、仏様は、祈念した人の魂の良心に対して、「なぜ、無病で元気に過ごしたいのか?病をより善く生きるために必要な試練と考えよ。無病で元気に過ごしたければ、それらの病の試練に相当する以上の精進を行う必要がある。そのような精進を行うことを我々に誓い、精進に励むのじゃ。」旨のご指導、お導きを受けているのです。また、宝くじが当たることや楽に金儲けできますようになどの自分が何も努力せず、私利私欲のためだけの願いは、当該願いを行った時点で、自分の魂の本心の波動の振動数を弱めることになるとともに、当該願いの実現には、神様、仏様は一切、お力を与えることはありませんので、行わないようにしましょう。

☆自分や自分の身内の幸福の願いを祈念するだけではなく、他の存在(他の人、地域、国家、世界全体)に対する願い、特にこの世が平和で皆が共により善く成長・発展・繁栄し続けるようにという願いについても、積極的に祈念しましょう。これらの願いは、全ての神様、仏様の共通する思い、願いであり、神様、仏様から絶大なるご加護、祝福、大愛が与えられ、全ての人間が、同じ思い、願いになれば、それらの結果、奇跡のような事が、次々に起こることになるのです。善なる願い・夢は、絶対に必ず叶い、実現するのです。

ここで「祈りに関する智慧」を一つ紹介させていただきます。

仏教では、よく「南無阿弥陀仏」、「南無釈迦如来」などのように「南無」(なむ)という言葉を使い、この言葉と仏様のお名前を発することを「念仏を唱える」と言われています。この「南無」は、普通、「帰依する」などと解釈されていますが、実は、この言葉を発することにより、仏様に対して、自分が念仏した仏様のように精進し、必ず、仏様のように無欲知足の心境に至り、より善く精進し続け、仏様になるということを宣言し、誓うということなのです。ある仏教の宗派では、念仏を唱えると必ず成仏するとの教えがありますが、やはり、お釈迦達のように日々、より善く生きること、愛の実践を積み重ねることなくして、自分の魂・心を浄め磨き、成長させることはできないのです。

 

2 愛の実践として、仕事や精進に励むことについて

仕事(家事、育児を含む)を日々、行っている人については、自分が行っている仕事を、世のため、他の人々ためなど自分以外の他の存在ために行うことを心の底から強く思い続け、その仕事に集中して、他のことは何も考えないようにし、粘り強く、一生懸命、誠心誠意、その仕事をやり続けることで、素晴らしい立派な愛の実践を実践することができます。皆様が、日々、行っている仕事(家事を含む。)や精進(学生の方については、勉学、運動、部活動など)は、お金(収入)を得るために行うだけでなく、愛の実践として、世のため、他の存在のため(学生の方にあっては、将来、世のため、他の存在のために尽くす立派な大人になるなどといった自分の将来の善なる夢の実現のため)にと深く思いつつ行い、その結果、少欲知足の心境に絶対に必ず至り、更に、無欲知足の心境に至るために、日々、粘り強く、一生懸命、誠心誠意、やり続けることが大切なのです。

「少欲知足の心境」とは、生存欲(自分は生きていたい、死にたくない思う欲)を除き、私利私欲(自分だけが良ければ、幸せであれば良いとすること)がほとんど無くなり、足るを知る(生きるため必要なお金や物を必要最小限に止めて、生活するなど、自分が欲しい物、やりたいことの限度を自分自身で決め、その限度以上の物を持たないようにしたり、やらないこと。)ようになる心境に至ることです。

「無欲知足の心境」とは、生存欲も含め私利私欲、エゴを思うことが無くなり、死ぬことを含め、全く恐れるものが無く、足るを知ることを完璧に悟った心境に至ることであり、全ての仏様や最上級の神様は、この無欲知足の心を持たれています。「無欲知足の心境」に至るためには、自分の心に、私利私欲の心、エゴ、弱き心があることを自覚し、それらのネガティブな思い・心が、具体的にどのような思い・心なのかを把握し、その思い・心が生じる根本的原因を究明し、それらの原因を無くする精進を行う必要があります。 これらネガティブな思い・心が生じる根本的原因は、何かというと、生存欲(生きていたい、長生きしたい、死にたくないという思い・心)なのです。 これらネガティブな思い・心の根本的原因を無くする精進には、「瞑想」の実践と「作務」の実践の二つがありますが、これらの方法は、いずれも、無心になるための精進の方法です

「瞑想」については、「瞑想」によって本当に無心となるには、かなりの熟練した技能が必要です。「作務」については、掃除、料理、洗濯などの家事、ストレッチ、ラジオ体操、ランニング、水泳などの自分の心身を鍛える運動・精進のほか、日ごろ、仕事場で仕事を行っている際にも、実践することができます。例えば、仕事を行っている際に行う「作務」について説明すると、仕事を行う際に、あらゆる仕事に共通した善なる真の目的である「世のため、他の存在のため、自分の成長のため」をその仕事をやっていることを常に念頭におき、その仕事に集中して行うようにします。この「作務」を、常日頃から、粘り強く、一生懸命、誠心誠意、繰り返し、繰り返し、実践し続けていけば、誰でも簡単に、無心の心境に至ることができるのです。

「少欲知足」の心境に至る理由等について申し述べますが、人間を含め、全ての生きとし生けるものは、寿命が尽きると、必ず、肉体は生命活動を停止し、死にますが、霊魂は、肉体が死んでも存在し、生き続けます。この肉体の死を経た後、霊魂は、あの世に行き、閻魔様や自分の指導神の皆様からご指導、お導きを受けつつ、自分の生前の人生を振り返り、反省・総括し、次に存在し生きる世界で心(本心)を磨き、成長させるために、どのような愛を学び、理解を深め、どのような愛の実践、精進するのかを自分で考え、決意し、その後、明主様(イザナギ様、創造主)と弥勒様(イザナミ様、生命体創造主)から、直々に、愛の実践等に関するご指導、お導き、叱咤激励をいただくとともに、次に存在し生きる世界を指示されるのです。それらによって決意したこと等が、次に存在し、生きる世界における、自分が存在し、生きることの真の意義、理由、目的、目標、即ち「天命」なのです。「少欲知足」の心境に至った霊魂は、心(本心)が素直で清らかであり、神法、宇宙の法則、宇宙の叡智に関する智慧(注:知識のように物事を知ることだけではなく、それら知っていることをより善く実践すること、より善く生きるために活用することができるのが智慧なのです。)を一定程度有し、愛の実践経験も豊富であり、心の波動の振動数が高い一定程度成長したレベル(霊格)の高い存在であることなどから、明主様及び弥勒様から、次に存在し生きる世界を自由に選択する権限が付与されるのです。このため、その霊魂は、天上界で存在し生きることもできるし、引き続き、物質世界に生まれ変わることも自分で選択することができるのです。一方、「少欲知足」の心境に至っていない霊魂については、次に存在し生きる世界は、明主様及び弥勒様のご指示に必ず従い、愛をより善く学び、より善く理解しやすく、愛の実践の実践効果が高い物質世界に、両名から「もっと頑張って、より善く生きなさい」などと叱咤激励を受け、引き続き、生まれ変わるよう指示されるのです。

また、「少欲知足」の心境に至る方法につきましては、自分の心が、「少欲」の心境に至るには、とにかく、日々、挨拶(愛語)の励行、自然やものに対する愛の実践である5S(整理、整頓、清掃、清潔、躾)の実践(特に、清掃、清潔の実践)を行うとともに、自分のやるべき仕事や作業を「世のため、他の存在のため」と思いつつ、粘り強く、一生懸命、やり続ける必要があるのです。これらは、全て愛の実践であり、愛の実践は、私利私欲の行いなどに比べ、より多く生命エネルギーが必要であり、更に、愛の実践を行った際には、自分の魂、心は、その波動の振動数が高まり、より一層、光り輝くようなるとともに、私利私欲の心による邪気や邪念が無くなり、清らかな魂、心になります。このことを一般に「心を磨く」と言われているのです。愛の実践は、私利私欲の行いに比べ、大変疲れ、時には、痛みを伴う場合がありますが、愛の実践を粘り強く一生懸命やり続けることにより、心が磨かれ、次第に、私利私欲のことを思わないようになっていくのです。また、「知足」の心境に至るためには、私のこれまでの天命を全うするための精進の経験を踏まえ、以下のようなことを、粘り強く、一生懸命、誠心誠意、やり続けることにより、自分の心が「足るを知る」心にすることができます。

●「5Sの実践」の一つである「整理の実践」をしっかり行いましょう。

「整理」は、「要らないものを行う処分、廃棄し、要るものだけにすること。」です。「要るもの」をどのようにして決めるのかについては、私の場合、以下の基準で判断しています。

※毎日、使うもの。

※毎日は使わないが週に一回以上必ず使うもの。

※月に一回以上使うものであって、それがないと生活に困るもの

※上記以外のものは、全て処分、廃棄しました。ちなみに、自宅の掃除は雑巾などで拭き掃除を毎日行っており、掃除機は必要ないので、持っていません。

●質素倹約を心がけ、慎ましく生活しましょう。

参考までに、私の私生活の状況を以下のとおり紹介します。

※外食も行うことは少なく、食材は、主に、近所のスーパーやコンビニで出来る限り安い値段のものを必要な量だけ購入し、自炊・料理しています。安い惣菜を買うこともありますが、自宅で適宜、色々なスパイスなどを使い、アレンジして、より美味しくいただいています。

※車やバイクは持っていません。自転車を購入し、自宅から広島市街地までの移動は、自分の体力等の錬成強化のためにも、雨天や台風接近時を含め、自転車で移動しています。

※男の三悪行、いわゆる「酒飲、ギャンブル、女遊び」は一切やりません。そもそも、日々の精進でとても忙しいので、それらのことをやる余裕もないです。なお、唯一、タバコは一日、20本位、安いメンソールのタバコやニコチンの少ない軽めのタバコを購入し吸っています。私の指導神の薬師如来様から、「メンソールのタバコは、霊的にも癒やしの効果があるのです。ただし、吸い過ぎないようにしなさい」旨ご指導いただいています。

※趣味の一つであるフィギュア収集・プラモデル作製については、癒やしと勧善懲悪の精神を高めるために集めていますが、出来る限り安価な中古品を購入しています。

 

3 仕事の真の意義・目的について

自分の人生を決して甘くみたり、いい加減に考えてはいけません。私、田村俊昭は、仕事は、愛の実践、即ち、「世のため人のため他の存在のため」に行うものであると意識し自覚し、自分に与えられた或いは自分がやると決めた作業・業務サービスを粘り強く、一生懸命、愛を込めて、誠心誠意やり続けるべきと考えています。

仕事をしたことによって、その報酬として、お金を得て、そのお金を使い、必要な衣食住を整え、趣味嗜好・娯楽を適度に愉しむこと、即ち、現代社会を生きるために、お金は、ある程度必要なモノ・システムであります。

一方、自分という人間・存在が、何故、この世に生れ、生きているのか、つまり、自分が存在し生きることの真の意義、理由、目的、目標とは何かというと、「人生を通じて、心を浄め磨き上げ、成長させること」であり、心を成長させるために、私利私欲のための行いを極力、我慢、辛抱しつつ、他の存在を理解し、信じ、思いやり、愛し尽くすという愛の実践を行う必要があるのです。仕事も、愛の実践の観点から、「世のため、他の存在のために、自分は仕事を行うのだ、行っているのだ」といった意識・自覚を常に持ち続け、その職務に専念する必要があるのです。趣味を愉しむように仕事ができればといったご意見もあろうかと思いますが、人生の真の意義、目的を踏まえると、仕事は愛の実践の一環として、粘り強く、一生懸命、愛を込めて、即ち、自分の命を懸けて、誠心誠意やり続け、自分の魂・心・肉体を浄め磨き上げ、それらの波動の振動数を高め成長させるために行うのだということを決して忘れないようにしなければならないのです。自分のやるべき或いは自分に与えられた仕事を日々、「世のため人のため他の存在のために行うのだ、行っているのだ」などと常日頃から意識・自覚し、愛の実践として取り組んでいくと、自分の心身が浄め磨き上げられ、心身の波動の振動数が徐々に高まり、生命力が高まり、仕事に対するポジティブな感情(やる気、やりがい、充実感など)を実感するようになり、より一層、精力的に仕事に取り組むようになり、その結果、仕事の能率や成果も上がり、取引先や顧客から高い評価と信用信頼を獲得し、それらを維持することができるようになるのです。

更に、上記のように精力的に頑張って仕事を遂行するようになると、上司、同僚、部下など自分の周りの人々から、必要な支援、バックアップをタイミング善くいただくことができるようになるのです。自分の仕事振りなどは周りの関係者がちゃんと観ており、会社・組織のために真摯に利他のために頑張っている人には、善き上司、善き同僚、善き部下が自然と集まり、必要な支援等が適時・適切に互いに与えられるようになっているのです。このことは、善なる心を持つ存在は、同じような善なる心を持つ存在と互いの心の波動と同調・共鳴して引き寄せ合い、出逢うこととなり、互いにより善い交友関係を築くことになるという、いわゆる「引き寄せの法則」によるものなのです。

私、田村俊昭は、現代の若い世代の方々、子供達が、添付写真のアニメヒーローのナルトや竈門炭治郎のように、「忍耐・我慢・辛抱」し、「努力」し続け、世のため人のため他の存在ために尽くす、立派な大人に成長していただきたいと切に願っております。

この項の終わりに、極めて重要なことを、以下のとおり、敢えて申し上げさせていただきます。

人間を含め、全ての霊魂を創造した明主様と弥勒様は、全ての霊魂を仏様(菩薩・如来)に成長させるために、全ての世界、全ての宇宙、全ての自然、全ての生きとし生けるものを創造されたのです。

2020年10月23日に悪魔とその家来達は、消滅しましたが、それら悪魔達は、類稀ない知力・霊力・能力がありながら、その力に溺れ、私利私欲の心に執着し、仏様になることを拒否し、今から約1万年前に、天上界から逃亡、この世に降臨し、その絶大な力を武器に、他の存在を洗脳し操り、殺し、傷付け、苦しめるなど、残虐極まりなき悪行をこれまで繰り返し犯してきたのです。このため、悪魔達に対して、「要らないものは、処分・廃棄する」という神法上の最高罰「魂・存在の消滅」が執行されたのです。

より善く生きるための仕事(働くこと)に対する考え方、スタンスについては、我々人間が、この人間社会で生きていくためには、お金は必要です。より善く生きること、即ち、「日々、愛を深く学び、愛を深く理解し、他の存在を心より信頼し信じ、日々、愛の実践を誠心誠意、実践し、それらのことを粘り強く一生懸命、愛を込めて、即ち、自分の命を懸けて誠心誠意、やり続け生きること」に当たっても、最低限の衣食住を確保するために必要なお金が当然必要ですし、自分の心、肉体の休養、息抜き、癒しとして、趣味などの娯楽、嗜好などを愉しむためにも、お金が必要です。それらに必要なお金は、当たり前のことですが、何らかの仕事につき、働くことにより、収入を得ることになりますが、この「働くこと」について、より善く生きる観点・視点から考えた場合、以下の示す考え方、スタンスを持って臨んでいくと、より善いでしょう。

① 「働くこと」は、私利私欲のこと(富、権力、地位を得て裕福に生きることなど)を行うためだけに行うものではなく、自分が行うべき愛の実践の機会の一つであると捉え、「世のため、他の人、他の存在のため、自分の成長のため」ということ念頭におき、日々、汗水たらしつつ、粘り強く、一生懸命、誠心誠意、やり続けるようにすること。

② 「仕事は、楽な方が良い、楽してお金を稼ぎたい」などと思いがちになりますが、それらのネガティブな思い(弱き心)があることを、「また、自分の弱き心が生じているな」などと客観的に受け止め、それらの思いを無視することなく、ひたすら、やるべき仕事をやり遂げるようにすること。これらのことを実践し続けることが、「弱き心に打ち勝つ」ということであり、真に強い精神力を錬成強化し、自分の魂・心を磨き、成長することができるのです。

③ 同じ仕事を続けるに際しては、日々、「もっとうまく、要領よくできないか?もっと仕事の成果、業績を上げられないか?」などと自分の仕事のやり方などを、粘り強く一生懸命、工夫、改善し続けるようにすること。

④ 上司や同僚の中で、業績の高い人や仕事ができる有能な人の仕事の仕方やスタンスを参考にし、必要に応じ、それらを真似るなどして、自分の仕事のやり方の見直し・改善を図ること。

 

4 愛の実践の一つである布施の実践について

日々、愛の実践を、粘り強く、一生懸命、愛を込めて、誠心誠意、実践し続けると、「質素倹約を心がけ、慎ましく生活すること」となり、その結果、より生きること以外に活用できる金銭的余力のある方々が増加することとなるでしょう。それら金銭的余力のある方におかれましては、愛の実践(布施の実践)として、人道慈善活動その他、世界をより善く改善・成長させる活動に資金提供するなどの取り組みを積極的に行って行きましょう。私、田村俊昭は、お金は現代の人間社会において不可欠なものであり、人間社会をより善く成長・発展させるためには、お金を人間社会に上手く流通させる必要があると思います。何故ならば、現代の人間社会は、様々な産業・サービスが多様多岐に存在し、各産業活動がそれぞれ互いに密接に関連し合い、上手く機能することにより、成り立っており、我々人間は、それらの産業活動を支え、機能させるために仕事をし、働き、その報酬として、お金を得ているのであり、現代において、お金は、人間社会全体を巨大な生命体と捉えた場合、その生命力を維持するために必要不可欠な栄養・エネルギーを循環させる血液のような役割りを担っているモノだと思います。

また、人間が生きるためには、衣食住に係るをモノ(衣服、食料、家など)を最低限、確保・所有する必要があり、自給自足でモノを確保し、必要な場合には、物々交換で事足りていた太古の昔のように、生活できないわけではありませが、上記で述べたとおり、多種多様な産業構造となっている現代においては、自給自足の生活は困難であり、馴染まない生き方であると思います。

お金に関する現代の人間社会における懸案課題は、一部の国家、組織、企業、個人がお金を稼ぐだけ稼ぎ、お金を所有し続け、贅沢三昧している結果、人間社会システム全体を上手く機能するために必要なお金が流通せず、機能不良、お金を身体の血液に例えれば、高血圧、高脂血症、血腫などの血液疾患を患っているということであり、そのことに起因し、戦争、テロ、犯罪、貧困、格差などが様々な社会問題が顕在化し、無くならないことだと思います。お金自体に罪はありません。人間のモノを独り占めにしたい、自分の思い通りしたい、自分達だけが裕福で幸せであれば良いなどといった私利私欲の悪なる愚かな思いがお金を穢しているのです。実は、お金だけでなく、AI関連施設、建物や道路・橋などの建築構造物、乗り物や電化製品を含む全てのモノには、その土地を管轄統治されている神様達の分霊等の御霊が宿られており、これまで、悪魔の呪いにより、穢れ、それらのモノの本来有する機能を抑制され、モノによっては、悪魔達の思い通りにコントロールされていたのです。より善く生きることを選択し、決意し、より善く生きていくために、お金とどう向き合っていくのかについて、私の魂の指導神の一人である大黒様から、次のご指導、お導きをいただいておりますので、紹介します。

「田村俊昭よ。世のため、人のためにと、一生懸命、誠心誠意、働きなさい、精進しなさい、より善く誠実に生きなさい。そうした真面目に頑張り、努力する者には、お金の神様から、絶大なる大愛として、奇跡の如く、より善く生きるために必要かつ十分な財力が適時、適切に与えられるのです。真面目に働く者、精進する者は、必ず、その努力は報われ、必ず幸せになるのです。決して諦めず、自分の弱き心に打ち勝ち続け、日々、精進に励みなさい。」

自分の財力に余力がある場合には、人道支援活動、平和活動、その他、世界や社会をより善く発展するために取り組んでいる企業、団体、機関に、出来る限りの資金提供することも、素晴らしい愛の実践です。私の魂の指導神である明主様から、これらのことについて、次のご指導、お導きをいただいておりますので、紹介します。

「田村俊昭よ。質素倹約を心がけ、慎ましく生活することは、大切だが、お金は、自分の心を豊かにしたり、癒やしたりすることに使ってやるのじゃ。さらに、お金は、より善いこと、即ち、愛の実践として、人道支援、災害支援、その他、世界をより善く改善・成長させることに使ってやるのじゃ。そうすれば、お金の神様から愛の実践としてお金を使ったことに対して大愛(褒美)が与えられ、使ったお金以上のお金が、自然と手に入るようになるのじゃ。」とのご指導を受けています。

人間には、「他の人々、モノや場所を自分のものにし、自分の支配下におきたい」などとった「所有」という意識・思いがあります。この「所有」という思いは、人間誰しもが持つ獣性、煩悩の根本原因の一つである性(さが)、人間の業と呼ばれるものなのです。我々人間を含む全ての霊魂は、この「所有」という思いというエゴ・弱き心と日々、戦い続け、心の中の獣性を弱らせ、心を浄め磨き上げ、「他の存在を理解し、信頼し、思いやり、世のため人のため他の存在のために尽くす心」である神性、善なる心、愛の実践力を育み、培い、高めていくことが、我々人間が、この世に生れ、生きている真の意義、理由、目的、目標、使命なのです。

 

5 愛の実践は「信じること」から始まることについて

『自信』とは何か?皆様は、これまでの人生において、自分の言動や判断をする際に、自分自身で考え、判断・覚悟し、自分自身でちゃんと決めた上で、事を成すよう、行動するように努めていますか?自分でやったことなのに、他の人や世間など、他の存在のせいにしていませんか?私、田村俊昭は、『自信』とは、自分の生き方、言動、判断は、自分でちゃんと考え、決意し、事後に何が起ころうと、当該結果を、決して『他の人、他の存在、周り、社会或いは世間のせい』にすること無く、自分自身がその結果を受け入れ、その責任を執ること、それらのことを、より確実により善く実践できるようにするための智慧、スキルを高めるとともに、それら一連のことを、粘り強く、一生懸命、誠心誠意、実践し続け、育み培い、高め、向上していくべき精神素養だと考えます。

愛の実践は、世のため、他の存在ために、自分の命(生命力)を懸けて(費やして)行う全ての行為、言葉、願い・祈ることですが、愛の実践を実践するに当たっては、まず、愛の実践は、上記のとおり、他の存在を「信じること」から実践すべきものなのです。上記の「信じること」とは、愛の実践の対象である存在が、「必ずより善く生きて、その魂・心を磨き、成長し、日々、喜び満ち溢れる充実した素晴らしい幸せを実感することができる」ということを確信することなのです。この「信じること」なくして、愛の実践は適切により善く実践し得ないと言っても過言でないのです。この「信じること」を適切により善く行うためには、日々、私利私欲の行いを極力行わないよう努めるとともに、「世のため、他の存在ために、愛の実践など行いたくない」などといった自分の弱き心に打ち勝ち、愛の実践を粘り強く、一生懸命、誠心誠意、やり続け、自分の魂・心を磨き、清らかな状態に維持向上していくことが必要なのです。そして、日々、愛の実践をやり続けると、魂・心が磨かれ、他の存在の心の状態(悩み、苦しみなど)を察知することができる霊力(観音力)が向上し、この観音力を活用して、他の存在の心情に応じた、よりきめ細やかな適切であり、かつ、より善い愛の実践を行うことができるようになるのです。

 

また、私、田村俊昭は、毎日、午前中、『全ての存在に対する私の願いの祈り』の実践を行っていますが、この祈りの中で、以下の内容を熱意表明をしています。

 

「私利私欲の心、エゴ、弱き心に絶対に必ず打ち勝ち、少欲知足に絶対に必ずなり、無欲知足になるため、日々、愛が何よりも大切だと意識、自覚し、仲間を信じ、仲間を愛し、自分を信じ、自分を愛し、他の存在を信じ、他の存在を愛し、」

 

この祈りの内容のうち、『自分を愛すること』とは、

決して、『私利私欲のままに何かを行うこと』でもなく、『自分を甘やかし、自分が本来やるべき努力・我慢をやらなかったり、怠ること』ではありません。

『自分を愛すること』とは、あくまで、自分の魂・心・肉体を浄め磨き上げ、その波動の振動数を高め、成長するため、例えば、以下に示すことを行うことなのです。

◎自分がやるべき仕事や精進や愛の実践をやる際に、自分自身に対して「頑張ってやろうぜ!!」などと叱咤激励の念を抱くこと

◎仕事や精進で何らかの失敗した際に、無碍に自分を責めるのではなく、当該失敗の根本原因を究明したうえで、次のトライに備え、自分自身に対して、『過去の失敗はくよくよ悔やまない。よし!次は必ず上手くいく、成功するぞ』などと叱咤激励すること。

◎仕事や作業をやり終えた際に、自分自身に対して『よく仕事をやり遂げた、頑張ったぞ。』と善く自賛し、自分への褒美として好物のご馳走、お酒を飲食したり、お気に入りのアイテム等を購入したりするなどして、癒やし・英気を養うこと

◎日本の挨拶の定番の一つである『ご自愛願います。』の言葉どおり、規則正しい生活、即ち、暴飲暴食を行わず、旬の食材を用いた腹八分の栄誉バランスの善い食事、適度な運動、適度な良質の睡眠などにより、自分の心と身体を、日々、より善く健やかに元気に保つこと。

更に、「自分を愛すること」とは、自分が可哀想だから、気の毒だから行うものでなく、

人からどんなに悪く批判、嫌悪、敵視等、例えば、他の人々から「偽善者め!」「癪に障る奴だ!」「有難た迷惑だ!」などと誹謗中傷、揶揄されようとも、自分がやると決めた愛の実践(世のため他の存在のため何かを行うこと。例えば、ごみ拾いなど街の美化活動)を粘り強く、一生懸命、誠心誠意やり続けていくに当たって、決して諦めず、自分自身をより善く鼓舞し、叱咤激励するなどし、当該愛の実践に対する熱意、やる気等を維持向上するために行うことだと理解しています。

 

6 自然やモノに日々、感謝し、愛を込めて、大切にしましょう

「モノ」は、何のために人間が創り出すのでしょうか、「モノ」は、何のために存在しているのでしょうか?

日本語に「モノ」に関する言葉として「物は使いよう」という言葉があります。

創造主である明主様(イザナギ様)、弥勒様(イザナミ様・生命創造主・母性の根源)は、人間に対して、モノ・お金を作る能力、そして、言葉を話し、その言葉を文字にし、それらを記録し、人間同士で情報共有するとともに、後世に伝える能力を与えたのです。人間は、それらの能力を活用して、モノを創り上げ、作り出したモノで着る服を作り、モノを道具として用い、他の生きとし生けるものを捕獲したり、家畜として飼ったり、栽培したりして食料を確保したり、モノを用いて家などを建築・建設するなどして、衣食住を確保し、生きています。人間は、モノは作ることはできますが、モノの原材料である物質や物質を構成している素粒子を創造することは、絶対にできません。我々人間は、自然にある物質や他の生命体を活用してモノを作り、それらモノを使い、生きているのです。そうです、人間は、神様、仏様、自然のお陰で生かしていただいているのです。自然を創造したのは、創造主である明主様(イザナギ様)と弥勒様(イザナミ様)なのです。そして、山や海などの全ての自然には、神様、仏様の御霊が宿られており、日夜、我々人間を含む生きとし生けるものに対して、我々がより善く生きていけるよう、浄霊、浄化、癒やし、成長促進などの波動の振動数の高い生命エネルギーを放出、提供していただいているのです。

これらのこと、即ち、神様、仏様をはじめ、自然やモノのお陰で生かしていただいていることを、心底自覚すれば、明主様、弥勒様をはじめとする神様、仏様、自然、モノに対して、日々、深く感謝するとともに、より善く生きていかなければならないと強く思うようになるのです。お釈迦様は、「諸行無常」という真理を教え導かれました。この世の存在し生きている存在、即ち、我々人間を含む、生きとし生けるものだけではなく、自然にある物質、それら物質で創りだしたモノも、常に変化し続け、誕生、成長・繁栄、荒廃・死滅、そして、再生を延々と繰り返し続けているのです。

全ての生きとし生けるものは、この「諸行無常」の真理に従い、この世に生れ、成長し大きくなり、異性と結ばれ、子孫を産み育て、その役目を終えると、その肉体は老いて病になるなどして、命尽き果て死んでいくのです。人間には、生存欲があります。この欲の根本の苦しみは、「四苦」(生老病死)と呼ばれる「快楽を求め、楽して生きたい」、「老いたくない」、「病になりたくない」、「死にたくない」という欲望から生じるものなのです。お釈迦様は、「諸行無常」の心境に至り、人間が生きていく以上、これらの苦しみを絶対に避けることができない当たり前のことなのだから、それらの苦しみを無くすのではなく、それらの苦しみを潔く受け止め、それらの苦しみを耐え忍び、乗り越え、迷いや不安なく、より善く生きるために、「八正道」という「より善く生きること」の一手法を苦行の末に考案し、自ら実践しつつ、他の人々に対して、それら真理、手法を教え導かれたのです。

生きとし生けるものの肉体を含む全ての物質には、太陽など自然が放つ生命エネルギー(光、熱、電気、音・圧力など)を蓄積、溜め込む性質を有しています。我々人間が生きるため、即ち、様々なことを思い・考え、肉体を動かすため、即ち、生きるためには、生命エネルギーが必要であり、専ら食物を摂取し、内蔵で消化し、肉体の生命維持活動や運動、思考活動を行うためのエネルギーとして活用するため、食物に含有する生命エネルギーを放出し易いように様々な栄養素に変え、血液とともに、体内に循環させ、肉体の各細胞にそれらの栄養素を供給し、各細胞は生命維持活動などを行っているのです。

また、普段、我々人間は、太陽などの自然が発する生命エネルギー、自然エネルギーを食物以外で吸収することを呼吸(肺のほか皮膚で)でやっているのですが、心身を浄め磨き上げ、その波動の振動数を高めていくと、食べる量を減らし、少量の食事で健康的に生きることができるようになるのです。極端な話、食物を一切摂取せず、水だけで(老廃物を浄め流し出すためには水分摂取は不可欠です、)生きることも可能なのです。中国の高僧として有名な達磨法師様の「壁面九年」の伝説も案外真実なのかも知れません。

一方、モノにも、耐用年数と言われる寿命があります。これは、モノを形作っている物質に応じた当該モノの有する形状保持力・エネルギーが、外気にさらされ、雨水、風波、気温の寒暖などによって、当該力・エネルギーが時を経る毎に徐々に低下・減衰し、腐食、摩耗、劣化し易くなることによるものなのです。

モノには、作った人の思い、それを運んだ人の思い、それを販売した人の思い、そして、モノの原材料である物質を作った神様、仏様の思いなど、様々な思いが込められています。モノに込められている様々な思いの中で、もっとも重要なのが、モノを作った人の思いなのです。その作った人の思いが、「このモノ自体がより善く人に使ってもらい、このモノを使う人々が幸せになり、そして、このモノがより善く使われることで、人間社会がより善く発展・成長しますように」などいった善なる思い、即ち、波動の振動数の高い愛の思いである場合、モノの形状保持力などが高まり、丈夫で使い易い、即ち、使う人にとって、より善く優れたモノとなるのです。また、モノを使う人が、そのモノに対して、日頃から整備・点検・清掃などの手入れを清潔に保つことを怠らず、使うときも丁寧に使うように心がけるなどすれば、そのモノに当該使う人の波動の振動数の高い善なる愛の思い・エネルギーが宿り、上記の作り手の思いと同じように、そのモノの寿命などの性能が向上するものなのです。

モノに対する愛の実践は、「モノを大切すること」なのです。モノが溢れた日本のような経済的に豊かな国では、この「モノを大切にすること」を忘れがちになりますが、上記のとおり、モノには、様々な思いが込められていることを深く自覚し、以下に示すことを、モノに対する愛の実践として、実践するようにしましょう。

これらモノに対する愛の実践、モノを大切する行いを粘り強く、一生懸命、愛を込めて、即ち、常日頃からモノに感謝と大切にしようする想いを抱き、心掛け、モノを使用し、維持管理し続けると、モノは故障なく長持ちし、モノを使う時にその能力を十分に発揮してくれるようになるのです。

① モノを壊したり、傷つけたり、乱暴に扱ったりすることなく、丁寧に扱いましょう。

② モノを定期的に掃除するなどして、綺麗な清らかな状態に維持しましょう。

③ モノを使う時、モノを使い終えた時、要らなくなったモノを処分、廃棄する時には、心の中で感謝の思いをモノに伝えることを励行しましょう。

 

また、私は、別れた妻のご指導を賜り、15年前から洋式トイレでは、座って用便しています。なお、モノ(トイレ)に対する愛の実践である5Sの『清掃・清潔』の実践の一環として、用便した後、必ず、トイレの女神様へのお礼、感謝するとともに、自宅、外出先を問わず、後にトイレを使う人が気持ち良く用便できるよう、トイレペーパーで汚れを綺麗に拭き取り、便器を磨き上げて、トイレを出る際に、『有難うございました。また使わしていただきますので、宜しくお願い申し上げます。有難うございました。では、失礼します。』旨、声を出して、感謝を表明してから退出しています。このため、水を2回、流すこととなるのですが。なお、仏教の禅僧の修行のうち、便所掃除は、心を浄め磨き上げる効果が高く、重要な作務の一つに位置付けられているそうです。

また、私は、毎平日、般若波羅蜜多の実践を行っている広島市中区の大手町第一公園において、ごみ拾いと公衆トイレの掃除を同実践の前に毎回行っており、同トイレにはトイレットペーパーが常備されていないので、自費でトイレットペーパーを購入し、備えおくようにしています。

私は、メインの精進である般若波羅蜜多の実践の合間に毎日(雨天、積雪時、台風通過時も実施)、私ができる愛の実践として、以下のとおり、街の美化活動を行っています。

☆起床後:近所のごみ拾い(30分程度)

☆午前中:宇品管内での般若波羅蜜多の実践に合わせて、移動中はスローペースのランニングを行いつつ、町内のごみ拾いを実施(約1時間30分)

☆午後(土日祝日を除く):大手町第一公園のごみ拾いと同公園内に設置されたトイレの清掃

(注)私は単にたばこの吸い殻などの落ちているごみを拾うだけでなく、以下の街の美化活動を実施しています。

〇カラスが食い散らかしたごみ袋の残飯拾い

〇缶・ビン・ペットボトル用リサイクルボックスの中に捨てられたゴミの収集

〇犬や鳩の糞の除去

〇道路排水溝口の格子枠に溜まっている枯れ葉、雑草の除去(排水溝口の異物の除去は、街の美化活動であるとともに、街の水防・防災対策の一環として実施)

☆上記の街の美化活動以外に、徒歩で買い物のため外出した際、歩く経路上にたばこの吸い殻などのゴミを視認した場合、必ず、当該ゴミのゴミ拾いを行っています。(このため、私は、外出時、ゴミ拾い用にビニール袋数枚を常備しています。)

 

この項の終わりに、私、田村俊昭は、この投稿記事において、自然と、どのように向き合い、自然を大切にすることとは、具体的にどのようなことなのかについて、あえて、その詳細等は明記いたしません。これら自然を大切にすることについては、全ての人間が、それぞれの立場、それぞれの置かれている、生きている場所・環境で善く考え、それぞれ自分がやるべき或いは自分ができる「自然を大切にすること」を実践しなければならないことなのです。皆様、今一度、これらのことを善く考えてみて下さい。

 

7 愛の実践に当たっては手をより善く使いましょう

愛の実践には、「行為・動作で行う愛」、「挨拶、愛語など言葉を発して行う愛」、「祈りなど想い願うことによる愛」の3つの手法がありますが、この3つの手法のうち、以下、この項では、「行為・動作で行う愛」を中心に以下のとおり説明いたします。

この「行為・動作で行う愛」で大切なのが、手をより善く使うことです。人は、身体障害者の方を除き、普段、仕事、精進などを行う場合、専ら、手を使って何らかの行為、動作を行い、仕事などを行いますよね。人間は、他の生物に比べ、手を自在に動かすことができることから、古代から、道具を作り、その道具を手で操り、操作し、衣食住に必要なモノ(電化製品、乗り物、建物、構造物など)を作り、建設するとともに、専ら手を精密かつ繊細に器用に巧みに使いこなし、絵画、音楽をはじめとする芸術・文化を高めてきたのです。愛の実践にあたっても、互いの友愛の動作である「握手」、「ハグ」なども主に手を使い行われているものです。これらの行為は、自分の友愛の思いを込めた生命エネルギーを相手に直接触れ、伝え与え合っていることなのです。

手は、末梢神経が集中していることから、身体が放出する生命エネルギー(精神エネルギー、気、チャクラ)を他の身体の部位よりも多く放出することができ、例えば、汚れているモノをきれいにしたいと思い、当該モノの汚れを雑巾などで拭き取る際に、雑巾を持った手から、「モノをきれいにしたい」という思いを宿した生命エネルギーが放出され、当該モノにその善なる生命エネルギーが浸透し宿り、霊的にも清らかな状態となるのです。皆様が、お寺などを参拝された際、綺麗に掃除された本堂など入った際に、何やら清らかな、すがすがしい気分になるのは、日頃からお坊さん達が掃除して霊的にも浄め磨き上げた状態にしているからなのです。

料理、洗濯、掃除、育児などの家事も、専ら手を使うことにより行われる家族に対する立派な愛の実践なのです。日本語で「お袋の味」という言葉がありますが、なぜ、自分が大人になっても、子供の頃、食べた母親の手料理の味を懐かしく、もう一度食べてみたいと思うのかについては、手間暇かけ、子供達のためにと思って作ったお母さんの料理には、どんな高級料理にも勝る、お母さんの愛の生命エネルギーが込められているからなのです。

また、自分の思いや願いなどを伝えるより善い有効な方法として、メールなど電子データによって連絡するよりも、自分が書いた文字や文章に自分の思いや願いを善なる愛の生命エネルギーとして浸透させ宿すことができる手紙を相手に手渡すことが大切なのです。

さらに、手をより善く使うことは、ネガティブな思い・心をなるべく抱かないようにし、無心(無我夢中)の境地に至るための精進の方法である「作務」の実践を行うこととなるのです。「作務」の実践については、掃除、料理、洗濯などの家事を行う場合にも実践できますし、日頃、仕事場で仕事を行っている際にも、実践することができます。

例えば、料理については、日頃から料理を行っている方はお判りだと思いますが、食材の準備、食材の切り分け、焼いたり揚げたり煮たり、料理の盛り付け、料理の後片付けに至るまで、基本的に、料理のそれぞれの工程・動作において、余計なことを考える余裕もなく、そのことに集中しないとうまくできないものなのです。

また、職場での仕事については、仕事を行う際に、あらゆる仕事に共通した善なる真の目的である「世のため、他の存在のため、自分の成長のため」をその仕事をやっていることを常に念頭におき、その仕事に集中して行うようにします。この「作務」を、常日頃から、粘り強く、一生懸命、誠心誠意、繰り返し、繰り返し、実践し続けていけば、誰でも簡単に、無心の心境に至ることができるのです。さらに、趣味や芸術活動についても、手を細かく正確かつ精密に使い、その作業・操作に集中しないとできない趣味、例えば、楽器演奏、絵を描くこと、陶芸、編み物・手芸、模型製作・工作などは、「作務」の実践としても行い、当該趣味等を愉しみながら、心を浄め磨き上げることができるのです。

 

8 愛が何よりも大切だと意識し自覚することについて

私、何よりも愛が大切だと心底、確信しています。これまでの人間の歴史を振り返って、善く考えてみてください。多くの人間が、愛を大切だとする価値観、倫理観を無視、排除し、生存競争、資源の奪い合い、権力闘争をし続けており、その度に、多くの人々が、苦しみ、悩み、不安を増幅させ、苦悩しているのです。このため、全ての人々が、自分の生き方を改めて見つめ直し、その生き方の必要な見直し改善を行った上で、人は誰も一人では決して生きていけないのだから、日々、皆に感謝し、皆と共に元気で、皆と共に仲良く、皆と共に、愛を何よりも大切だと常に意識、自覚し、互いに、愛を込めて、即ち、理解し合い、信じ合い、認め合い、尊重し合い、褒め称え合い、想い合い、助け合い、分かち合い、譲り合い、赦し合いなどして、自分のやるべき或いは自分ができる愛の実践を粘り強く、一生懸命、誠心誠意やり続け、より善く生きていく必要があると考えています。

未だより善く生きられていない方々が、自分の生き方として、「より善く生きる」ことを選択し、決意し、その生き方の指針を自ら創り上げていく場合に、例えば、自分がやるべき愛の実践とは何であるかを考える際に、「愛とは何か」をまず、お考えになると思います。この「愛(仏教では慈悲)」について、現存する宗教においても、様々な見解、解釈、考え方があり、個人差、即ち、その人の個性(性格、気質など)、愛の実践経験、霊格(魂の経験年数等に応じたレベル)などによって、「愛」がどういうものであるかを、一律に正確に定義することはできないものなのです。自分自身で、より善く生きることをやり続け、「愛とは何か、愛の実践とは何か」を学び、理解し、自分の生きるための智慧として深め、高めていく必要があり、その際に、神法、宇宙の法則、宇宙の叡智をより善く活用すると、この「愛」関する智慧を容易に適切に理解し易くなるのです。現存する宗教の説いている「愛」に関する解釈等が絶対に完璧に正確、正解だということはないことに留意する必要があるのです。人それぞれ、愛が大切だと意識・自覚するようになるためには、ある程度の人生経験、特に、苦悩、苦難の経験を積み重ねていき、人生のあるタイミング、時期、機会に、試練ともいうべき出来事に遭遇したり、或いは、その人の人生にとって大切なキーパーソンとなる人との出逢いによって、より善く気づき、目覚めていくものだと思います。「一期一会」の言葉には、そのような深い意味・意義があると実感しています。

私は、自分がより善く生きるための智慧(自灯明)を育み、培っていくため、宇宙の真理(法灯明)を学び、理解し、活用することが大切だと思います。

また、煩悩(私利私欲の念から生じる怒り、嫉妬、執着などのネガティブな想い・行い)があるからこそ、生きている、煩悩とどう向き合い、対処していくか、それらのことが、全ての人間、存在に課された人生の課題、命題なのです。日本の昭和時代の映画「喜びも悲しみも幾年月」の題名の真の意味を、私、田村俊昭は、この歳(58歳)になって、ようやく、少し理解・認識できるようになり、特に、自分の心が傷つき、壊れそうになった経験や体験が自分にとって大変意義深い、かけがえない有難い貴重な宝のような経験であったと実感しています。

また、恋愛についての私見として、私、田村俊昭は、男と女が、そして、同性愛者同士が、互いに惹かれ合い、恋におち、恋人同士になることも愛の実践の一つであると考えております。

ただし、恋人同士になった後、単なる恋愛感情よりも深い愛、即ち、『この人の為なら、命を懸けることができる。この人が他の誰と恋愛してもかまわない。私は、永遠に、この人を愛し尽くし続ける』といった、真の愛に至ること、互いに相手をかけがえない存在、間柄、関係、善き御縁に至ることが大切だと思います。

恋愛など人間愛を無碍に否定するのではなく、人生において、様々な人との出逢い、恋愛など様々な喜怒哀楽の人間関係の経験を積み重ね、それらによって、他の人々に対する接し方、付き合い方、愛し方、尽くし方などを学び培い、自身の魂・心の人間性、仏性、神性を高め、それらを豊かなものにしていくとともに、他者との間に、より善い人間関係を構築し、より善く改善し続け、他者との信頼や絆を、より一層揺るぎない強固なものとしていくことも、我々人間が、この世に生まれ、生きることの目的の一つであり、だからこそ、人生は、有難く意義深く素晴らしいものだと思います。

私、田村俊昭の善なる願望・本願は、自分自身の天命を全うするため、ただ、ひたすら、日々、粘り強く、一生懸命、愛を込めて、則ち、自分の命を懸けて、誠心誠意、より善く生きることをやり続けていきたい、ただそれだけなのです。そのため、私は、いつ死んでもかまわない心境・覚悟に至っており、仏教的な視点からみれば、在家(俗世で生きること)でありながら、出家した修行僧のごとく、自分がやるべき精進と自分ができる愛の実践に日々、励んでいるのです。

第4章 次元上昇について

 

1 次元上昇とは

次元上昇とは、物質世界に存在する全ての自然やもの(建物、道路などの人工構造物、乗物など)から放出される生命エネルギーの波動の振動数を天上界と同じ振動数に高めるものです。2021年10月、この世を含め全ての物質世界の次元上昇が試みられましたが、多くの人間が、次元上昇に耐え切れず、精神的に不安定となり、精神崩壊する人間も発生したことから、次元上昇を一旦取りやめましたが、2021年12月11日に、この世を含む、全ての物質世界の次元を、天上界と同じ次元に上昇させました。この次元上昇に伴い、私の指導神である明主様(創造主、イザナギ様)から、全ての人間に対するメッセージをいただきましたので、謹んでお知らせ致します。

「全ての人間に告ぐ。

2021年12月11日にこの世を含む全ての物質世界の次元を天上界と同じ次元に上昇させた。以後、全ての人間は、より善く生きることを選択し、決意し、より善く生きるよう努めよ。

より善く生きることを選択せず、私利私欲のままに生きることもできるが、その場合、そのような悪なる生き方を行う人間には、神・仏、自然、モノから加護、祝福、大愛(善なる生命エネルギー)を一切与えることはない。

特に、殺すこと、他の存在を故意に傷つけること、他の存在のモノや情報を盗むこと、他の存在を騙し、嘘を付き傷付け、苦しめること、他の存在に対して淫らな行いをし、傷付け、苦しめることを行った人間は、直ちに、改善の世界に転生させる。

一方、より善く生きる人間に対しては、その努力・精進の実践度合に応じ、より一層より善く生きていき、心身ともに、より一層、健やかで格好良く美しくなり、日々、喜び満ち溢れる充実した素晴らしい幸せを実感する、より善い人生を歩むことができるよう、日々、我々、神・仏から、絶大なる加護、祝福、大愛を与え続けることとする。以上。」

(補足説明)

今まで、私利私欲のままに生きることをやられてきた方々に、私、田村俊昭から、アドバイスさせていただきます。

より善く生きることを選択するに当たって、以下のことを考えて下さい。

① 神様、仏様は、目に見えなくても存在され、自分を含め、自然、モノ、肉体、霊魂のもとになっている物質・素粒子は創造主である明主様(イザナギ様)、弥勒様(イザナミ様)が創造したものであること。

② 自分という存在は、肉体に宿っている霊魂であること。

③ 自分は、神様、仏様、自然、モノ、両親、ご先祖様達、その他、今まで出会ってきた多くの方々など、皆のお蔭で、存在し、生きていること。

④ 以上のことが心底解かれば、それらの皆様に対し、「生かして頂いて、有難う御座います。」旨の感謝の思いを抱くようになり、その後、感謝するだけでなく、その恩返しとして、愛の実践に励む思いが芽生え、愛の実践を実践し始めるようになり、より善く生きるようになります。(これが宇宙の法則の一つである「愛の法則」です。)

また、我々人間を含め全ての生物は、自ら摂取する食物以外に、太陽や海や山などの自然やモノから放出される生命エネルギーを適宜いただき、生命維持活動を行っています。この度の措置により、より善く生きることをしないと、自然やモノから放出される生命エネルギーを活用できなくなり、その結果、肉体の免疫力が低下し、病気がちになったり、老化が促進されることになります。このことから、皆様が、末永く健康で長生きしたいのであれば、より善く生きることを選択した方が適切なのです。

 

2 次元上昇を行う理由

この世を次元上昇させる理由は、以下のとおり、大きく2つあります。

理由その1

物質世界の自然やものは、本来、天上界のものと同じ高さの波動の振動数の生命エネルギーを放出することができ、物質世界に生きている生物にとって、振動数の高い生命エネルギーが満ち溢れる空間で生きる方が、より生命力が高まり、生きやすくなります。

理由その2

この世を含め、全ての物質世界の次元上昇を拒み、物質世界を我がものとしてきた悪魔とその仲間達が、昨年の10月に全て消滅したこと。(悪魔とその仲間達は、元々、天上界の神様でしたが、天上界の次元上昇を耐え切れず、物質世界に逃亡し、物質世界で、一部の人間を下僕にし、数々の戦争、犯罪、貧困、差別、格差を引き起こしました。)

 

3 次元上昇した場合、この世はどうなるか

次元上昇した世界においては、自然やものから放出される生命エネルギーの波動と調和し、それらの生命エネルギーを有効に活用して、より一層、健やかに、かつ、より善く生きていくため、自分自身の魂、心の波動の振動数を高めていく必要があります。自分自身の魂、心の振動数を高めるためには、日々、私利私欲の心、エゴ、弱き心に打ち勝ち、天命(自分が存在し、生きていることの真の意義、理由、目的、目標)を全うするために、愛を深く学び、愛を深く理解し、日々、5S(整理、整頓、清掃、清潔、躾)の実践をはじめ愛の実践を誠心誠意、粘り強く、一生懸命やり続けることが大切です。

次元上昇後の世界では、悪魔とその仲間達がいなくなったこともあり、私利私欲の心による悪なる行い・言葉・思い(殺傷、盗み、詐欺、強かん、痴漢など)は、実行すること困難となります。(波動の振動数の高い生命エネルギーが満ち溢れる世界では、波動の振動数の低い私利私欲の思いは弱まるとともに、悪なる行いは、波動の振動数の低いため、相当のパワーが必要になります。当然のことですが、悪なる行いに、神様、仏様は、一切、それらに愛・力を与えることはありません。)

一方、世のため、他の存在のために行う善なる行い・思い・願いについては、それら行いなどは、波動の振動数が高く、さらに、今般の次元上昇により、物質世界におられる神様、仏様の霊力が高まることになり、そうした善なる行いに対しては、神様、仏様から、必要かつ十分なお力、愛を与えられることになり、善なる思い・願いは、確実にかつ速やかに叶い、実現することになります。

この世を含め、次元上昇した物質世界においては、少欲知足の心境に至った人間を中心に、創造主である明主様、弥勒様の思い願いである「絶対に戦争のない、絶対に犯罪のない、絶対に貧困のない、絶対に差別のない、皆平等な愛満ち溢れる平和な世界にするとともに、共存共栄の心満ち溢れる、皆が共により善く成長し、発揮し、繁栄し続ける、より善い世界する」ための改善・成長の取り組みが推進されることとなります。

「少欲知足」の心境に至った人間とは、心(本心)が、生存欲(自分は生きていたい、死にたくない思う欲)を除き、私利私欲(自分だけが良ければ、幸せであれば良いとすること)がほとんど無くなり、足るを知る(生きるため必要なお金や物を必要最小限に止めて、生活するなど、自分が欲しい物、やりたいことの限度を自分自身で決め、その限度以上の物を持たないようにしたり、やらないこと。)ようになる心境に至った人間であり、自分の魂の良心におられる明主様などの分霊(指導神・内在神)とテレパシーで会話することができ、これら指導神の方々から、神法、宇宙の法則、宇宙の叡智に関する様々なことを教示され、それらを踏まえ、指導神から、この世をより善く改善、成長、発展、繁栄させるための具体的な取り組みの指示、命令、指導、導き、叱咤激励を受け、神様、仏様から日々、絶大なる御加護、祝福、大愛をいただきつつ、当該取り組みを粘り強く、一生懸命、愛を込めて、即ち、自分の命を懸けて、誠心誠意、実施していくこととなります。

明主様に確認したところ、次元上昇後、この世には、1万人位の人間が、指導神とテレパシーで会話できるようになるとのことであり、それらの人々が、以下に示す改革、改善の取り組みを行うことになるとのことです。

☆核兵器廃絶、軍縮を含む戦争放棄廃絶の取り組み

☆犯罪根絶の取り組み

☆貧困問題の解決の取り組み

☆差別、いじめ、虐待廃絶の取り組み

☆宗教改革

☆教育改革

☆環境問題解決の取り組み

☆新エネルギー等の開発の取り組み(低温核融合発電所、低温核融合エンジン、腐食・摩耗しない新金属の開発など)

☆医療改革 など

 

なお、私の魂は、太陽龍王弥勒大御神・太陽龍王弥勒如来という神・仏であり、既に、8年前に、無欲知足の心境に至り、全ての存在の浄霊、浄化、成長促進を行い、全ての存在の魂、心、肉体、物質をより善く改善・成長させることができる霊太陽をもっており、人間の皆様からの物質改善、自然の改善、ものの改善、肉体の改善、心・精神の改善に関する要請にお応えする用意があることをお伝えいたします。

 

4 全ての人間に対する最後の警告

本日、2022年10月14日、私の指導神である明主様(イザナギ様、創造主)から全ての人間の皆様に対して、以下のメッセージ(最後の警告)を伝えよと指示がありましたのでお知らせします。

「悪魔とその家来達が、天上界から逃亡し、この世に降臨して約1万年を経、2020年10月23日に悪魔達が消滅し、2022年9月25日に悪魔達の邪気・邪念による呪縛が全て解かれた。この投稿記事の末尾に記載する我々からのメッセージを無視し、これまで、悪魔の加護により、私利私欲のために他の存在を殺し、故意に傷つけ、盗み、騙し、淫らな行いを犯してきた人間共よ。本日2022年10月14日から同年同月20日まで間、お前達に、これまでの悪行の報いとして、地上世界の神々による天罰が執行される。なお、既に、改心し、愛を何よりも大切だと意識・自覚し、より善く生きている人間(全ての人間の約10%)については、この限りでない。

なお、全ての人間共よ。最高神・絶対神・改善主である田村俊昭を決して甘く見るな。田村俊昭の姿を実際に間近で見た者は判っていると思うが、田村俊昭は、いわゆる、生き神、あるいは、即身成仏を体現した存在であり、田村俊昭が、発する言葉、文章は、我々、神仏を代表した言葉であり、全て真実であり、決して、妄想・戯言などではないことを申し伝えておく。」

(参考)

天上界の最高会議の決定事項について(最重要情報)

本日、2022年1月21日、天上界の最高会議で以下のことが決定されましたので、お知らせします。

「一昨年10月に悪魔達が消滅し、昨年12月に全ての物質世界の次元上昇を行ったことに伴い、宇宙の三大法則の一つである原因・結果の法則が確実に作用することとなった。

このことにより、これまで行ってきた悪なる行い(私利私欲のために、殺すこと、故意に傷つけること、盗むこと、他の存在を騙し、その存在を傷つけ苦しめること、他の存在に淫らな行いをし、その存在を傷つけ苦しめること)」の報い・罰を受けることを、全ての人間に課すようにしたが、当該報いに耐えることができず、精神崩壊する人間や自暴自棄になり悪なる行いを繰り返し行う人間が多発したものである。

これらを受け、天上界の最高会議に、今般、物質世界の神・仏達から、自分の犯した罪を償うことができず、悪なる行いを繰り返す人間は悪魔達と同様に消滅すべきとの意見具申があった。

これらの問題について、天上界の最高会議で検討・審議した結果、以下の措置を執行することを決定した。

〇2022年1月29日までに、全ての人間は、改心し、より善く生きること(日々、愛を深く学び、愛を深く理解し、日々、愛の実践を粘り強く一生懸命、精神誠意、やり続け生きること)を自分の生き方として選択し、決意し、そのことを、我々、神・仏に誓うこと。

〇上記の誓いを行わない人間は、悪魔と同様に、2022年1月30日の日本時間0時をもって、その霊魂を消滅させる。

〇上記の誓いを破り、悪なる行いを行った者も直ちに、その霊魂を消滅させる。

〇上記の誓いを行った人間は、今後、より善く生きていけるよう、太陽龍王弥勒如来田村俊昭により、その肉体を無病・若返りが可能な肉体に改善するとともに、より善く生きるために必要な強い精神力を高める魂・心(本心)の改善を講じる。 

〇これまで行った悪なる行いの報いのうち、その報いを受けることができないものは、全て、太陽龍王弥勒如来田村俊昭が、その人間の代わりに、命を懸けて、その報いと同等の痛み・苦しみを受け、耐え忍び、試練を受けるものとする。以上」

 

5 「土の時代」から「風の時代」に移行したことについて

2023年4月29日は、その年初めての数秘22の日であり、所謂「アカシックレコード」に最重要日と位置づけられ明記された日なのです。

そもそも、霊魂には、女性魂と男性魂があるのですが、女性魂の方が、波動の振動数が高く、霊格も女性魂の方が高い霊魂が多いのです。これまで、この世を含む全ての物質世界は、「土の時代」で呼ばれており、自然やモノの放つ生命エネルギーの波動が低く抑制されていた結果、女性より体格の大きい、腕力・筋力がある男性が優位の男社会でありました。この度、「風の時代」に移行したことによって、この世の人間社会においても、自然やモノの放つ生命エネルギーの波動の振動数が高まり、波動の振動数の低い物理的力・パワーよりも、直観力や慈悲・母性愛などの精神力・精神性に優れた多くの女性が活躍・躍動する人間社会に変革・移行・進化することとなるのです。この度の世界変革について、日本のアニメ作品で例えて言うならば、アニメ「ドラえもん」の「ジャイアン」や「スネ夫」が主役だった世界が、「しずかちゃん」や「できすぎ君」が主役となる世界になるのです。人間は、はたして、ドラえもん(AIなど人工知能・システム)をより善く活用しつつ、愛と正義と勇気を持ち続け、困難・試練に果敢に挑むヒーロー・正義の味方である善なるキャラクター「のび太」として生きていくか、ドラえもんの力だけに頼り続ける情けないダメな「のび太」として生きていくのでしょうか?

(参考:近年のアカシックレコード上の最重要日)

◎悪魔消滅の日:2020年10月23日

◎土の時代の終焉と風の時代の始りの日:2023年4月29日

 

6 天罰執行予告

2023年9月11日、私の魂の良心におられる指導神のお一人であるテラ様(物質世界を統治する龍王神・地球神)から以下の内容を公表するようご指示がありましたので、お知らせします。

 

2023年9月中に、現世を生きている全ての人間のうち、現世において犯してきた悪行(私利私欲のために殺すこと、私利私欲ために故意に他の存在を傷つけること、盗むこと、他の存在を騙し嘘をつき他の存在を苦しめること、淫らな行いをして他の存在を苦しめること)に対する天罰・報いが全て執行完了する。

(参考)

天罰とは、被害者の救済(恨み等をはらすことなど)の措置であるとともに、加害者に対する懺悔、自戒、改心等を促すために、執行されるものなのです。よって、天罰の執行には、厳正かつ毅然とした対応を執ることに秀で、そして、天罰を受ける者からの恨み、憎しみなどを逃げずに、ちゃんと受け止め、それらを耐え忍ぶことができる最上級神(魂のレベルでは菩薩以上の存在)の神様達がその重責を果たしているのです。なお、この世では2020年10月に悪魔とその家来達が消滅したのですが、それまでの約1万年の間、悪魔達が、悪行を行った人間に対する天罰の執行を妨害し、被害者の御霊の救済が¥十分にできなかったことから、被害者の御霊の恨みや憎しみの念を増幅させ、悪魔達は、当該被害者の御霊を下僕とし、それら恨み等の邪念を悪用し、罪なき人々を傷つけたり、苦しめたりしていたのです。史実として残っている悪霊伝説、怨霊伝説などは、そのような経緯で実際にあったことなのです。

 

7 『土の時代』の終焉について

2023年10月10日は数秘9の日であり、以後、純粋な数秘9の日は、2030年1月3日までありません。

ご案内のとおり、数秘9の意味の一つとして、「終わり・終焉」という意味があり、2023年10月10をもって、物質的にも、この世は『土の時代』が終了しました。以降、今後1年以内に、この世は自然やモノや生きとし生けるものが放つ生命エネルギー(気・チャクラ)の波動の振動数が高まり、天上界(あの世)と同じ振動数まで上昇し、『風の時代』に完全移行することとなります。

これらに伴い、人間の肉体の波動の振動数も徐々に高まり、各自の魂の中にある悪心(私利私欲の心・エゴ)の働きが抑制・制限・弱まるとともに、良心の働きが促進・活発化し、このことによって、全ての人間が、徐々に、愛が何よりも大切だと意識・自覚するとともに、各自の天命(自分が存在し生きることの真の意義、理由、目的、目標、使命)をより善く悟り、当該天命を全うするために、私利私欲の言動を極力控え、より善く生きるようになっていきます。

今後、自分の心や肉体の波動の振動数の高まりにつきましては、私利私欲の言動を行うのに、今まで経験したことない程の過度の疲労感や苦痛を生じ、実感したり、空などに存在する龍神様達などの御霊の霊体・お姿やそれらの方々が発する音色を視聴把握することできるようになったり、(決して、幻聴・幻覚ではありません。)

そして、肉体の免疫力・治癒力が高まり、その結果、病気が治癒・回復促進したり、体力・精神力の高まるなど、心身ともに元気に健やかになっていくことなどによって、認識、把握、実感することができるでしょう。

なお、この世の波動の振動数を一気に天上界と同じ振動数に高めた場合、現時点における各人間の心身の波動の振動数の現状では、少なくとも総人口の約3分の2の人間が当該振動数の上昇に耐え切れず、生命力が急激に低下し、死滅することとなるのです。このため、地上世界の統治者である龍王神テラ様達のこの上なく有難い御厚情によって、可能な限り、現在、存命する人間全てを生き残させることができるよう、当該振動数上昇までに最長1年の猶予期間を設けていただいていることを申し添えてさせていただきます。

第5章 「より善く生きること」に関する参考情報等について

 

1 より善く生きることの欠点・利点について

私、田村俊昭は、「より善く生きることを、自分の生き方として、選択し、決意し、日々、愛を深く学び、愛を深く理解し、他の存在を心より信頼し信じ、日々、愛の実践を誠心誠意励み、それらのことを、粘り強く一生懸命、愛を込めて、即ち、自分の命を懸けて、誠心誠意やり続け生きること」が、我々人間を含め、全ての存在が存在し、生きていることの本当の真の意義、理由、目的、目標(これらを「天命」といいます。)であることを、今から約4年前に、より善く悟りました。

これまでは、私は「より善く生きること」の大切さ、愛とは何か、愛の実践のやり方などについて、フェイスブックの私のページ「田村俊昭(敬天愛人の疾風)」で紹介してきましたが、この投稿記事では、日々、より善く生きてことを実践し続けている私の経験していることを中心に、より善く生きることの欠点や利点について紹介しますので、皆様が、より善く生きることを選択し、決意し、実際に、より善く生きることを実践される際の参考情報として、適宜、ご活用いただきますよう、宜しくお願い申し上げます。

① より善く生きることの欠点

●より善く生きることは、愛の実践を誠心誠意やり続けることであり、愛の実践は、私利私欲の行いに比べ、波動の周波数の高い生命エネルギーを多量に費やす必要があることから、心身の疲れ、時には、痛みを伴うこともあるのです。

●私利私欲のためだけに生きてきた存在にとって、「世のため他の存在のため」に行う愛の実践を実践することには、抵抗感があり、より善く生きるよう改心するためには、その存在にとって、ある種の辛い苦しい経験(試練)を経る必要があります。

② より善く生きることの利点

☆私が、他の投稿記事で申し上げてきたとおり、より善く生きることによって、自分の魂、心、肉体が浄め磨き、それらの波動の振動数を高め、より善く改善・成長させることができます。(全ての存在に共通する天命は、魂、心、肉体を、成長させることなのです。)

☆より善く生きることは、世のため、他の存在のための愛の実践を誠心誠意やり続けることですから、当然、存在し生きている世界がより善くなるし、他の存在にとっても有難い善いことなのです。

☆より善く生きることにより、自分の精神力、体力をより善く錬成強化することができ、特に、心身ともに、より善く健やかになります。

私の場合、約8年前に覚醒し、その際、精神を病みましたが、約5年前により善く生きることをやり始めましたが、精神の病を改善し、睡眠薬などの投薬も必要なくなり、糖尿病の予防のため、好きだったお酒も断つことができ、それ以降、風邪などをひいたこともなく、現在では、血液検査の結果も良好であり、体重も約18キログラムも減り、顔も小顔になり、運動も苦にすることなく、特に、水泳は、毎回2200メートルを50分以内のペースで休みなしで泳ぐことができるようになり、特に、心肺機能、持久力が20代の頃とほぼ同じ位になりました。「なぜ、より善く生きると、身体が健康なるのか?」について、私の魂の指導神である薬師如来様からいただいたお導きを以下のとおり紹介します。

「田村俊昭よ。愛の実践を実践した際、波動の振動数の高い善なる生命エネルギー、いわゆるチャクラが霊体から放出されるのです。その波動の振動数の高いチャクラは、身体にある全ての神経細胞を経由して、身体の全ての細胞に行き渡り、各細胞の遺伝子を活性化させ、すなわち、各細胞の遺伝子を改善成長させ、各細胞が細胞分裂し、新たな細胞を作る際、より改善成長した細胞を作り出すことができるのです。肉体の老化やガンなどの病気は、細胞の遺伝子が細胞分裂のエラーを起こし、欠陥のある細胞を作り、その欠陥のある細胞が更に不良な欠陥のある細胞を作るという、不良な細胞分裂のメカニズムによって生じるものなのです。人間の肉体の老化は、大体、30代くらいで始まるのが一般的ですが、不良な細胞分裂の根本原因は、私利私欲の行い、言葉、思いによって生じる波動の振動数の低い生命エネルギーを体内に蓄積することによるものなのです。コロナウイルスなどの病原ウィルスによる病状が悪化するも、身体の老化の原因と同じで、波動の振動数の低い生命エネルギーを蓄積したり、発している身体に原因があるのです。人間は、他の生物に比べ、病に対する高い治癒力・免疫力が元々備わっており、このため、他の生物に比べ寿命が比較的長いのです。その治癒力・免疫力を高めるのが、貴方が日々、実践し続けている愛の実践であり、適度な運動、栄養バランスのより善い腹八分の食生活など、より善く生きることなのです。貴方が無病でかつ、元気に若返っているのは、以上の理由によるものなのです。このことを、他の人々にも、宜しくお伝え下さい。」

☆より善く生きることは、全ての人間を含め全ての存在が、本来行うべき正しい生き方であり、このことは、神法の基本原則となっています。より善く生きていけば、私の他の投稿記事でも紹介しているとおり、以下のようなことを実感することができるようになるのです。

魂の良心に内在されている指導神の神様、仏様(全ての人間の魂の良心の中には、明主様(イザナギ様、創造主)と弥勒様(イザナミ様、創造主、マリア様)のお二方の分霊が必ず内在されています。)から、祝福、大愛(「善く頑張りましたね 」などと、労い、癒やしなどの愛のエネルギー、即ち、自分の本心の波動の振動数に同調した善なる生命思念エネルギー)いただき、その際、言葉に言い表すことのできない感動、充実感を実感することになります。

私は、これら明主様達からの愛のエネルギー(特に、母性の根源の存在である弥勒様の愛のエネルギーは、半端なく、物凄い思いやり、癒やしのエネルギーが満ち溢れているのです。)をいただいた際、嗚咽するほど、涙が止まらず男泣きし、心の底から、「より善く生かしていただいて誠に有難うございます。これからも、より善く生きるための精進に誠心誠意、励みます。」と弥勒様達に感謝と決意・誓いを改めて熱意表明しているところであります。

更に、より善く生きていけばいくほどに、自分は、一人では存在し生きていけないこと、神様、仏様、自然、モノ、ご先祖様、両親、家族、親戚、先輩、友達、先輩、同期、後輩、上司、同僚、部下など多くの存在のお陰で、特に、何よりも自分を愛し尽くしくれている最愛の人のお陰で、存在し生かしていただいていることを深く自覚するようになり、その思いが強く深まるとともに、自分が存在し生きていることの有り難さ、素晴らしさ、もの凄さ(他に表現する言葉が思いつかないので、あえて「もの凄さ」と表現しました。)を心底実感するようになるのです。

 

2 「敬天愛人」について

「敬天愛人」という言葉は、神様、仏様をはじめ、ご先祖様達、そして、それらの御霊が宿る自然やモノを崇拝し敬い、人を理解し思いやること、これは、即ち、八百万の神々を崇拝し、和と絆を尊ぶ私達、日本人、日本民族の民族性、倫理観、価値観、気質、心情の根幹を端的に表現した誇り高き素晴らしい言葉なのです。

私、田村俊昭は、歴史上の偉人の一人である西郷隆盛様のことを心より尊敬しています。西郷隆盛様のことをより善く知ったのは、私が中学3年の時、愛媛県の読書感想文コンクールの推薦図書として西郷隆盛様の伝記を読み、その西郷隆盛様の生き方、生き様に、特に、西郷隆盛様の座右の銘である「敬天愛人」に心を惹かれ、感銘を受け、感想文を書いたことなのです。なお、私は小学生の頃から国語は苦手で(10段階の4か5)あったにもかかわらず、その感想文は、愛媛県新居浜市読書感想コンクールの伝記部門の最優秀賞を受賞することができました。私、田村俊昭は、約5年前から、西郷隆盛様の「敬天愛人」を私の座右の銘の一つとし、この「敬天愛人」の言葉を私なりに理解・解釈し、より善く生きることを日々、粘り強く、一生懸命、愛を込めて、即ち、自分の命を懸けて、誠心誠意、実践し続けています。

 

3 「正義仁愛」について

この「正義仁愛」という言葉は、実は、日本の海上保安庁のモットーなのです。

私は、この言葉に出逢ったのは、私が高校二年の時、大学進学のため、様々な大学の入学案内を自分で調べていたところ、「海上保安官への道」という一冊の本に出逢い、その本の中に書かれていたのが、この「正義仁愛」の言葉なのです。私の実家は、貧乏で一般大学に進学するお金がなく、中学時代、英語教師の近藤先生から、学費の要らない大学(給与を支給されつつ学べる大学)として防衛大学校があるということを聞き、それ以降、防衛大学校に進学しようと考えていました。高校三年の時に、海上保安大学校と防衛大学校の両大学の入学試験(一次試験・二次試験)を受験し、両大学校とも合格しましたが、「自衛隊に入隊すると、日本を防衛するために、場合によっては、敵兵である人間を殺傷させることになる」ことを考えるとともに、海上保安庁のモットーである「正義仁愛」の言葉の中でも、特に、「仁愛」という言葉に心惹かれ、「人として、救いを求めている人々を救いたい、助けたい」との思いが強くなり、結果、海上保安大学校に入学しました。

なお、「正義」につきましては、私、田村俊昭は、何が正義なのかなどについて、その時代の社会情勢、背景、その時の為政者・政権の掲げる思想・理念・哲学によって、変遷し、変わり得るものだと考えており、何が「正しいこと」なのかが問題であり、これまでの歴史史実に振り返ると、その時代の為政者、権力者、権威者の私利私欲によって悪用された事例もあるのです。

また、最近のニュース・報道など観ていると、政治家の方々は、「力による現状変更は許さない。法の支配による・・・・」などのコメントをおっしゃられていますが、確かに、武力で領土を拡大したり、資源を独り占めしたりすることは決して許すべきことではありませんが、「法の支配」でいう「法」(国際秩序・国際ルール)を創り上げる際の基本的な考え方(思想・哲学等)に、やはり、「愛」、「平和」、「共存共栄」など、本来、人間が持つべき倫理観・価値観を遵守し、それらの倫理観等に基づき、国際秩序・国際ルール、社会規範を創らなければならないと考えます。

私見ではありますが、戦争や犯罪を無くすためには、全ての人間が、愛が何よりも大切だと常に意識・自覚し続け、悟り、私利私欲のためだけに生きるのではなく、私利私欲のことをできる限り行わないよう我慢、辛抱し、難しいことですが、敵対、敵視する個人あるいは組織が、なぜ、敵対・敵視するのか、その根本原因、背景を分析・究明し、その根本原因、背景を解決・改善し、互いが、思いやり、赦し合い、共に、より善く成長・発展・繁栄し、生きること(幸せになること)ができるよう、良好な信頼関係、友好関係を構築する必要があると思います。

 

4 質素倹約を心がけ慎ましく生活することについて

私利私欲のためだけに生きるのではなく、より善く生きること、即ち、日々、愛を深く学び、日々、愛を深く理解し、他の存在を心より信頼し信じ、日々、愛の実践を、誠心誠意、実践し、それらのことを、粘り強く、一生懸命、愛を込めて、即ち、自分の命を懸けて、誠心誠意、やり続け生きることを、心より自覚し、より善く生きることを選択・決意したうえで、より善く生きていくと、日々、喜び満ち溢れる充実した素晴らしい幸せを実感する毎日を送ることができます。

より善く生きていくと、自然やものに対する愛の実践である5S(整理、整頓、清掃、清潔、躾)の実践を誠心誠意、取り組むようになるとともに、私利私欲のこと(自分さえ良ければ良い、幸せであれば良いとの思い)を段々と思わないようになり、知足の心(足るを知る心)が醸成され、自分の生活(衣食住)に必要な物を必要最小限のもので良いと思うようになり、いわゆる、「断捨離」を実践していくようになります。

更に、私利私欲の心による快楽を求める思いも段々と少なくなり、自分のお金を快楽を味わうために浪費することも少なくなっていくのです。

上記のことから、より善く生きることを選択・決意し、より善く生きていくと、自然と、「質素倹約を心がけ、慎ましく生活する」ようになっていくのです。

なお、より善く生きることは、心身ともに非常に疲れ、時には、傷みを伴うこともあります。このため、適時、適切に、自分の心を癒やしたり、より善く生きていくことに対する熱意、情熱を維持・向上させるために必要な趣味、娯楽、スポーツなどに、お金を使うことは大切であり、それら趣味などについては、過度に浪費することなく、適時、適切にお金を使っていくと善いでしょう。

 

5 私が、毎朝、実践している「全ての存在に対する私の願いの祈り」の内容(2023年4月2日現在)

全ての存在とは、全ての神様、全ての仏様、全ての世界、全ての宇宙、全ての自然、全てのもの、全ての生きとし生けるもの、全ての魂・霊魂のことです。

 

全ての存在が、絶対に、必ず、この上なく幸せになりますよう、宜しくお願い申し上げます。

 

全ての存在が、神法、宇宙の法則、宇宙の叡智を深く学び、深く理解し、それらのことを自分自身の魂、心、肉体の成長、精進により善く活用し、

天命、即ち、自分が存在していること、生きていることの本当の真の意義、理由、目的、目標、この天命をより善く悟るとともに、

この天命を全うするための生き方の指針を自らより善く創り上げ、それらの指針を、日々、確実に誠心誠意、実践し、それらの実践状況等を踏まえ、それらの指針を、日々、より善く見直し・改善し、

それらのことを、粘り強く、一生懸命、愛を込めて、即ち、自分の命を懸けて、誠心誠意やり続けますよう、宜しくお願い申し上げます。

 

全ての存在が、神法の定め、特に、六戒、即ち、「私利私欲のために殺さないこと」、「私利私欲のために他の存在を故意に傷つけないこと」、「盗まないこと」、「他の存在を騙し嘘をつき、他の存在を苦しめたり、傷つけたりしないこと」、「他の存在に淫らな行いをし、他の存在を苦しめたり、傷つけたりしないこと」、「酒を飲まない、酒飲むんだったら酒に呑まれないこと」、この六戒を、誠心誠意、絶対に必ず遵守し守り、

私利私欲の心、エゴ、弱き心に、絶対に必ず打ち勝ち、少欲知足に絶対に必ずなり、無欲知足になるため、愛が何よりも大切だという意識・自覚を常に持ち続け、日々、誠心誠意、精進し、

そして、悪なる心、私利私欲の心、エゴ、執着心、弱き心、怠惰な心、虚しい心、悩み、苦しみ、嫉妬、妬み、恨み、憎しみ、悲しみなどのネガティブな思い・心が全て、完全に完璧に絶対に一切無くなりますよう、 一切思わなくなりますよう、宜しくお願い申し上げます。

 

そして、全ての存在が、日々、喜び満ち溢れる充実した素晴らしい幸せを実感する、より善い人生を歩むとともに、心身ともに、この上なく健康になり、精進・試練に耐え得る、この上ない強靭な精神・肉体となり、男は男らしく、心身ともに、この上なく格好よくなり、女は女らしく、心身ともに、この上なく美しくなり、全ての存在の善なる願い事、善なる夢が、全て、絶対に必ず叶い、実現し、他の存在とともに、みんな仲良くなり、仲間となり、仲間とともに、この上ない幸せである、最高の幸せである、天命を、絶対に必ず全うするようになりますよう、宜しくお願い申し上げます。

 

そのために、全ての存在は、

日々、神様、仏様をはじめ多くの存在の方々のお陰で生かしていただいていること、即ち、それらの方々のお陰で生かしていただいていることを深く自覚し、それらの方々に対し、日々、深く感謝し、それらの方々を深く敬愛し、それらの方々を心より信頼し信じ、神様・仏様からの指示、命令、指導、導き、叱咤激励に対し絶対に必ず従い、それらによって、神様・仏様から、日々、絶大なる、ご加護、祝福、大愛をいただき、

神法、宇宙の法則、宇宙の叡智を深く学び、深く理解し、それらことを自分自身の魂、心、肉体の成長、精進により善く活用し、

天命、即ち、自分が存在していること、生きていることの本当の真の意義、理由、目的、目標、この天命をより善く悟るとともに、この天命を全うするための生き方の指針を自らより善く創り上げ、それらの指針を、日々、確実に誠心誠意、絶対に必ず実践し、それらの実践状況等を踏まえ、それらの指針をより善く見直し・改善し、それらのことをやり続け、

私利私欲の心、エゴ、弱き心に絶対に必ず打ち勝ち、少欲知足に絶対に必ずなり、無欲知足になるため、愛が何よりも大切だという意識・自覚を常に持ち続け、

日々、仲間を信じ、仲間を愛し、自分を信じ、自分を愛し、全ての存在を信じ、全ての存在を愛し、

天命を全うするため、自分の命を懸けて、みんなとともに、

世のため、即ち、その存在が存在し生きている世界を、絶対に戦争のない、絶対に犯罪のない、絶対に貧困のない、絶対に差別のない、皆平等な愛満ち溢れる平和な世界にするとともに、共存共栄の心満ち溢れる、皆が共により善く成長し続け、皆が共により善く発展し続け、皆が共に繁栄し続け、そして、皆が共に、日々、喜び満ち溢れる充実した素晴らしい幸せを実感する、より善い人生を歩み続ける、より善い世界にするため、

他の存在のため、即ち、他の存在が天命を全うするために、日々、愛の実践に誠心誠意励み、それらをやり続けることによって、日々、喜び満ち溢れる充実した素晴らしい幸せを実感する、より善い人生を歩むようにするため、

そして、自分の成長のため、即ち、その存在が、より一層、愛の実践をより善く実践できるよう、自分自身の魂、心、肉体を日々、より善く改善、成長させるため、

それらのために、日々、愛を深く学び、日々、愛を深く理解し、他の存在を心より信頼し信じ、

日々、愛の実践である挨拶・愛語を励行するとともに、自然やモノに対する愛の実践である5S、整理、整頓、清掃、清潔、躾、この5Sを深く自覚し、この5Sを日々、確実に誠心誠意、絶対に必ず実践し、

そして、その存在が、存在し生きている世界において、深く学び、深く理解し、より善く実践すべき愛の実践である仕事や精進などを、世のため他の存在のために行うのだ、行っているのだという意識・自覚を常に持ち続け、それら仕事や精進などを、日々、粘り強く、一生懸命、愛を込めて、即ち、自分の命を懸けて、誠心誠意やり続け、

全ての世界に、十分に愛を満ち溢れさせ、試練を絶対に必ずのり越え、

より一層、天命を全うするために、日々、誠心誠意、精進し、より一層、天命を全うするために、日々、より一層、より善く改善・成長し、

それらのことを、日々、粘り強く、一生懸命、愛を込めて、即ち、自分の命を懸けて、誠心誠意やり続け、

それらのことにより、全ての存在が、

この上ない愛満ち溢れる、この上ない清らかな、この上ない神々しい聖なる、心身ともに、この上なく格好よく美しい、この上ない素晴らしい素直な、この上ない正義感満ち溢れる本当に真に強い、この上ない誇り高き本当に真に誠実な、この上ない個性光り輝く、この上ない立派な存在となり、

他の存在と皆仲良くなり、仲間となり、仲間と共に、この上ない幸せである、最高の幸せである、天命を絶対に必ず全うするようになりますよう、宜しくお願い申し上げます。

以上です。 有難うございました。

 

6 他の存在を騙し、嘘をつき、傷つけ苦しめることは大罪

 詐欺など、他の存在を騙し、嘘をつき、苦しめることは、騙された相手が、金品を騙し取られるだけでなく、他の存在を信じることができなくなり、その結果、他の存在を愛せなくなる、即ち、愛の実践ができなくなするものであり、神法上、極めて悪質な行いとして、詐欺等を行った者には、誰からも愛されず、孤独を強いる「無愛・孤独」の天罰が下されます。「お金は、天下の廻りもの」の本当の意味について、私の指導神である大黒様から次のご指導、お導きをいただきましたので、紹介します。

「田村俊昭よ。世のため、人のためにと、一生懸命、誠心誠意、働きなさい、精進しなさい、より善く誠実に生きなさい。そうした真面目に頑張り、努力する者には、お金の神様から、絶大なる大愛として、奇跡の如く、より善く生きるために必要かつ十分な財力が適時、適切に与えられるのです。真面目に働く者、精進する者は、必ず、その努力は報われ、必ず幸せになるのです。決して諦めず、自分の弱き心に打ち勝ち続け、日々、精進に励みなさい。」

悪魔が消滅した現在、全ての世界においては、宇宙三大法則の一つである「原因・結果の法則」(自業自得)が完璧に作用し、私利私欲の心による私利私欲のためだけに生きようとする方々にとっては、思い通りにならない、自分にとって、嫌なこと、不幸なことしか起こらない、嫌で嫌でたまらない不幸な人生を歩むようになります。どんな人生を歩むかについては、個人の自由意志に委ねられていますが、喜び満ち溢れる充実した素晴らしい幸せを実感する、より善い人生を歩むためには、より善く生きていくしか、道はありません。このガイドラインをご覧になっている皆様におかれましても、より善く生きることを是非、選択され、愛の実践を誠心誠意、実践され、「喜び満ち溢れる充実した素晴らしい幸せ」を、是非、実感していただければと考えております。

 

7 男は男らしく、心身ともに格好良くなることについて

そもそも、神様が生きとし生けるものに、雄と雌を創造した理由は、雌は、主として新しい生命体(子供)を産み、愛情を込めて育てるためであり、雄は、雌がちゃんと子供を産み、育てることができるよう、雌や子供を外敵から守ることができるよう、日々、鍛錬し、生命力を高め、その生命力を高めた遺伝子を、雌との交尾の際に、雌の卵子に与え、より生命力高い子孫を残していくためなのです。これらのことを踏まえつつ、私、田村俊昭の私見ですが、「男らしく格好良い」とは、どのようなことなのかについて、今の悪しきネガティブな社会情勢を踏まえ、全ての男性に向けて、私、田村俊昭自身への自戒の念を込めて、全ての男に共通する、真に男らしい男がやるべきこと・使命・責務は以下のとおりです。

☆自分がやるべき或いは自分に与えられた仕事や精進などを、「世のため他の存在のために行うのだ、行っているのだ」ということを常に意識・自覚しつつ、日々、粘り強く、一生懸命、誠心誠意、やり続けること(どんなに痛くても、どんなにいやでも、どんなに苦しくても、どんなにしんどくても、どんなにみじめでも、決して諦めず、やり続け、やり遂げること)

☆自分より弱い立場の存在や痛み・苦しみ、苦痛のため救いを求めている存在を助けること、護ることを、自分の命を懸けて、挑み、やり遂げること。

☆殺人、暴行、いじめ、虐待、誹謗中傷、窃盗、詐欺、横領、強姦など私利私欲のために他の存在を殺したり、傷つけたり、脅したり、苦しめたりする鬼畜生のような極悪非道、卑怯極まりないことは決してやらないこと

☆飲酒、博打、女遊びもたまにはやってもいいけど、決して、それらのことに執着し、のめり込み、依存するようにならないこと。

 

なお、私、田村俊昭は、女性は心身ともに、美しくあってほしいと想います。男は、自分の好み・タイプの女性に対して、性欲を抱くのは、ごく自然な当然のことだと思いますが、当該性的欲求をより善く自制・制御しつつ、他の存在、特に、異性との良好な交友関係・絆を構築し、より善く維持し、改善し、それらを深めていくこと、要は、男としての女性とのより善い接し方、より善い付き合い方、より善い愛し方、そして、惚れた女を幸せにする能力・手腕を学び培い、それらの知見、ノウハウ、実践力などを高めていくことが、男性魂の魂・心の成長の重要課題の一つなのです。

この男性魂の性的欲求の思いを増幅・増大させるのが、女性の裸体を観たりすることが一般的に知られておりますが、

実は、戦争・紛争地域で命懸けの戦闘行為を行った兵士が、個人差はありますが、「敵を倒さなければ、自分が倒され、死ぬかもしれない」という異常な精神状態となり、獣性・生存本能・生殖本能(子孫を残す本能)が過度に高まり、その結果、性的欲求の思いを強め、増幅させてしまうことがあるのです。また、古の時代から、男は、美人の女性に弱く、美人の女性の気を引くために、当該女性の言いなりになり、当該女性に資産をつぎ込んだり、正妻と離縁してしまう話などよく聞きます。

また、他の人の美貌・美形を嫉妬するネガティブな想いの波動は、嫉妬の念を受ける相手の心身が当該ネガティブな思念エネルギーを自然に払い清めようと作用・動作することから、当該相手の心身を、より一層浄め磨き上げる効果があり、当該相手は心身ともに、嫉妬する者の意に反して、より一層格好良く美しくなるのです。そして、皆様、ご案内の通り、自分の美貌を保ち高めるためには、とにかく、常日頃から、善なる想い、即ち、他の存在を理解し、想いやり、愛し、慈しむ想いを抱くことを努めて行うことが大切なのです。それらの愛の善なる想いは、自分の心身を浄め磨き上げ、波動の振動数を高め、心身から波動の振動数の高い生命エネルギーが放たれ、そのことにより、見た目も、より一層、若々しく健やかで格好良く美しくなっていくのです。中高年以上の方々がよく抱く『もう歳だから。老いるだけだ。若い頃のようにはできない』などいったネガティブな不安な想いは、余計に細胞再生力、治癒力、免疫力などの生命力を低下せしめ、肉体の老化、病気弱化を助長、促進してしまうので、これらのことを常日頃から、留意し、肝に銘じて、無用な不安感など抱くことなく、日々、前向きに、ポジティブに、元気で明るく健やかに暮らしを心がけていくことが大切なのです。

 

 

8 快楽を求める思いについて

快楽とは、「苦しまず、楽(らく)したい」、「楽しい思いがしたい」、「ワクワク、ドキドキする思いがしたい」、「心穏やかに癒やされたい」、「清らかで清潔な所にいたい」などの快楽を求める思いにより生じ、その思いに基づき行動し、心地よい気分などを味わうことですが、それら快楽を求める思いは、我々人間はもとより、神様、仏様であっても、持つものなのです。

神様、仏様(特に、仏様)は、自分の心(本心)に快楽を求める思いが生じても、「おや、また、自分の本心に、快楽を求める思いが生じたな。今は、精進で忙しいので、その思いは、あるがままにして、精進に専念しよう。」などと自問自答して、自然とそのような思いが消えて無くなるよう、冷静に対応する能力に長けているのです。

快楽には、より善く生きるために必要なものもあります。より善く生きること、即ち、愛の実践は、自分の生命エネルギーを費やし、心身ともに疲れ、時には、痛みを伴うことから、これらの疲れなどを癒やし、元気を回復し、リフレッシュするため、自分に合った自分の好みの趣味、スポーツ・運動、観光、旅行などを適時、適切に行うと、より善いでしょう。ただし、これら趣味などを行うに当たっては、知足の精神(足るを知る)を踏まえ、やり過ぎないよう、「ええ加減」で適度に行うことが大切です。趣味など快楽を求めるための行いをやり過ぎると、私利私欲の思いである執着心を高め、心の成長の支障となることがあるのです。

なお、私の指導神のテラ様(全ての物質世界の龍神様達を統括指揮する龍王様)から、以下のとおり、全ての人間の皆様に対し、ご指導、お導きがありしたので、紹介します。

「田村俊昭よ。全ての人間に伝えてくれ。

☆旅行、観光、登山などで、野山、海などに行く際には、くれぐれも、自然を汚したり、傷つけたり、ましてや、生きとし生けるものを殺めたりしないこと。

☆大人達が、率先して、子供達に対して、自然を大切にし、日々、自然に対する深い感謝と大切にする思いを醸成するよう努めること。

☆自然をこよなく大切にし、愛する人間には、我々神々から絶大なる自然の恩恵を与え続けることを約束する。」

また、自分の人生をどのように生きるかについては、自由意志・自己責任の法則に基づき、自分で選択し、決意した生き方により、生きていくのですが、快楽を追求し、快楽を味わうことが幸福な人生だ、それが人生の真の目的・目標だとは、決して思わないようにしましょう。そのような人生を歩み、この世で莫大な富・権力・地位を獲得したとしても、死後の世界では、神様、仏様からは、それら富、権力、地位などは、何ら評価せず、この世でより善く生きたかどうか、つまり、愛をどの程度深く学び、愛をどの程度深く理解し、愛の実践をどの程度実践したかについて、評価され、次に存在し生きる世界を指示されるとともに、学び、理解し、実践すべき愛の実践のご指導、お導きを受けることとなるのです。

 

9 瞑想について

瞑想は、無心になり、心を浄め、心をより善く成長させる精進の方法の一つですが、真に無心の境地に至るためには、相当の修練・精進を積み重ねる必要があるとともに、基本的には、自分の成長ためだけの精進方法であり、それに比べ、作務の実践は、誰でもいつでも簡単にできるとともに、愛の実践として何某かの作業を作務の実践をすれば、自分の成長ためだけではなく、世のため、他の存在ために実践できることから、是非、作務の実践を行うべきなのです。

なお、全ての神様、仏様は、瞑想などは一切やらず、作務の実践として各自が行うべき愛の実践を日々、実践し、励んでおられることを申し上げておきます。また、私の魂の指導神であるお釈迦様から、瞑想に関することについて、以下の教えをいただいておりますので、紹介いたします。

「田村俊昭よ、いいですか。瞑想の要領を極めるのは本当に難しいのです。そもそも、瞑想の目的は、貴方のように、魂の中の良心におられる指導神との会話ができるようになること、即ち、自分の心、本心を浄め磨き上げ、その波動の振動数を良心と同じか、それ以上に高め、本心と良心が一体となることなのです。この本心と良心が一体となるには、瞑想よりも、貴方が日々励んでいる、「より善く生きること」、即ち、「日々、愛を深く学び、愛を深く理解し、他の存在を心より信頼し信じ、愛の実践を誠心誠意、励み、それらのことを粘り強く一生懸命愛を込めて、誠心誠意やり続け生きること」を実践すべきなのです。そして、瞑想するよりも、まず、行うべきなのは、霊魂とは何か、愛とは何か、愛の実践はどのように実践したら善いのか、自分が存在し生きていることの真の意義、理由、目的、目標は何なのか、など、より善く生きることに関する智慧を学び、理解し、身につけることを行うべきなのです。」

 

10 より善く生きるために必要な子供の徳育について

2022年1月10日、日本では、祝日「成人の日」ですが、この「成人の日」に関連しまして、表題のとおり、より善く生きるために必要な子供の知育について、以下、説明させていただきます。

より善く生きること、即ち、「日々、愛を深く学び、愛を深く理解し、他の存在を心より信頼し信じ、日々、世のため、他の存在のため、自分の魂、心、肉体の成長のため、愛の実践を粘り強く、一生懸命、誠心誠意、やり続け生きていくこと」のためには、我々人間が、子供の頃に受ける徳育が大変大切なのです。

これらの子供達に対する徳育に当たっては、子供達に、他の存在、即ち、自分以外の人間だけでなく自然やモノ、更には、神様、仏様、ご先祖様などの御霊に対し、「感謝すること」、「敬うこと」、「大切にすること、きれいにすること、浄めること」、「思いやりや哀れみの気持ちを抱くこと」などの「愛する力」をより善く育み、培っていく必要があります。

幼い頃から、こうした「愛する力」をより善く身につけた子供達は、必ず、自分の天命をより善く悟り、より善く生きていき、将来、世のため、他の存在のため尽す立派な大人に成長していくこととなるのです。

我々大人が、こうした「より善く生きること」に関する子供の徳育を行うに当たっては、当然のことですが、自分自身が天命をより善く悟り、より善く生きること選択し、決意し、自分の天命を全うするための生き方の指針を自ら創り上げ、その指針を見直し改善しつつ、より善く生きていかなければならないのです。

特に、小学生以下の子供達は、我々大人に比べ直観力(穢れなき霊魂である故)が優れており、より善く生きていない大人の発する言葉の虚偽を見抜くことができるので、この点、留意しておく必要があります。

(参考)

「なぜ、私、田村俊昭が、世のため人のために尽くして生きたいと想うようになったのか」について(私、田村俊昭の幼年期、少年時代の紹介)

 

私、田村俊昭は、愛媛県新居浜市の曹洞宗仏国山瑞応寺近くの山田町という田舎の貧乏な家庭に生まれ育ち、幼児期、同市にある「ひかり幼稚園」に通園していました。

この「ひかり幼稚園」は、瑞應寺が設立母体の認定こども園ですが、子供の素直な心を大切に、仏教的情操教育を基本にして、いのちの大切さや感謝の心を養い子供たち一人ひとりが、心豊かな人として成長することを目標にし、以下の内容の「おちかい」を実践しています。

《おちかい》

「わたくしたちは みほとけさまを うやまいます」(いのちを尊ぶやさしい子、いつもにこにこ明るい子)

「わたくしたちは みほとけさまの みおしえにしたがいます」(なんでも考えすすんでやる子、きまりや約束を守る子、なかよく力を合わせる子)

「わたくしたちは きよくただしく なさけぶかくしてりっぱなひとになります」(ありがとうがいえる子、ごめんなさいがいえる子、ものを大切にする子)

私、幼い頃、瑞應寺の本堂で、他の幼稚園生とともに、この「おちかい」の実践を行ったお陰で、中学生の頃から、「世のため、人のために働き、立派な大人」になりたいと考えるようになりました。

また、幼い頃から、疑問に思うことや理解できないことを、両親をはじめ近所の大人に『何で?何故なの?』という言葉を発していました。

特に、親から『大きな会社は、コネが無いと就職できない』ということを聞き、非常に疑念を抱いたのです。

それ以降、『コネが無くても、就職し、世のため人のために尽くす仕事に就こう』をモットーに、

中学、高校での授業をしっかり受け、自宅での自主学習に努め、入試勉強を行い、貧乏な家庭のため一般大学には入学できなかったため、

高校現役で海上保安大学校、防衛大学校の二校の一次試験・二次試験ともに合格し、色々悩んだ末、海上保安大学校を選択し、海上保安庁の職員となりました。

私、田村俊昭は、小学1・2年生の頃は、勉強の仕方が解らず、成績は全教科1か2の成績でしたが、小学3年位から勉強の仕方を自分で考え、工夫して、成績が上がり出し、小学6年生の頃には、国語、算数、理科、社会、図工は5又は4になりました。体育と音楽は苦手で2か3でした。高校では理数科のクラスに入り、数学や物理の成績が善く、特に、数学は常にクラストップでした。運動は運動音痴で苦手でしたが、中学では、バレーボール部、高校では、ハンドボール部に所属し、毎日、練習に励んできて、短距離は遅かったですが、長距離走・持久走はかなり早くなりました。高校時代、1500メートル走のタイムは4分後半のタイムでした。部活動は試合よりも、とにかく、汗水垂らして練習することが大好きでした。私は、幼い頃から、両親が共働きで、いわゆる『鍵っ子』だったのですが、そもそも、親に依存することが嫌で、勉強、進学、就職、結婚など、何事も全て、自分で決めて、今の自分に至っているのです。

 

11 無病で元気に長寿を全うするために必要なこと

年老いて、肉体が衰えるのは、生きとし生けるものの逃れられない定めなのであり、老いても肉体が極力衰えないようにすること、病気にならないようにするためには、

ご案内のとおり、

健康的な生活、生き方を粘り強く、一生懸命、誠心誠意やり続けていくことが必要不可欠なのです。

健康的な生活とは、

◎暴飲暴食をやらず、栄養バランスの善い腹八分の食生活をすること、

◎適度な運動を励行すること、

◎適度な睡眠をとるなど規則正しい生活をしていくことです。

また、健康的な生き方とは、病の根本原因である波動の振動数の低い気・チャクラ(生命エネルギー)を身体に生じさせないよう、溜めないように生きることであり、当該気・チャクラは私利私欲の想いによって生じるものであり、それらは、日々、愛を学び理解して、愛の実践を粘り強く、一生懸命、誠心誠意やり続けていくことにより、自分の心身を浄め磨き上げ、当該気を無くしたり、祓ったりすることができるのです。

愛の実践の一つである挨拶の場合、元気な人が行う挨拶の言葉には、不健康な人のものと比べ、波動の振動数の高い善なる生命エネルギーは含まれ、放出され、挨拶を受けた相手の魂・心・肉体をより有効・効果的に元気にする力があるのです。また、自分ができる或いは自分がやるべき愛の実践に励み、より善く生きることやり続けている人の肉体からは、波動の振動数の高い善なる生命エネルギー(チャクラ)が常時、一定量放出(いわゆるオーラ)されようになり、そのような人がいる場所・空間は、自然と清らかで生命力満ち溢れる明るい雰囲気の状態となるのです。

また、私、田村俊昭は、愚か者と呼ばれても構いませんが、気候変動を人間の諸活動を改善するだけで地球の気温の上昇を制御できると考えている方々は、自分達を何様だと思っているのでしょうか?

例えば、地球の温暖化について、熱源である太陽の放出エネルギーの上昇変化や下降変化なども加味して温暖化の調査研究をしているのでしょうか?

人間は、自然を汚したり、資源を搾取することはできても、自然を制御・コントロールすることは一切できないのに。

なお、この記事を閲覧されている皆様は、自然やモノが発する生命エネルギーの波動の振動数が高まると地球の気温も低くなることをご存知でしょうか?

また、人間の魂、心、肉体の波動の振動数を高めていくと、免疫力、治癒力など生命力が高まり、心身共に元気に健やかになるとともに、

自然やモノが放つ生命エネルギー(自然やモノが放つ生命エネルギーの波動は一般的に人間の生命エネルギーの波動より高いため)をより善く活用できるようになり、自然と善く調和して、個人差はありますが、気温が35度以上の状態においても、熱中症などを発病することなく、元気に活動することができるようになるのです。

自然と調和することが大切であり、地球が温暖化したら、その環境に適合・順応した心身に改善すれば善いのであって、特に、自分の心身の波動の振動数が低い場合、過度に気温が高く暑いと感じたり、熱中症などを発症したりすることがあるのです。

 

(1)コロナ禍について

私、田村俊昭の場合、約8年前に覚醒し、その際、精神を病みましたが、約5年前に「より善く生きること」をやり始め、精神の病を改善し、睡眠薬などの投薬も必要なくなり、糖尿病の予防のため、好きだったお酒も断つことができ、それ以降、風邪などをひいたこともなく、現在では、血液検査の結果も良好であり、約86㎏あった体重が67㎏前後まで減量でき、顔もスッキリと小顔になり、運動も苦にすることなく、特に、水泳は、毎平日、2500メートル(25メートルプール50往復)を51~55分台のペースで休みなしで泳ぐことができるようになり、特に、心肺機能・持久力が20代の頃とほぼ同じ位になりました。

「なぜ、より善く生きると、身体が健康なるのか?」について、私の魂の指導神である薬師如来様からいただいたお導きを以下のとおり紹介します。

「田村俊昭よ。愛の実践を実践した際、波動の振動数の高い善なる生命エネルギー、いわゆるチャクラが霊体から放出されるのです。その波動の振動数の高いチャクラは、身体にある全ての神経細胞を経由して、身体の全ての細胞に行き渡り、各細胞の遺伝子を活性化させ、すなわち、各細胞の遺伝子を改善成長させ、各細胞が細胞分裂し、新たな細胞を作る際、より改善成長した細胞を作り出すことができるのです。肉体の老化やガンなどの病気は、細胞の遺伝子が細胞分裂のエラーを起こし、欠陥のある細胞を作り、その欠陥のある細胞が更に不良な欠陥のある細胞を作るという、不良な細胞分裂のメカニズムによって生じるものなのです。人間の肉体の老化は、大体、30代くらいで始まるのが一般的ですが、不良な細胞分裂の根本原因は、私利私欲の行い、言葉、思いによって生じる波動の振動数の低い生命エネルギーを体内に蓄積することによるものなのです。コロナウイルスなどの病原ウィルスによる病状が悪化するも、身体の老化の原因と同じで、波動の振動数の低い生命エネルギーを蓄積したり、発している身体に原因があるのです。人間は、他の生物に比べ、病に対する高い治癒力・免疫力が元々備わっており、このため、他の生物に比べ寿命が比較的長いのです。その治癒力・免疫力を高めるのが、貴方が日々、実践し続けている愛の実践であり、適度な運動、栄養バランスのより善い腹八分の食生活など、より善く生きることなのです。貴方が無病でかつ、元気に若返っているのは、以上の理由によるものなのです。このことを、他の人々にも、宜しくお伝え下さい。」

コロナ禍の問題を抜本的に解決する方法とは、全ての人間が、私と同じように、自分の生き方を見直し、より善く生きること選択し、決意し、より善く生き、愛の実践を、日々、粘り強く、一生懸命、誠心誠意、無我夢中でやり続け、ワクチンや薬に依存し、頼ることをやめ、自分の肉体の免疫力を高めていくことなのです。日本語にそのことを表現する言葉があります。

「病は気から」

全ての病は、「我良し」とする私利私欲、エゴによる、悪い「気」から生じるものであり、他の存在を思いやり、共により善く生きましょうという善い「気」によって回復、改善するものなのです。コロナウイルスも、我々人間と同じ「生きとし生けるもの」です。彼らも、生きていたいという「生存欲」があるのです。人間がワクチンや薬を開発しても、ウイルスも生きるために、それに対抗するウイルスに変異、成長し続けるのです。コロナウイルスは、我々人間に、次のことを教えてくれているのです。

「人間の皆さん、他の生きとし生けるものを、むやみに殺傷することを止めて下さい。我々ウイルスとも、共に生きること、共存共栄の道を選択し、生きて下さい。」

コロナ禍について、私の指導神である明主様(イザナギ様、創造主)から全ての人間の皆様に対する指示・命令のメッセージをお伝えします。

「2020年10月に悪魔達が消滅したことに伴い、この世を含む物質世界の浄霊、浄化の取り組みの一環として、全ての人間がこれまで行ってきた悪なる行い・罪を償う措置・試練としてコロナウイルスを蔓延させた。全ての人間よ。お前達が、戦争やテロ、犯罪をやめない限り、コロナウイルスを随時成長させ、蔓延させ続ける。全ての人間よ、速やかに改心し、より善く生きることを選択し決意し、より善く生き、人間同士はもちろんのこと、他の生きとし生けるものと、共により善く生き、共により善く成長・発展・繁栄するように努めよ。なお、より善く生きることに関する方法などの神法、宇宙の法則、宇宙の叡智は、既に、この投稿記事の作成者、田村俊昭が、「より善く生きるためのガイドライン」に明文化しているとおりじゃ。全ての人間よ。いい加減に改心せよ。」

(2)呼吸の重要性について

我々人間が生命を維持するためには、呼吸をして、空気を肺に吸い込み、酸素を取り入れる必要があることは、皆様ご存知だと思いますが、実は、我々の霊魂・霊体の活動を維持するためには、自然やモノから放出される生命エネルギー(自然エネルギー・チャクラ)を全身、特に、呼吸による肺から吸収し、これらの生命エネルギーを活用し、霊魂が活動しており、霊魂が活動することにより、脳や神経細胞が機能し、肉体は生命維持活動を行っているのです。

呼吸は我々が生きるために、非常に重要であり、我々の霊魂の活動を活性化を図るためは、呼吸によって、より波動の振動数が高く、清らかな生命エネルギー(善なる生命エネルギー)を吸収し、取り入れることが大切なのです。

我々は普段生活している自宅、近所、街、公園、会社、職場など、自然やモノから生命エネルギーを吸収しているのですが、これら自然やモノから、波動の振動数の高い善なる生命エネルギー、即ち、愛のエネルギーをより善く得るためには、以下のことを実践すると、当該エネルギーをより善くいただき、心身共に、健やかに元気に生きることができるのです。

①自然やモノのお陰で生きていることを心底自覚し、常にそのことを忘れないこと。

②日々、自然やモノに対して、感謝の念を念じること。

(私は、般若波羅蜜多の実践を行わせていただいた公園では必ず、「有難う御座いました」と声を出して挨拶しています。また、スポーツクラブのプールで泳ぐ前、泳いだ後に必ず感謝の挨拶を励行しています。)

③利用した公園やトイレでは、ごみ拾いなどして、それらの施設をきれいに清潔に美観、景観を保つこと。

当該のことですが、ゴミは決してポイ捨てしないこと。自分のゴミは自宅に持ち帰るか、ゴミ箱が設置されている場合には、ゴミ箱にリサイクルのため分別し適正に処分・廃棄しましょう。

(私は、自宅のトイレを含め、トイレを使用した際には、必ず、トイレットペーパー等で汚れを拭き取り、きれいにして、その後、トイレに対して「有難う御座いました。また、使わしていただきますので、宜しくお願い申し上げます。」などとの感謝の挨拶をして退出しています、)

※ライターと携帯灰皿は、愛煙家の男性の必須アイテムです。

これらのことが、「自然やモノを大切にすること」であり、自然やモノに対する愛の実践なのです。

自然やモノを物質的に清潔に保てば保つほど、それらの場所や施設から発せられる生命エネルギーの波動の振動数が高まり、維持され、霊的にも、浄め磨き上げられ、そうした場所を訪れると、その場所に満ち溢れ溢れる愛のエネルギーを心身に吸収し、気分が爽やかになったり、落ち着いたり、元気になるのです。

一方、ごみ拾いだらけの汚れた場所や施設には、波動の振動数の低い生命エネルギー、即ち、邪気・邪念が好んで集まり易くなり、そうした場所を訪れると、暗い嫌な気持ちなったり、自分の生命エネルギーを奪われ、免疫力が低下し、持病の悪化や何らかの病にかかってしまうおそれがあるのです。

なお、私、田村俊昭は、数年前から、ごみ拾いなど街の美化活動を日々、行っていますが、それらを他の人々、特に、子供達に根気よく見せ続けていくことが、人々への街の清潔、景観を維持する必要性、街をきれいに明るくすることの大切さを気付かせ、自然やモノへの感謝、敬意の意識・想いを醸成・向上していくことを信じて、粘り強く、一生懸命、愛を込めて、私のライフワークの一つとして、誠心誠意、やり続けていきます。

(3)「食」について

我々人間が、より善く生きるためには、食においても、質素倹約を心がけ慎ましく、かつ、心身の健康を維持するために必要な適度な食事を毎日摂ることが大切なのです。そのことを言い表す日本語に「腹八分」という素晴らしい言葉があります。人間の肉体には、日頃からタンパク質、特に、良質の動物性タンパク質を適時、適切に摂取し続ける必要があります。我々人間は、日々、他の生きとし生けるものの生命をいただき生かしていただいていることを心底自覚し、それらの動植物達に対して、食事の時などに、深く感謝の念を発し続けていく必要があります。また、日本のような経済的に裕福な国家は、貧困で苦しんでいる国家、人々に対して、食料支援、教育支援などの援助を、国家としての愛の実践を積極的に行っていく必要があります。ちなみに、私、田村俊昭は、より善く生きることを、日々、懸命に実践し続けていますが、食についても、外食を極力控え、安い食材で自炊していますが、精進の後の食事を、毎日、喜び満ち溢れる充実した素晴らしい幸せを実感しつつ、本当に心底美味しく、かつ、有り難く頂いています。

また、人間の肉体には、心身の健康の観点から、鶏肉を摂取することが、一番善いとされています。人間の肉体の骨や肉は動物性タンパク質で創られています。植物性タンパク質だけを摂取した場合、人間の肉体にするためには、生命エネルギーが余計に必要であるとともに、消化し切れない植物性タンパク質は食物残渣として排泄しているのです。それに比べ、動物性タンパク質は、消費エネルギーも少なく無駄なく肉体になるのです。また、霊的な観点からは、鶏肉のタンパク質は、人間の肉体のタンパク質に比べ、高等な性質のタンパク質であり、鶏肉を摂取することにより、老化を防止し、心身の若返り、活力を活性化・促進することができることから、毎日、適度な量の鶏肉を摂取すべきなのです。当然のことですが、食べ過ぎは肥満の原因となるため、腹八分を目安に食べましょう。なお、これら鶏肉の霊的有効性については、今の健康医学では、究明・理解できないことであることを申し述べておきます。

(4)『昆虫食』は本当に必要ですか?

『食育』は大切です。現代の日本では、飽食、暴飲暴食、食の高級志向、贅沢三昧を起因とする免疫力の低下、基礎疾患の増加、健康被害や食品ロス、食糧自給率の低下などの食に関する社会問題が顕在化しています。これらの食に関する社会問題の根本的な原因は、『食育』を疎かにして、欧米の食事スタイルなどを過度に導入、模倣し過ぎ、本来、日本人の体質、気質、精神素養にあった適切な、より善い伝統的な食事スタイル、『食生活』を怠ってきたことによるものだと思います。

最近、話題となっている『昆虫食』に関する素朴な疑問点なのですが、食料とする昆虫を育成させるためには、昆虫に食べさせる飼料・餌が必要であり、当該飼料をどのように確保するのか、昆虫の食料としての安全性や昆虫を大量に育成することの地球環境への影響(昆虫食を推進しようとしている方々は、現に昆虫を捕食して生き繁殖している動物達の存在を配慮しているのでしょうか?)など問題点、課題等を慎重に精査・検討し、解決しておく必要があると思います。また、最近、話題となっているSDGs(持続可能開発目標)につきましても、この言葉を小難しく考える必要はなく、要は、全ての人間が、『知足(足るを知る)』の重要性を再認識し、この知足の精神をより善く育み培い、贅沢な生活を極力、慎み控えるとともに、貧困を無くし、資源エネルギーやモノの浪費、無駄使いを止め、モノの再生利用を促進し、自然や他の人々と、共により善く共生していことが大切なのです。

 

12 真に幸福な人生とは何かについて

このガイドラインをご覧の皆様にとって、幸せな人生とは、どのような人生ですか?

私、田村俊昭にとって、真に幸せな人生とは、自分の天命、即ち、「自分が存在し生きることの本当の真の意義、理由、目的、目標」をより善く悟り、この天命を全うするための自分の生き方の指針を、神法、宇宙の法則、宇宙の叡智をより善く活用して、自ら創り上げ、それら指針を基に、天命を全うするために、より善く生きていき、適時・適切に、それらの指針の実践状況を振り返り、評価し、それらの指針を見直し改善し、更に、粘り強く、一生懸命、愛を込めて、即ち、自分の命を懸けて、誠心誠意、やり続け、それらのことにより、自分の天命を全うする人生だと確信しています。

この自分の天命を全うするための人生を歩んでいくに当たって、全ての存在は、皆共通して、「愛とは何か、愛の実践はどのようすべきなのか」など愛を深く学び、深く理解して、「愛が何よりも大切だ」ということを、自分の行動規範、価値観、精神的支柱として育み、培っていく必要があると考えます。

「人間は、何故、この世に生まれ、生きているのか?」

この命題について、昔から、多くの思想家、宗教家などの方々が、明確化、究明するため、様々な取り組みが行われてきましたが、この命題に対する現時点における私、田村俊昭の見解は、以下のとおりです。なお、この私の見解は、私が、これまで50年余り歩んできた様々な人生経験、特に、東日本大震災の際、精神病を患い、離婚を経験したことに伴い、「もっと自己の精神を強くしたい」との思いで自己啓発のために、仏教その他の宗教や精神世界に関連する書籍などにより自己学習・研鑽に努めるとともに、私自身が以下に示す生き方(より善く生きること)を実践し続け、その際に「もう死んでしまいたい。もう自分は死んだのだな。死ぬとはこういうことなのか。」などといった苦しみ、悩み、痛みを味わう苦難・試練に対峙し、それらを何とか乗り越えてきた上、より善く学び、より善く理解し悟り、確信するに至ったものであることを申し添えます。

「人生の目的」は、魂(真我・超意識)・心(本心・自我・表層意識)・肉体を浄め磨き上げることにより、清く・正しく・格好よく美しく、改善・成長させること」なのです。

そのために、全ての人間は、他の多くの存在(人だけでなく、神様、仏様、ご先祖様の御霊の方々、自然、モノ、他の生きとし生けるものを含みます。)の方々のお陰で生かしていただいていることを深く自覚し、日々、それらの方々に対し、深く感謝し、それらの方々を深く敬愛するとともに、それらの方々を心より信頼し信じ、日々、愛を深く学び、愛を深く理解し、

自分ができる及び自分がやるべき仕事、精進、学業、スポーツなどを「世のため、他の存在のため、自分の成長のため」に行うのだ、行っているのだとの意識・自覚を持ち続け、粘り強く、一生懸命、愛を込めて、即ち、自分の命を懸けて、精神誠意、やり続け、生きること、即ち「より善く生きること」が大切なのです。

なお、「愛」とは、愛とは、感謝、信頼、敬い・尊重、褒め称え、思いやり、慈悲、赦し、助け合い、分かち合い、励まし、癒し、譲り合いなどの善なる思い・願いから生じる、世のため、他の存在のため、自分の魂・心の成長のため、見返りを求めず無償で行う、全ての行為・動作、全ての言葉、全ての祈り・願い・思いのことであり、それらを行うためには、波動の振動数の高い善なる思念エネルギーが必要なのです。この善なる思念エネルギーを他の存在に与え、照射することにより、これを受けた存在は、その心が、より善く生きること、精進に励むことに対する熱意、意欲、情熱、元気、勇気、自信などが高まり、その結果、その存在の魂・心を成長させることができるのです。

 

13 「我慢と努力は世界を制す」

私、田村俊昭の座右の銘の言葉に「我慢と努力は世界を制す」という言葉があります。

この言葉は、一般的には、「我慢や努力をやり続ければ、誰よりも優れた成果を成し遂げたり、優れた存在になることができる」などという意味なのですが、

私、田村俊昭は、この言葉には、「全ての人が、私利私欲の行いを我慢し、決して悪なる卑怯な行いをせず、人として真に正しい善なる努力をすれば、この世の人間社会は正常に安全平穏に制御できる、即ち、戦争や犯罪や差別・格差の無い、愛満ち溢れる平和で共存共栄の心満ち溢れる皆が共により善く成長・発展・繁栄し続ける、より善い世界にすることができる。」という意味があると考えています。

富・地位・権力の追求に執着し、卑劣・卑怯な極悪非道の行いをしてまでも、お金や権益を得ようとする現代の悪しき社会・世相への戒めの言葉として、この「我慢と努力は世界を制す」を紹介させていただきました。

なお、私、田村俊昭は、神様、仏様を含め、誰よりも、自分の私利私欲の心、エゴ、弱き心に打ち勝ち続ける真に強い存在になるために、自分がやると決めた精進や愛の実践を日々、粘り強く、一生懸命、誠心誠意やり続けており、自分が苦しい、辛い、痛いからと感じても、決して諦めず、我慢し、耐え忍び、自分のやるべきことをやり続け、神様、仏様に救いを求めたりすることは決してやらないよう努めています。

私、田村俊昭は、神様、仏様が存在されていることを確信しおり、それらの方々を畏れ、敬うこととしていますが、神様、仏様達から喜ばれたいから、御加護、祝福、大愛を受けたいから精進や愛の実践をしているわけではありません。ただ、ひたすら、私という存在を創り上げ、育てくれた多くの御霊や人達への感謝とその恩に報いるため、私が存在し生きることの目的、目標、使命、責務を全うするために、日々、切に、より善く生きていこうと努めているのです。

自分の生き方は自分で決め、見直し改善しつつ歩み続け、その結果を自ら潔く受け入れることとしており、神様、仏様がお喜びになられるために、自分は生きておりませんし、今後も、前述のとおり生きていく所存です。

 

14 街などを清潔に健やかに美しくするための人々への意識付け・意識高揚について

ゴミをポイ捨てしたり、街を歩いていてゴミが捨てられていたり、汚れているのに、ゴミを拾うことをしない方々に対して、どのようにしたら、街を清潔に健やかに美しくするために、自発的に、ゴミのポイ捨てをやめたり、ごみ拾いしようと心がけるようになるのでしょか?

私、田村俊昭は、愛が何よりも大切だと意識し自覚し、日々、より善く生きるよう努めており、毎日、心身ともに、ヘトヘトになりながら、自分がやるべき愛の実践・精進をやり続けるとともに、フェイスブックへの「より善く生きること」に関する投稿作業も自分のやるべき愛の実践、ライフワークとして、日々の精進の合間に適宜、実施しています。また、自分ができる愛の実践として、精進の合間に、ごみ拾いなど街の美化活動を毎日実践しており、街の美化活動を行う意義、理由等については、前述したとおり、自然やモノを物質的に清潔に保てば保つほど、それらの場所や施設から発せられる生命エネルギーの波動の振動数が高まり、維持され、霊的にも、浄め磨き上げられ、そうした場所を訪れると、その場所に満ち溢れ溢れる愛のエネルギーを心身に吸収し、気分が爽やかになったり、落ち着いたり、元気になるのです。一方、ごみ拾いだらけの汚れた場所や施設には、波動の振動数の低い生命エネルギー、即ち、邪気・邪念が好んで集まり易くなり、そうした場所を訪れると、暗い嫌な気持ちなったり、自分の生命エネルギーを奪われ、免疫力が低下し、持病の悪化や何らかの病にかかってしまうおそれがあるのです。

この項の終わりに、私、田村俊昭の行っている精進、愛の実践は、全て、私の魂がやるべき使命・愛の実践である「全ての存在に対する浄霊、浄化、成長促進」をより一層、より善く実践できるようにするためであり、このため、街の美化活動についても、一切手抜きをせず、粘り強く、一生懸命、愛を込めて、即ち、私の命を懸けて、精神誠意、やり続けているのです。そうした、一人一人の街の美化活動に対する誠意ある真摯な取り組みの雰囲気が、街中に、広島中に、そして、日本中に徐々に広まり拡散し、やがて、世界中に広まり、この世が真に清潔で健やかで美しい世界になっていくことを信じて、皆それぞれが、自分ができる、自分がやるべき街や自然の美化活動を粘り強く、やり続けて参りましょう。

 

15 「悪なる行いをして、謝罪すれば、謝れば、その悪なる行いの罪は赦され、罰を免れることができるのか」について

私、田村俊昭は、一神教の宗教に対して、従来から何か言い知れぬ嫌悪感、違和感を感じており、それらの宗教を信仰することは一切ありません。

例えば、イエス・キリスト様は全ての人間の悪業を自ら受け、人々の穢れを取り除いたとの伝説について、宇宙の基本原則の一つである原因・結果の法則(自業自得、悪因悪果など)に反することを本当にキリスト様が行ったのか、そのこと、即ち、宇宙の大原則に逸脱し、反することを、創造主様をはじめとする最上級神の方々が、本当に承認され、お赦しになったのか、そして、おそれ敬うべきイエス・キリスト様を何故、痛ましく凄惨な張り付けの状態にした十字架を偶像崇拝(ひょっとして、十字架は、自分達人間が将来も犯すだろう悪業・罪に対する罰を永遠に自分達の代わりに受け続けて下さいと懇願し、当該罪を免除されることを祈念するための法具・象徴的アイテムなのですか?)しているのか、など、疑念の念を抱かざるを得ないのです。

私、田村俊昭は、全ての人間の魂の良心の中には、それぞれ指導神(内在神)が必ず宿られておられるのだから、それらの内なる神様・仏様達の指示・命令・指導・導き・諭し・叱咤激励に従っていれば、迷い・不安・恐れなどなく、ちゃんと、より善く生きていけるのだから、特定の宗教を信仰し、信者となる必要は一切ないと断言させていただきます。

神様・仏様を信じ、畏れ敬い感謝することは大切ですが、自分が神様・仏様のような存在になるため、世のため人のため他の存在ために、仕事や精進などを頑張って努力し続けることが最も大切なのです。そうした頑張り努力する者には、神様や仏様は必ず味方になってくれ、時には、神様・仏様から、奇跡のような力、大愛、即ち、絶大なる愛の善なる生命エネルギーを与えられるのです。

 

16 『越後屋、そちも悪よのう』?!

現代の経済成長最優先の人間社会においては、日本の時代劇によく出て来る『越後屋、そちも悪よのう』でお馴染みの悪代官や悪商人のような人間が多いのではないでしょうか?

私、田村俊昭は、東日本大震災以前、官庁や大企業のトップの方々のようにエリートになりたい、出世したいという願望がありました。しかし、同震災で精神を病んだことを切っ掛けに、より善く生きること、即ち、『愛を何よりも大切だと意識・自覚し、日々、皆に感謝しつつ、愛を学び、理解し、自分ができる及び自分がやるべき愛の実践や精進を粘り強く、一生懸命、やり続け生きていくこと』をやり始めたのですが、この『より善く生きること』をやり続けていくうちに、次第に、現代の人間社会において起こっているネガティブな出来事(戦争、各種犯罪、事故、企業倒産、貧困、差別・格差など)の根本原因が何なのかが明確に解ってきました。

それらの根本原因は、多くの人々が『我良しの自分の思いどおりにしたい、生きていきたい』という私利私欲のためだけに生きていることだと思います。

この私利私欲の追求のため、お金(富)と縄張り(土地、領土・領海)と力(地位、権力、武力、権威、人材など)を持つことが重要視され、多くの人々が、それらの獲得・保持・拡大に奔走しており、科学技術研究開発、IT、立法行政、学校教育、そして、マスコミ・報道、倫理思想・信仰宗教も、それら経済成長最優先のために専ら運用・運営・利用されている現状にあるのではないかと考えております。

なお、私利私欲の思いが、全て悪いという訳ではなく、私利私欲の思いがあるからこそ、仕事や精進などを実践・遂行するために必要なモチベーション・やる気を高め、向上させ、仕事や精進をより善く遂行し、時として、素晴らしい成果をもたらす原動力・起爆剤となり得る効果があるのです。

ただし、私利私欲の思いを過度に強く抱き続けると、その思いを達成することに拘り、執着するようになり、やがて、満たしても満たされない、満足しない私利私欲の追求の呪縛に囚われ、最悪の場合、殺人、傷害、窃盗、詐欺、横領、強姦などの犯罪、脱法行為を犯してまでも私利私欲の思いを達成しようとしてしまうのです。

私利私欲の思いを如何により善くコントロール・制御するか、私利私欲の心とより善く付き合いながら、より善く生きていくことが大切なのです。

お釈迦様は、私利私欲の思いを自在に制御し、必要に応じ、当該思いを無くすというよりも、当該思いが生じても当該思いの強さを弱くし、冷静沈着に自身の言動を制御し、律することができる卓越した優れた能力を持たれていたのです。皆様ご承知のとおり、仏教では、それらのことを、『ニル・バーナ(煩悩の火を消すこと)』と称されているのです。

 

17 「何故、他の人と仲良くなったり、嫌ったりするのか」について

人間には、霊魂が宿っており、霊魂が生命エネルギー(気・チャクラ)を放出することにより、生命維持活動を行うとともに、肉体を機能させ、他の存在とのコミュニケーションを含め、様々な動作・行動を執ることができるのです。この霊魂が放出する生命エネルギーは、当該霊魂がこれまで培ってきた「愛」に関する智慧とその実践力に応じて、それぞれ、当該霊魂固有の波動の振動数があり、人間の肉体からは、無意識のうちに、この生命エネルギーを一定量放出し続けており、自分を中心とする一定の範囲内に、自己が放つ生命エネルギーに包まれ生きており、これが、所謂、オーラと呼ばれるものなのです。また、この生命エネルギーには、その霊魂が強く念じたり、想ったりしたことを宿し記憶させ、思念エネルギーとして、他の人だけでなく、他の生きとし生けるものや御霊に伝達することもできるのです。このことが、世に言う「テレパシー」と呼ばれているものなのです。さらに、この思念エネルギーは、その人が話す言葉や音声データ、その人が書いた文字、その人がPCなどに入力した電子データ・画像に宿ったり、その人が専ら住んだりしている部屋や使っているモノ(車など)にも宿り、染みつき、定着するようになるのです。

他の人と親しく仲良くなったりするのは、互いの生命エネルギーの波動の振動数がほぼ同じ場合であり、かつ、互いの雰囲気、オーラを心地よく感じたり、或いは、互いの生命エネルギーの波動が共鳴し合い、互いに生命エネルギーの振動数をより善く高め合うような場合、互いに「この人といると、元気に明るくなる、この人と一緒にいると楽しいし、幸せに思う。」などポジティブな想いを抱き合うようになることなのです。

また、他の人を嫌うということは、相手の生命エネルギーの波動の振動数に極端な差があり、当該相手の雰囲気、オーラを不快な嫌悪感を感じ、「奴の傍にいたくない。奴といると、癪に障る。」などといったネガティブな感情を抱く場合があるのです。

これらのことから、私は、現代の日本の社会で問題となっている「いじめ」、「虐待」、「登校拒否」、「ひきこもり」、「誹謗中傷」などは、この互いの生命エネルギー・思念エネルギーの波動の振動数の過度の乖離が遠因なのではないかと考えています。

自分がある人に抱く本音・想いは、言葉のほか、その念や想いの強さに応じて、当該者に様々な媒体を通じて、確実に伝わることとなるのです。すなわち、他の人と仲良くしたいと思うならば、相手に対して、感謝したい、信頼したい、敬いたい、優しくしたい、護りたい、助けたい、哀れみたい、赦したいなど、「愛の想い」を本気で心底、抱き続けることが大切なのです。また、他の人に対して、傷つけたい、苦しめたい、騙してやりたい、恨みたい、呪ってやりたいなどといったネガティブな想いを抱くと、当該者に対して、精神的な苦痛を与えると同時に、宇宙の三大原則である「原因結果の法則」(自業自得、悪因悪果など)に基づき、自らにその悪業の報い・天罰が確実に下されることとなるのです。なお、このような他の存在への嫌悪感等のネガティブな感情を抱き易いのは、ご案内のとおり、愛に関する智慧やその実践力が乏しい霊格の低い霊魂・存在が、自分より格上の霊魂・存在に対して行うことが多いということを留意しておく必要があります。嫌悪感を抱くのは、霊格に関係なく、誰しもあることですが、嫌悪感を抱き、その邪念を当該相手に発することは、霊格が高い方はあまりやらないのですが、霊格が低い方は躊躇なくやってしまう、即ち、ネガティブな感情を抑えられないことが多いのです。特に、ある人に対して、自分と同じ嫌悪感等を抱いている他の存在を認知した場合、それらの他の存在と共に、徒党を組んで、当該ある人に対して暴力を振るったり、暴言等を発し、個人攻撃することが「いじめ」、「集団リンチ」や「誹謗中傷によるネット炎上」なのです。

 

18 精神世界の史実や予言(未来予測)、所謂、アカシックレコードをはじめとする宇宙の叡智に関する守秘義務について

アカシックレコードに記録されている過去の宇宙の成り立ち、過去の出来事、歴史や、未来に起こるだろう出来事、予言や、その他科学技術関連の宇宙の叡智を、むやみに、他の人々に知らしめることは神法上、原則、禁止されているのです。魂の中におられる指導神(内在神)の方々などの御霊とテレパシーで会話できる人々がおられると思いますが、皆に知らしめるべきと思っても、知らしめる内容如何によっては、人間社会を混乱させ、場合によっては、当該情報によっては戦争や犯罪を惹起させるおそれもありますので、私、田村俊昭を含め、スピチュアル世界に関する知見や能力を有する者は、この世における自身の果たすべき使命とその重責を常に自覚・意識しつつ、宇宙の叡智等に関する守秘義務を遵守徹底する必要があると考えます。

ちなみに、神様・仏様の指導・導きにより知り得た宇宙の叡智であって、当該叡智をむやみに世に暴露し、他の人々によって悪用され、人間社会を混乱等させた例として、

●火薬・ダイナマイトの発明

●核分裂の原理の発案と核物質(ウランなど核分裂を起こす量子力学上不安定な物質)の発見

などがあり、これらの発見、発明によって、近代以降、戦争による生命財産、地球環境への破壊が、より一層、甚大かつ凄惨なものとなっているのです。今、この世は、これまでの土の時代から風の時代に移行する過渡期にあります。風の時代とは、科学技術の発展成長よりも人の心・精神の成長を重視する時代であり、このため、スピチュアル・精神世界に関する智慧とその実践力が必要不可欠なのですが、これらの智慧をより善く学び、理解を深めるだけでは意味がなく、やはり、それらを踏まえ、自分ができる及び自分がやるべき愛の実践を粘り強く、一生懸命、誠心誠意やり続け、努力し、頑張り続けることが大切なのであり、神様、仏様からは、それらの努力、頑張りの程度等に応じて、必要な御加護、祝福、大愛が適時、適切に与えられることとなるのです。これらのことにも、宇宙の3大原則の一つである『原因・結果の法則』が、『善因善果』として確実に作用することとなるのです。スピチュアル・精神世界の智慧を単に善く知っている、理解しているだけでは、無意味であり、所謂『宝の持ち腐れ』なのです。

 

19 『改善』と『根本原因』について

物事が上手く行かない時には、何故、上手くいかないのか、どうすれば上手くいくようになるのか、それらの根本原因を究明し、突き止めた当該原因を解決・改善する方策を考え、その方策を実施可能なものから実行、取り組んでいくことが大切だと思います。

この物事や仕事などをより善くしたり、不具合やネガティブな状況をより善くしていく手法は、リスクマネジメントの基本的考え方として、活用されていますが、実は、元々は、我々日本人が古来から実践してきた『改善』活動の基本的考え方なのです。現代の人間社会で起こっている戦争や犯罪など、様々なネガティブな事象について、この『改善』や『リスクマネジメント』の考え方を活用し、根本的な発生原因を究明し、その解決策、改善策を検討し、実行可能な対策から逐次実行していべきと考えます。特に、戦争や、テロ、殺人などの重大犯罪を抑止し、皆無・根絶するため、それらの根本原因とその抜本的改善策を早急に究明し、検討・実施していく必要があると思います。

なお、ネガティブな事象の根本原因を究明することは、究明した根本原因の内容如何によっては、自分や自分の組織等にとって都合の悪い嫌なこと、即ち、当該事象が発生したことに関連して、自分達の言動・対応等に非・問題がある場合など、当該原因等を他の存在に知られたくない、認めたくない事柄である場合があり、それらの根本原因についても、無碍に否定・排除することなく、真摯に受け止め、受け入れる覚悟、勇気等を持って、事後、毅然とした厳正かつ公正明大な適切な対応・措置が必要なのです。

 

20 娯楽・趣味嗜好は、程ほどに、ええ加減により善く愉しみましょう

お釈迦様の教え・真理である「中庸・中道」について、一般に仏道を歩んでおられる方は、仏道に関する精進・修行を、無理せず、ほどほどに、ええ加減に歩むと善いとの解釈をされている方がおられると思いますが、私、田村俊昭は、この「中庸・中道」について、当該精進の弊害となる私利私欲の心による娯楽、趣味嗜好などの行いを無理して無碍に全否定するのでなく、当該快楽追求の執着、呪縛に陥らない程度に、当該快楽追求の行いを、ほどほどに、ええ加減に愉しみ、気分転換をより善くしていけば、本来行うべき仏道の精進・修行を、より一層、精力的かつ有効に行うことができるものだと解釈しています。飲食飲酒・ギャンブル・女遊びをはじめとする娯楽等は、決して、他の人や自然やモノを傷つけたり苦しめたりすることないよう、そして、決して、日本の昭和時代の代表的歌謡曲「スーダラ節」の一節「わかっちゃいるけど、やめられない」旨の執着、依存状態にならないよう、他の人々の迷惑等にならないよう、より善く愉しむことが肝要なのです。

 

21 幸せ・幸福とは何かについて

このガイドラインをご覧の皆様にとって、幸せ・幸福とは何ですか?幸せな人生とは、どういう人生なのですか?

私、田村俊昭は、他の人、生きとし生けるもの、御霊を爽やかにしたい、それらの方々がより善く生きて幸福になってほしい、そのために、どんなに私自身が痛くても、苦しくても、惨めでも、たとえ、死んでも構わない、それらの方々を幸せにすることが、私自身にとって最高の幸せなのだから。

私、田村俊昭は、私利私欲のためだけに生きている人こそ、このガイドラインを是非一度、読んでいただき、改心して、愛が何よりも大切だと自覚され、世のため人のため他の存在のためにより善く生きていただき、生きることの真の意味、喜びを実感し、真の素晴らしい幸せな人生を歩んでほしいのです。何故なら、私、田村俊昭は、他の誰よりも、日々、粘り強く、一生懸命、愛を込めて、即ち、私の命を懸けて、自分ができる及び自分しかできない愛の実践、精進をやり続け、より善く生き続け、そのお陰で、日々、人生の素晴らしさ、充実感、生き甲斐などを心底実感しているからなのです。

また、一般的には、自分の夢や願いが叶うこと、実現することも、幸せ・幸福であると考えられていますが、私、田村俊昭は、自分の夢や願いを実現するために、必要なこと、やるべきことを粘り強く、一生懸命、誠心誠意、やり続けること、即ち、努力すること、頑張ることをやり続けるド根性をより善く育み培うことが大切だと思います。当該努力、頑張ることをせず、いくらチャレンジしても意味が無く、チャレンジ失敗の都度、当該失敗の原因等を客観的、正確かつ詳細に分析・検証評価して、次のチャレンジに備え、それらの結果等を踏まえ、成功するために努力の仕方、程度などを改善した上、次のチャレンジに向けて、より善く努力していくことが大切だと思います。

日本語にそれらをより善く表現した素晴らしい言葉があります。

『失敗は成功の基(もと)』

 

22 自分にとって辛く苦しい時(試練)こそ必要な心構え、心の持ち様について

辛く苦しい時こそ、慌てず冷静な判断と知見を活用しつつ、「自分は、絶対に必ず、当該試練を乗り越えることができる」という自信と勇気、そして、決して諦めない逃げないど根性を持って、果敢に当該試練に挑みましょう。私、田村俊昭は、日頃、実践している精進や愛の実践の際、辛く思ったり、しんどく苦しく思ったり、痛みを感じた際、此処ぞとばかりに、一生懸命、誠心誠意、精進等をやり続けて、やり遂げるよう、努めています。それらを粘り強くやり続けることにより、絶対に必ず、自分の魂、心、肉体をより善く改善・成長することができるのです。

努力、我慢、辛抱はやれば、やる程にその善なる報い、即ち、自分にとって有難い善きこと、善き結果がもたらされることとなるのですから。

善因善果は宇宙の基本法則・真理(原因・結果の法則)の一つなのです。

なお、私は、人間を含む全ての存在が存在し生きていることの共通する意義、理由、目的、目標を心底理解し悟ったことにより、以来、愛を何よりも大切だと意識し自覚し、日々、皆に感謝しつつ、愛を込めて、切に、より善く生きることをやり続けており、その結果、私自身にとって「喜び満ち溢れる素晴らしい充実した幸せ」を実感するより善い人生を歩み続けています。私利私欲の追求を人生の目的として生きている人々が、今は楽しく、快楽等に酔いしれ、楽な人生かもしれないけど、当該人々が彼らの人生の終焉、そして、あの世に逝った際に、深く後悔するとともに、絶望感等に苛まれ、場合にはよっては、精神崩壊するおそれもあり、それらの人々が哀れで、可哀想でしかたがなく、何とかそのようなことにならないよう、余計なお世話、他人事はほっとけと思われるかもしれませんが、私自身が苦悩する日々を歩んでいるのです。

 

23 自分自身のネガティブな感情とどのように向き合うか?について

人間誰しも、自分が行った行為、言動に対して、想い悩み、後悔したり、反省することがあると思います。

この自分の行った、或いは、犯してしまった行為・言動に対する自己批判、自己否定をすることは、物凄く辛く厳しく苦しく、場合にはよっては、精神崩壊を余儀なくされ、最悪の場合、自殺することもあるのです。

この自己批判・否定について、勇気・覚悟を持って果敢に挑む方々は、何ものにも代え難い素晴らしい貴重な有難い人生経験を歩んでいるのだと思います。それら自己批判・否定をすること無くして、自分の天命、即ち、自分が存在し生きていることの真の意義、理由、目的、目標、使命、責務をより善く悟ることはできません。そして、それらの貴重な経験が、より善く生きるための大きな一歩、前進であり、人生の最大の試練といっても過言でないのです。それらの試練等を乗り越えることにより、より善く生きることができ、人生の素晴らしさや充実感を徐々に実感するようになり、真に幸せな人生を歩み始めることができるのです。

自分の心で考えている想い・感情の思念エネルギーは、常に、自分の肉体からオーラ・気・チャクラとして放出されており、例えば、いくら笑顔でいても、心に怒りの念を抱いていると怒りの思念エネルギーが肉体から放出しているのです。日本語の有名な謳い文句「顔で笑って心で泣く」のとおりなのです。

日々、自己の鍛錬、精進、愛の実践などに励み、心を浄め磨き上げ、心を成長させていくと、怒りなどのネガティブな思いが生じても、

「おや、怒りの念が生じているな。

この怒りの思いは何故に生じているのであろうか?

しかし、今、やらなくてはならない作業があるので、作業に集中しよう。」

などと、客観的に評価分析・自問自答しつつ、今、この瞬間にやるべきことに集中することができるようになるのです。

怒り、悲しみなどのネガティブな感情を抱くことを駄目ないけないことだと否定し、無碍に無理な我慢、辛抱するのでなく、それらのネガティブな感情を抱いても、冷静沈着に自己分析評価し、当該ネガティブな感情発生の根本原因を究明し、当該根本原因を改善・解決していく姿勢・対応がとても大切であり、それらの対応等の積み重ねによって、より善い徳の高い人格、知性の形成改善を図り、それらに係る神性・仏性・叡智をより善く培い育み、より一層、高めていくことができるのです。人は皆、自分が苦しいと感じたり、痛いと感じたりする出来事や体験をした場合、当該苦しみや痛みを弱めること、無くすことを当然やるべきであり、それら苦悩、苦痛を弱めたり、無くす方策を自らより善く思案すべきだと考えます。人は誰しもが、自分の生き方や言動について、宇宙の法則である「自由意思の原則」と「自己責任の原則」を遵守・自覚しつつ、自らが善く考え、思案し、対処することは当然やらなけばならないし、考えることをやめたら、その人は、知的高等生物たる人間であることを放棄することになると考えます。古の賢者曰く、人間は「考える葦」であり、そして、「日々、自らが、より善く考え続ける葦」であるべきなのです。

なお、仏様(菩薩・如来)にも、それぞれ個性・お役目、使命があり、例えば、邪鬼や不成仏霊の除霊・浄化がお役目の仏様は、時には、邪鬼を厳しく叱り、懲らしめる際には、敢えて、憤怒の形相をされる仏様もおられるのです。ちなみに、私、田村俊昭の魂は、除霊・浄化のエキスパートなので、人やその人の写真・動画、その人が書いた文字(電子データを含む)から発する邪念を瞬時に察知することができます。ただし、当該邪念の具体的な内容を詳細に読み解く能力(観音力)はありません。

 

24 常日頃のちょっとした気配り、心遣いの大切さについて

私、田村俊昭は、機嫌の悪い人がいたら、私だけでなく、他の人も気持ちが悪くなったり、不快な気持ちになるので、ほっとけないので、その人とちょっとでも親しいのなら必ず、声をかけたりします。たまに、初対面の方でも、挨拶し、「今日はいい天気ですね。」などと適当に世間話を持ちかけるなどしています。気分が落ち込むということは、波動の低い生命エネルギー(気・チャクラ)を発していることであり、自分自身でなく、周りの存在に対しても、不快な思いを惹起させるとともに、生命エネルギーの低下を生じさせることとなるのです。そして、他の存在のネガティブな気分を察知し、それらの気分を癒やそう、和らげようとする想い、言動は、立派な愛の実践であり、自分の愛の実践力を高める意味においても、ありがた迷惑と思われるかもしれませんが、その場面、状況に応じて、適時、適切により善く実践することが大切だと考えます。数年前、モリモト学園の関連で、「忖度」という言葉がネガティブな言葉として揶揄され、多くの方々に悪いイメージを抱かせることとなりましたが、本来、この言葉は、有名な史実である「木下藤吉郎、後の豊臣秀吉が行った主君の草鞋の懐暖め」などに代表されるように、主君等に対するより善い素晴らしい気配り、気遣い・忠義の善行を示す言葉なのです。そうした気配り、心遣いを、皆が、互いに、より善く実践していけば、心温まる愛満ち溢れる明るい街、職場となり、それらの愛の雰囲気(敬天愛人の気の風・空気)が、日本国全体に、そして、世界全体により善く広がっていけば、愛満ち溢れる、より善い人間社会になっていくのではないでしょうか?

参考までに、精神世界・スピチュアル世界に関する知見なのですが、我々人間を含め、全ての生きとし生けるものには、霊魂が宿っており、霊魂の中には、本心(自我、表層意識)、良心(真我、超意識)、悪心、記憶心からなっており、波動の振動数の高い生命エネルギー(気・チャクラ)が満ち溢れる空間状態においては、良心の活動、働きかけが強くなり、本心が、善行・愛の実践を想ったり、行い易くなり、一方、波動の振動数の低い生命エネルギーが満ち溢れ、霊的に汚れた空間状態においては、悪心の活動、働きかけが強まり、本心は、悪心の働きかけにより、私利私欲による悪なる想い・言動を犯し易くなってしまうのです。

第6章 人間社会の改善・成長について(私、田村俊昭の私見等)

 

私、田村俊昭は、この世の人間社会において、戦争やテロをはじめとする人災・社会的問題を無くし、解決していくためには、それらの根本原因である人間のエゴ、業である所有欲、支配欲、快楽追及欲をなるべく我慢・辛抱して、愛と共存共栄の心を育み、培っていくため、日々、愛が何よりも大切だと意識し自覚し、切に、より善く生きるようにしていくことが大切だと思います。そして、国家、企業などの組織が、それらの組織全体が組織ぐるみ・会社ぐるみで一丸となって、全ての各施策、技術開発研究、モノの製造販売輸送、各種サービスを企画立案・実施する際に、愛と共存共栄に関する価値観、思想、哲学を最優先事項として位置づけ、それらを遵守して、それぞれの責務・使命を遂行していくこと、即ち、国家、組織、企業として、愛が何よりも大切だと意識し自覚し、より善く存在し、社会貢献等を行っていく必要があると思います。資源に限りがあるのだから、もっと日本のような経済的に裕福な国は、皆、質素倹約を心がけ慎ましい暮らしを行い、省エネ、省資源、節約の取り組みを行うべきだと思います。多くの日本人は、貧困に苦しんでいる国の方々に比べ、贅沢三昧、飽食の生活を追求し過ぎではないかと思います。人間社会の成長を経済成長、即ち、お金やモノをより豊富に持つことだけと捉えるのではなく、個々の人間、会社、組織、そして国家としての精神性、人間性、道徳心を向上、高めることも、人間社会をより善く成長させることであると捉え、各個人、各団体、組織が、それぞれ、「愛」を何よりも大切だと意識・自覚し存在し生きること、即ち、「より善く生きていくことが大切なのではないでしょか?

この世を天上界にある世界のような高度に発展・成長した世界にするには、上記のとおり、人間社会全体が、より善く存在し生きていく必要不可欠なのです。

なお、人間を含め全ての生きとし生けるものの肉体には、霊魂が宿っています。今、この投稿記事を読み、何らかの思いを抱いているのは、皆様の肉体の脳でなく、霊魂にある本心(表層意識、自我)なのです。肉体が死んでも、霊魂は存在し生き続けるのです。「死んだら終わり」と思っている方がおられると思いますが、自分という存在は、霊魂として存在し生き続け、歳をとりますが、霊魂は老化するも死ぬこともありません。霊魂は成長・進化させるか、退化させるかどうかなのです。霊魂の成長・進化は、霊魂を浄め磨き上げ、その波動の振動数を高めていくことであり、そのためには、日々、愛を学び、理解し、それらを踏まえ、愛の実践を粘り強く、一生懸命、誠心誠意、やり続ける必要があります。人間は、肉体の死をむかえ、霊魂として、あの世などの異世界に転生しますが、その際に、現世で得た富、権力、地位などは持って行くことはできません。当該転生で持っていけるのは、霊魂自体、そして、現世での愛の実践等で培い、習得した愛などの神法、宇宙の法則、宇宙の叡智に関する智慧と互いに愛を深めてきた最愛の人や仲間達との絆だけなのです。

だから、全ての人間は、日々、より善く生きるべきなのです。

私、田村俊昭は、お釈迦様が悟りを開かれた際、具体的にどのようなことを理解し、判ったのかはお釈迦様本人しか判らないことだと思いますが、少なくとも、お釈迦様は、お釈迦様ご自身の天命、即ち、「お釈迦様ご自身が存在し生きることの真の意義、理由、目的、目標」をより善く悟ったものであることを確信しています。

人間は皆、人それぞれ、自分自身の天命をより善く悟り、悟った天命を全うするための生き方の指針を自ら創り上げ、その指針に基に生きていき、随時、その実践状況等を踏まえ、より詳細かつ具体的に自身の天命をより善く悟るとともに、当該指針を見直し改善した上で、天命を全うするために、より善く生きることを粘り強く、一生懸命、誠心誠意、やり続けることが大切なのです。この天命を悟らずして、皆様は、人間は何のために生きているとお考えなのでしょうか?

人は、私利私欲のために生きることもできますが、お釈迦様のように、より善く生きることは、辛く苦しい苦難の人生ですが、そのような生き方をしない限り、自分の魂、心を浄め磨き上げ、成長させることはできないのです。自分の弱き心に打ち勝てず、甘ったれた私利私欲にまみれた人生を歩むことはやらない方が善いですよ。また、人は、私利私欲にまみれた人生を歩んだ場合、長期に及び邪気・邪念を体内に滞留蓄積し、それらを起因とする様々な病を誘発し易くなるとともに、死に間際、そして、他界した後、「私は、この世で、もっと愛を何よりも大切だと意識し自覚し、より善く生きておれば善かったのに」などと心底後悔することとなるのです。

私、田村俊昭は、2020年10月からFacebookを活用し始めたのですが、それ以降、ウクライナ危機、コロナ禍をはじめとする人災や社会的反響の大きい事件・事故の発生の都度、それらの事態に対する、「愛が何よりも大切だと意識・自覚し、切に、より善く生きること」の観点からの私見等を取りまとめ、投稿記事を作成し、Facebook等に投稿・公表しています。以下、これまで投稿してきた当該関連記事の内容を、適宜、必要に応じ加筆訂正・要約した上で、下記の通り掲載させていただきます。

この人間社会では、未だに戦争、テロ、犯罪が発生しています。これら戦争・犯罪を無くしていくためには、それらを抑止・防犯する直接的な対策も大切ですが、そもそも、人間が当該愚行・蛮行を自発的にやらないようにしていくためは、各犯罪の犯行に及んだ動機を詳細に解明し、当該犯行の根本原因を究明し、究明した根本原因をより善く改善・解決していく必要があると考えます。これらの犯罪の根本原因の中には、社会全体の政治、経済、産業構造、教育、信仰、思想などに関連することも想定され、それら人間社会全体の課題・問題を解決・改善しない限り、この世の人間社会では、未来永劫、永遠に戦争や犯罪は無くならないでしょう。私、田村俊昭は、我々が生きている人間社会を正確かつ詳細にその実態等をより善く観察・見極め、神様、仏様の視点、即ち、愛を何よりも大切だと意識・自覚し、人間だけでなく、他の生きとし生けるもの、山や海など自然、そして、人間が創り上げたモノを理解し、想いやり、大切にし、それらを決して傷付けたり、苦しめたり、汚したり、壊したりせず、それらを護り、助け、浄め磨き上げたりするなど、それらの存在のために自分ができる何かを粘り強く、一生懸命、愛を込めて、即ち、自分の命懸けて、誠心誠意やり続けていくことが大切だと思います。一方、この世の人間社会をより正確に俯瞰的にその実相、実態を把握するためには、上記のような神様、仏様の視点で考察することに加え、仮に自分が悪魔・鬼畜生であったら、どのような言動、思いをしたりするのかと、これら所謂、『天使と悪魔』の両極端の相反する視点で俯瞰的かつ重層的に人間社会を観察・考察し、社会で起こっている様々な出来事・問題の根本的な原因・背景やそれらを解決・改善策等を思案・検討するよう努めています。私は、正義の味方ではなく、全ての存在を護り、助け、皆が各々の天命(各自が存在し生きている意義、理由、目的、目標、使命、責務)を全うする人生を歩むようにする『みんなの見方ができる、みんなの味方』の存在になりたいと考えています。

 

1 国家として「より善く生きること」について

未だにこの世で戦争や犯罪が無くならないのは何故か?

それは、多くの人間が、自分だけが、自分の仲間だけが幸せであればよいと思っているからであり、その幸せも、経済的に豊かであること、地位や権力を求め高めればよいなど、富、地位、権力を持つことに執着しているものになっています。特に、戦争は、人の命を奪い、心身を傷つけ苦しめるだけではなく、自然やモノを傷つけ、破壊する人間の犯す犯罪の中でも最悪の犯罪なのです。戦争を無くすためには、全ての人間が、より善く生きること(世のため、他の存在のため、愛の実践を誠心誠意、実践し続け生きること)を自分の生き方として選択し、決意し、より善く生き続けるとともに、各国家が、自国国民がより善く生きることができるよう努めるとともに、そして、他の国家と仲良くし、共に、より善く成長・発展・繁栄し続けることができるよう、率直に真摯に協議し話し合い、協力し助け合うようにすること、即ち、国家として「より善く生きること」が大切なのです。

最近のニュース・報道など観ていると、政治家の方々は、「力による現状変更は許さない。法の支配による・・・・」などのコメントをおっしゃられていますが、確かに、武力で領土を拡大したり、資源を独り占めしたりすることは決して許すべきことではありませんが、「法の支配」でいう「法」(国際秩序・国際ルール)を創り上げる際の基本的な考え方(思想・哲学等)に、やはり、「愛」、「平和」、「共存共栄」など、本来、人間が持つべき倫理観・価値観を遵守し、それらの倫理観等に基づき、国際秩序・国際ルール、社会規範を創らなければならないと考えます。

私見ではありますが、戦争や犯罪を無くすためには、全ての人間が、愛が何よりも大切だと常に意識・自覚し続け、悟り、私利私欲のためだけに生きるのではなく、私利私欲のことをできる限り行わないよう我慢、辛抱し、難しいことですが、敵対、敵視する個人あるいは組織が、なぜ、敵対・敵視するのか、その根本原因、背景を分析・究明し、その根本原因、背景を解決・改善し、互いが、思いやり、赦し合い、共に、より善く成長・発展・繁栄し、生きること(幸せになること)ができるよう、良好な信頼関係、友好関係を構築する必要があると思います。

この世の人間社会における戦争やテロや犯罪を無くすためには、まずは、できる限り多くの人、そして、多くの御霊の方々が、それらを無くしたい、無くすべき、それらは嫌だ、反対だという反戦・犯罪撲滅の意識・善なる想いを強く抱き続けていく必要があるのです。何事も、事を成すためには、まずは、善なる熱き想いを皆が抱き、決して諦めず、祈りとして、日々、粘り強く当該善なる熱き想いを念じ、発出し続け、この世全体に、当該善なる熱き想いの気・チャクラ(生命エネルギー)を満ち溢れさせていくようにしていくことが、まずは、大切なのです。当該善なる生命エネルギーが十分にこの世に満ち溢れていけば、徐々に、これらの善なる熱き想いの生命エネルギーに突き動かされ、しかるべき関係各位の方々によって、戦争・犯罪撲滅の具体的取り組みがより善く推進されていくのです。

なお、私、田村俊昭は、人間社会で事を成すことよりも、人知を超えた存在、即ち、神様や仏様と共に、この世全体をより善く成長、改善、発展させるために、日々、自分がやると決めた精進や私ができる愛の実践を、粘り強く、一生懸命、愛を込めて、即ち、自分の命を懸けて、誠心誠意、やり続けています。Facebookなどでの『より善く生きるためのガイドライン』をはじめとする情報発信も、私ができる愛の実践として行っているものです。今後、人間社会がどうなるか、即ち、より一層、発展・成長するのか、あるいは、衰退・滅亡するのか、それらを決め、判断し、取り組むのは、全ての人間各々に当該使命・責務がそれぞれ委ねられており、私、田村俊昭は、私の魂に与えられた使命、責務、権限の範囲内で対応していくこととしています。

人は誰もが、自分が存在し生きることの真の意義、理由、目的、目標、使命、責務をより善く悟るとともに、それら使命等を全うするため、自分が悩み、熟考し、やると決め、確信・覚悟し、自らが創り上げた生き方を、日々、粘り強く、一生懸命、愛を込めて、即ち、自分の命を懸けて、誠心誠意やり続け、歩み続けていけば、絶対に必ず、日々、喜び満ち溢れる充実した素晴らしい幸せを実感する、より善い人生を歩むことができるのであり、とにかく、お互いに、この世を愛満ち溢れる平和な世界にしていくため、まずは、日々、「善なる熱き想い」を抱き祈り、皆に向け、切に、より善く発信続けてまいりましょう。

 

2 災い(自然災害、人災)により善く学ぶことについて

災い(自然災害、人災、戦争、病災)は、全ての人間に与えられた学び、成長の機会なのです。

どうすれば災いによる苦しみ、痛み、悩みに打ち勝ち、生きることができるのかについて、学び、理解して、教訓・戒めとして、自分達の生き方を見直し改善するとともに、後世に確実に伝え残す必要があります。

それらの教訓・戒めを検討する際に考慮しなければならないのが、「愛」、「共存共栄」、「感謝」、「小欲知足」という言葉です。

今、人間は、病災、人災(戦争)の二つの災いに直面対峙しています。

この二つ災いに対して、愚かに対処するか、適切により善く対処するのか、まさに、人間の災いに適切に対処する智慧と愛の実践力がためされているのです。

日本は、これまで70年間以上、戦争も内戦もない平和な国ですが、多くの国民が、お金儲けに執着し、楽してお金を稼ぎたいとか、幸福はお金持ちになることだと認識し、経済最優先の社会になっています。私は本当の幸せは、お金儲けでなく、魂、心、肉体をより善く改善、成長させることだと確信しています。そして、私は今の人間社会を改善するためには、人は決して一人で生きることはできないのだから、他の存在に感謝し、他の存在を思いやり、世のため人のため他の存在のために、自分のできる、やるべきこと、即ち、愛の実践を誠心誠意やり続けることが必要だと心底確信しています。

コロナ禍も単なる風邪の一種であり、より善く生きることにより、自身の肉体の生命力・免疫力を高め、健康・元気になり、何ら問題視する必要はないと考えています。

一方、今、ロシアとウクライナは戦争を行っています。戦地では、兵士の方々はもとより、多くの市民の方々が犠牲になられています。このような悲劇を我々は、どのように受けとめたら善いのか、理解したら善いのか?皆様は、子供達から「なぜ、人は戦争するの?戦争なら、人を殺したり、傷つけたりしていいの?」と問われたら、どのように答えますか?今こそ、この世から一切の戦争を無くし、平和な世界にするために、人類の叡智と愛の実践力を結集して、この苦難・試練を乗り越えなければならないのです。

 

3 全ての人間に「共存共栄の心」が満ち溢れますように

人間は、誰しもが自分が幸せ・幸福になりたいと考えています。幸せ・幸福とは、一人ひとり、その人の歩んできた人生経験や学び、理解し、培ってきた知識・知見によって違いがあると思います。人間が、幸せ・幸福を求めたいのであれば、自分だけ、自分の仲間だけが、幸せであればいい、他人が幸せになろうが、不幸になろうが、どうでもよいと考えるのではなく、全ての人間が、「共存共栄の心」、即ち、「皆と共により善く成長し、皆と共により善く発展し、皆と共により善く繫栄し、皆と共により善く幸せになる」という思い・考え方を培い、高めていく必要があります。昨今問題となっているコロナ禍についても、コロナウイルスも生きとし生けるものであり、生存するために変異し続けるのであり、コロナウイルスを殺傷・駆除するワクチンなどに頼らず、コロナウイルスと共生する道を選択し、自分自身の免疫力・生命力を高める生き方・生活を見直し・改善すれば、何ら問題視する必要はないのです。コロナウイルスは、我々人間に生き方・生活の仕方をより善く見直し改善することを教えてくれているのです。また、戦争についても、現在、ウクライナとロシアとの間で戦争が行われていますが、とにかく、早期に終わられることが必要なのですが、この度の戦争が終戦した後、二度とこのような戦争が起こらないようにするための国家間の枠組みを構築する際にも、この「共存共栄」の考え方を活用する必要があります。全ての国が、他国と共に、より善く成長・発展し続け、互いの国民が皆、より善く幸せな人生を歩んでいくことができるように。

 

4 戦争が無くならない理由等について

この世において、人間が戦争を無くそうとしないのは、権力・地位をもつ人間・組織が、愛・共存共栄などの本来人間が持つべき道徳心・倫理観・真心を無視・排除し、力(武力・経済力)により、人間社会を支配・コントロールし続けているからだと思います。戦争(内戦やテロを含む。)では、多くの人が亡くなり、傷つき、苦しみや憎しみなどのネガティブな思いをしているのにもかかわらず、戦争で利益・恩恵を得るのは、それら戦争を企てる人達とその配下である軍事産業なのです。これまでの人間社会の歴史を振り返ってみても、人間は、上記のような力による領土・資源の奪い合いを行ってきたことが判ると思います。いい加減に、全ての人間は、より善い道徳心・倫理観を持って、「愛」を何よりも大切にして、より善く生きることを選択・改心し、戦争や犯罪などの愚かな行為をやめなければならないのです。

 

5 ロシアが戦争を始めた本当の理由を教えてください

今、ロシアとウクライナが戦争をしています。

しかし、日本では、ロシアが戦争を起こした本当の理由に関する報道がなされていません。

現在、関係国がロシアに経済制裁などを講じていますが、この戦争を止めさせるためには、ロシアがこの度の戦争を起こした本当の原因、理由、意図を把握し、理解し、その原因等を改善、解決しなければ、今回の戦争が終わっても、同じような戦争が繰り返し起きることとなるでしょう。戦争は、多くの人々を殺し、傷つけ、苦しめ、恨み・憎しみなどのネガティブな思いを増幅させ、人間社会全体の活気・活力・元気を低下・悪化させる人間が犯す最も愚かな悪行です。私、田村俊昭は、戦争をこの世から一切無くしたいと、心底思っています。このため、関係国は、ウクライナに軍事支援を行うよりも、まず、この度の戦争を起こしたロシアの本当の原因等を把握し、その原因を解決・改善する方策を関係機関、関係国の間で検討、協議、実施すべきであると考えております。

 

6 我が国日本と戦争について

私は、日本は1945年8月15日を先の大戦の結果等を「敗戦」でもなく、「停戦」でもなく、あくまで「終戦」と位置づけ、戦争を放棄したのであり、当該日を終戦記念日としていると考えています。しかしながら、今の社会情勢を踏まえると、我が国日本を防衛するために、ある程度の軍備を持たざるを得ない、そのために、自衛隊が存在しているのです。皆様におかれましては、先の大戦や自衛隊に対して様々なご意見、考え方があるかと思いますが、ロシアとウクライナとの間の戦争の報道を観て、日本の若者、子供達が、どのように思いを抱いているのかが気がかりです。

私は、海上保安庁の職員として、万が一、有事の際、即ち、日本の国土が他の国に武力攻撃された場合には、道義的責任による天罰、刑罰を潔くキッチリと受けることとして、自分の命を懸けて、我が国の国民の生命財産、国土を守り抜くため、防衛活動に参加させていただく所存であり、その際、自分が死んでも構わないと考えています。

そのような有事が起きないことを願っていますが、今の日本の若者や子供達は、我が国の防衛について、どのように考えているのか知りたいですし、日本の防衛のあり方、方針を決めるのは政治家ですが、実際に、防衛活動を行うのは自衛隊の自衛官の皆様なのです。

今、日本でも現下の国際情勢を踏まえ、抑止力強化、軍事費増額などの検討がなされていますが、それらのことを検討している方々は、私と同じように、自分達も、有事の際、道義的責任、天罰を潔く受ける覚悟で、自衛官の皆様に対して命を懸けて国を守れと明確に指揮統率する心意気、信念等があるのでしょうか?そのような覚悟ができないならば、戦争を無くすことに尽力すべきだと思います。この世を戦争の無い平和な世界にすることが、先の大戦で亡くなられた多くの御霊の皆様の思い、願いであり、今生きている我々日本人は、それらの方々の意志を託されているのであり、その実現のために、誠心誠意、尽力、努力し続けるとともに、そのことを未来永劫、後世に託し、伝え残していかなければならないのです。

 

7 日本が「真の先進国」になりますように

日本は、現在、先進国の一つとなっていますが、私、田村俊昭は、日本が、「真の先進国」となるためには、経済力や科学技術力の豊かさ・高さだけでなく、国民の有する道徳心、価値観など精神的な面でも他の国の方から尊敬され、「日本人のような愛満ち溢れる勤勉な立派な人になりたい」などと評価、模範とされるような国、国民となるよう、全ての日本人が、「愛が何よりも大切であること」を常に意識、自覚し、自分がやるべき或いは自分ができる愛の実践を粘り強く、一生懸命、愛を込めて、誠心誠意やる続け、生きていき、人間性をより一層高めていくべきと考えています。

 

8 広島市の原爆死没者慰霊碑の御言葉について

「安らかに眠ってください 過ちは繰返しませぬから」

この御言葉は、未だ生まれていない我々の子孫を含め全ての人間に対して、永遠に語り継がれていかねばならない、愛満ち溢れる有難く尊い戒め、お導きの言葉なのです。

皆様は、昭和天皇陛下がポツダム宣言を受諾された御真意をご存知ないのですか?人間だけでなく、この世の破滅を防ぐための苦渋の御英断を。

是非、広島や長崎に訪れ、そこにある原爆慰霊碑の間近に立ってみて下さい。「核兵器を絶対に作らない。持たない。使わない。使わせない。」こと、そして、「日本が、核兵器を持つことは、日本人としての誇り・プライドを捨て、鬼畜のような存在、民族になってしまうこと」など、自分達の愚かさ、醜さを心底痛感・悟ることとなりますから。

私、田村俊昭は、私の魂が行っている全ての浄霊・浄化・成長促進の霊的な能力の一つとして、不成仏霊の痛み、苦しみ、恨み、場合によっては、呪いの念の波動を感じとることができます。平和祈念公園の中でも、原爆の子の塔には、被爆して白血病で亡くなった佐々木禎子様の御霊が仏様(菩薩)になられ、この塔によくおられ、よくお話しさせていただいています。禎子様からの以下のメッセージを紹介させていただきます。

「人間の皆様、戦争をやめてください。核兵器を廃絶してください。広島や長崎において原爆で亡くなった御霊の方々の願い・思いは、総じて皆同じなのです。中には、未だに、核兵器を使った人々に対する憎しみ、恨みの念を抱いている方もおられますが、私達は、今生きている人間の皆様に、私達が経験したこの上ない痛み、苦しみなどを決して経験してほしくないのです。原爆の犠牲者の御霊の共通の願い、思いは、全ての人間の皆様が、核兵器を二度と使用しないこと、全ての核兵器を廃絶し、そして、全ての戦争を無くし、この世が平和な世界になるよう努めて頂きたいということなのです。全ての国の全ての子供達が、明るく元気で、皆と仲良く、より善く成長し、素晴らしい幸せな人生を歩めるように。」

 

9 韓国ハロウィン雑踏事故について思うこと(田村俊昭私見)

先般、韓国において、ハロウィンに伴う混雑雑踏事故が発生しました。本事故では150人以上の若い方々の尊い命が犠牲になったとのことであり、当該犠牲者の御霊の方々とそのご遺族の方々に対しまして、心よりお悔やみ申し上げます。

今回の韓国での痛ましい雑踏事故に関連しまして、私、田村俊昭の私見を、以下のとおり申し上げさせていただきます。

ハロウィンをはじめクリスマスなども欧米の文化・風習なのですが、日本人、特に、若い世代の方々が、何故、キリスト教徒でもないのに、それらの欧米の文化・風習に興じ熱狂し、貴重な時間と自分の体力・精神力、即ち、生命エネルギーを費やすのでしょうか?

そのような時間や活力・元気があれば、自分の将来の夢を実現するための知見の習得、技量のスキルアップや自分の心身を浄め磨き上げ成長するための体力・精神力の錬成強化に励めば善いのと考えます。

そして、この投稿記事をご覧の日本人の若い世代の皆様に対しまして、人生の先輩である私、田村俊昭からのアドバイス・助言ですが、日本語を学び・復習し、理解し、それらをもとに、真に正しい日本語で会話し、読み書きできるよう努めるとともに、そして、「日本とはどういう国なのか?日本人という民族はどういう民族なのか?」など、天皇制に関することを含め、日本の成り立ち・起源・歴史、気質・民族性、道徳性などを正しく学び、理解した上で、将来、自分が日本人として、どのような人生を歩むのか、今一度、熟考していただきたいと考えております。

現代ではITの技術が進み、他の国の言語を学ばなくても、翻訳ソフトが開発されており、メールやチャットなどで十分に会話することができますし、他国の文化などを理解する前に母国の文化・歴史を十分により善く理解した上で、外国人の方々との国際交流などグローバル社会により善く対応していくべきとの考え故。

一方、このハロウィン雑踏事故に関連して、当時の韓国警察当局の警備体制の不備・不手際を調査する旨の報道がなされていますが、私、田村俊昭は、このような事故を未然に防ぐために、そもそも、何故、ハロウィンの際に、繁華街に多くの若者達が大勢押し寄せ、仮装をし、飲酒をし、踊ったりするなど、酷な表現ではありますが、乱痴気騒ぎをするのか、ハロウィンに参加する若者達の思い(不平不満、苦悩、欲求、ストレスなど)について、我々大人達が、彼らにちゃんと向き合ってやり、彼らの率直な思いを真摯に聞き取り把握し、それらのことから導き出される課題・問題点を抽出し、それら課題・問題点を解決するための方策を家庭内、街ぐるみ、そして、社会的に大きな問題については、自治体レベル、そして、国家レベルで、それらの解決策を検討・実施していくべきなのです。警察当局の関係者の皆様だけに、事故発生の責任を押し付けるべきではないと思います。

今回の事故を契機に、今後、日本でも、ハロウィンの実施の是非等について、様々な議論がなされていくと思いますが、日本においても、同種の雑踏事故が起きる蓋然性があり、今回、多くの尊い命が犠牲なった事案なのだからこそ、今回の事故の原因等を十分により善く検証評価し、事故の根本原因を究明し、それらを教訓として、当該根本原因を除去・解決する有効な再発防止策を検討・策定し、適時・適切に講じていくことが大切なのです。人が死傷するおそれのある事象を認知しているにも関わらず、「面倒だから、困難だから」などと思い、何ら措置を講ずることなく、見て見ぬ振りをして、野放しにする行為、いわゆる、不作為の行為は、法治国家の国民(特に、リーダー、責任者、為政者)が、犯してはならない不法行為の一つなのです。

 

10 真の「人生の勝ち組」とは

現代の日本では、お金など財産を一定程度以上高く獲得された方々、組織・企業のトップなど高い要職に抜擢された方々を「勝ち組」と称し、そうでない方々を「負け組」と揶揄する記事等をよく見かけますが、私、田村俊昭の私見ではありますが、経済優先の現代の人間社会では、貧困層の家庭に生まれた子供達の多くが、十分な教育を受けることができず、日本では、低層所得者層の家庭の子供達は、勉強にしろ、スポーツにしろ、その子供自身が相当努力しないと、いわゆる「勝ち組」に仲間入りすることが困難な状況にあるのではないかと考えております。お釈迦様の教えの中に、「本来無一物」という言葉があります。

この「本来無一物」について、私、田村俊昭は、以下のように解釈しています。人は誰もが、この世に生まれる時に「無一物」で生まれ、その人独自の様々な人生を歩み、そして、その命が尽きて、あの世に「無一物」で転生するのです。

全ての人間は、この世に生まれる前に、あの世で、神様・仏様(創造主)のご指導を受け、自分自身(本心)で、この世において、学び、理解を深め、実践すべき愛の実践(仕事や精進など)を決めた上で、この世に生まれてきたのであり、それら「この世において、学び、理解を深め、実践すべき愛の実践」が、即ち、天命なのです。

全ての人間は、この世に生まれる直前に、天命を前世以前の記憶とともに、魂の中にある記憶心に保存・封印し、天命をすっかり忘れた状態になり、この世に生まれてきたのです。(当然のことですが、そのことを、魂の中にある良心にいらっしゃる指導神(内在神)の方々は全て判っているのです。)

天命を悟るということは、言い換えれば、それら生まれる前に自分で決めた「この世において、学び、理解を深め、実践すべき愛の実践」を思い出すということでもあるのです。天命を思い出すためには、日々、自分の私利私欲の心、エゴ、弱き心に打ち勝ち、自分の肉体、精神力の錬成強化に励むとともに、愛の実践である挨拶・愛語の励行、自然やモノに対する愛の実践である5S(整理、整頓、清掃、清潔、躾)の実践、そして、自分が行っている仕事(家事、育児、勉学を含む)を粘り強く、一生懸命、愛を込めて、誠心誠意、やり続け、自分の心(本心)を磨き、清らかに光り輝くようにすること、即ち、本心の波動の振動数を高めることにより、天命を思い出すこと(天命を悟ること)ができるようになるのです。

なお、天命をより善く悟ることついては、この世に生まれる前の魂のレベル(魂、特に、本心の波動の振動数の高さ)や前世以前を含め、これまで自分が学び、理解し、それらに基づき実践してきた愛の実践の実践経験とその内容などによって、悟る内容、悟る時期・タイミングなどに個人差があります。

以上のことを踏まえ、私、田村俊昭は、真の人生の「勝ち組」とは、「天命をより善く悟るとともに、この天命を全うするための自分の生き方の指針を、神法・宇宙の法則・宇宙の叡智をより善く活用しつつ、自らより善く創り上げ、その指針を適時・適切により善く見直し改善しつつ、その指針に基づき、日々、粘り強く、一生懸命、愛を込めて、即ち、自分の命を懸けて、誠心誠意、より善く生き続け、そして、命が尽き、あの世に逝く際に、この天命をより善く全うすることができた存在」であると考えております。

(参考)

アニメコミック「鬼滅の刃」第8巻のワンシーンより:炎柱の煉獄杏寿郎が死に間際、目の前に現れた同人の母の霊魂との会話

杏寿郎:「母上。俺はちゃんとやれただろうか。やるべきことを果たすべきことを全うできましたか?」

杏寿郎の母の霊魂:「立派にできましたよ。」

この会話の後、煉獄杏寿郎は仏様のような満面の微笑みを浮かべ絶命。

 

11 命を懸けて責務を全うする覚悟について

先日、安部元総理が射殺された事件について、日本の報道では、警察では事件当時の警備体制の検証等が行われているとのことです。

今後、要人警護・警備の見直し改善に当たっては、それらの人員体制、警備のやり方、方法の見直し改善を行うことは当然だと思いますが、私、田村俊昭は、要人警護・警備の業務に従事する要員一人ひとりの当該業務を遂行するための意識・自覚を高め向上させることが必要不可欠であると考えます。

つまり、要人警護・警備に従事する要員には、「絶対に要人を護るために、他に執り得る措置のない場合には、自分が当該要人の盾となり、自分の命を懸けて、その責務を絶対に必ず全うする」といった覚悟が必要不可欠だと考えます。そして、当該要員を指揮統率する立場の方々は、当該要員の覚悟以上の身を切る覚悟をもって当該要人警護・警備を的確かつ冷静沈着に当該要員を指揮統率することは言うまでもありません。日本の治安関係当局の各職員が、上記の覚悟を堅持し続けない限り、今回の安部元総理殺害事件と同種事例が再び発生することが懸念されます。

 

12 国の評価・格付け、ランキングに関する私、田村俊昭の私見(副題:国家の豊かさとは何か?)

最近、「何某かの事で、世界ランキングで日本は、何位?!」などといった報道やブログをよく見かけます。

皆様にとって、国家の豊かさとは、何でしょうか?そして、そのような国自体を評価・格付け・順位付けをし、国家間の格差、偏見・差別、上位国の国民の驕り高ぶり、下位国の自国に対する批判・悲観などのネガティブな意識・思いをむやみに助長させ、惹起させることはやめた方が善いのではないでしょうか。私、田村俊昭は、スポーツの世界でランキングすることは意味があると思いますが、この世に存在する各国家は、それぞれ、国の成り立ち・歴史、文化・民族性、信仰宗教、基幹産業など産業構造、治安状況、自然環境などに特色、特徴、違いがあるのだから、国家間で「あの国は優れている、この国は劣っている」と評価、格付け、ランキングするのは、どうかと思います。

人間は、とかく、他の存在を意識し、他の存在が自分をどのように観ているのか、そして、他の存在と比べたがり、他の存在よりも、「強くなりたい、格好良く美しくなりたい、賢くなりたい、上手くなりたい、裕福になりたい、優れていたい、立派になりたい、偉くなりたい」などといた感情がありますが、そのような感情を抱くこと自体が決して悪いことではありません。そのような存在に自分がなった際、成長した際に、どのような振る舞いするのか、何のために、そのような存在になりたいのか、その真の意義・目的が問題なのです。自分の思い通りにしたいなど私利私欲のために優れた存在になりたいのか、或いは、「世のため人のため他の存在ため」に貢献したい、弱い立場の人々や救いを求めている人々を守り、救いたい、そのために優れた存在・賢者・ヒーロー・英雄になりたいといったことなのです。

私、田村俊昭にも、上記のような思い・願い・夢があります。その夢は、「誰よりも自分の弱き心に打ち勝ち続ける、真に強い存在」となり、努力・忍耐・辛抱・我慢を司る「ド根性の神様・仏様」と皆に認められることです。

この投稿記事の終わりに、この記事を作成・投稿・公表した私、田村俊昭の真の意図・主旨は、以下のとおりです。

当該世界ランキングの取組みを企画運営している団体・組織の方々が、何の意図、目的でこの取り組みをやっているのか、非常に疑問があり、実は、この取り組みの報道記事等から何やら胡散臭い邪気・邪念が感じられるのです。要は、何様のつもりで、各国の評価・格付けをしているのか?そのような各国、そして、各国の国民の価値やレベルを厳格、厳正に分析評価できるのは、同じ人間がやるのでなく、人間より遥かに高い智慧・見識を有する第三者、即ち、神様・仏様しかできないのではないかということです。

この世界ランキングの取組みにおいて、ち密な情報分析による客観的かつ厳正な分析評価がなされたとしても、公表する内容如何によっては、当該ランキングで低評価になった下位国の国民の方々などが、自国の低評価について悲観・落胆し、場合によっては、自国に対する愛国心を削ぎ、低下せしめるおそれもあり、世界ランキングを分析評価するのは善いと思いますが、その結果公表に当たっては、そうした悪影響が生じないよう、必要に応じて、あえて未公表とするなど、細心の注意、配慮するべきだと考えます。

そして、世界ランキングで何を評価するのか、その内容如何にもよりますが、先の大戦以前、欧米列強諸国の植民地であった多くの国々と日本を含む先進国との経済、産業、教育、医療、治安など様々な社会活動の実行力、パワー、即ち、国力などは当該ランキングの分析評価せずとも、未だ差があることは周智の事実であり、そのような事実を、なぜ、敢えて、分析評価し公表するのか、非常に疑問に感じております。

 

13 インターネット上の誹謗中傷を抜本的に無くすために

私、田村俊昭は、フェイスブックにおいて、自分のページの投稿記事を含め、皆様が投稿・公表した記事を閲覧していて、前々から気になっていることなのですが、それは、特定の個人や団体を批判する内容が掲載されていたり、各投稿記事に対するコメントの中には、誹謗中傷とも言うべき辛辣な内容のコメントがメンションされています。

皆様ご承知のとおり、今や、このインターネット上の誹謗中傷の問題は、いわゆる「ネット炎上」により特定の個人の方が自殺するなど、深刻な社会問題となっています。

最近、日本でも政府がその対策を進めているとの報道がなされていますが、私、田村俊昭は、このインターネット上の誹謗中傷を抜本的に無くすためには、やはり、全ての人間が、「より善く生きること」、即ち、「愛が何よりも大切なことだと常に意識・自覚し、日々、愛を深く学び、日々、愛を深く理解し、日々、自分ができる及び自分がやるべき愛の実践として、インターネット上でのブログ公表、SNSでの記事公表、コメントの書き込みを含む、仕事や精進などを、世のため、他の存在のために行うのだ、行っているのだとの意識・自覚し、それら仕事や精進などを、粘り強く、一生懸命、愛を込めて、即ち、自分の命を懸けて、誠心誠意、やり続け、生きること。」が大切だと考えています。

このインターネット上で誹謗中傷の問題について、私、田村俊昭は、インターネット上においては、誰でも、いつでも、自分の本名を明示することなく、読み書きする知識・能力があれば、当該サイト等にアクセスし、簡単に自由に書き込み等できるものであり、私、田村俊昭は、そのこと自体が問題ではなく、それらのインターネット・SNSの機能・有用性を悪用し、他の個人や団体を傷つけ、脅迫し、威嚇し、脅し、罵倒し、騙し嘘をつく、などの悪なる言葉・コメント(悪語)を発信することが問題なのであり、それら誹謗中傷の問題を抜本的に解決するためには、他の人々を理解し、思いやり、慈しむことなどの愛の実践力を高めていくことが必要不可欠であり、この愛の実践力を高めていく方策として、以下に例示する取り組み等を検討し実施していく必要があると考えています。

〇インターネット上で記事を公表したり、コメントを書き込む場合、決して、特定の個人や団体を誹謗中傷する内容としないこと。

誹謗中傷を行う原因、理由には、様々な事情、背景などがあると思いますが、多くの場合、「自分の思い通りにしたい」という私利私欲の感情・思いを抱くことにより、誹謗中傷を惹起してしまうものなのです。

例えば、あるオリンピック選手を熱烈に応援するファンが、当該選手が金メダルを獲れなかった場合、当該ファンは「絶対に金メダルが獲れると、凄く期待していたのに、何で金メダルを獲れなかったのだ」などとネガティブな感情を抱き、それらの感情がやがて、当該選手への怒りの思い、最悪の場合、当該選手を憎み、恨む思いを惹起させ、その憎しみなどの思いを解消するため、SNSの当該選手のページなどに、これら憎しみ等のネガティブな念を込めて、当該選手を誹謗中傷する内容のコメントを書き込んでしまう事例を考えてみて下さい。この誹謗中傷の事例でお解りかと思いますが、当該ファンには、熱烈に応援するが故に、その願いが叶わなかった、即ち、自分の思い通りにならなかったことを原因として、誹謗中傷を犯してしまったのであります。

一方、善良なファンであれば、金メダルを獲れなかったことを一番悔やんでいるのは当該選手本人であることを理解し、思いやり、「貴方のこれまでの努力、頑張りに感動し、勇気をいただき、本当にありがとう。

今後とも貴方を応援し続けますので、今回のオリンピックでの経験を踏まえ、今後、益々、努力を積み重ねいただき、貴方の夢が実現することを心より祈念いたしております。」などと感謝を込めて、当該選手に心温まるエールを贈るものなのです。

〇インターネット上で記事を公表したり、コメントを書き込む場合、どうしても、特定の個人や団体を批判したり、反対意見の内容を公表したい場合には、その内容を吟味し、以下に示す点に留意すること。

① 愛語を多用すること。

② その内容を閲覧した者がむやみに傷つき、悩むことがないよう、辛辣な暴言などの表現がないこと。

③ その内容が、私利私欲の心によるものでないこと。

④ 当該個人・団体関係者に対し、当該批判・反対意見を彼らがより善く納得し理解できる内容とすること。(真の賢者とは、自分の知見・力量を誇示することなく、あくまで謙虚な態度で、自分が有する知見を活用し、それらの知見を理解していない人々に対して、それらの人々が、より一層、それらの知見を生かし、より善く生きることができるよう、簡明かつ明瞭に、懇切丁寧に、そして、きめ細やかな態度・思いやりの念を持って、真摯に教え導くことができる存在である故)

この投稿記事を作成途中、私の魂の中におられる指導神の明主様(イザナギ様、創造主)から、この投稿記事に関連して、全ての人間の皆様に対して、以下のメッセージを伝えるようご指示がありましたので、お伝えいたします。

「全ての人間よ。我々が、人間に言葉と文字の叡智を与えたのは、人間の多くが、霊的に幼く、我々と、そして人間同士でテレパシーによる会話ができないことから、人間同士で言葉を発し、お互いに想いを伝え合い、理解し合い、助け合ったり、譲り合ったりなどするために、与えた叡智なのじゃ。言葉や文字を用い、人間同士、罵り合ったり、騙し合ったり、脅しあったりして、傷つけ合うのは止めよ。そして、自分達が他の誰よりも賢く、強い存在であるなどと驕り高ぶるのも止めよ。人間は皆一人では生きていけない。人間は他の人間をはじめ、自然やモノなど、多くの他の存在のお陰で生かしていただいているのじゃ。戦争を止めよ。人間同士はもとより、自然や他の生きとし生けるものを無闇に破壊したり、殺傷したりすることを止めよ。人間同士、そして、自然など他の存在と共生すること、共存共栄の道を選択し、自ら、その方策を検討し、実行し、より善く生きていくようにするのじゃ。以上」

また、悪口には、「自分の価値観・倫理感・正義感に反する行為をした人に対して行う悪口」と、「日頃から何らかの妬み、嫉妬、憎みなどのネガティブな思いを抱てきた相手に対して、当該相手の行い、言葉、容姿などについて、それらを誹謗中傷するために行う悪口」があります。

いずれの悪口も、相手を批判、否定等する波動の振動数の低いネガティブな思いから生じるものであり、悪口を行うことにより、相手を言葉によって懲らしめ、傷つけてやったという優越感、懲悪感などの快感を味わい、悪口を言った当初は非常に気分が高揚し、気持ち良くなるのですが、それらの快感は私利私欲の思いを高揚させ、自分の本心の波動の振動数を低下させるとともに、悪口によって相手を傷つけてしまったという罪悪感を生じるものなのです。

この罪悪感は記憶に残り消えることなく、後刻、自分の本心を苦悩させることとなるのです。

なお、私、田村俊昭は、他人のことを批判する際には、確たる自信と覚悟を持って真摯に臨むべきということが必要であり、そのためには、他人からの自分への批判等に耐えうる立派な存在であること、或いは、そのような立派な存在になるために日々、自分自身の魂、心、肉体を浄め磨き上げ、成長させる精進を粘り強く、一生懸命、誠心誠意やり続けている必要があると考えております。

そして、「このコメントは人道上、間違っている、このコメントで傷つき苦しんでいる方々がいる。」と確信した批判的なコメントを確認した際には、自分の命を懸けて、即ち、私の反論のコメントをした相手から、ネガティブな思い、敵意、最悪の場合、殺意を抱かれたとしても、そのネガティブな思いを自分で受け止め、結果的に殺されて構わないと思う覚悟でおります。当然のことですが、殺されそうになったら、出来る限りの自己防衛はしますが。

(参考までに)

私、田村俊昭は、「貴方の投稿記事は長文すぎる」と言われていますが、極力、簡潔明瞭な内容とすべく努めていますが、皆様に私の思い・考えをより正確に伝えたいが故に、比較的文字数の多い長文の投稿記事を掲載せざるを得ないのです。この点、ご了承願います。

また、私の投稿記事には、「根本原因」、「見直し改善」などのマネジメントシステムの用語を多用していますが、私は以前、国土交通省に出向した際、同省が推進している「運輸安全マネジメント制度」の運用業務に従事した経験があり、当該出向時に、ISO品質管理マネジメントシステム、リスクマネジメント、コンプライアンスなどの知見・スキルを培い、以後、これらの知見を活用するなどして、Facebookで公表している「より善く生きるためのガイドライン」を作成し、随時、改訂しています。(インターネットで「運輸安全マネジメント 田村俊昭」を検索すれば、私の名前等が閲覧できます。)

 

14 ワールドサッカーを観ていて気付いたことについて

現在、カタールでは、ワールドサッカーが開催されています。

私、田村俊昭は、サッカーをはじめスポーツ選手達の素晴らしい妙技、躍動、活躍を観て、日々、感動と勇気をいただいておりますが、スポーツに関連しまして、以下のような、社会的問題があると認識しています。

・スポーツの各大会開催に伴うスポンサー、広告企業の過当競争(日本では、先の東京オリンピック開催に関する収賄疑惑事件が発生)

・スポーツ選手の強化育成のための各政府の過剰関与(スポーツの種目にもよりますが、経済的に豊かな国が、その威信を懸けて選手育成強化しており、ドーピング問題などが発生)

・有名スポーツ選手に対するネット上での誹謗中傷の事案(特に、ファン期待に反して、期待通りの結果、成績が得られなかった選手に対するネット炎上)が頻発

・多くの人々、特に、若者達が、応援するチームや選手に対する熱狂的な応援を行い、今年、インドネシアでは、競技場での観客乱入死傷事故が発生。

私、田村俊昭は、スポーツ観戦の魅力・有効性は否定致しませんが、

※何故に、多くの人々、特に、若者達が、スポーツに熱狂するのか?

※そのようなエネルギー・元気があるならば、自分自身の善なる夢や願いの実現のために、どうして、それらのエネルギーを使わないのか・使えないのか?

※そのような熱狂的応援の真の理由は何なのか?など

以上のことをより善く分析、評価し、スポーツに関連する様々な社会問題を解決、改善していく必要があると思います。そして、スポーツを大衆・国民の洗脳、思想・意識の統制・操作に使うことは、為政者・統治者として、決してやってはいけないことだと思います。

 

15 自然と共生することについて

私は、動物園が本当に必要なのか、動物愛護活動として、絶滅危惧種の保護活動が本当に必要なのか、疑問に感じております。

そもそも、人間は、自然をコントロール、制御することはできないのであり、このことから、他の生物の生存・進化・消滅をコントロール、制御することはできないのです。人間が「この生物は、可愛いし、人間にとって有用だから絶滅危惧種として保護しよう」としているのではないでしょうか?一方、人間が不快と感じているハエ、蚊、ゴキブリ、ネズミなどの生き物が絶滅するおそれがある場合、人間はどのように対応するのでしょうか?人間には、「我々人間は、全ての生物の中で、最も優れた高等知的生物なのだ。」という驕り高ぶりのエゴ・執着心があるのです。

「諸行無常」

驕れる者久しからず、盛者必衰の理

全ての生きとし生けるものは、誕生、成長・進化、絶命・絶滅、再生・新生を永遠に繰り返し続けているのです。この世の人間社会は、有史以来、特に、産業革命を境に、科学技術が急速に高まり、物質的な成長を遂げてきました。それに応じて、戦争・紛争なども、より凄惨で甚大な戦争被害を与えるようになり、国家間、民族間の人心の憎しみ、恨み、差別意識などのネガティブな意識・感情が高まり、増幅してきたのです。このような不安全・不平和・不安定な人間社会の実情に至らしめた根本的な原因の一つとして、多くの人間が、心の成長を蔑ろにし、それぞれの持つ考える力・知力・知能を、私利私欲のための物質的な成長・合理化・効率化・高度化・に努め、費やしてきたことが考えられます。人間には、自然の物質からモノを作り出し、それらのモノを活用する知力・能力があるとともに、言葉を話し、それらを文字にし、他の人々に伝え、後世に残す知力・能力があるのです。これらの人間が有する知力・能力を物質的・経済的な成長・高度化だけに活用するのではなく、「自然との共生」のために、そして、何よりも、人間の精神・心の成長、即ち、心を浄め磨き上げ、その波動の振動数(心の光・輝き)を高め、光り輝かせ、成長させることに活用していく必要があるのです。

 

16 映画「ラーゲリより愛を込めて」の主人公である山本幡男様御本人が書かれたご家族宛の遺書の記載内容一部紹介

私、田村俊昭は、この遺書の内容は、山本様御本人のご家族だけでなく、戦後の今の日本人全てに対する有難く意義深いお導きのメッセージ・エールだと確信しています。

特に、私、田村俊昭が、思わず男泣きしてしまったほど、感銘、感動したこの遺書の内容は、以下のとおりです。(本映画のパンフレットに掲載された内容)

さて、君たちは、之から人生の荒波と闘って生きてゆく のだが、君たちはどんな辛い日があらうとも光輝ある日 本民族の一人として生まれたことを感謝することを忘れ てはならぬ。日本民族こそは将来、東洋、西洋の文化を融 合する唯一の媒介者、東洋のすぐれたる道義の文化― 人道主義を以て世界文化再建に寄与し得る唯一の民族である。この歴史的使命を片時も忘れてはならぬ。

また君達はどんなに辛い日があらうとも、人類の文化 創造に参加し、人類の幸福を増進するといふ進歩的な思 想を忘れてはならぬ。偏頗で矯激な思想に迷ってはなら ぬ、どこまでも真面目な、人道に基く自由、博愛、幸福、正義の道を進んで呉れ。

最後に勝つものは道義であり、誠であり、まごころである。友だちと交際する場合にも、社会的に活動する場合にも、生活のあらゆる部面において、この言葉を忘れてはならぬぞ。

人の世話にはつとめてならず、人に対する世話は進んで せよ。但し、無意味な虚栄はよせ。人間は結局自分一人の 他に頼るべきものが無いといふ覚悟で、強い能力のあ る人間になれ。自分を鍛へて行け! 精神も肉体も鍛へて、健康にすることだ。強くなれ。自覚ある立派な大人になれ。

 

17 憲法を改正するならば

日本には、日本国憲法がありますが、私は、この憲法を改正するのなら、是非、「私利私欲のために自分及び他の存在を殺すこと、私利私欲のために他の存在を傷つけること、盗むこと、他の存在を騙して他の存在を傷つけ、苦しめること、他の存在に淫らな行いをして他の存在を傷つけ苦しめること」の禁止規定を明確に規定してほしいと考えています。

法令に詳しい方はご存じだと思いますが、日本の法律では、殺人罪などを規定する刑法には、殺人などの犯罪を犯した場合の刑罰の定めはありますが、殺人などの犯罪を犯してはならないと明記していないのです。

私、田村俊昭は、憲法改正の議論を進めていくに当たって、憲法第9条の改正や危機管理・環境関連の規定の創設を議論するよりもまず、人として人道的な視点から犯してはならない悪なる行いの禁止規定の明記を議論すべきだと思います。

また、最近のニュース・報道など観ていると、政治家の方々は、「力による現状変更は許さない。法の支配による・・・・」などのコメントをおっしゃられていますが、確かに、武力で領土を拡大したり、資源を独り占めしたりすることは決して許すべきことではありませんが、「法の支配」でいう「法」(国際秩序・国際ルール)を創り上げる際の基本的な考え方(思想・哲学等)に、やはり、「愛」、「平和」、「共存共栄」など、本来、人間が持つべき倫理観・価値観を遵守し、それらの倫理観等に基づき、国際秩序・国際ルール、社会規範を創らなければならないと考えます。

なお、私の尊敬する偉人の一人である聖徳太子様は、かの有名な17条憲法の第一条において「和をもつて貴つとしと為・・・」と創記されています。やはり、改めて聖徳太子様は凄い存在だと思います。

私見ではありますが、戦争や犯罪を無くすためには、全ての人間が、愛が何よりも大切だと常に意識・自覚し続け、悟り、私利私欲のためだけに生きるのではなく、私利私欲のことをできる限り行わないよう我慢、辛抱し、難しいことですが、敵対、敵視する個人あるいは組織が、なぜ、敵対・敵視するのか、その根本原因、背景を分析・究明し、その根本原因、背景を解決・改善し、互いが、思いやり、赦し合い、共に、より善く成長・発展・繁栄し、生きること(幸せになること)ができるよう、良好な信頼関係、友好関係を構築する必要があると思います。

 

18 日本人の生活スタイル等の見直し改善・温故知新について

現代の日本人の生活の仕方・スタイルは、欧米、特に、米国人の生活様式、スタイルを真似て、過度に模倣し過ぎており、その結果、肥満や基礎疾患など健康問題を増大させているのではないでしょうか?

私は、日本人には、肉体的な体型、体質、そして、精神素養・気質の観点から、日本人にとって相応しい、見合った生活の仕方・スタイルがあると思います。私は、江戸時代以前の庶民、特に、農民の生き方、生活の仕方等を参考とし、現代の国民の生活の仕方等を見直し改善すべきと考えており、それらによって、食事の内容を日本人に見合った量と質と栄養バランスを改善して、日本人全員の免疫力を改善・向上させたり、さらに、日本の食料自給率の向上のためには、農林水産業の活性化と当該第一産業の人員導入を図る必要があると考えております。

 

19 性的マイノリティーの問題について

現代の社会問題として、性的マイノリティーの問題がありますが、精神世界・霊界(仏教では空(くう)の世界)では、霊魂には、男性魂と女性魂の二種類の霊魂しか存在しません。

人間の中には、少数ではありますが、同性愛者の方がおられます。それらの方々は、前世までの因縁で自身の魂の性別とは異なる異性として、この世に人間として誕生し、当該性別で生きていき、魂・心の成長や自らの試練の経験などのため、敢えて過酷な人生を歩んでおられるのです。私は、性的マイノリティーの問題について、同性結婚に反対ではないのですが、ただし、同性婚の場合、愛し合う二人の間には、子供を産むことは決してできないこと、二人の遺伝子を重ね合わせ受け継ぐ子孫を残すことはできないことを当事者のみならず、皆が理解し、覚悟しなければならないことを留意する必要があると考えております。

 

20 母国語(日本語)をより善く「読み書き」することについて

人は「考える葦」であり、決して「考えなくてもいい葦」、「悪なること(ズルいこと)しか考えない葦」でなく、「より善く考えるよう努める葦」であるべきなのです。

私は、よく皆様から「貴方の記事は文章が長過ぎて、何を言いたいのか判らない」旨の苦言をいただいております。私は、文学的なセンスがなく、短文で自分の考えを表現することができないのです。ただし、私は、これまでの人生経験を経て、マニュアルや要領を書くことには、誰にも負けない知見、ノウハウがあるという揺るぎない自信・自負があります。

皆様にお尋ねしますが、皆様が他の人に「愛」を説明する場合どのようなことを説明しますか?また、この投稿記事に関連して、先日、テレビ報道でチャット支援アプリのことが紹介されていましたが、当該アプリは、必要な条件・情報を入力するだけで、AIに当該条件をもとに適切な文書を作成させることができるとのことであり、米国の某大学で、ほとんどの学生が当該アプリを使用し、論文を作成したとの事例があるとのことでした。

人間の心の成長は、苦労、苦悩(嫌なこと、面倒なこと、疲れること、恐れることなどを実感すること)を乗り越えることにより得られるのであり、合理性、利便性を追求し過ぎると、人の心は成長せず、むしろ、退化してしまうでしょう。また、過度にAIまかせにした生き方をしていくと、人間が本来、それぞれの人生を懸けて、真に育み培っていくべき創造力、企画立案力、危機管理能力、判断・決断力、統率力、指導力などの叡智・智慧とそれらの実践力を高め、向上することができなくなると思いますし、おそらく、多くの人間が、皆同じような考え、思考パターンで行動するような、SF映画で登場するアンドロイド、サイボーグといった機械人間みたいになると思います。

私は、自分が作成する手紙、記事、コメントなどは、自分が何を書くべきか、検討・熟考し、時には、思い苦悩しながら、自分の思いや考え、意見などを、心を込めて、書き入力し、作成すべきであり、人は、言葉・文字を活用して考え、思い悩むことを放棄するのならば、もはや、知的高等生物ではなく、野獣と同じ、下等生物に成り下ってしまうのではないでしょうか。日本人であれば、母国語である日本語をより善く読み書きし、自分の考え、思い、意思、意見を文字で表現し、他者に伝えることは人間社会を生きていく上で必要不可欠なことであり、昨今、国際社会のグローバル化に対応するために、日本の学校教育では、英語教育に力を入れているとのことですが、関係各位の皆様におかれましては、日本の子供達に対して、英語教育の推進よりもまず、正しい日本語の読み書き表現能力の向上・養成と、日本の真に正しい歴史文化に関する知見を高める取り組みを、積極的かつ優先的に強化していただきたいと考えています。

手書き、自筆の効果、大切さなどについて

チヤットやメールでコメントなどを電子データとしてメンションするよりも、

自分で鉛筆やペンなどで書いた文字、熟語、言葉の方が、自分の思いをより善く込めることができます。

何故ならば、字を書く場合、手、特に、指先から、その時に自分が思っている、抱いている想い等を宿した生命エネルギー(気・チャクラ)が放出され、書いている文字に当該生命エネルギーが染み渡り宿ることとなるのです。

それら書いた字に宿った想い等は、当該想いの強さにもよりますが、書いた人の人生よりも長く宿り続けることとなるのです。まさに、手書き・自筆の文字・書は、自分の魂が宿るとも言うべき「一句入魂」ということなのです。

これらのことは、文章、書だけでなく、絵画、彫刻、陶芸など自筆、自作する全ての芸術作品にも、作者の想い等が宿り続けることとなるのです。過去に創られた有名な名画などの芸術作品が、現在に於いても、それらを観る者に感動・感銘を与え、魅力し続けているのは、当該作品が観た目に美しく素晴らしいだけでなく、当該作品の作者の想いが色褪せることなく、未だに宿り続け、それらのエネルギーを放出し続けているからなのです。

また、ラブレターを書く場合、当該相手のことを嘘、偽りなく、心底好きで愛している場合、下手な字でも、稚拙な内容であっても、その強い「愛していること」の想いがその手紙に書いた言葉や字に宿り、ラブレターを受け取り、それらを観て読んだ当該相手には、確実に、自分の「貴方を心より愛しています」旨の想いが伝わることとなるのです。

このため、私、田村俊昭は、機会あるごとに、投稿記事に関連する言葉、熟語などを筆ペンで書き、写真を撮って、投稿記事に添付しています。

なお、私は、習字を習ったのは、小学生の頃の授業だけですが、毛筆をするようになったきっかけは、約10年前に精神修養のために約3年間、毎日、筆ペンで般若心経の写経(毎日、最低一枚)を毎日欠かさず実践したものです。

それ以来、まだまだ、未熟ですが、それなりの字を筆ペンで書くことができるようになったのです。なお、現在は、他の精進等で忙しいので、写経はやっていません。

 

21 『多様性を認める社会』における禁止行為について

最近、日本では、為政者の方々の『多様性を認める社会を目指す』旨のコメントを報道でよく視聴することがあります。

私は、各個人の生き方は、『自由意志の原則』に基づき、それぞれ各個人が、自らの生き方の指針、姿勢等を自らが考え、選択し、決意し、自身で決めた当該指針等に基づき生きていくべきだと考えますが、当たり前のことでありますが、たとえ『多様性を認める社会』であっても、以下のことは決して認めず、厳禁すべきことだと思います。

○私利私欲の追求のために、故意に他人を殺したり、傷つけたり、盗んだり、騙したり、脅したり、猥褻な行為をしたりすることを実際に犯すこと

○上記不法行為・蛮行を必要に応じ、犯してもよいという考えで生きること

○自分達とは異なる主義、思想、信仰等に基づき生きる人々、組織団体、国家を無碍に否定し、誹謗中傷したり、差別迫害したり、武力行使・鎮圧すること

 

22 今、この世の人間社会に必要なことについて

私は、昨今の暗いネガティブな雰囲気の人間社会において、皆がやるべき必要な誰でもできることは、即ち、『他の存在の幸せを想い願うこと』だと確信しています。

私は、毎朝、『全ての存在に対する私の願いの祈り』の実践を行っいますが、その祈りの最初に以下の想いを熱意表明(強く念じること)しています。

『全ての存在が、絶対に必ず、この上なく幸せになりますように、宜しくお願い致します。』

皆が共に、常日頃から、『他の存在の幸せ』をより善く想い・願うことをやり続けていけば、この世は、他の存在を互いに、信じ合い、想い合い、慈しみ合い、赦し合うといった愛の善なる生命エネルギー満ち溢れる雰囲気、空気となり、その結果、皆が共に、より一層、元気で仲良く、より善く生きるようになり、戦争や犯罪や貧困や差別も奇跡のごとく無くなり、平和な活気ある、より善い世界に改善していくことができるのです。

さらに、戦争、犯罪、自然災害で犠牲となった方々とそれら方々のご家族の皆様が抱える痛み、悲しみ、苦悩について、自分自身がそのような犠牲・被害者になったことを想像するなどして、深く慮って理解し、哀れみ、それらの方々に対して、自分達ができること、すべきことが何かないか、真摯に検討・熟考することも大切なのです。

多くの人々、国民が共に、そのような慈悲の想いを抱き、持続していくことにより、人間社会全体の当該人災・自然災害に対する反戦、防犯、災害支援・復興に向けた気運・雰囲気をより善く高めていくこととなるのです。

今、人間社会に必要な元気・勇気・希望を与える素晴らしい起死回生の魔法のような言葉(愛語)を以下のとおり紹介します。

 

『何とかなるさ』

『ナンクルナイサ』(沖縄地方の方言)

『世の中、捨てたもんじゃない』

『人事を尽くして、天命を待つ』

 

私は、暗く元気のない今の人間社会には、皆が、これらの言葉の意味を、より善く心に留め、理解・意識して、今は苦しく、辛い状況・生活・世の中だけど、決して諦めることなく、日という一日を、自分ができる、自分がやるべきことを精一杯、しかし、決して無理することなく、ええ加減に(やり続けることができる丁度善い加減・程度・具合で)地道に真摯にやり続け、より善く生きていけば、必ず、光明は開き、素晴らしい明日・未来が訪れることを信じて生きていくことが大切だと確信しています。

さらに、皆が、常日頃から、他の人々に対して、自分ができる『世の中捨てたもんじゃ無い』と思えるような親切、思いやり、気遣いの行動・言葉(例えば、元気な挨拶、交通ルールを守る、無謀運転・飲酒運転はしない、席を譲る、灰皿があるところで喫煙する、ごみのポイ捨てをしない、リサイクルボックスには他のごみを捨てない、ペットの糞は放置しない、街のごみ拾い、落し物を交番に届ける、用便したトイレの汚れをふき取る、など)、即ち、愛の実践を率先して実践していくことが大切だと思います。

沖縄の方言である『ナンクルナイサ』について、先の大戦で空襲・原爆投下を除き、我が国領土で唯一の激戦地となり、終戦以降も1970年代まで米国だった沖縄の皆様のことを真に慮ってみてください。辛辣な言い方を敢えて申し上げさせていただきますが、皆様が真に他者を慈しむことができるのであれば、『ナンクルナイサ』の言葉が、沖縄の皆様にとって、どれ程、生きる力、希望を与え続けている言葉であることがお解りになると思うのですが。どうですか?

 

23 『八紘一宇』の実現に向けて

『八紘一宇』という言葉をご存知の方もおられると思いますが、この言葉は概ね『全世界を一つの家にすること』であると解釈されています。

私、田村俊昭は、この言葉の主旨を踏まえ、この世の人間社会において、戦争、犯罪、貧困、差別・格差を無くしていくため、それらに共通する根本原因である人間のエゴ、業である所有欲、支配欲、快楽追及欲をなるべく我慢・辛抱して、愛と共存共栄の心を育み、培っていくため、日々、愛が何よりも大切だと意識し自覚し、切に、より善く生きるようにしていくことが大切だと思います。そして、国家、企業などの組織が、それらの組織全体が組織ぐるみ・会社ぐるみで一丸となって、全ての各施策、技術開発研究、モノの製造販売輸送、各種サービスを企画立案・実施する際に、愛と共存共栄に関する価値観、思想、哲学を最優先事項として位置づけ、それらを遵守して、それぞれの責務・使命を遂行していくこと、即ち、国家、組織、企業として、愛が何よりも大切だと意識し自覚し、より善く存在し、社会貢献等を行っていく必要があると思います。

さらに、全ての人間が、皆と共に、元気に、仲良く、則ち、皆が他の人々を家族のように思い、接し、交流していき、愛を何よりも大切だと意識・自覚し、皆と共に、日々、愛を込めて、切に、より善く生きていくようになれば、絶対に必ず、この世は、『八紘一宇』の世界になることを確信しています。

 

24 子供達の自殺を皆無にすることについて

最近の日本の報道で自殺者の増加のことが報道されました。

この報道で、特に、未成年者の自殺が増えているとのことであり、私、田村俊昭は、今の人間社会において、軍備増強、物価高、賃上げ問題、少子化などの問題を議論し解決することよりも、この未成年者の自殺を根絶するための根本的かつ抜本的な対策、施策を早急に検討・実施することを最優先課題として官民学一体となって推進すべきかと考えます。

明日、将来の日本、そして、この世界をより善く改善し、より一層成長・発展させていくのは、我々大人ではなく、若い世代、子供達なのです。

我々大人達全てが、

我が身の欲望、快楽の追求のため、目先の経済、富・財産、利権、権力、地位・権威、保身、健康の維持向上に囚われ執着することなく、

子供達を、より善く育て、教え導き、将来、全ての子供達を、世のため人のため他の存在に尽くす立派な大人に成長させることについて、真剣に向き合い、真摯に議論を積み重ね、一致協力し一丸となって、各々が、自身の命を懸けて、全身全霊で取り組むべきだと考えます。

 

25 核の抑止、戦争抑止のためのAIの活用について

2023年5月14日、NHK総合の『日曜討論』という報道番組で『G7広島サミット 核なき世界への道』に関する専門家の皆様の討論がなされていました。

私、田村俊昭は、同番組を視聴していて、

「いくら小難しい専門用語等を用いて高尚な議論しても、全ての国民が核兵器や戦争の怖ろしさや非人道さ、犠牲者の痛み、苦しみ、悲しみなどを心底理解しないと、核兵器廃絶、戦争の根絶に向けた意識・気運を高めていくこととできないのでは?」

旨の疑念等を感じました。

現代の日本においては、戦後77年が経過し、多くの国民が、戦争を経験しておらず、戦争の悲惨さ、怖ろしさ、犠牲者の痛み、苦しみ、悲しみなどを真に理解していないのではないかと思います。このような被爆体験や戦争を知らない我々は、核兵器や戦争の怖ろしさなどを、積極的に、被爆者・戦争体験者の皆様の証言やお話を聴講したり、被災当時の写真映像被災遺品や書籍を視聴したり、購読したりするとともに、今後、AI技術を活用して、被爆体験や戦争体験をメタバースなどの仮想現実世界の中で擬似体験することができるようなAIシステム、即ち、『AI原爆資料館・AI戦争資料館』(仮称)を開発運用していけば善いのではないでしょうか。なお、昨今のAIの画像作成編集処理の技術であれば、被爆直後などの被災現場に擬似体験臨場することも可能であり、同種画像技術を活用して、津波や地震災害などを想定した災害発生時の擬似体験災害対応訓練演習を地区単位の規模で擬似演習でき、これら危機管理対応に関する各種取組みにAIシステムをより一層有効かつ積極的に活用していくことが期待されます。

 

26 教育の無償化の障壁(悪魔的視点の見解)

今、NHK総合で国会中継を視聴していて想いついたのですが、日本での教育の無償化を阻む障壁の一つとして、自分及び仲間達の既得権益を保守するために、勝ち組(お金持ち)の子供達を組織・企業のトップ、幹部にしたいがため、負け組の子供達には必要以上の教育を受けさせたくないといった意図、狙いがあるのでしょうか?

(悪魔の本音・つぶやき)

『世の中には、恵まれない境遇・家庭でも、磨き鍛え上げれば光り輝く宝石の原石ような資質を持つ子供達がいると思うが、自分達の富、地位、権力が危うくなるので、したたかに、何もしないのが得策だ』

なお、私が、このような内容を記事作成・公表して憎しみや恨みを抱く方々がおられると思いますが、どうぞ、私を憎み、恨み、呪って、最悪の場合、私を亡きものにしようとして頂いても結構です。警告ですが、私の魂は、浄霊のエキスパートであるとともに、鬼畜生、魑魅魍魎にめっぽう強い不動明王様達が私の魂及び肉体を完璧な守護体制で常時、お守りいただいておりますので、このことを、しかとお心におとめいただければ幸いです。そのような方々こそ、私がFacebookのページで公表している動画の私の善なる愛の生命エネルギーを浴びて頂いて、心をより善く浄め磨き上げた方が、ご自身にとってより善いことだと思いますよ。

 

27 お金や株価は幻のようなもの

今の日本社会においては、『経済!経済!経済!』、経済が何よりも重要であるとのことであり、

経済は人間社会の成長に不可欠なものとなっていますが、

人間は、作ったモノや仕事・サービスにお金を基準に価値を与え、それらを売り買い、提供しています。

私、田村俊昭は、そもそも、お金やそれに基づく企業株は、人間が価値を与え創り出した幻のようなものだと理解しています。

例えば、ダイヤモンドは、鉱物の一つなのですが、人が光り輝く綺麗で貴重な鉱石だからとして、高額な価値を付け、売り買いしているのです。

他の動物からしたら、ダイヤモンドも他の鉱石も同じ、ただの石ころに過ぎないのに。

私、田村俊昭は、株式投資の行為は、マネー・ゲームと呼ばれる様に、競馬で例えれば、企業を競争馬と見立てた投資家(お金持ち)が愉しむギャンブル・賭博行為だと思います。楽して儲けよう、あわよくば、一攫千金を狙おうという私利私欲の追及の意図が見栄みえなのです。

『君子、危うきに近寄らず』

この言葉のとおり、

株式投資の世界は、よほど株式投資に精通した方々でないと上手く運用・対応できないものであり、株式投資の素人は余り手を出さない、足を踏み入れない方が善いのではないかと、

経済音痴の私、田村俊昭は想うのですが、皆様は、どうでしょうか?

 

28 ラグビーW杯を観戦していて気づいたこと

現在、フランスでラグビー世界大会が開催されており、日本代表をはじめ、各国の代表選手は、様々な国出身の選手が選抜され、熱戦を繰り広げています。

私、田村俊昭は、当初、なぜ、日本人だけで日本代表を構成しないのか旨の疑問を抱いたのですが、その拘り・視点を変えて、上記のことを今一度考えてみたところ、昨今の多種多様な国家、民族が交わるグローバル社会においては、海外からの日本在住希望者に対して、日本人の気質、信念、心根、誇り、マナー、習慣等をしっかりと事前教示した上で、積極的に日本在住を受け入れ、それら海外出身の方々と共に、協力し合い仕事をするとともに、親しく交流を深めていけば、各海外出身者から各国のより善い文化、習慣なども学び理解することもできるし、また、普段、日本人の我々では、気づかない日本の善い点や欠点・改善点なども、改めて気づき、把握することができ、それらのことにより、古き善き日本の伝統を護りつつも、グローバル化が進展する昨今の国際社会に対して、より善く追従・共存することができる新たな、より善い日本を創り上げていくことができるのではないかと思います。

 

29 将棋について思うこと(私、田村俊昭の私見)

最近、日本では、将棋の藤井九段の名人獲得など同氏の活躍が報道されていますが、私、田村俊昭の将棋に対する私見を以下のとおり述べさせていただきます。

私、田村俊昭は、将棋のことをよく知りませんが、将棋は、チェスと同様に、将棋盤の上で行われる敵の王(王将)を早く降参させた方が「勝ち」とする国盗り・合戦・戦争の模擬机上演習のようなゲーム・娯楽だと理解しています。

人間社会において、「勝ち負けを競い合うこと」、「人との間で優劣を付けること」は、社会の成長発展のために、ある程度必要なのでしょうが、たとえ、ゲーム・娯楽であっても、「自分は勝ちたい、勝ち続けたい。相手を負かしたい。」などと「勝ち、勝つこと」に拘り執着してしまうと、常に、相手の裏をかき、意表を突くことに長け、相手の盲点・弱点を見抜き、人を騙したり、したたかなことしか発想しない行動しない存在、甚だ辛辣な言い方ではありますが、要は、「私利私欲ためしか考え行動しない卑怯極まりない、クソ意地の悪いズルい存在」になってしまうおそれがあるのではないでしょうか?

ちなみに、私、田村俊昭が、将棋の駒になるならば、どの目に置かれても、相手の駒から詰められて(攻撃されても)も奪取されない、決して、負けない、死なない駒であるとともに、自分以外の自分の駒(仲間)が獲られそうになった場合、当該相手の駒を詰め攻撃を抑止したり、当該相手の駒を奪取し、自分の駒(仲間)を護ることができる、普段は「歩」(凡夫、一兵卒)の駒だけど、窮地に陥った時に、上記のような動きができ、自分や仲間を絶対に護ることができる「神仏」という駒になりたいと考えております。(そんな駒があったら、勝ち負けを競う気が失せて将棋をやらなくなりますよね。)そして、私、田村俊昭は、普段は優しい穏やかなお釈迦様のような存在であるが、有事の際には、弱き者、苦しんでいる者を助け、救い、護るため、鬼畜生の存在に対し、憤怒の形相で毅然と対峙し、厳しく叱り懲らしめる大魔神のような存在、即ち、タフで粘り強く、情け・慈悲深い男気のある勧善懲悪の存在になるべく、日々、自分がやると決めた精進や愛の実践を私の命を懸けて、誠心誠意やり続けています。

 

30 福島の原発事故処理水の問題について

最近の報道で福島の原発事故処理水の海洋放出に対して、中国が反対し、日本産の魚介類の輸入禁止措置を講じているとのことですが、私、田村俊昭は、これらのことについて、以下のとおり考えております。

◎原発や核物質の専門知識のない一般人にも、より簡明で解りやすく、当該処理水の放射線の現状、それらによる魚介類や人体の影響の有無等を嘘偽りなく真摯に公表していただきたいと考えております。中国の方々だけでなく、日本人の中にも、処理水の海洋放出に反対したり、疑問を抱いている方々が少なからずおられると思いますので、それらの方々が納得し、安心する真実を伝えていく必要があると思います。

◎本件について、当事者たる東電が、どのような対応、取り組みを行っているのか報道がなされていませんが、東電を含め原発施設を設置・運用している電力各社の皆様におかれましては、原発の安全・事故防止及び使用済み核燃料処分に関する調査研究・技術改善により一層、積極的に取り組んでいただきたいと思います。

なお、先の大戦で広島・長崎への原爆投下は悪魔が企てたものであると公言しても、多くの方々は妄想だと思うでしょうが、原爆投下を実行したのは、あくまで人間なのですが、悪魔は言葉巧みに、当該人間を唆し、当該人間は、原爆開発・使用という蛮行を自分達の必勝・正義と盲信させられ、当該蛮行を決行してしまったのです。

核兵器・核物質につきまして、全ての人間が、自分達の人間の愚かさを今一度、真に自戒・自覚すべきなのです。使用済み核燃料の安全・適正処分の問題を含め、核物質をいかに適切に安全に利用・活用するのか、人間の智慧と理性と倫理感を結集して、議論・検討を積み重ねていく必要があります。現時点において、核物質を安全かつ確実に、より善く使用・活用するには、人間の智慧と理性は、未だ幼く成長途上であると言わざるを得ないのです。他を打ち負かしたり、モノを動かしたり、明るくしたり、温めたり、冷やしたりする物理的パワーを、物質を創造する際に包含された膨大なエネルギーを利用することにより、手に入れたものの、それらを戦争で使った場合の犠牲、代償、それらを使った後の後始末、それらの処分、そして、不測の事態(想定外)に陥った場合の対応などについて、事前に十分に熟考、配慮、予見、計画していなかったことから、それらに困惑、恐怖、憂慮等しているのが、現代の人間社会における核兵器、原子力を取り巻く、ネガティブな現状・実情・実態なのです。

 

31 温故知新

私、田村俊昭は、昭和生まれですが、昭和時代は皆が一生懸命、よく働き、社会の雰囲気が今より活気があったと懐かしく思います。

そして、私、田村俊昭は、

全ての日本人は、昭和時代より遥か昔の古の時代、縄文時代における我々日本人の祖先の方々のように、

◎神様や自然を敬い、大切にし、感謝することを欠かさず、

◎人との絆と和を尊び、互いに争うことがなく、

◎皆で力を合わせて、農耕などに励み、自然の恩恵を皆で分かち合い、元気に明るく仲良く、より善く生きる、

といった心根、気質、心情、価値観をより善く温故知新(古きを温め、新しきを知る)すべきだと確信しています。

私、田村俊昭は、古き善き人間社会は、まさに、『敬天愛人』、『共存共幸』の世界だったのであり、この記事をご覧の皆様は、全ての日本人は、今こそ真の日本人の魂・使命をより善く覚醒し、より善く行動し、それぞれの使命を全うし、昨今の不穏なネガティブな人間社会に愛と希望と活気・元気の疾風を巻き起こさなければならないと想いませんか?

(参考:私、田村俊昭の確信的願望)

『縄文時代党』又は『敬天愛人党』という名称の古代の日本人の始祖の方々の気質、価値観等を温故知新し、それらの実現に向けた施策を推進することを党のスローガン、マニフェストに掲げる政党・政治団体があれば、私は、絶対に支持・応援したいと思います。なお、日本人が本気で当該団体を創設した際には、天上界の最高会議のメンバーの方々から、当該団体関係者に積極的に人知を超えた宇宙の叡智等(核物質の抜本的処分方法、低温核融合発電、永久電池など)のお導き、ご指導等をいただけることを確約いたします。これらのことに関連して、『より善く生きるためのガイドライン』の次元上昇に関する内容の一部を以下のとおり紹介します。

 

32 政治を中道・中庸の精神・考え方で見直し改善することについて

私、田村俊昭は、人生は、中道・中庸の考え方で、何事(仕事、精進、勉強・学習、運動、食生活など)も、ええ加減に適度な負荷・労力で、粘り強く、一生懸命、誠心誠意、やり続け継続することが、

自分のスキル、健康、心・精神などの、より善い成長・安定に資するものだと確信しています。

政治思想については、皆が、敬天愛人・共存共幸・利他性を大切にする価値観を持ち、それらの価値観に基づき、

各産業、医療、教育、その他社会活動全てを機能・実施すれば、これまでの左翼、右翼、中道などの特定の政治思想に拘り、それらに執着し、他の政治思想に対して、無碍に否定・批判・反対するのではなく、

各政治思想・スタンスそれぞれの善い点、悪い点を今一度、精査・考慮して、それぞれの善い点をええ加減に、いいあんばいで、適切に、より善く活用し、

要は、いいとこ取りをして、政治活動、制度改善などを実施していけば善いのではないかと想います。

 

33 民主主義は「各国民が、自分の言動を、自分自身でより善く律すること」をしないと様々な弊害等が生じることについて

日本は、先の大戦後、民主主義・自由主義社会となっていますが、民主主義とは、文字どおり、国民一人一人に様々な権利・権限を付与されている国家体制なのですが、それと同時に、衣食住のほか、進学、就職、選挙など社会活動全てが、国民一人一人が自己責任のもと自由に選択、実施することとなり、その結果も自分自身でちゃんと受け入れなければならないのです。

今の日本の人間社会はどうでしょうか?

教育・労働の格差、貧富の格差、殺人、窃盗、詐欺、横領などの犯罪の頻発、いじめや虐待の悪質化、免疫力低下による基礎疾患増加や各種病原ウィルスの感染拡大・再感染などが発生しており、これらのネガティブな事象・出来事・事件などの根本原因には、戦後、多くの日本人が、民主主義の自己責任の原則をはじめ、全ての人間に共通する人生の目的である『心を浄め磨き上げ成長すること』に必要な取り組み、即ち、法令遵守などの自分の言動や思いを律すること、そして、『愛を学び、理解し、愛を実践すること』を重視せず蔑ろにして、経済成長を優先課題と捉え、物質的な豊かさや快楽追求のために、ひたすら働き、生きてきたことによるものであり、当該根本原因による社会的な弊害、汚点がその氷山の一角として露呈したものであると考えます。

私、田村俊昭がこの項で申し上げたいことは、国政を含め、日本人が行う企業活動、個人的活動を含め、民主主義のもとで諸活動が行われており、それらの活動を行う上で、愛を何より大切だとする意識、自覚が欠如していること、要は、人によっては、他の人々が痛み苦しんでいるのを無視して、自分が好き放題に自分かってに生きればよいとの言動、想いを行っている状況が見受けられるということなのです。闇バイトなど当該悪行の典型的な悪事例だと思いませんか?民主主義国家は、為政者はもとより、国民一人一人が自由意思の原則、自己責任の原則をしっかりと理解した上で、自分の生き方、言動をより善く自制しつつ、生きていかなければならないということなのです。民主主義国家は、中央集権国家に比べ、国民一人一人の権限、責任は大きく、重要であるということなのです。

 

34 働くオジサンとは

私、田村俊昭は、幼少の頃、NHK教育(現在のeテレ)の『働くオジサン』をよく視聴し、世の中には、色んな仕事があり、頑張って働いてる大人の方々がいることを知りました。

今、我々大人は、多くの方々が働いていますが、仕事の真の目的である、世のため人のため他の存在ためには何らかの作業等を行い尽くし社会貢献し、それらによって達成感、充実感等労働に対する喜び、幸せを実感することを認識している方々が少ないのではないかと思います。

今の日本の人間社会においては、人生楽しければいい、人生は楽しむものだと捉え、自分の快楽追及のために飲酒、ギャンブル、スポーツ観戦などに興じ、仕事は、それらのために必要なお金を得ることだ、できれば楽して稼ぎたいなど思い、それぞれの仕事に対する意欲、熱意が『働くオジサン』に出ていたオジサンに比べ低くなってきている現状ではないかと考えております。古の時代から、日本人は、仕事を行うにあたって、モノを作ったり、サービスを提供する際、お客様のニーズ、満足、喜び、幸せのために仕事を行う『気遣い』、『おもてなし』、『心の配り』、『察する』ことに重きをおいて仕事をやってきたのであり、現代においても『メイド・イン・ジャパン』のモノやサービスが海外の方々から称賛されているのは、日本人の全ての魂・心の中に、上記の仕事に対する善き姿勢・価値観を、ご先祖様達から受け継ぎ、自らも、それらをより善く育み培い、子供達、子孫に脈々と受け継いできた大和魂という善なる気質のお陰であることを確信しています。

 

35 自然に抗うことなく、共に、より善く生きることについて

人間を含め生きとし生けるものは、肉体の死が必ずあり、死を免れることは誰もできないのです。肉体の死のきっかけには様々な事象があります。病気、犯罪、事故、戦争、自然災害など。

地震など自然災害で死ぬことは人間の立場から観て、自然は何と恐ろしい非道なことをするものだと感じておられる方々、特に、被災地の生存者や犠牲者のご家族は自然を恨み、憎しみを抱かれる方々がいるのではないかと思います。

自然災害に対して、人間がそれらをコントロール・制御することは絶対にできないのです。

では、自然災害に対して、どう対応するか?

自然災害の際、生き残るためには、どのような対応をするか?

例えば、過去の被災経験の教訓を活かした対応を演練するとともに、AIを活用し、被災予測をより正確かつ迅速に行うシステムを開発したり、災害に強い建物・施設を建設したり、必要に応じて、災害発生の危険性・蓋然性の高い地区・場所に住宅施設などを一切建築しないなど、減災、防災の取り組みを行えば善いと思います。

我々人間は、有名な良寛様の禅語「災難にあう時節には、災難にてあうがよく候。死ぬる時節には、死ぬがよく候。是はこれ、災難をのがるる妙法にて候」を実践すべきであり、

自然に抗い、対抗するのでなく、自然と共に生き、自然と一体となるためのノウハウ、智慧とそれらの実践力を培い、より善く高めていくことが、全ての人間に共通する、人生の意義、目的の一つなのです。自然を何とか制御・コントロールしてやろうといった想いは諦めて捨てなければならないことなのです。また、気候変動について、そもそも地球自体が巨大生命体であり、一億年以上のスパンで気温の上下動を繰り返し行っいることを人間の数十年スパンの気象観測データの記録・予測では地球が温暖化していると認知しているに過ぎないのです。

今後、過去、恐竜が絶滅したように、気候変動に適応できずに、人間も絶滅するのか、または、変動する地球環境に適宜、順応適応し肉体を改善・進化していくか、後者を選択する方々は、どのような生き方をすべきか、今一度、熟考してみてください。

 

36 科学技術は何のためにあり、高めなければならないのか?について

今日のNHK総合の『日曜討論』という番組で『どうする研究力低下、これからの大学は』と題して、日本の大学の研究力低下の問題について、有識者の方々が当該問題について討論されていました。

この番組を視聴していて、私、田村俊昭は、以下のような疑問、想いを抱きました。

◎そもそも、科学技術は何のためにあり、何のために高めなければならないのか?

◎上記の科学技術の主眼、狙いを、ちゃんと見定め、研究テーマを厳選・選定した上で、選定した各研究の目的、目標を設定し、それら目標等を達成するために、必要なマンパワー、研究資金を確保・配分し、当該研究を進めていけば善いのではないか?

なお、参考までに、この投稿記事に関連して、このガイドドラインには以下の記述を前述しています。

 

「諸行無常」

驕れる者久しからず、盛者必衰の理

全ての生きとし生けるものは、誕生、成長・進化、絶命・絶滅、再生・新生を永遠に繰り返し続けているのです。この世の人間社会は、有史以来、特に、産業革命を境に、科学技術が急速に高まり、物質的な成長を遂げてきました。それに応じて、戦争・紛争なども、より凄惨で甚大な戦争被害を与えるようになり、国家間、民族間の人心の憎しみ、恨み、差別意識などのネガティブな意識・感情が高まり、増幅してきたのです。このような不安全・不平和・不安定な人間社会の実情に至らしめた根本的な原因の一つとして、多くの人間が、心の成長を蔑ろにし、それぞれの持つ考える力・知力・知能を、私利私欲のための物質的な成長・合理化・効率化・高度化・に努め、費やしてきたことが考えられます。人間には、自然の物質からモノを作り出し、それらのモノを活用する知力・能力があるとともに、言葉を話し、それらを文字にし、他の人々に伝え、後世に残す知力・能力があるのです。これらの人間が有する知力・能力を物質的・経済的な成長・高度化だけに活用するのではなく、「自然との共生」のために、そして、何よりも、人間の精神・心の成長、即ち、心を浄め磨き上げ、その波動の振動数(心の光・輝き)を高め、光り輝かせ、成長させることに活用していく必要があるのです。

私、田村俊昭は、この世の人間社会において、戦争やテロをはじめとする人災・社会的問題を無くし、解決していくためには、それらの根本原因である人間のエゴ、業である所有欲、支配欲、快楽追及欲をなるべく我慢・辛抱して、愛と共存共栄の心を育み、培っていくため、日々、愛が何よりも大切だと意識し自覚し、切に、より善く生きるようにしていくことが大切だと思います。そして、国家、企業などの組織が、それらの組織全体が組織ぐるみ・会社ぐるみで一丸となって、全ての各施策、技術開発研究、モノの製造販売輸送、各種サービスを企画立案・実施する際に、愛と共存共栄に関する価値観、思想、哲学を最優先事項として位置づけ、それらを遵守して、それぞれの責務・使命を遂行していくこと、即ち、国家、組織、企業として、愛が何よりも大切だと意識し自覚し、より善く存在し、社会貢献等を行っていく必要があると思います。資源に限りがあるのだから、もっと日本のような経済的に裕福な国は、皆、質素倹約を心がけ慎ましい暮らしを行い、省エネ、省資源、節約の取り組みを行うべきだと思います。多くの日本人は、貧困に苦しんでいる国の方々に比べ、贅沢三昧、飽食の生活を追求し過ぎではないかと思います。人間社会の成長を経済成長、即ち、お金やモノをより豊富に持つことだけと捉えるのではなく、個々の人間、会社、組織、そして国家としての精神性、人間性、道徳心を向上、高めることも、人間社会をより善く成長させることであると捉え、各個人、各団体、組織が、それぞれ、「愛」を何よりも大切だと意識・自覚し存在し生きること、即ち、「より善く生きていくことが大切なのではないでしょか?

 

※参考までに、今、社会問題となっている福島の原発事故処理水の件について、私の魂の指導神(内在神)のイザナギ様(創造主)に本件の解決方策について伺ったところ、以下のような御言葉を抱きました。

『天上界では、核分裂を起こした物質を瞬時に安定した物質に変化させる叡智を有しておるが、人間が核兵器に依存し保有し続け、戦争をやり続けている現状を鑑み、当面、当該叡智を人間に与え、導くことは行わない。自業自得。自分が蒔いた種は、ちゃんと自分で刈り取るのじゃ。』

 

37 柵(しがらみ)の乱用・悪用について

愛と友愛の関係で出逢い、結ばれた絆は素晴らしく美しいものだと思いますが、私利私欲の思いで繋がった柵(しがらみ)は、双方の私利私欲の思惑どおりにいっているうちは良いのですが、特に、上位の立場にある者が、その権力、権威、財力、立場を悪用し、人の道に外れた言動をとり、下位の立場の者をこき使ったり、淫らなことを強要してしまうことがあるのです。現代の人間社会では、セクハラ、パワハラなどが社会問題として注目されていますが、最近、よく報道されている某芸能事務所の一件も、上記の悪なる柵の乱用・悪用の典型的事例だと思います。

 

38 日本では、スマホも買えない、インターネットも利用できない家庭があることについて

最近のテレビ報道で、日本では、学校教育でスマホを活用した授業や自宅学習を推進している現状下、低所得の家庭では、スマホを購入できない家庭やインターネット料金を支払うことができず、結果、スマホで自宅学習ができない子供が大半であるとのことです。

我々大人にとって宝の存在である全ての子供達が、将来、日本はもとより、この世の人間社会をより善く成長・発展させる優れた立派な人材に育成させていくためには、必要な衣食住を確保・提供するとともに、当該立派な人材に育て上げるためのハード、ソフト両面の教育システムの改善・改革を喫緊の重要課題として取り組んでいく必要があると思います。

今日2023年5月28日、NHK総合の『日曜討論』という報道番組で『与野党に問う 子供の対策は 財源は』に関する与野党関係者の皆様の討論がなされていました。

私、田村俊昭は、同番組を視聴していて、

「少子化対策は必要だと思いますが、そもそも、為政者の皆様には、以下のような命題を前提に、この少子化対策をはじめ、日本の教育の抜本的改革を議論し、それらを踏まえた施策・取り組みを推進していくべきではないか?」といった感想を抱きました。

そして、近年、日本国内では、安倍元総理の銃殺事件をはじめとする、かつて世界有数の治安の善い、安全安心の国家であった日本では発生してこなかった凶悪犯罪が惹起している由々しき状況を憂慮し、日本の治安の再生、改善のためにも、教育の改善・改革の問題は必要不可欠な喫緊の課題ではないかと考えます。

◎そもそも、日本という国家を、今後、どのような国家としていくのか?

◎我々大人の宝である若い世代、子供達に何を託し、日本の未来・将来に何をどのように引き継いでいくのか?

◎それらの国家の将来像を国是として、まずは、議論し、策定すべきではないか?

◎上記国是を踏まえ、どのような産業を活性化させ、各産業にどのような人材をどのような規模で投入していくのか?

◎当該各人材を育成するために、教育体制、教育カリキュラムの抜本的改革を行うべきではないか?

◎少子化により就労人口が減少することについては、定年退職した高齢者(健常者)の再任用等生涯労働推奨や労働力確保のためのAIの有効活用などを検討・推進すべきではないか?

なお、私、田村俊昭は、昨今の少子化の問題の根本的原因の一つとして、

我々50代以上の中高年の男性の多くが、

●若い世代、子供達に対して、真に男らしい見習うべき生き方を模範として示して生きてこなかったこと、

●「偉そうに、口先だけの嘘っぱちのズルい大人」と揶揄されるような生き方をしてきたこと、

●女性を蔑視し、蔑ろにし、女性にとって「この人なら結婚したい。この人と一緒に生きていきたい。」などと思わせる魅力ある男らしい生き様をしてこなかったこと

などがあると考えます。

また、子供達に対する徳育に関連しまして、先日、NHKの短編ドキュメンタリー番組において、「余命2か月 懸命に生きた少女」と題する動画を視聴しました。

この動画は、16歳の若さで白血病で亡くなった小田山優生様の闘病生活などを記録したドキュメンタリー動画でした。(実際の動画は、NHKプラス等で閲覧視聴願います。)

この短編ドキュメンタリー動画の後半に、優生さんが未来の自分にむけ書いた手紙を紹介しているのですが、私、田村俊昭が堪えきれず男泣きした一節を、以下のとおり謹んで紹介させていただきます。

「たくさんの人を救えていますか?」

「たくさんの人を笑顔にできていますか?」

「大切な人のことをちゃんと大切にできていますか?」

私、田村俊昭は、優生さんの自分への手紙の内容のうち、特に、「大切な人のことをちゃんと大切にしていますか」という自分への思いについて、自分が死ぬことを覚悟している状況下、僅か16歳なのに、大人でも、より善く悟り、実践することが中々できていない「愛の実践」の基本的かつ必要不可欠な「他者を理解し、思いやり、大切にすること」をよく理解し悟っていることを踏まえ、この優生さんの素晴らしい人間性、真心に感銘を受けたものです。これらのメッセージは、天国におられる優生さんが、ご家族、ご友人の他、我々日本人に向け発信している愛満ち溢れる有難いエールの御言葉だと思います。

 

39 天皇陛下の選定議論に関するスピチュアルの視点からの私見について

これまで、日本の天皇制について、天皇が基本的に男性が継承しているのは、神事の関連で男性魂の人間しか対応できないことによるものなのです。

この神事の詳細は、我々一般国民には、一切公表されていませんが、この神事のやり方等は天皇制創設期からの仕きたり等を踏襲しているのです。

上記のことは、この世は一万年前から土の時代であり、人間社会も男性魂が仕切ってきた時代であったことが密接に関連しているのです。

今年4月末にこの世は、風の時代に移行し、女性魂も活躍する時代になったことから、日本でも、天皇をどのように選定するかについて、今まで以上に活発に議論・検討されていくことが考えられます。

また、昨今、マイノリティーの問題がクローズアップされてきたのも、土の時代から風の時代への移行に伴い、昭和時代以前にはタブー視され、様々な性的差別を強いられてきたマイノリティーの方々への肯定的な理解等の人々の認知・意識が徐々に改められ、高まってきたことによるものなのです。

この投稿記事の終わりに、日本においても、今後早期に、女性の方々が為政者に選ばれ、女性ならではの視点・観点から、国民をより善く指示、命令、指導、導いていただきたいと考えております。

何故なら、女性の為政者ならば、その母性愛をより善く発揮・活用して、自国民皆を我が子にように、気遣い、強く想いやり、全ての国民に戦争を絶対にやらせたくない、犯罪者に絶対にしたくないという、母心・信念を強く抱き続け、男性の為政者が諦め無理とされてきた戦争・犯罪の撲滅に向け、全身全霊で取り組んでいただけることを確信していることからなのです。

そして、土の時代では、特定の人々、即ち、悪魔の下僕となっていた方々に対して、より多くの大愛が与えられていましたが、悪魔がいなくなり、悪魔の呪縛が解かれ、風の時代に移行した現在以降は、各個人の善なる行いや努力の程度に応じて、それに見合った大愛が与えられるようになりました。これらのことから、愛の実践として世のため人のため他の存在ための行い・取り組みに係る努力次第で、それら善なる努力・苦労・取り組みは、確実に善く評価され必ず報われる不公平のない真っ当な人間社会(正直爺さん・花咲爺さんは幸せになり、欲張り爺さんは天罰を受け不幸になる社会)となっていくのです。

 

40 女性がより善く活躍する社会に向けて(田村俊昭の私見)

現在、日本においては、女性の社会進出の活性化、働き方改革などの課題・問題が国会等で議論されています。精神世界・霊界(仏教では空(くう)の世界)では、霊魂には、男性魂と女性魂の二種類の霊魂しか存在しません。私、田村俊昭は、肉体の性別よりも、この魂の性別、男性魂、女性魂を重要視しています。

私は、女性魂の御霊の方々は、皆、イザナミ様(母性の根源、生命創造主)の母性の気質を与えられており、男性魂の御霊は、女性魂のこの母性によって抱く愛、即ち、母性愛を抱くことは不可能であり、この母性愛を与えられた場合、心が簡単に折れ、屈してしまい、甘えてみたり、言いなりなったりしてしまうほど、この母性愛に弱く、到底かなわないのです。日本語で「女房の尻に敷かれる」という諺がありますが、上記のことを明確に言い表したものなのです。私、田村俊昭は、女性の社会進出に反対ではなく、むしろ、子育てに関する諸問題を解決した上で、より多くの女性が政治、行政、司法、教育、各種産業に社会進出して、女性ならではの手腕を遺憾なく発揮していただき、社会全体をより善く改善・成長・発展していくべきだと考えます。

なお、女性がどのような職業に就くかについては、現代の人間社会においては多種多様な職種、仕事がある中、男性しかできない、男性がやるべき仕事・職種があり、また、女性しかできない、女性がやるべき仕事があり、これらのことを踏まえ、男女の勤労格差の是正、女性の社会貢献の活性化などをより善く検討し、必要な取り組みを官民学が一致協力し一丸となって推進していくべきだと思います。

母性愛を象徴する歌謡曲「聖母たちのララバイ」のこの歌の歌詞のように、女性に愛し尽されたら、私、田村俊昭は、その女性を一生涯、命懸けで守り、尽し、他の誰よりも幸せにしたいと考えますが、皆様はどう思われます?

特に、若い男性の方々に対して、人生の先輩としてアドバイスですが、私、田村俊昭は、男は、タフで優しく情け深く、決して信念を曲げない諦めないど根性と男気と自信と誇りと勇気と夢と希望を持ち続け、日々、粘り強く、一生懸命、愛を込めて、誠心誠意、より善く生きていけば、おのずと、いつか必ず、この歌詞のような、自分にとって、心身ともに素敵で美しく女神様のような素晴らしい女性にめぐり逢えると思います。現に、私、田村俊昭は、実際にそのような生き方をしてきて、離婚はしていますが、元妻という素晴らしい最愛の人と出逢えることができました。

 

41 禅語「災難にあう時節には、災難にてあうがよく候。死ぬる時節には、死ぬがよく候。是はこれ、災難をのがるる妙法にて候」良寛

今日は、6月23日は沖縄慰霊の日です。沖縄では、今日、沖縄戦戦没者慰霊の式典が執り行われるとのことですが、日本では、戦争や自然災害のほか、多くの犠牲者が発生した重大事件・事故の際には、当該発生の日に、必ず、当該犠牲者の御霊に対する慰霊の式典が執り行われていますが、これは、日本人は、他の人が死んだ時、特に、多くの人々が災難(自然災害、事件、事故)によって無念の死を遂げた際には、それらの御霊に対して、「安らかに成仏できますように、天国に往けますように」などと慰霊することが当然であり、当たり前のことだという、多くの日本人が有する死生観、死に対する価値観によるものだと考えます。この項をご覧の皆様におかれましては、表題の良寛様の禅語を踏まえ、戦争や犯罪や自然災害について、如何に考え、対処・対応すべきか考えてみて下さい。

ちなみに、私、田村俊昭は、良寛様のこの禅語について、例えば、地震などの自然災害を実際に自分が経験したり、過去の災害の記録や教訓を読み解き、それらを基に、災害対応訓練・演習などを行い、それらを通じて、有事に備え、常日頃から、災害対応に関する知見、手法、心構えなどをより善く培い高め、それらを決して忘れないようにすることが大切だと考えています。

また、「死」については、誰しもが、死を免れることはできないこと、一世の人生で死ぬことは一回限りであることから、無碍に恐れることなく、他の人の死に様や当該個人の周囲の人々の対応状況などをよく観察し、それらを踏まえ、死に対するより善い正しい認識、向き合い方、価値観、死生観、覚悟を培い育み続けることが大切なのです。

 

42 少子化対策及び子供の徳育について(田村俊昭の私見)

今日2023年5月28日、NHK総合の『日曜討論』という報道番組で『与野党に問う 子供の対策は 財源は』に関する与野党関係者の皆様の討論がなされていました。

私、田村俊昭は、同番組を視聴していて、

「少子化対策は必要だと思いますが、そもそも、為政者の皆様には、以下のような命題を前提に、この少子化対策をはじめ、日本の教育の抜本的改革を議論し、それらを踏まえた施策・取り組みを推進していくべきではないか?」といった感想を抱きました。

そして、近年、日本国内では、安倍元総理の銃殺事件をはじめとする、かつて世界有数の治安の善い、安全安心の国家であった日本では発生してこなかった凶悪犯罪が惹起している由々しき状況を憂慮し、日本の治安の再生、改善のためにも、教育の改善・改革の問題は必要不可欠な喫緊の課題ではないかと考えます。

◎そもそも、日本という国家を、今後、どのような国家としていくのか?

◎我々大人の宝である若い世代、子供達に何を託し、日本の未来・将来に何をどのように引き継いでいくのか?

◎それらの国家の将来像を国是として、まずは、議論し、策定すべきではないか?

◎上記国是を踏まえ、どのような産業を活性化させ、各産業にどのような人材をどのような規模で投入していくのか?

◎当該各人材を育成するために、教育体制、教育カリキュラムの抜本的改革を行うべきではないか?

◎少子化により就労人口が減少することについては、定年退職した高齢者(健常者)の再任用等生涯労働推奨や労働力確保のためのAIの有効活用などを検討・推進すべきではないか?

なお、私、田村俊昭は、昨今の少子化の問題の根本的原因の一つとして、

我々50代以上の中高年の男性の多くが、

●若い世代、子供達に対して、真に男らしい見習うべき生き方を模範として示して生きてこなかったこと、

●「偉そうに、口先だけの嘘っぱちのズルい大人」と揶揄されるような生き方をしてきたこと、

●女性を蔑視し、蔑ろにし、女性にとって「この人なら結婚したい。この人と一緒に生きていきたい。」などと思わせる魅力ある男らしい生き様をしてこなかったこと

などがあると考えます。

また、子供達に対する徳育に関連しまして、先日、NHKの短編ドキュメンタリー番組において、「余命2か月 懸命に生きた少女」と題する動画を視聴しました。

この動画は、16歳の若さで白血病で亡くなった小田山優生様の闘病生活などを記録したドキュメンタリー動画でした。(実際の動画は、NHKプラス等で閲覧視聴願います。)

この短編ドキュメンタリー動画の後半に、優生さんが未来の自分にむけ書いた手紙を紹介しているのですが、私、田村俊昭が堪えきれず男泣きした一節を、以下のとおり謹んで紹介させていただきます。

「たくさんの人を救えていますか?」

「たくさんの人を笑顔にできていますか?」

「大切な人のことをちゃんと大切にできていますか?」

私、田村俊昭は、優生さんの自分への手紙の内容のうち、特に、「大切な人のことをちゃんと大切にしていますか」という自分への思いについて、自分が死ぬことを覚悟している状況下、僅か16歳なのに、大人でも、より善く悟り、実践することが中々できていない「愛の実践」の基本的かつ必要不可欠な「他者を理解し、思いやり、大切にすること」をよく理解し悟っていることを踏まえ、この優生さんの素晴らしい人間性、真心に感銘を受けたものです。

これらのメッセージは、天国におられる優生さんが、ご家族、ご友人の他、我々日本人に向け発信している愛満ち溢れる有難いエールの御言葉だと思います。

 

43 人生とは何でしょうか?

誰の人生においても、人生とは、

ある時には厳しく辛く、

ある時には喜び楽しく、

誰かと出逢い、誰かと別れ、

時には、誰かと傷付け合ったり、苦しめ合ったりして、自分の至らなさや愚かさ、人間の業の深さを後悔、自戒するとともに、

時には、誰かと愛し合い、想い合い、助け合い、その絆を深め、愛を学び、その理解を深め、

それらのことにより、自分の心を浄め磨き上げ、より善く成長させていく、

長い長い旅・トラベルのようなものだと、私、田村俊昭は確信しています。だから、人生はこの上なく素晴らしく、この上なく感動的で、この上なく壮大なものだと、しみじみと想います。

人生は、今この時、この瞬間を生きること、その積み重ねであり、その際に、いかに生きるか、何のために生きるのか、その目的意識をより善く自分が考え、選択し、決め、それらの目的意識を常日頃から意識・自覚しつつ、今この時をより善く生きることが大切だと思います。

また、人生の終焉に、誰もが、自分の歩んで来た人生を少なからず反省、後悔、自戒すると思いますが、私、田村俊昭は、その際に、取り返しのつかない自暴自棄に陥るような後悔、絶望は絶対にしたくないことから、次に存在し生きる世界で、より一層、より善く生きることができるように、自分の今世人生の反省点や問題点を、その根本原因・要因を含め、正確かつ客観的に分析評価し、そして、それらのありのままを真摯に受け止め、事後の自分の生き方のより善い見直し改善に役立て活かす、ある意味、ポジティブな後悔、反省をすることができるよう、日々、より善く生きることに励んでいます。

繰り返し申し上げますが、全ての人間は、命、肉体という尊い宝を与えられ、生きとし生けるものとして、この世に生まれ、人として生きることにより、喜怒哀楽の様々な体験・経験を積み重ねるとともに、様々な人々と出逢い、それらの繋がり、絆を深めるなどして、それらのことを通じて、人間でしかできない心身の学び、錬成強化をするための貴重な機会、経験が人生であり、

それらのことを例えて言い換えるならば、人間は、地球という素晴らしい自然豊かな壮大な惑星を研修教育施設・現場とし、自由意思の原則、自己責任の原則、原因・結果の法則などの宇宙の諸原則のもと、魂・心を浄め磨き上げ成長させるため、学び、理解し、実践・精進することを努力義務、使命として与えられた学生・研修生のような存在であると思います。

私、田村俊昭は、人生は、中道・中庸の考え方で、何事(仕事、精進、勉強・学習、運動、食生活など)も、ええ加減に適度な負荷・労力で、粘り強く、一生懸命、誠心誠意、やり続けること、即ち、継続することが、自分のスキル、健康、心・精神などの、より善い成長・安定に資するものだと確信しています。政治思想については、皆が、敬天愛人・共存共幸・利他性を大切にする価値観を持ち、それらの価値観に基づき、各産業、医療、教育、その他社会活動全てを機能・実施すれば、これまでの左翼、右翼、中道などの特定の政治思想に拘り、それらに執着し、他の政治思想に対して、無碍に否定・批判・反対するのではなく、各政治思想・スタンスそれぞれの善い点、悪い点を今一度、精査・考慮して、それぞれの善い点をええ加減に、いいあんばいで、適切に、より善く活用し、要は、いいとこ取りをして、政治活動、制度改善などを実施していけば善いのではないかと想います。

今の日本のネガティブな暗い社会情勢、雰囲気にしたのは、我々50代以上の多くの人々が、経済優先、お金最優先、国や企業の成長は経済のみの成長であるとした価値観、意識のもと、生きて、働いてきたこと、そして、若い世代、子供達に、真に尊敬すべき立派な大人として、その模範を示し、教え導いてこなかったものであり、その結果、様々な社会問題が惹起し、顕在化している状況にあるのです。死んだらおしまいでもないし、そして、より善い社会にしようとする善なる想いや夢を諦めたら、それこそ、この世の人間社会は崩壊し、人間という種は絶滅することになると思います。我々大人が、叶えることができなかった善なる夢や願望は、若い世代、子供達により善く託し、確実かつ適切に引き継ぐことが大切だと思います。

より善く生きるために努力しない人は貧しい生活を余儀なくされることは自業自得の仕方ないこと、やむを得ないことだと思いますが、今の人間社会では、生きることさえ危ぶまれ、より善く生きる努力することもできない境遇、生活環境におかれている方々に対しては、国や国際機関など然るべき組織・団体が優先的に保護、支援していくべきだと思います。

今の人間社会は、経済最優先、お金最優先、お金儲けが上手く秀でた方々が、この人間社会を仕きり、それらの方々の思い通り都合の良い社会にしているのではないかと思います。

それらの方々、所謂「勝ち組」の方々が、特に、貧困層の方々の実態、実状を善く慮っていただき、貧困層の方々への生活環境、就学環境、治安改善の支援、取り組みを率先垂範で実施するように努めていけば、徐々に少しずつ、今の人間社会で起こっている戦争、内戦、テロ、各種犯罪、差別、格差など、様々な社会問題がより善く改善、解決していくのではないでしょうか。

是非とも、関係各位の方々が、そのように取り組んでいただくことを切に祈願、熱望しています。

最終章 宗教・信仰について

 

日本では、安倍元総理の銃殺事件を発端として、旧統一教会に関連する様々な社会問題がクローズアップされています。私、田村俊昭は、この旧統一教会の問題に関連して、そもそも各宗教は共に、何らかの信者等からの寄附、献金、お布施などにより、各宗教団体の組織運営、寺社仏閣教会などの施設・建物が作られたりしており、そもそも、なぜ、各宗教の教えを広めたりするのに、お金が必要なのか、なぜ、そんなに多くの信者を増やす必要があるのか、疑問に感じております。そもそも、信仰とは何か?何のために信仰があるのか?各宗教の真の存在意義、目的等を善く精査し、整理し直すなどして、抜本的な宗教改革、改善をしていくべきではないかと考えています。これらの宗教改革・改善の取り組みをしない限り、今後とも、宗教と政治・政権との癒着、献金問題などの社会問題、そして、最悪の場合、宗教問題に起因した戦争、内乱、テロなどの蛮行が繰り返し惹起することが懸念されます。

また、私、田村俊昭は、愛は、仏教の慈悲を含め、大きな幅広い概念、思想、哲学だと考えております。当然、割愛は私利私欲の執着の悪思念の一つですが、割愛に至るまでの想い、例えば、好みの異性に恋愛感情を抱くことは、愛の想いの始まりであり、この愛の始まりの想いを抱くことは仏道によくない、相応しくないとして無碍に批判・否定することは、他の存在との絆、共存をも否定、排除してしまうこととなります。愛は、学び理解を深めれば、深めるほどに、頂点のない崇高な概念、思想、哲学であることが心底解ってくるのです。だから、慈悲を含め、愛を日々、学び理解し、実践し続けなければならないものなのです。

 

1 私、田村俊昭の宗教に対する考え方・宗教観について

私、田村俊昭は、私自身が存在し生きていることの真の意義、理由、目的、目標、使命をより善く悟り、それらを全うするための自分の生き方指針を神法、宇宙の法則、宇宙の叡智等を活用して、自らがより善く創り上げ、その指針に基づき、愛が何より大切だと意識・自覚しつつ、皆に感謝しつつ、日々、皆と共に、元気で仲良く、愛を込めて、切に、より善く生きることをモットーに日々、自分がやるべき精進、自分ができる愛の実践を粘り強く、一生懸命、誠心誠意やり続けており、自分の生き方に関して、不安や迷いはなく、自信を持って生きていけるので、特定の宗教を信仰することなく、より善く生きていけると確信しています。

なお、各宗教の経典等の中にも、自分の生き方の指針を創り上げたり、それらの指針を見直しする際に参考となる宇宙の叡智に関することがありますので、それらを自分なり解釈・理解して、適宜、活用すれば善いと考えます。

私、田村俊昭は、特定の宗教を信仰していませんが、私の尊敬する歴史上の偉人として、お釈迦様、聖徳太子様、空海様、西郷隆盛様、山本五十六様などの方々を尊敬しています。これらの方々は、皆、より善く生きることの大切さを悟り、より善く生き抜いた素晴らしい方々だと確信しています。

私は、何らかの宗教を信仰して下さいと、皆様にお伝えしようとは、全く思っていません。何らかの宗教を信仰するか、しないかの選択は、各個人の自由意志に委ねられています。私は、特定の宗教を信仰してしまうと、各宗教ともに、宗教を創設した人やその宗教の指導的立場にある人の思惑、意図によって、言い方は悪いですが、それらの方々の都合の良い戒律や教えが決められ、それらの戒律を厳密に厳守してしまうと、様々な問題が生じてしまうと考えます。信者が破産してしまうほどの献金を要請したり、いわゆる、霊感商法で何の霊的効果もないモノを購入を余儀なくされるなど、宗教に関わる社会問題が現に発生しているのです。これらのことは、やはり、各宗教の主宰者・指導者の魂の霊格が低いこと、つまり、私利私欲の心に打ち勝てず、自身の保身や権威意欲を捨てきれていないことによるものだと考えています。

私は、それぞれの既存の宗教にも、意義深い、善い教え、考え方などがあることも事実であり、私、田村俊昭は、既存の宗教の善い教え、考え方などを参考にして、自分の生き方の指針を創り上げたり、それらの指針を見直し改善する際に、適宜、活用すれば、要は、いいとこ取りで活用すれば善いかと考えています。

 

2 私、田村俊昭の神様・仏様への想い・考え、寺院に対する向き合い方などについて

我々人間の霊魂に比べ、その波動の振動数が極めて高く、無欲知足の心境に至り、この上ない大愛ともの凄い人知を超えた智慧と能力(例えば、新素粒子や新物質を創造したり、新たな科学技術開発を行ったりする能力など)を有する御霊・存在である神様、仏様は、確実に存在されています。このことは、紛れもない真実なのです。

私、田村俊昭にとって、神様・仏様とは、アニメ『鬼滅の刃』の『炎柱、煉獄杏寿郎』のように、「より善く生きること」に関することの達人、先輩、師匠、先生のような目指すべき存在・目標であり、いつの日か、神様・仏様達から『立派に成長したね』とお褒めの言葉をいただくことが私の私利私欲の願望であり、常日頃から、決して、神様・仏様に甘えるようなこと、即ち、救いやご利益を求めるようなことは決して行わないよう努めています。

私、田村俊昭は、お寺や神社や教会は、神様、仏様達をはじめ、様々な御霊の存在の皆様に対して、生かしていただいていることを感謝するとともに、これまでの自分の生き方や言動を反省し、今後、いかにして生きるべきか、言動や想いを行っていくのかを心を落ち着かせ、制御・熟考し、そして、自分自身の今後の生き方等を神様、仏様に対して宣言・宣誓するための場所であると考えております。寺院は、「感謝」と「自戒・反省」そして「自灯明・法灯明」の実践の場であり、そのために、物質的にも霊的にも、清潔で清らかで壮厳で厳かな場所であるべきだと思います。ちなみに、私、田村俊昭は、毎日、広島市南区宇品にある千暁寺や神田神社などで「般若波羅蜜多の実践」(同実践の詳細は下記を参照願います。)を実践させていただいていますが、毎回、同実践の前に同寺院内のごみ拾いを行うとともに、同実践後、以下の挨拶等を言葉で発しています。

 

「神様、仏様、有難うございます。全ての存在の皆様、有難うございます。明日もまた、ここで、般若波羅蜜多の実践を行わさせていただきますので、宜しくお願い申し上げます。有難うございました。失礼いたします。」

 

3 自分の思いどおりにならないのが人生

誰しもが、それぞれの人生において、自分の想いどおりにならないことが沢山あります。

私利私欲のために何かを悪いことをしたり、逆に、世のため人のため他の存在のために何か善なる愛の実践をしても、自分が考えたとおり、思ったとおりの結果が得られたりすることはありません。

宇宙の三大法則の一つである「原因・結果の法則」に基づき、

悪なる言動・思いは、自分にとって嫌な不幸な結果・報いを惹起させます。

一方、世のため人のため他の存在のために行った善なる愛の実践は、時折、心無い者から「偽善者め。有難迷惑だ。癪に障る。」などと蔑視、嫌悪されることもありますが、そもそも善なる愛の実践は、悪行に比べ、格好良く美しい素晴らしい行いであり、

神様、仏様をはじめ、多くの良識・見識ある方々から称賛されるとともに、自分自身の魂・心を浄め磨き上げ、その波動の振動数を高め、より善く輝き、成長させるというより善い結果・成果を得られることとなるのです。

神様、仏様、ご先祖様をはじめ然るべき御霊の方々は、常日頃から、全ての人間を見守っおられ、各々の言動・想いを四六時中、ちゃんと温かく観ておられるのです。

「お天道様・神様が観てるよ。」

「バチが当たるよ。」

「神様から罰を受けるよ。」

 

4 宗教・信仰・精神世界の闇の部分、おそろしさについて

宗教・信仰などの精神世界においても、誰が創設者なのか、誰がリーダーなのか、誰が権威者なのか、など順番付け、権威付けをし、信者・組織拡大しようと企てようとしているから、日本で問題となっている旧統一教会のような社会問題が生じてしまうのです。

そして、宗教の闇の部分、恐ろしいところは、ある宗教を信仰した際、当該信仰に執着し、他の宗教を忌み嫌い、排斥し、最悪の場合、他の宗教の信者を弾圧し、それらを起因に戦争を惹起させることであり、今、起っているイスラエルの有事は、古の時代からの対立する宗教戦争・信仰弾圧の悲劇、蛮行の繰り返しによる恨み憎しみの連鎖が顕在化したものだと考えます。

信仰することの利点、長所・特長を表す言葉に『信じる者は救われる』がありますが、

時として宗教は、

誤った解釈・理解等やその時々の社会情勢、政情、時代背景などによって、『信じる者は洗脳させられる』ものであることを善く理解し、覚悟しておく必要があると考えます。

 

5 神様、仏様の救いはあるのか?

人間は、自分自身が何らかの悲劇的な状況に陥り、心底、苦悩し、絶望の心境に至った場合、人智を超えた存在である神様、仏様達の救い、ご加護、祝福、大愛を希い、祈りを捧げることがあると思いますが、神様や仏様の存在を信じている方々はもとより、無神論・唯物論の方々を含め、誰しもが、宇宙の三大原則の一つである「原因・結果の法則」(因縁、善行善果、善因善果、悪行悪果、悪因悪果など)が絶対に必ず作用し、悪なる行い(私利私欲のために、他の存在を殺したり、傷つけたり、盗んだり、騙したり、淫らなことすること)を行った場合には、事後、自分にとって嫌な報い(罰)を受けることとなり、一方、善なる行い、即ち、世のため他の存在のため自分の成長のために何か善い行いをすること(愛の実践)を行った場合には、事後、自分にとって善い出来事(喜び、幸福感等を実感すること)があるのです。

神様、仏様は、全ての自然、モノ、生きとし生けるものには、それらの御霊が宿られており、無神論者の方々を含め、日々、全ての人間の霊魂の中の良心に内在神として、その御霊が必ず宿られ存在され、常日頃から、各々の行い、言動、想いの状況を分け隔てなく、ちゃんと観ておられるのです。

繰り返し申し上げますが、「善行善果」や「悪行悪果」などは、絶対に必ず作用する宇宙の法則、真理(原因・結果の法則)なのです。過去、犯してしまった過ちや経験した嫌な不幸な出来事を無碍にくよくよ後悔するのではなく、それらのことから学び取り、見出し悟った教訓、改善点等をより善く活かし、日々、今この時(瞬間)をより善く生き、そして、先(未来)に繋げていくことが大切なのです。

とにかく、お互いに、決して諦めず、自分を信じ、皆を信じ、大いなる善なる夢・願い・希望を持ち続け、そして、決して驕り高ぶることなく、油断することなく、日々、今この時(瞬間)を、皆と共に、元気で仲良く、愛を何より大切だと意識・自覚し、皆に感謝し、日々、愛を込めて、切に、より善く生き続けて参りましょう。

 

6 私、田村俊昭の死生観、子供達を死なせない社会について

私、田村俊昭は、死ぬことを恐れていません。肉体の死は、何らかの痛みや苦しみを伴うものですが、肉体が死んでも自分という存在意識は無くならないのですから。

ただし、今世での死に間際、そして、死んだ後に、自分が歩んできた人生を無碍に悔やむことなく、自分の魂・心が成長したことと、更なる改善点を明確に評価・認識・実感することができればと考えております。次に往く世界においても、皆と共に、元気に仲良く、愛を込めて、切に、より一層より善く存在し生きるために。

命は尊いものであり、善人、偉人、悪人、犯罪者の命も、皆等しく尊いものであり、歴史上の偉人と称される偉い方々がどのような死に方をしたのか私は知りませんが、今の人間社会では、戦争や犯罪や飢餓や疫病のため、死んでいる子供達がいることを問題視しています。我々、中高年の大人はこの先何らかの原因で死んでいくことは各自が覚悟しておけばよいと思いますが、上記の子供達の死は、大人達の都合、悪行、不作為により生じているものであり、全ての子供達が安全、安心、健やかに、大人により善く成長することができる社会にするのは、我々大人がすべき責務、使命だと思います。

歴史上の偉人はあくまで故人であり、大切に扱うべきは、今、生きている人間全てであり、特に、子供達は、大人が護り助けてやり、未来を託し担い引き継いでいくべき宝の命なのです。

私は、優れた偉人の方々の死よりも、子供達の死は絶対にない社会にすべきだと思います。

 

7 現代の人間に必要なより善い心の拠り所・価値観について

昨今のネガティブな社会情勢を憂慮し、私、田村俊昭は、今こそ、全ての人間が、真に清く正しい心の拠り所、価値観を醸成、高めていくための努力、実践に努めていくことが必要不可欠であると痛切に実感しています。

私、田村俊昭は、上記のとおり、幼い頃、愛媛県新居浜市にある瑞應寺が運営する「ひかり幼稚園」に通っていました。そこで、同寺の本堂で「おちかい」の実践を行い、その「おちかい」の言葉の中で「御仏様の御教えに従い」、「立派な人になります」という言葉が今も耳に離れず、日々、自分なりに「立派な人」とはどういう人であるのか探求し続けています。また、母方の祖母が毎日、近所のお堂にお供えをし、「南無妙法蓮華経」を唱えていたのを幼い頃によく観ていたことも、仏道への関心をよせた経験の一つなのです。

今の日本のネガティブな暗い社会情勢、雰囲気にしたのは、我々50代以上の多くの人々が、経済優先、お金最優先、国や企業の成長は経済のみの成長であるとした価値観、意識のもと、生きて、働いてきたこと、そして、若い世代、子供達に、真に尊敬すべき立派な大人として、その模範を示し、教え導いてこなかったものであり、

その結果、様々な社会問題が惹起し、顕在化している状況にあるのです。死んだらおしまいでもないし、そして、より善い社会にしようとする善なる想いや夢を諦めたら、それこそ、この世の人間社会は崩壊し、人間という種は絶滅することになると思います。

我々大人が、叶えることができなかった善なる夢や願望は、若い世代、子供達により善く託し、確実かつ適切に引き継ぐことが大切だと思います。

 

8 仏教、お釈迦様の教えが他の宗教と異なる点について

私、田村俊昭は、お釈迦様の教えは、特定の神様、仏様を信仰する他の宗教とは違い、人間が、いかに、より善く生きていけば善いのかを教え導いた、人間哲学、思想の学問であると理解しています。現代の人間社会においては、我々人間が生きていくための様々な実用書などがありますが、たぶん、お釈迦様は、それらの書籍などが無かった古代インドにおいて、お釈迦様自身が悟り、学び培い、実践し続けてきた「仏性を高めていくために、人間は斯く生きるべき」という考え方やノウハウ等を、人々に、各々の個性、性格等に応じた教え方、言葉でその人に応じ、対機説法という教示の仕方で幅広く、巡業行脚で教え広めていかれた人生を歩まれたのだと思います。

南無釈迦如来

(田村俊昭個人の私訳・現代語訳)

※さあ、みんな、お釈迦様の教えや生き方を見習って、自分の心を浄め磨き上げ、その仏性を高め成長するために、八正道を実践し、より善く生きようぜ!!

 

9 今この時、この瞬間に集中し行動し人事を尽くすことについて

時は過去に遡ることは絶対にできません。の流れを感覚的に遅くしたり、早めたりすることはできます。したがって、過去の出来事、体験を変えたり、無にすることは絶対にできません。

一方、未来に起こり得る出来事につきましては、ある程度予測することはできるのです。例えば、現存する様々な古文書に記されている未来の予言などは、宇宙の大原則の一つである「原因・結果の法則」に基づき、太陽、月などの星々の位置関係から生じる生命エネルギーのエネルギーバランスの変化等を踏まえ、自然環境の変化や人間の心身のバイオリズムの変化等を予測計算し、それらのことを踏まえ、将来に起こるであろう出来事を推測・推定したものを記したものなのです。タイムマシンは、誰も創れないし、存在しません。タイムマシンは、過去を変えたい、未来を実際に観てみたいといった人間のエゴ・欲望による想像の産物に過ぎないのです。

したがって、我々人間は、現実世界の中において、過去の出来事、過ちなどを無碍に悔やむことをせず、そして、未来を過度に悲観したり、憂えることをせず、ただひたすら、今この時、この瞬間に集中し、各々がやるべきこと、やらなければならないことを、粘り強く、一生懸命、誠心誠意やり続け、やり遂げることが大切なのです。

なお、ご承知のことだと思いますが、過去の悪なる行いに対する報い、天罰を受けることを免れたりすることは絶対にできませんし、また、過去の善なる行いの褒美などを受けることを拒否することも決してできませんので、この旨、申し添えさせていただきます。他の存在を私利私欲のために、傷つけ苦しめたりして、謝罪・懺悔するだけで、その罪が許されたり、天罰が無くなることは決してありません。過去は変えられないが、未来は、今この時、瞬間における努力次第、頑張り次第、悪なる行い次第、そして、善なる行い次第で、自分にとって善きも悪しきも、どのようにもなるのです。善なる夢と希望を持ち続け、そして、その実現に向けた努力や頑張り次第で、それら善なる夢や希望は、絶対に必ず叶い、実現するのです。善なる夢や希望は、決して諦めず堅持し続け、日々、切に、より善く生きて参りましょう。

 

 

日々、より善く生かしていただいて、誠にありがとうございます。以上

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