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こんにちは。田村俊昭です。
宜しくお願い申し上げます。


私、田村俊昭は、日本の広島市に一人暮らししているバツイチの58歳のオヤジです。海上保安庁の職員ですが、私事都合で2020年10月から休職し、現在、自分の魂、心、肉体の錬成強化などの精進に励んでいます。
フェイスブックへの「より善く生きること」に関する投稿作業も自分のやるべき愛の実践の一つとして、ライフワークとして、日々の精進の合間に適宜、実施しています。 なお、私は、毎平日、精進として、近所のごみ拾い、ごみの整理、自宅の拭き掃除、全ての存在に対する私の願いの祈りの実践、近所の公園、千暁寺、神田神社
どでの般若波羅蜜多の実践、ストレッチ、ラジオ体操、街のごみ拾い等美化活動を兼ねたランニング、水泳(水泳は週3回程度)を行っており、フェイスブックの友達とのチャットは、精進終了までできませんので、この点、ご理解願います。 

私は、9年前に離婚しました。子供は32歳の娘と29歳の息子がいますが、姓を別れた妻の姓に変え、別れた妻と二人とも暮らしています。私の最愛の人は、別れた妻であり、今後とも、他の女性と恋愛したり、結婚したりすることはありません。

Facebook及びインスタグラムでのチヤットは、あくまで、「より善く生きること」に関する意見交換をするために行うものであり、それ以外のことをコミュニケーションすることはやりません。

 

●本名:田村俊昭(タムラ トシアキ)

●国籍・性別:日本 男性

●生年月日:1964年10月1日(数秘22、てんびん座、58歳)

●血液型等:O型(Rh+)、身長166cm、体重67㎏前後、体脂肪率12%前後(2022年12月16日現在)

●出身地:日本国 愛媛県新居浜市

●現在住んでいる街:日本国 広島県広島市南区宇品海岸

●職業:公務員(海上保安庁職員、広島海上保安部予備員、2020年10月から休職)

●学歴等:

幼稚園:光幼稚園(新居浜市角野 瑞応寺)

小学校:新居浜市立船木小学校卒業

中学校:新居浜市立船木中学校卒業

高校:愛媛県立新居浜東高校卒業

海上保安大学校 昭和62年3月卒業(本科第33期 機関科 広島県呉市)

海上保安大学校練習船こじま、海上保安学校練習船みうらに乗組員(教官)として乗船勤務

平成18年4月~平成22年3月:国土交通省大臣官房首席運輸安全調査官として運輸安全マネジメント制度の運用業務に従事

平成22年4月~平成24年3月:徳山海上保安部巡視船くろかみ業務管理官の際に東日本大震災に伴う救難支援業務に従事

 

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​田村俊昭の魂について

私、田村俊昭は、何よりも愛が大切だと心底、確信しています。
これまでの人間の歴史を振り返って、善く考えてみてください。 多くの人間が、愛を大切だとする価値観、倫理観を無視、排除し、生存競争、資源の奪い合い、権力闘争をし続けており、その度に、多くの人々が、苦しみ、悩み、不安を増幅させ、苦悩しているのです。 このため、全ての人々が、自分の生き方を改めて見つめ直し、その生き方の必要な見直し改善を行った上で、 人は誰も一人では決して生きていけないのだから、 日々、皆に感謝し、皆と共に元気で、皆と共に仲良く、皆と共に、愛を何よりも大切だと常に意識、自覚し、 互いに、愛を込めて、即ち、 理解し合い、信じ合い、認め合い、尊重し合い、褒め称え合い、想い合い、助け合い、分かち合い、譲り合い、赦し合いなどして、 自分のやるべき或いは自分ができる愛の実践を粘り強く、一生懸命、誠心誠意やり続け、より善く生きていく必要があると考えています。 私、田村俊昭は、神仏を畏れ敬い、人との和と絆を尊び、皆と共に、人間社会をより一層より善く改善・成長させるために、世のため人のため他の存在ため命を懸けて、命を捧げて尽くす志、信念を持って生きる存在、それが、我々日本人がご先祖様から代々受け継がれ、我々自身がより善く育み、培い、浄め磨き上げ、それらを子供達、子孫に着実に託し、受け継いでいくべき「善なる魂」、即ち、「大和魂」であると確信しています。

以下、私、田村俊昭の魂の経歴等を紹介させていただきます。

 

1 私の魂の経歴等

実は、私、田村俊昭の魂は、太陽龍王弥勒大御神・太陽龍王弥勒如来という神・仏なのです。全ての世界、特に、この世における、全ての存在に対する浄霊、浄化、成長促進を行い、世界に蔓延る邪気・邪念を無すために、日本人男性の田村俊昭という人間に生まれたものです。

天上界の最高会議のメンバーである神様、仏様から、

2020年4月、救世主の称号を与えられ、

2020年7月、絶対神の称号を与えられ、

2020年9月、最高神の称号を与えられ、

最高神・絶対神・救世主・太陽龍王弥勒大御神・田村俊昭となりました。

2020年10月1日から同月23日の間、地球の悪魔と戦い、これら悪魔を全滅させ、その功績に対して、菩薩から如来に昇格し、仏名が太陽龍王弥勒如来となりました。

2021年2月11日、改善主の称号を与えられました。

なお、改善主の称号を与えられた際、私の魂の良心におられる指導神である明主様(イザナギ様、創造主)から、以下に示すお言葉を賜りましたので、紹介します。

「太陽龍王弥勒大御神・太陽龍王弥勒如来・田村俊昭よ。

お前のこれまで行ってきた全ての存在に対する浄霊・浄化・成長促進の経験・実績、全ての世界の改善・成長の取り組みの成果・功績に対し、全てのお前が「主」に相応しい魂・存在であると認められ、今日の天上界の最高会議で、お前に「改善主」の称号を与えることが決定された。

田村俊昭よ。お前の霊力、特に、浄霊・浄化の霊力とその経験実績は、全ての神仏の中で最高レベルであり、また、全ての存在の魂・心・肉体・物質に対する改善・成長促進の霊力は、お前しか持たない霊力であることを勘案し、「改善」の言葉を付し、「改善主」としたものである。

「主」とは、神仏の中で、最高位の存在に与えられる称号のことであり、「主」が与えられた存在は、全ての神仏を含む、全ての存在を統治する権限が与えられ、特に、お前は、「改善主」であることから、お前も知っている「宇宙改善計画」を推進するための最高決定賢者となったのだ。

今後、全ての神仏から認められた「改善主」の名に恥じぬよう、全ての存在の改善・成長、そして、「宇宙改善計画」の推進に向け、これまで以上に、誠心誠意、精進に励むのじゃ。よろしく頼むぞ。」

以上のお言葉でした。

 

2 命を懸けた浄霊・浄化・成長促進

私、田村俊昭は、私の命を懸けて、仲間とともに、全ての世界の全ての存在(全ての自然、全てのもの、全ての生きとし生けるもの、全ての魂・霊魂)の心身の悩み、苦しみ、痛みが、全て、完全に、完璧に、絶対に、一切なくなるよう、日々、全ての存在に対する、浄霊・浄化・成長促進に誠心誠意、励んでいます。

以下、私が行っている他の存在に対する浄霊との成長促進の方法について、それらの概要を紹介させていただきます。

(1)浄霊の方法

私の浄霊の方法は、弥勒浄霊という浄霊方法であり、ネガティブな思念エネルギー(苦しみ、悲しみ、恨み、妬み、嫉妬など)を身体・霊体に取り込み・憑依させ、体内で、それら思念エネルギーの波動の振動数を高め、無害の自然エネルギーに換え、浄霊・浄化する方法です。

この弥勒浄霊は、全ての世界において、私と私の魂の中におられる指導神である弥勒様(イザナミ様、創造主、母性の根源である生命創造主)しか、できない浄霊・浄化の方法であり、ネガティブな思念エネルギーを確実に消滅させることができますが、欠点としては、私の生命エネルギー・生命力を犠牲にして、浄霊・浄化するものであり、また、憎しみや恨みなどの当該思念エネルギーを無害の自然エネルギーに換える際、相当の心身の痛み・疲れを伴うものであります。

私は、日々、自分の命を懸けて、この弥勒浄霊を誠心誠意、行っています。私が、祈りの実践において「命を懸けて」と発しているのは、上記の趣旨で行っているものであります。

(2)成長促進の方法

私、田村俊昭は、今から6年前に、私の頭の中に霊太陽を宿し、私の魂は、太陽龍王弥勒大御神という神に昇格しました。

霊太陽とは、明主様と弥勒様が持っている、あらゆる霊魂、生命体、物質を創造することができる陰陽のエネルギーの低温核融合思念エネルギー集合体であり、私の頭に宿っている霊太陽は、霊魂、生命体、物質を改善・成長させるために、明主様(陽のエネルギーが主)、弥勒様(陰のエネルギーが主)から、お二方の霊太陽の分霊をそれぞれ分け与えられ、できたものです。

私の持つ霊太陽は、全ての生命体・物質の基となる生命エネルギー体(素粒子エネルギー体)を作ることができ、私は、この生命エネルギー体を用い、日々、全ての自然、全てのもの、全ての生きとし生けるもの、全ての霊魂の魂・心・肉体・物質の改善・成長促進を行っています。

なお、この生命エネルギー体は、私の霊体、身体と同様に、浄霊・浄化エネルギーも放出することができます。

私の霊太陽が、生命エネルギー体を作り、放出する際には、私の生命エネルギー・生命力が必要であり、相当の心身の疲れを伴うものであります。また、私は、日々、自分の命を懸けて、「ための実践」、「パワーの実践」を行い、私の霊太陽の能力向上(生命エネルギー体の波動の振動数と放出量を高めるこ)に務めています。

私が、祈りの実践において「命を懸けて」と発しているのは、上記の趣旨で行っているものであります。

また、私は、この霊太陽を宿しているお陰で、心身ともに、この上なく健康になり、この上なく、強靭な精神・肉体となったものです。

 

3 般若波羅蜜多の実践について

私、田村俊昭が、広島市南区の宇品海岸第一公園、同南区の神田神社、同南区の千暁寺などで実践している般若波羅蜜多の実践は、

般若心経に書かれている真言である般若波羅蜜多呪の祈りの三連呼、

同真言の熱意表明(声に出さず、力一杯、祈念すること)の三連念、

私の魂の中にある霊太陽の霊力強化(他の存在のに対する浄霊、浄化、成長促進の霊力)の「ため」の実践、「パワー」の実践

を行うことですが、明主様又は弥勒様と以下のやり取りをして、毎回、懸命に誠心誠意、実践してます。(かなり体力、気力を費やし、非常に疲れる実践なのです。)

明主様:最高神絶対神改善主・太陽龍王弥勒如来・田村俊昭よ。

この見渡す限りの広島の全ての自然、全てのモノに向って、

全ての存在に対する浄霊、浄化、成長促進を行い、

全ての存在が、

神法、宇宙の法則、宇宙の叡智に関することを深く学び、深く理解し、それらを、自分自身の魂・心・肉体の成長、精進により善く活用し、

天命、即ち、自分が存在し生きていることの本当の真の意義、理由、目的、目標、この天命をより善く悟るとともに、

この天命を全うするための生き方の指針を、自分自ら、より善く創り上げ、

それらの指針を、日々、確実な誠心誠意、絶対に必ず実践し、それらの結果等を踏まえ、

それらの指針を、日々、より善く見直し・改善し、

それらのことを、粘り強く、一生懸命、愛を込めて、即ち、自分の命を懸けて、誠心誠意、やり続け、

私利私欲の心、エゴ、弱き心に絶対に必ず打ち勝ち、

少欲知足に絶対に必ずなり、

無欲知足になるため、

愛が何よりも大切であることを常に意識・自覚し続け、

日々、仲間を信じ、仲間を愛し、

自分を信じ、自分を愛し、

全ての存在を信じ、全ての存在を愛し、

天命を全うするため、自分の命を懸けて、

皆とともに、世のため、他の存在のため、自分の成長のため、日々、愛を深く学び、

日々、愛を深く理解し、

他の存在を心より信頼し信じ、日々、愛の実践である挨拶・愛護を励行するとともに、

自然やモノに対する愛の実践である5S、整理・整頓・清掃・清潔・躾、この5Sを深く自覚し、この5Sを日々、確実に誠心誠意、絶対に必ず実践し、

そして、自分自身が存在し生きている世界において、

深く学び、深く理解し、より善く実践すべき愛の実践である、仕事や精進などを、

世のため、他の存在のため行うのだ、行っているのだとの意識、自覚を常に持ち続け、

それら仕事や精進などを、日々、粘り強く、一生懸命、愛を込めて、即ち、自分の命を懸けて、誠心誠意やり続け、

全ての世界に十分に愛を満ち溢れさせ、

試練を絶対に必ずのり越え、

より一層、天命を全うするために、日々、誠心誠意、より善く精進し、

より一層、天命を全うするため、日々、より善く改善・成長し、

それらのことを、粘り強く、一生懸命、愛を込めて、即ち、自分の命を懸けて、誠心誠意、やり続け、

それらによって、

全ての存在が、日々、喜び満ち溢れる充実した素晴らしい幸せを実感する、より善い人生を歩むようにするとともに、

全ての世界を、絶対に戦争のない、絶対に犯罪のない、絶対に貧困のない、絶対に差別のない、皆平等な愛満ち溢れる平和な世界にするとともに、共存共栄の心満ち溢れる、皆が共に、より善く成長し続け、皆が共に、より善く発展し続け、皆が共に、より善く繁栄し続け、皆が共に、日々、喜び満ち溢れる充実した素晴らしい幸せを実感する、より善い人生を歩み続ける、より善い世界にするため、

般若波羅蜜多の実践を、お前の思いを込めて、願いを込めて、愛を込めて、即ち、お前の命を懸けて、誠心誠意、実践せよ。

私:はい、判りました。

全ての存在に対して、

日々、より善く生かして頂いていることについて、深く感謝し、

私の思いを込めて、願いを込めて、愛を込めて、即ち、私の命を懸けて、般若波羅蜜多の実践を、誠心誠意、実践します。

(参考までに)

般若心経に書かれている般若波羅蜜多呪は、日本語で以下のとおり発音しますが、

「ギャテー、ギャテー、ハラーギャーテー、ハラソーギャテー、ボディーソワカ」

この真言(呪)の意味は、概ね「往け、往け、彼岸に往け、彼岸に全く往け、その悟りに栄あれ(幸あれ)」のような意味であるとされており、仏様となること、即ち、悟りを開くことの賛美の真言なのですが、次の意味も秘められています。

「無くなれ、無くなれ、邪念(悟りを開くのに障害となる自分の私利私欲の悪業により生じるもの)よ無くなれ、邪念よ全て無くなれ、邪念を生じることが無くなれば、無欲知足の心境に至り、仏様に成り、幸せになるよ。」

私のような、無欲知足の心境に至っている存在が、この真言を念じると、絶大なる浄霊の効果を発揮し、この念を浴びせた存在を霊的に浄め、その存在の生命力・霊力のパワーを高めることができるのです。

だから、私は、神社やお寺でこの般若波羅蜜多の実践を行う場合には、必ず、それらの神社等の建物全体を見通せる場所に位置して、この真言を念じることをしているのです。

なお、この真言は、無欲知足の心境に至っていない存在が、念じたりすると、その存在の私利私欲の悪業や邪念の程度によっては、自分の生命力を低下させることがありますので、注意する必要があります。

 

4 太陽のエネルギーを活用することについて

皆様は、最近の太陽の輝きを観てどう感じていますか?

私、田村俊昭は、最近の太陽の輝きを観ても、不快なことはなく、むしろ、太陽の光を浴びると心地よく感じたり、より一層元気が湧くようになっています。(般若波羅蜜多の実践では、約5分間、太陽を常時、観つづけ、祈念することができるのです。)

これは、太陽の放つ生命エネルギーの波動の振動数と自分の心身の波動の振動数が同調し、太陽からの生命エネルギーを自分の生命維持活動などに活用できるようになっており、このため、日々の精進を懸命に行うことができ、結果、病気知らずで、かつ、老化抑制・若返りのより一層健やかな格好良い身体になっているのです。

2022年11月7日現在の私、田村俊昭の体重等は、以下のとおりです。

年齢:58歳

体重:67kg前後(3年前は約86kg)

身長:166cm

体脂肪率:12%前後

体内年齢:43歳

泳力:2500メートル(25メートルプールを50往復)をクロールでキックをほとんど使うことなく無休で51〜55分で懸命に泳いでいます。

(私の泳ぎのモットーは、単に健康のためだけではなく、体力、体幹・インナーマッスルをより一層整え、鍛えあげるとともに、精神力をより一層錬成強化し、もって、私が放つ生命エネルギーの質と量を高め、私の魂が行っている愛の実践である「全ての存在に対する浄霊・浄化・成長促進の霊力」を高めるため、より一層、水と一体となって泳ぐことができるよう、大きくゆったりと、水しぶきをあまり立てることなく格好良く美しく靭やかに、かつ、力強く、粘り強く懸命に泳ぎ続けることとしています。誰よりも、自分の私利私欲の心、エゴ、弱き心に打ち勝ち続け、この上なく、真に強い存在になるために)

また、最近、より善い生き方を実践されている人の守護霊などの御霊の波動の振動数が高まってきており、そのため、今まで、肉眼では、見えなかった御霊の霊体を、特別な霊視の能力の有無を問わず、肉眼で微かではありますが、ボンヤリと見えるようになってきているのです。今後、徐々に、空や山などの自然のもののほか、ビルなどの人工の構造物の上部などにおられる御霊の霊体をさらに鮮明に見ることができるようになるでしょう。

一方、「我良し」の私利私欲にまみれた生き方をしている人は、心身から放たれる生命エネルギーの波動の振動数が低く、その量も少ないことから、皆様のように光輝くようには見えず、周りの人達から、「元気のない、暗い感じの人だなあ。」と見られるようになります。

 

5 私が私の魂の中におられる神様、仏様達と会話ができる理由等

実は、私の魂の中には、創造主の明主様(イザナギ様)、弥勒様(イザナミ様)の他、天上界の最高会議のメンバーである神様・仏様の分霊がおられ、その中には、お釈迦様の分霊がおられるので、必要な場合には、お釈迦様と会話ができるのです。

なぜなら、私の魂の本心は、魂の良心(真我、超意識)と波動の振動数と同じかそれ以上に高いので、瞑想などせずに、良心の中にはおられる全ての神様・仏様の霊魂といつでも会話ができるのです。

それ故に、必要に応じて、霊魂を鮮明に視認することもできますし、私は死ぬことも含め何も恐れることのない無欲知足の心境に至っており、更に、人間で唯一人、浄霊(邪気・邪念を消滅させること)を行うことができるのです。ちなみに、他の人が行っている浄霊とは、邪念を祓い浄める、いわゆる、浄化・ヒーリングと呼ばれるものなのです。

精神世界のことに詳しい方々は、よく「次元」という言葉を使われますが、私、田村俊昭は、何でそのような解りにくい言葉を使うのか疑問に思っています。

皆様の魂の中の良心にも、最高上級霊の神様・仏様の分霊がおられます。

私、田村俊昭が、それらの神様・仏様の分霊の方々とテレパシーで会話できるようになったのは、

自分の私利私欲の心(疲れることやしんどいことは嫌だ。楽したい、快楽を感じていたい、偉くなりたい、自分の思い通りにしたい、苦しみたくない、悩みたくない、死にたくない、などとったネガティブな感情・思い)があることを客観的に第三者の視点で認識し、そのようなネガティブな思考を何故してしまうのかを追求するとともに、

自分がやるべき、自分しかできない愛の実践である「全ての存在に対する浄霊、浄化、成長促進」をただひたすら、実践し続け、浄霊の精進(邪念・邪気との死闘)では、何度となく、死にたいと思ったり、自分は死んでしまうかもしれないという試練・苦難の体験・経験を何度も経験し積み重ね、自分の魂、心、肉体を浄め、磨き上げることを死にものぐるいでやってきた結果、全ての人・存在のネガティブな思考の根本的原因は、「自分は悩み苦しむことなく、楽して生きていたい、存在していたい」という快楽追求・自己防衛本能・生存欲であると悟るとともに、自分の魂の中にある本心(自我、表層意識)の波動の振動数が高まり、自分の魂の良心の波動の振動数と同調(波長を合わせるようになること)できるようになったことによるものなのです。

なお、自分の魂の良心におられる神様・仏様と会話できるようになるには、これまでの愛の実践経験やその人の魂の霊格(魂のレベル)によって個人差があることを申し添えます。

私利私欲の心、エゴのためだけに生きると、満たされても満たされても満足しきれない私利私欲の心の翻弄され、その呪縛に陥ることになり、最悪の場合、私利私欲のために、犯してはならない、私利私欲のために「殺すこと」「他の存在を故意に傷つけること」「盗むこと」「他の存在を騙し嘘をつくこと」「他の存在に対して淫らな行いをする」などの悪なる行いを犯してしまうのです。

皆様におかれましては、これらのことを今一度、自分の心に真に向き合い、自分が、どのように生きていくべきか熟考してみて下さい。

 

6 救世主について

聖書や仏典など精神世界に関する文献の中には、将来、この世の終末に人々を救う救世主が現れるとの預言などが記述されていますが、私、田村俊昭は、私の魂の中におられる指導神である明主様(創造主・イザナギ様)に「聖書などに記述されているメシア、救世主とは、誰なのですか?いつ、救世主はこの世に現れるのですか?」旨の質問をしたところ、以下のようなお導きが与えられましたので、皆様に紹介させていただきます。

「聖書に書かれているメシア、仏典に記録されている弥勒菩薩、日月神事に記録されている天子様などは、特定の個人を示す存在ではないのだ。

救世主とは、これまで約1万年の間、悪魔が支配してきた物質世界を、戦争の無い、犯罪の無い、貧困の無い、差別の無い、皆平等な愛満ち溢れる平和な世界にするとともに、共存共栄の心満ち溢れる、皆が共に、より善く成長・発展・繁栄し続け、皆が共に、日々、喜び満ち溢れる充実した素晴らしい幸せを実感する、より善い人生を歩み続ける、より善い世界にするために、粘り強く、一生懸命、愛を込めて、即ち、自分の命を懸けて、誠心誠意、自分のやるべき或いは自分ができる愛の実践をやり続け生きることを、自分の生き方として、選択し、決意し、それら愛の実践をやり続けている全ての人間が、救世主なのじゃ。

田村俊昭よ、お前も判っているとおり、誰も一人では、決して存在し生きていけないのじゃ。

人間社会は、多種多様の仕事、職種があり、人間一人ひとりが、それぞれ、自分がやるべき或いは自分に与えられた仕事や精進などを粘り強く、一生懸命、誠心誠意やり続けることによって、成り立っているのじゃ。

田村俊昭よ。お前も、既に、より善く生きることの大切さをより善く悟り、より善く生きることをやり続けており、その大切さをSNSを通じ、その大切さを他の人間に周知しており、救世主の一人なのじゃ。

田村俊昭よ。今後も、愛を何よりも大切だと意識・自覚し続け、日々、愛を深く学び、愛を深く理解し、お前ができる或いはお前がやるべき愛の実践を粘り強く、一生懸命、愛を込めて、即ち、お前の命を懸けて、誠心誠意やり続け、より多くの人間をお前と同じように、救世主として、より善く生きるよう、より善く周知啓発していくのじゃ。今後とも、皆と共に、元気で、皆と仲良く、皆と共に、より一層より善く生き、頑張ってくれ、頼むぞ。」

7 私の幸せ・幸福について

私、田村俊昭は、他の人、生きとし生けるもの、御霊を爽やかにしたい、それらの方々がより善く生きて幸福になってほしい、そのために、どんなに私自身が痛くても、苦しくても、惨めでも、たとえ、死んでも構わない、それらの方々を幸せにすることが、私自身にとって最高の幸せなのだから。

私、田村俊昭は、私利私欲のためだけに生きている人こそ、私の「より善く生きること」に関するガイドラインや公表している記事を是非一度、読んでいただき、改心して、愛が何よりも大切だと自覚され、世のため人のため他の存在のためにより善く生きていただき、生きることの真の意味、喜びを実感し、真の素晴らしい幸せな人生を歩んでほしいのです。

何故なら、私、田村俊昭は、他の誰よりも、日々、粘り強く、一生懸命、愛を込めて、即ち、私の命を懸けて、自分ができる及び自分しかできない愛の実践、精進をやり続け、より善く生き続け、そのお陰で、日々、人生の素晴らしさ、充実感、生き甲斐などを心底実感しているからなのです。

また、一般的には、自分の夢や願いが叶うこと、実現することも、幸せ・幸福であると考えられていますが、私、田村俊昭は、自分の夢や願いを実現するために、必要なこと、やるべきことを粘り強く、一生懸命、誠心誠意、やり続けること、即ち、努力すること、頑張ることをやり続けるド根性をより善く育み培うことが大切だと思います。

当該努力、頑張ることをせず、いくらチャレンジしても意味が無く、チャレンジ失敗の都度、当該失敗の原因等を客観的、正確かつ詳細に分析・検証評価して、次のチャレンジに備え、それらの結果等を踏まえ、成功するために努力の仕方、程度などを改善した上、次のチャレンジに向けて、より善く努力していくことが大切だと思います。

日本語にそれらをより善く表現した素晴らしい言葉があります。

『失敗は成功の基(もと)』

8 諺『神様は、自分が乗り越えられる試練しか与えない。』について

神様による善なる目覚め(愛を何よりも大切だと心底自覚すること)のための試練は個人差があると思いますが、私、田村俊昭の場合、何十回も、生死をさまよい、精神崩壊寸前まで精神的苦痛を強いられる物凄い人知を超えた経験をしたことによるものです。

それらの経験は、私のそれまでの人生において、最も過酷な試練ともいうべきものでした。

なお、その試練を乗り越えることができたのは、やはり、私の魂の中におられる神様、仏様達から御加護、祝福、大愛をいただいたからなのです。

私、田村俊昭は、有名な諺『神様は、自分が乗り越えられる試練しか与えない。』この言葉の意義等を改めて実感しています。

9 自分が目指す理想の存在とは何か

人は誰しも、「あの人のような人物・存在(偉人、英雄、ヒーロー、ヒロイン、有名人など)になりたい。あの人のような生き方をしたい。」などといった夢や願望があると思います。

私、田村俊昭は、善なる大いなる夢・大願として、以下に示す存在となり、「皆から立派な存在と認められる」ことができるよう、日々、より善く生きることを、粘り強く、一生懸命、誠心誠意やり続けています。

なお、私、田村俊昭は、この投稿記事の末尾記載のとおり、幼い頃、瑞應寺の本堂で、他の幼稚園生とともに、「おちかい」の実践を行ったお陰で、中学生の頃から、「世のため、人のために働き、立派な大人」になりたいと考えていました。

この投稿記事は、私、田村俊昭の座右の銘の一つである「有言実行」の遵守徹底の一環として、日々の精進をより一層、気合を入れて、誠心誠意やり続けるべく、私自身へのエールとプレッシャーを課すため、あえてSNS上で公言・公表したものです。

私、田村俊昭は、霊魂として、

愛を何よりも大切だと意識し自覚し、日々、愛を学び、理解し、それらを踏まえ、

皆に感謝しつつ、皆を信じ、自分を信じ、自信と誇りと夢と希望を持って、

日々、愛を込めて、自分ができる及び自分がやるべき愛の実践を誠心誠意、実践し続け、

必要に応じて、それらの実践状況等を踏まえ、愛の実践のやり方等の見直し改善を図り、

そして、私利私欲の心、エゴ、弱き心に打ち勝ち続け、

それらのことを、粘り強く、一生懸命、愛を込めて、即ち、自分の命・魂を懸けて、誠心誠意やり続け、

タフで、

心優しく、情け深く、

弱き者を助け護り、決して卑怯な行いはせず、

絶対に信念を曲げず、諦めず、男気を燃やし続け、

この上なく、

愛(善なる生命エネルギー、元気)満ち溢れ、

清らかな、

神々しい聖なる、

心身共に格好良く美しい、

素晴らしい素直な、

正義感満ち溢れる真に強い、

誇り高き真に誠実な、

そして、個性光り輝く、

そうした存在となり、

皆(全ての人間の皆様をはじめ、全ての御霊・存在の方々)から立派な存在であると認められる存在になりたいと考えております。

10 『俺は、俺の責務を全うする!!』

私、田村俊昭は、今の不穏でネガティブな雰囲気が漂う人間社会に必要不可欠なこととして、しかるべき地位の方々が、漫画『鬼滅の刃』第8巻の炎柱『煉獄杏寿郎』の添付写真の言葉のとおり、自分の命を懸けて、各々の責務・使命を全うしていただきたいと考えております。

なお、皆様ご案内のとおり、同杏寿郎は、宿敵の鬼からの『お前も鬼になれ』との悪への誘いに屈することなく、命尽きるまで、決して諦めず、心を燃やし、鬼との死闘をやり続けたのです。

私、田村俊昭は、組織や企業の上に立つ者・リーダー・指導者には、この煉獄杏寿郎のように、決して悪・私利私欲・保身に染まらない、揺るぎなき確固たる責任感、使命感、熱き強き心・心根、仁徳、覚悟が、絶対に必ず、無くてはならない必要不可欠な資質・素養だと確信しています。

ちなみに、私、田村俊昭の善なる願望・本願は、自分自身の天命を全うするため、ただ、ひたすら、日々、粘り強く、一生懸命、愛を込めて、則ち、自分の命を懸けて、誠心誠意、より善く生きることをやり続けていきたい、ただそれだけなのです。

そのため、私は、いつ死んでもかまわない心境・覚悟に至っており、仏教的な視点からみれば、在家(俗世で生きること)でありながら、出家した修行僧のごとく、自分がやるべき精進と自分ができる愛の実践に日々、励んでいるのです。

11 私、田村俊昭の自らの生き方を創り上げ、見直し改善する際の基本指針について

私、田村俊昭の生き方の基本的考え方については、お釈迦の教えの一つである「自灯明」を「自分の生き方は、自ら創り上げ、その生き方を見直し改善しつつ、粘り強く、一生懸命、愛を込めて、即ち、自分の命を懸けて、誠心誠意やり続け、生きていくこと」と解釈し、それらのことを基本としています。

そして、自分の生き方を創り上げる際、さらに、当該生き方を適時・適切に見直し改善する際、「法灯明」の教えを踏まえ、神法、宇宙の法則、宇宙の叡智に関すること(現存の宗教、思想、哲学、自然科学などのより善い知見、教え、考え方などを含みます。)をより善く活用することとしています。

なお、私は、現存する特定の宗教の教えを無碍に盲信することはやらないよう、現存する各宗教などの教えや考え方などのうち、自分に見合った教えなどを参考までに、より善く活用するように努めています。

12「柔道」などの「道」に関する私、田村俊昭の私見について

私、田村俊昭は、大学時代、柔道部に所属し、稽古に励んでいました。両耳も、いわゆる、餃子耳になるまで、ひたすらに稽古をしていました。オリンピック競技種目で「道」の文字が表記されているのは、「柔道」だけであり、「空手」も本来は「空手道」であるのに「道」が表記されていません。国際政治の場で英会話の能力の優劣が左右されるのではなく、自分の国家に対する誇りと自分自身に対する揺るぎ無き自信、誇り、信念・ド根性があれば、たとえ、英会話が出来なくても、より善く外交活動を遂行することができると思います。「相撲道」「柔道」、「空手道」、「剣道」、「弓道」の「道」とは、スポーツというよりも、上記に示す気概、精神を培い、高める修行、修練だと思います。

なお、私、田村俊昭は、他人のことを批判する際には、確たる自信と覚悟を持って真摯に臨むべきということが必要であり、そのためには、他人からの自分への批判等に耐えうる立派な存在であること、或いは、そのような立派な存在になるために日々、自分自身の魂、心、肉体を浄め磨き上げ、成長させる精進を粘り強く、一生懸命、誠心誠意やり続けている必要があると考えております。

そして、「このコメントは人道上、間違っている、このコメントで傷つき苦しんでいる方々がいる。」と確信した批判的なコメントを確認した際には、自分の命を懸けて、即ち、私の反論のコメントをした相手から、ネガティブな思い、敵意、最悪の場合、殺意を抱かれたとしても、そのネガティブな思いを自分で受け止め、結果的に殺されて構わないと思う覚悟でおります。当然のことですが、殺されそうになったら、私の信念である「敬天愛人」、「共存共栄」、「正義仁愛」を基に「勧善懲悪」のために、出来る限りの自己防衛はしますが。

私、田村俊昭がよく「命を懸けて」と申し上げているのは、上記の心構え、覚悟のもとに、「切に、より善く生きること」、即ち、「敬天愛人道」を歩み続けているのです。

連絡先

​私、田村俊昭は、愛が何よりも大切だと意識・自覚し、より善く生きることを懸命にやり続けていますが、より善く生きることに関する知見、ノウハウ等をより解り易く簡明に、そして、愛・真心を込めて情報発信しています。

090-7125-3678

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