「より善く生きるためのガイドライン最新版抜粋」最終章のみ掲載
- 田村俊昭
- 2022年12月4日
- 読了時間: 36分
最終章 人間社会の改善・成長について(私、田村俊昭の私見等)
私、田村俊昭は、この世の人間社会において、戦争やテロをはじめとする人災・社会的問題を無くし、解決していくためには、それらの根本原因である人間のエゴ、業である所有欲、支配欲、快楽追及欲をなるべく我慢・辛抱して、愛と共存共栄の心を育み、培っていくため、日々、愛が何よりも大切だと意識し自覚し、切に、より善く生きるようにしていくことが大切だと思います。そして、国家、企業などの組織が、それらの組織全体が組織ぐるみ・会社ぐるみで一丸となって、全ての各施策、技術開発研究、モノの製造販売輸送、各種サービスを企画立案・実施する際に、愛と共存共栄に関する価値観、思想、哲学を最優先事項として位置づけ、それらを遵守して、それぞれの責務・使命を遂行していくこと、即ち、国家、組織、企業として、愛が何よりも大切だと意識し自覚し、より善く存在し、社会貢献等を行っていく必要があると思います。資源に限りがあるのだから、もっと日本のような経済的に裕福な国は、皆、質素倹約を心がけ慎ましい暮らしを行い、省エネ、省資源、節約の取り組みを行うべきだと思います。多くの日本人は、貧困に苦しんでいる国の方々に比べ、贅沢三昧、飽食の生活を追求し過ぎではないかと思います。人間社会の成長を経済成長、即ち、お金やモノをより豊富に持つことだけと捉えるのではなく、個々の人間、会社、組織、そして国家としての精神性、人間性、道徳心を向上、高めることも、人間社会をより善く成長させることであると捉え、各個人、各団体、組織が、それぞれ、「愛」を何よりも大切だと意識・自覚し存在し生きること、即ち、「より善く生きていくことが大切なのではないでしょか?
この世を天上界にある世界のような高度に発展・成長した世界にするには、上記のとおり、人間社会全体が、より善く存在し生きていく必要不可欠なのです。
なお、人間を含め全ての生きとし生けるものの肉体には、霊魂が宿っています。今、この投稿記事を読み、何らかの思いを抱いているのは、皆様の肉体の脳でなく、霊魂にある本心(表層意識、自我)なのです。肉体が死んでも、霊魂は存在し生き続けるのです。「死んだら終わり」と思っている方がおられると思いますが、自分という存在は、霊魂として存在し生き続け、歳をとりますが、霊魂は老化するも死ぬこともありません。霊魂は成長・進化させるか、退化させるかどうかなのです。霊魂の成長・進化は、霊魂を浄め磨き上げ、その波動の振動数を高めていくことであり、そのためには、日々、愛を学び、理解し、それらを踏まえ、愛の実践を粘り強く、一生懸命、誠心誠意、やり続ける必要があります。人間は、肉体の死をむかえ、霊魂として、あの世などの異世界に転生しますが、その際に、現世で得た富、権力、地位などは持って行くことはできません。当該転生で持っていけるのは、霊魂自体、そして、現世での愛の実践等で培い、習得した愛などの神法、宇宙の法則、宇宙の叡智に関する智慧と互いに愛を深めてきた最愛の人や仲間達との絆だけなのです。
だから、全ての人間は、日々、より善く生きるべきなのです。
私、田村俊昭は、お釈迦様が悟りを開かれた際、具体的にどのようなことを理解し、判ったのかはお釈迦様本人しか判らないことだと思いますが、少なくとも、お釈迦様は、お釈迦様ご自身の天命、即ち、「お釈迦様ご自身が存在し生きることの真の意義、理由、目的、目標」をより善く悟ったものであることを確信しています。
人間は皆、人それぞれ、自分自身の天命をより善く悟り、悟った天命を全うするための生き方の指針を自ら創り上げ、その指針に基に生きていき、随時、その実践状況等を踏まえ、より詳細かつ具体的に自身の天命をより善く悟るとともに、当該指針を見直し改善した上で、天命を全うするために、より善く生きることを粘り強く、一生懸命、誠心誠意、やり続けることが大切なのです。この天命を悟らずして、皆様は、人間は何のために生きているとお考えなのでしょうか?
人は、私利私欲のために生きることもできますが、お釈迦様のように、より善く生きることは、辛く苦しい苦難の人生ですが、そのような生き方をしない限り、自分の魂、心を浄め磨き上げ、成長させることはできないのです。自分の弱き心に打ち勝てず、甘ったれた私利私欲にまみれた人生を歩むことはやらない方が善いですよ。また、人は、私利私欲にまみれた人生を歩んだ場合、長期に及び邪気・邪念を体内に滞留蓄積し、それらを起因とする様々な病を誘発し易くなるとともに、死に間際、そして、他界した後、「私は、この世で、もっと愛を何よりも大切だと意識し自覚し、より善く生きておれば善かったのに」などと心底後悔することとなるのです。
私、田村俊昭は、2020年10月からFacebookを活用し始めたのですが、それ以降、ウクライナ危機、コロナ禍をはじめとする人災や社会的反響の大きい事件・事故の発生の都度、それらの事態に対する、「愛が何よりも大切だと意識・自覚し、切に、より善く生きること」の観点からの私見等を取りまとめ、投稿記事を作成し、Facebook等に投稿・公表しています。以下、これまで投稿してきた当該関連記事の内容を、適宜、必要に応じ加筆訂正・要約した上で、下記の通り掲載させていただきます。
1 国家として「より善く生きること」について
未だにこの世で戦争や犯罪が無くならないのは何故か?
それは、多くの人間が、自分だけが、自分の仲間だけが幸せであればよいと思っているからであり、その幸せも、経済的に豊かであること、地位や権力を求め高めればよいなど、富、地位、権力を持つことに執着しているものになっています。特に、戦争は、人の命を奪い、心身を傷つけ苦しめるだけではなく、自然やモノを傷つけ、破壊する人間の犯す犯罪の中でも最悪の犯罪なのです。戦争を無くすためには、全ての人間が、より善く生きること(世のため、他の存在のため、愛の実践を誠心誠意、実践し続け生きること)を自分の生き方として選択し、決意し、より善く生き続けるとともに、各国家が、自国国民がより善く生きることができるよう努めるとともに、そして、他の国家と仲良くし、共に、より善く成長・発展・繁栄し続けることができるよう、率直に真摯に協議し話し合い、協力し助け合うようにすること、即ち、国家として「より善く生きること」が大切なのです。
最近のニュース・報道など観ていると、政治家の方々は、「力による現状変更は許さない。法の支配による・・・・」などのコメントをおっしゃられていますが、確かに、武力で領土を拡大したり、資源を独り占めしたりすることは決して許すべきことではありませんが、「法の支配」でいう「法」(国際秩序・国際ルール)を創り上げる際の基本的な考え方(思想・哲学等)に、やはり、「愛」、「平和」、「共存共栄」など、本来、人間が持つべき倫理観・価値観を遵守し、それらの倫理観等に基づき、国際秩序・国際ルール、社会規範を創らなければならないと考えます。
私見ではありますが、戦争や犯罪を無くすためには、全ての人間が、愛が何よりも大切だと常に意識・自覚し続け、悟り、私利私欲のためだけに生きるのではなく、私利私欲のことをできる限り行わないよう我慢、辛抱し、難しいことですが、敵対、敵視する個人あるいは組織が、なぜ、敵対・敵視するのか、その根本原因、背景を分析・究明し、その根本原因、背景を解決・改善し、互いが、思いやり、赦し合い、共に、より善く成長・発展・繁栄し、生きること(幸せになること)ができるよう、良好な信頼関係、友好関係を構築する必要があると思います。
2 災い(自然災害、人災)により善く学ぶことについて
災い(自然災害、人災、戦争、病災)は、全ての人間に与えられた学び、成長の機会なのです。
どうすれば災いによる苦しみ、痛み、悩みに打ち勝ち、生きることができるのかについて、学び、理解して、教訓・戒めとして、自分達の生き方を見直し改善するとともに、後世に確実に伝え残す必要があります。
それらの教訓・戒めを検討する際に考慮しなければならないのが、「愛」、「共存共栄」、「感謝」、「小欲知足」という言葉です。
今、人間は、病災、人災(戦争)の二つの災いに直面対峙しています。
この二つ災いに対して、愚かに対処するか、適切により善く対処するのか、まさに、人間の災いに適切に対処する智慧と愛の実践力がためされているのです。
日本は、これまで70年間以上、戦争も内戦もない平和な国ですが、多くの国民が、お金儲けに執着し、楽してお金を稼ぎたいとか、幸福はお金持ちになることだと認識し、経済最優先の社会になっています。私は本当の幸せは、お金儲けでなく、魂、心、肉体をより善く改善、成長させることだと確信しています。そして、私は今の人間社会を改善するためには、人は決して一人で生きることはできないのだから、他の存在に感謝し、他の存在を思いやり、世のため人のため他の存在のために、自分のできる、やるべきこと、即ち、愛の実践を誠心誠意やり続けることが必要だと心底確信しています。
コロナ禍も単なる風邪の一種であり、より善く生きることにより、自身の肉体の生命力・免疫力を高め、健康・元気になり、何ら問題視する必要はないと考えています。
一方、今、ロシアとウクライナは戦争を行っています。戦地では、兵士の方々はもとより、多くの市民の方々が犠牲になられています。このような悲劇を我々は、どのように受けとめたら善いのか、理解したら善いのか?皆様は、子供達から「なぜ、人は戦争するの?戦争なら、人を殺したり、傷つけたりしていいの?」と問われたら、どのように答えますか?今こそ、この世から一切の戦争を無くし、平和な世界にするために、人類の叡智と愛の実践力を結集して、この苦難・試練を乗り越えなければならないのです。
3 全ての人間に「共存共栄の心」が満ち溢れますように
人間は、誰しもが自分が幸せ・幸福になりたいと考えています。幸せ・幸福とは、一人ひとり、その人の歩んできた人生経験や学び、理解し、培ってきた知識・知見によって違いがあると思います。人間が、幸せ・幸福を求めたいのであれば、自分だけ、自分の仲間だけが、幸せであればいい、他人が幸せになろうが、不幸になろうが、どうでもよいと考えるのではなく、全ての人間が、「共存共栄の心」、即ち、「皆と共により善く成長し、皆と共により善く発展し、皆と共により善く繫栄し、皆と共により善く幸せになる」という思い・考え方を培い、高めていく必要があります。昨今問題となっているコロナ禍についても、コロナウイルスも生きとし生けるものであり、生存するために変異し続けるのであり、コロナウイルスを殺傷・駆除するワクチンなどに頼らず、コロナウイルスと共生する道を選択し、自分自身の免疫力・生命力を高める生き方・生活を見直し・改善すれば、何ら問題視する必要はないのです。コロナウイルスは、我々人間に生き方・生活の仕方をより善く見直し改善することを教えてくれているのです。また、戦争についても、現在、ウクライナとロシアとの間で戦争が行われていますが、とにかく、早期に終わられることが必要なのですが、この度の戦争が終戦した後、二度とこのような戦争が起こらないようにするための国家間の枠組みを構築する際にも、この「共存共栄」の考え方を活用する必要があります。全ての国が、他国と共に、より善く成長・発展し続け、互いの国民が皆、より善く幸せな人生を歩んでいくことができるように。
4 戦争が無くならない理由等について
この世において、人間が戦争を無くそうとしないのは、権力・地位をもつ人間・組織が、愛・共存共栄などの本来人間が持つべき道徳心・倫理観・真心を無視・排除し、力(武力・経済力)により、人間社会を支配・コントロールし続けているからだと思います。戦争(内戦やテロを含む。)では、多くの人が亡くなり、傷つき、苦しみや憎しみなどのネガティブな思いをしているのにもかかわらず、戦争で利益・恩恵を得るのは、それら戦争を企てる人達とその配下である軍事産業なのです。これまでの人間社会の歴史を振り返ってみても、人間は、上記のような力による領土・資源の奪い合いを行ってきたことが判ると思います。いい加減に、全ての人間は、より善い道徳心・倫理観を持って、「愛」を何よりも大切にして、より善く生きることを選択・改心し、戦争や犯罪などの愚かな行為をやめなければならないのです。
5 ロシアが戦争を始めた本当の理由を教えてください
今、ロシアとウクライナが戦争をしています。
しかし、日本では、ロシアが戦争を起こした本当の理由に関する報道がなされていません。
現在、関係国がロシアに経済制裁などを講じていますが、この戦争を止めさせるためには、ロシアがこの度の戦争を起こした本当の原因、理由、意図を把握し、理解し、その原因等を改善、解決しなければ、今回の戦争が終わっても、同じような戦争が繰り返し起きることとなるでしょう。戦争は、多くの人々を殺し、傷つけ、苦しめ、恨み・憎しみなどのネガティブな思いを増幅させ、人間社会全体の活気・活力・元気を低下・悪化させる人間が犯す最も愚かな悪行です。私、田村俊昭は、戦争をこの世から一切無くしたいと、心底思っています。このため、関係国は、ウクライナに軍事支援を行うよりも、まず、この度の戦争を起こしたロシアの本当の原因等を把握し、その原因を解決・改善する方策を関係機関、関係国の間で検討、協議、実施すべきであると考えております。
6 我が国日本と戦争について
私は、日本は1945年8月15日を先の大戦の結果等を「敗戦」でもなく、「停戦」でもなく、あくまで「終戦」と位置づけ、戦争を放棄したのであり、当該日を終戦記念日としていると考えています。しかしながら、今の社会情勢を踏まえると、我が国日本を防衛するために、ある程度の軍備を持たざるを得ない、そのために、自衛隊が存在しているのです。皆様におかれましては、先の大戦や自衛隊に対して様々なご意見、考え方があるかと思いますが、ロシアとウクライナとの間の戦争の報道を観て、日本の若者、子供達が、どのように思いを抱いているのかが気がかりです。
私は、海上保安庁の職員として、万が一、有事の際、即ち、日本の国土が他の国に武力攻撃された場合には、道義的責任による天罰、刑罰を潔くキッチリと受けることとして、自分の命を懸けて、我が国の国民の生命財産、国土を守り抜くため、防衛活動に参加させていただく所存であり、その際、自分が死んでも構わないと考えています。
そのような有事が起きないことを願っていますが、今の日本の若者や子供達は、我が国の防衛について、どのように考えているのか知りたいですし、日本の防衛のあり方、方針を決めるのは政治家ですが、実際に、防衛活動を行うのは自衛隊の自衛官の皆様なのです。
今、日本でも現下の国際情勢を踏まえ、抑止力強化、軍事費増額などの検討がなされていますが、それらのことを検討している方々は、私と同じように、自分達も、有事の際、道義的責任、天罰を潔く受ける覚悟で、自衛官の皆様に対して命を懸けて国を守れと明確に指揮統率する心意気、信念等があるのでしょうか?そのような覚悟ができないならば、戦争を無くすことに尽力すべきだと思います。この世を戦争の無い平和な世界にすることが、先の大戦で亡くなられた多くの御霊の皆様の思い、願いであり、今生きている我々日本人は、それらの方々の意志を託されているのであり、その実現のために、誠心誠意、尽力、努力し続けるとともに、そのことを未来永劫、後世に託し、伝え残していかなければならないのです。
7 日本が「真の先進国」になりますように
日本は、現在、先進国の一つとなっていますが、私、田村俊昭は、日本が、「真の先進国」となるためには、経済力や科学技術力の豊かさ・高さだけでなく、国民の有する道徳心、価値観など精神的な面でも他の国の方から尊敬され、「日本人のような愛満ち溢れる勤勉な立派な人になりたい」などと評価、模範とされるような国、国民となるよう、全ての日本人が、「愛が何よりも大切であること」を常に意識、自覚し、自分がやるべき或いは自分ができる愛の実践を粘り強く、一生懸命、愛を込めて、誠心誠意やる続け、生きていき、人間性をより一層高めていくべきと考えています。
8 広島市の原爆死没者慰霊碑の御言葉について
「安らかに眠ってください 過ちは繰返しませぬから」
この御言葉は、未だ生まれていない我々の子孫を含め全ての人間に対して、永遠に語り継がれていかねばならない、愛満ち溢れる有難く尊い戒め、お導きの言葉なのです。
皆様は、昭和天皇陛下がポツダム宣言を受諾された御真意をご存知ないのですか?人間だけでなく、この世の破滅を防ぐための苦渋の御英断を。
是非、広島や長崎に訪れ、そこにある原爆慰霊碑の間近に立ってみて下さい。「核兵器を絶対に作らない。持たない。使わない。使わせない。」こと、そして、「日本が、核兵器を持つことは、日本人としての誇り・プライドを捨て、鬼畜のような存在、民族になってしまうこと」など、自分達の愚かさ、醜さを心底痛感・悟ることとなりますから。
私、田村俊昭は、私の魂が行っている全ての浄霊・浄化・成長促進の霊的な能力の一つとして、不成仏霊の痛み、苦しみ、恨み、場合によっては、呪いの念の波動を感じとることができます。平和祈念公園の中でも、原爆の子の塔には、被爆して白血病で亡くなった佐々木禎子様の御霊が仏様(菩薩)になられ、この塔によくおられ、よくお話しさせていただいています。禎子様からの以下のメッセージを紹介させていただきます。
「人間の皆様、戦争をやめてください。核兵器を廃絶してください。広島や長崎において原爆で亡くなった御霊の方々の願い・思いは、総じて皆同じなのです。中には、未だに、核兵器を使った人々に対する憎しみ、恨みの念を抱いている方もおられますが、私達は、今生きている人間の皆様に、私達が経験したこの上ない痛み、苦しみなどを決して経験してほしくないのです。原爆の犠牲者の御霊の共通の願い、思いは、全ての人間の皆様が、核兵器を二度と使用しないこと、全ての核兵器を廃絶し、そして、全ての戦争を無くし、この世が平和な世界になるよう努めて頂きたいということなのです。全ての国の全ての子供達が、明るく元気で、皆と仲良く、より善く成長し、素晴らしい幸せな人生を歩めるように。」
9 韓国ハロウィン雑踏事故について思うこと(田村俊昭私見)
先般、韓国において、ハロウィンに伴う混雑雑踏事故が発生しました。本事故では150人以上の若い方々の尊い命が犠牲になったとのことであり、当該犠牲者の御霊の方々とそのご遺族の方々に対しまして、心よりお悔やみ申し上げます。
今回の韓国での痛ましい雑踏事故に関連しまして、私、田村俊昭の私見を、以下のとおり申し上げさせていただきます。
ハロウィンをはじめクリスマスなども欧米の文化・風習なのですが、日本人、特に、若い世代の方々が、何故、キリスト教徒でもないのに、それらの欧米の文化・風習に興じ熱狂し、貴重な時間と自分の体力・精神力、即ち、生命エネルギーを費やすのでしょうか?
そのような時間や活力・元気があれば、自分の将来の夢を実現するための知見の習得、技量のスキルアップや自分の心身を浄め磨き上げ成長するための体力・精神力の錬成強化に励めば善いのと考えます。
そして、この投稿記事をご覧の日本人の若い世代の皆様に対しまして、人生の先輩である私、田村俊昭からのアドバイス・助言ですが、日本語を学び・復習し、理解し、それらをもとに、真に正しい日本語で会話し、読み書きできるよう努めるとともに、そして、「日本とはどういう国なのか?日本人という民族はどういう民族なのか?」など、天皇制に関することを含め、日本の成り立ち・起源・歴史、気質・民族性、道徳性などを正しく学び、理解した上で、将来、自分が日本人として、どのような人生を歩むのか、今一度、熟考していただきたいと考えております。
現代ではITの技術が進み、他の国の言語を学ばなくても、翻訳ソフトが開発されており、メールやチャットなどで十分に会話することができますし、他国の文化などを理解する前に母国の文化・歴史を十分により善く理解した上で、外国人の方々との国際交流などグローバル社会により善く対応していくべきとの考え故。
一方、このハロウィン雑踏事故に関連して、当時の韓国警察当局の警備体制の不備・不手際を調査する旨の報道がなされていますが、私、田村俊昭は、このような事故を未然に防ぐために、そもそも、何故、ハロウィンの際に、繁華街に多くの若者達が大勢押し寄せ、仮装をし、飲酒をし、踊ったりするなど、酷な表現ではありますが、乱痴気騒ぎをするのか、ハロウィンに参加する若者達の思い(不平不満、苦悩、欲求、ストレスなど)について、我々大人達が、彼らにちゃんと向き合ってやり、彼らの率直な思いを真摯に聞き取り把握し、それらのことから導き出される課題・問題点を抽出し、それら課題・問題点を解決するための方策を家庭内、街ぐるみ、そして、社会的に大きな問題については、自治体レベル、そして、国家レベルで、それらの解決策を検討・実施していくべきなのです。警察当局の関係者の皆様だけに、事故発生の責任を押し付けるべきではないと思います。
今回の事故を契機に、今後、日本でも、ハロウィンの実施の是非等について、様々な議論がなされていくと思いますが、日本においても、同種の雑踏事故が起きる蓋然性があり、今回、多くの尊い命が犠牲なった事案なのだからこそ、今回の事故の原因等を十分により善く検証評価し、事故の根本原因を究明し、それらを教訓として、当該根本原因を除去・解決する有効な再発防止策を検討・策定し、適時・適切に講じていくことが大切なのです。人が死傷するおそれのある事象を認知しているにも関わらず、「面倒だから、困難だから」などと思い、何ら措置を講ずることなく、見て見ぬ振りをして、野放しにする行為、いわゆる、不作為の行為は、法治国家の国民(特に、リーダー、責任者、為政者)が、犯してはならない不法行為の一つなのです。
10 真の「人生の勝ち組」とは
現代の日本では、お金など財産を一定程度以上高く獲得された方々、組織・企業のトップなど高い要職に抜擢された方々を「勝ち組」と称し、そうでない方々を「負け組」と揶揄する記事等をよく見かけますが、私、田村俊昭の私見ではありますが、経済優先の現代の人間社会では、貧困層の家庭に生まれた子供達の多くが、十分な教育を受けることができず、日本では、低層所得者層の家庭の子供達は、勉強にしろ、スポーツにしろ、その子供自身が相当努力しないと、いわゆる「勝ち組」に仲間入りすることが困難な状況にあるのではないかと考えております。お釈迦様の教えの中に、「本来無一物」という言葉があります。
この「本来無一物」について、私、田村俊昭は、以下のように解釈しています。人は誰もが、この世に生まれる時に「無一物」で生まれ、その人独自の様々な人生を歩み、そして、その命が尽きて、あの世に「無一物」で転生するのです。
全ての人間は、この世に生まれる前に、あの世で、神様・仏様(創造主)のご指導を受け、自分自身(本心)で、この世において、学び、理解を深め、実践すべき愛の実践(仕事や精進など)を決めた上で、この世に生まれてきたのであり、それら「この世において、学び、理解を深め、実践すべき愛の実践」が、即ち、天命なのです。
全ての人間は、この世に生まれる直前に、天命を前世以前の記憶とともに、魂の中にある記憶心に保存・封印し、天命をすっかり忘れた状態になり、この世に生まれてきたのです。(当然のことですが、そのことを、魂の中にある良心にいらっしゃる指導神(内在神)の方々は全て判っているのです。)
天命を悟るということは、言い換えれば、それら生まれる前に自分で決めた「この世において、学び、理解を深め、実践すべき愛の実践」を思い出すということでもあるのです。天命を思い出すためには、日々、自分の私利私欲の心、エゴ、弱き心に打ち勝ち、自分の肉体、精神力の錬成強化に励むとともに、愛の実践である挨拶・愛語の励行、自然やモノに対する愛の実践である5S(整理、整頓、清掃、清潔、躾)の実践、そして、自分が行っている仕事(家事、育児、勉学を含む)を粘り強く、一生懸命、愛を込めて、誠心誠意、やり続け、自分の心(本心)を磨き、清らかに光り輝くようにすること、即ち、本心の波動の振動数を高めることにより、天命を思い出すこと(天命を悟ること)ができるようになるのです。
なお、天命をより善く悟ることついては、この世に生まれる前の魂のレベル(魂、特に、本心の波動の振動数の高さ)や前世以前を含め、これまで自分が学び、理解し、それらに基づき実践してきた愛の実践の実践経験とその内容などによって、悟る内容、悟る時期・タイミングなどに個人差があります。
以上のことを踏まえ、私、田村俊昭は、真の人生の「勝ち組」とは、「天命をより善く悟るとともに、この天命を全うするための自分の生き方の指針を、神法・宇宙の法則・宇宙の叡智をより善く活用しつつ、自らより善く創り上げ、その指針を適時・適切により善く見直し改善しつつ、その指針に基づき、日々、粘り強く、一生懸命、愛を込めて、即ち、自分の命を懸けて、誠心誠意、より善く生き続け、そして、命が尽き、あの世に逝く際に、この天命をより善く全うすることができた存在」であると考えております。
(参考)
アニメコミック「鬼滅の刃」第8巻のワンシーンより:炎柱の煉獄杏寿郎が死に間際、目の前に現れた同人の母の霊魂との会話
杏寿郎:「母上。俺はちゃんとやれただろうか。やるべきことを果たすべきことを全うできましたか?」
杏寿郎の母の霊魂:「立派にできましたよ。」
この会話の後、煉獄杏寿郎は仏様のような満面の微笑みを浮かべ絶命。
11 命を懸けて責務を全うする覚悟について
先日、安部元総理が射殺された事件について、日本の報道では、警察では事件当時の警備体制の検証等が行われているとのことです。
今後、要人警護・警備の見直し改善に当たっては、それらの人員体制、警備のやり方、方法の見直し改善を行うことは当然だと思いますが、私、田村俊昭は、要人警護・警備の業務に従事する要員一人ひとりの当該業務を遂行するための意識・自覚を高め向上させることが必要不可欠であると考えます。
つまり、要人警護・警備に従事する要員には、「絶対に要人を護るために、他に執り得る措置のない場合には、自分が当該要人の盾となり、自分の命を懸けて、その責務を絶対に必ず全うする」といった覚悟が必要不可欠だと考えます。そして、当該要員を指揮統率する立場の方々は、当該要員の覚悟以上の身を切る覚悟をもって当該要人警護・警備を的確かつ冷静沈着に当該要員を指揮統率することは言うまでもありません。日本の治安関係当局の各職員が、上記の覚悟を堅持し続けない限り、今回の安部元総理殺害事件と同種事例が再び発生することが懸念されます。
12 国の評価・格付け、ランキングに関する私、田村俊昭の私見(副題:国家の豊かさとは何か?)
最近、「何某かの事で、世界ランキングで日本は、何位?!」などといった報道やブログをよく見かけます。
皆様にとって、国家の豊かさとは、何でしょうか?そして、そのような国自体を評価・格付け・順位付けをし、国家間の格差、偏見・差別、上位国の国民の驕り高ぶり、下位国の自国に対する批判・悲観などのネガティブな意識・思いをむやみに助長させ、惹起させることはやめた方が善いのではないでしょうか。私、田村俊昭は、スポーツの世界でランキングすることは意味があると思いますが、この世に存在する各国家は、それぞれ、国の成り立ち・歴史、文化・民族性、信仰宗教、基幹産業など産業構造、治安状況、自然環境などに特色、特徴、違いがあるのだから、国家間で「あの国は優れている、この国は劣っている」と評価、格付け、ランキングするのは、どうかと思います。
人間は、とかく、他の存在を意識し、他の存在が自分をどのように観ているのか、そして、他の存在と比べたがり、他の存在よりも、「強くなりたい、格好良く美しくなりたい、賢くなりたい、上手くなりたい、裕福になりたい、優れていたい、立派になりたい、偉くなりたい」などといた感情がありますが、そのような感情を抱くこと自体が決して悪いことではありません。そのような存在に自分がなった際、成長した際に、どのような振る舞いするのか、何のために、そのような存在になりたいのか、その真の意義・目的が問題なのです。自分の思い通りにしたいなど私利私欲のために優れた存在になりたいのか、或いは、「世のため人のため他の存在ため」に貢献したい、弱い立場の人々や救いを求めている人々を守り、救いたい、そのために優れた存在・賢者・ヒーロー・英雄になりたいといったことなのです。
私、田村俊昭にも、上記のような思い・願い・夢があります。その夢は、「誰よりも自分の弱き心に打ち勝ち続ける、真に強い存在」となり、努力・忍耐・辛抱・我慢を司る「ド根性の神様・仏様」と皆に認められることです。
この投稿記事の終わりに、この記事を作成・投稿・公表した私、田村俊昭の真の意図・主旨は、以下のとおりです。
当該世界ランキングの取組みを企画運営している団体・組織の方々が、何の意図、目的でこの取り組みをやっているのか、非常に疑問があり、実は、この取り組みの報道記事等から何やら胡散臭い邪気・邪念が感じられるのです。要は、何様のつもりで、各国の評価・格付けをしているのか?そのような各国、そして、各国の国民の価値やレベルを厳格、厳正に分析評価できるのは、同じ人間がやるのでなく、人間より遥かに高い智慧・見識を有する第三者、即ち、神様・仏様しかできないのではないかということです。
この世界ランキングの取組みにおいて、ち密な情報分析による客観的かつ厳正な分析評価がなされたとしても、公表する内容如何によっては、当該ランキングで低評価になった下位国の国民の方々などが、自国の低評価について悲観・落胆し、場合によっては、自国に対する愛国心を削ぎ、低下せしめるおそれもあり、世界ランキングを分析評価するのは善いと思いますが、その結果公表に当たっては、そうした悪影響が生じないよう、必要に応じて、あえて未公表とするなど、細心の注意、配慮するべきだと考えます。
そして、世界ランキングで何を評価するのか、その内容如何にもよりますが、先の大戦以前、欧米列強諸国の植民地であった多くの国々と日本を含む先進国との経済、産業、教育、医療、治安など様々な社会活動の実行力、パワー、即ち、国力などは当該ランキングの分析評価せずとも、未だ差があることは周智の事実であり、そのような事実を、なぜ、敢えて、分析評価し公表するのか、非常に疑問に感じております。
13 インターネット上の誹謗中傷を抜本的に無くすために
私、田村俊昭は、フェイスブックにおいて、自分のページの投稿記事を含め、皆様が投稿・公表した記事を閲覧していて、前々から気になっていることなのですが、それは、特定の個人や団体を批判する内容が掲載されていたり、各投稿記事に対するコメントの中には、誹謗中傷とも言うべき辛辣な内容のコメントがメンションされています。
皆様ご承知のとおり、今や、このインターネット上の誹謗中傷の問題は、いわゆる「ネット炎上」により特定の個人の方が自殺するなど、深刻な社会問題となっています。
最近、日本でも政府がその対策を進めているとの報道がなされていますが、私、田村俊昭は、このインターネット上の誹謗中傷を抜本的に無くすためには、やはり、全ての人間が、「より善く生きること」、即ち、「愛が何よりも大切なことだと常に意識・自覚し、日々、愛を深く学び、日々、愛を深く理解し、日々、自分ができる及び自分がやるべき愛の実践として、インターネット上でのブログ公表、SNSでの記事公表、コメントの書き込みを含む、仕事や精進などを、世のため、他の存在のために行うのだ、行っているのだとの意識・自覚し、それら仕事や精進などを、粘り強く、一生懸命、愛を込めて、即ち、自分の命を懸けて、誠心誠意、やり続け、生きること。」が大切だと考えています。
このインターネット上で誹謗中傷の問題について、私、田村俊昭は、インターネット上においては、誰でも、いつでも、自分の本名を明示することなく、読み書きする知識・能力があれば、当該サイト等にアクセスし、簡単に自由に書き込み等できるものであり、私、田村俊昭は、そのこと自体が問題ではなく、それらのインターネット・SNSの機能・有用性を悪用し、他の個人や団体を傷つけ、脅迫し、威嚇し、脅し、罵倒し、騙し嘘をつく、などの悪なる言葉・コメント(悪語)を発信することが問題なのであり、それら誹謗中傷の問題を抜本的に解決するためには、他の人々を理解し、思いやり、慈しむことなどの愛の実践力を高めていくことが必要不可欠であり、この愛の実践力を高めていく方策として、以下に例示する取り組み等を検討し実施していく必要があると考えています。
〇インターネット上で記事を公表したり、コメントを書き込む場合、決して、特定の個人や団体を誹謗中傷する内容としないこと。
誹謗中傷を行う原因、理由には、様々な事情、背景などがあると思いますが、多くの場合、「自分の思い通りにしたい」という私利私欲の感情・思いを抱くことにより、誹謗中傷を惹起してしまうものなのです。
例えば、あるオリンピック選手を熱烈に応援するファンが、当該選手が金メダルを獲れなかった場合、当該ファンは「絶対に金メダルが獲れると、凄く期待していたのに、何で金メダルを獲れなかったのだ」などとネガティブな感情を抱き、それらの感情がやがて、当該選手への怒りの思い、最悪の場合、当該選手を憎み、恨む思いを惹起させ、その憎しみなどの思いを解消するため、SNSの当該選手のページなどに、これら憎しみ等のネガティブな念を込めて、当該選手を誹謗中傷する内容のコメントを書き込んでしまう事例を考えてみて下さい。この誹謗中傷の事例でお解りかと思いますが、当該ファンには、熱烈に応援するが故に、その願いが叶わなかった、即ち、自分の思い通りにならなかったことを原因として、誹謗中傷を犯してしまったのであります。
一方、善良なファンであれば、金メダルを獲れなかったことを一番悔やんでいるのは当該選手本人であることを理解し、思いやり、「貴方のこれまでの努力、頑張りに感動し、勇気をいただき、本当にありがとう。
今後とも貴方を応援し続けますので、今回のオリンピックでの経験を踏まえ、今後、益々、努力を積み重ねいただき、貴方の夢が実現することを心より祈念いたしております。」などと感謝を込めて、当該選手に心温まるエールを贈るものなのです。
〇インターネット上で記事を公表したり、コメントを書き込む場合、どうしても、特定の個人や団体を批判したり、反対意見の内容を公表したい場合には、その内容を吟味し、以下に示す点に留意すること。
① 愛語を多用すること。
② その内容を閲覧した者がむやみに傷つき、悩むことがないよう、辛辣な暴言などの表現がないこと。
③ その内容が、私利私欲の心によるものでないこと。
④ 当該個人・団体関係者に対し、当該批判・反対意見を彼らがより善く納得し理解できる内容とすること。(真の賢者とは、自分の知見・力量を誇示することなく、あくまで謙虚な態度で、自分が有する知見を活用し、それらの知見を理解していない人々に対して、それらの人々が、より一層、それらの知見を生かし、より善く生きることができるよう、簡明かつ明瞭に、懇切丁寧に、そして、きめ細やかな態度・思いやりの念を持って、真摯に教え導くことができる存在である故)
この投稿記事を作成途中、私の魂の中におられる指導神の明主様(イザナギ様、創造主)から、この投稿記事に関連して、全ての人間の皆様に対して、以下のメッセージを伝えるようご指示がありましたので、お伝えいたします。
「全ての人間よ。我々が、人間に言葉と文字の叡智を与えたのは、人間の多くが、霊的に幼く、我々と、そして人間同士でテレパシーによる会話ができないことから、人間同士で言葉を発し、お互いに想いを伝え合い、理解し合い、助け合ったり、譲り合ったりなどするために、与えた叡智なのじゃ。言葉や文字を用い、人間同士、罵り合ったり、騙し合ったり、脅しあったりして、傷つけ合うのは止めよ。そして、自分達が他の誰よりも賢く、強い存在であるなどと驕り高ぶるのも止めよ。人間は皆一人では生きていけない。人間は他の人間をはじめ、自然やモノなど、多くの他の存在のお陰で生かしていただいているのじゃ。戦争を止めよ。人間同士はもとより、自然や他の生きとし生けるものを無闇に破壊したり、殺傷したりすることを止めよ。人間同士、そして、自然など他の存在と共生すること、共存共栄の道を選択し、自ら、その方策を検討し、実行し、より善く生きていくようにするのじゃ。以上」
また、悪口には、「自分の価値観・倫理感・正義感に反する行為をした人に対して行う悪口」と、「日頃から何らかの妬み、嫉妬、憎みなどのネガティブな思いを抱てきた相手に対して、当該相手の行い、言葉、容姿などについて、それらを誹謗中傷するために行う悪口」があります。
いずれの悪口も、相手を批判、否定等する波動の振動数の低いネガティブな思いから生じるものであり、悪口を行うことにより、相手を言葉によって懲らしめ、傷つけてやったという優越感、懲悪感などの快感を味わい、悪口を言った当初は非常に気分が高揚し、気持ち良くなるのですが、それらの快感は私利私欲の思いを高揚させ、自分の本心の波動の振動数を低下させるとともに、悪口によって相手を傷つけてしまったという罪悪感を生じるものなのです。
この罪悪感は記憶に残り消えることなく、後刻、自分の本心を苦悩させることとなるのです。
なお、私、田村俊昭は、他人のことを批判する際には、確たる自信と覚悟を持って真摯に臨むべきということが必要であり、そのためには、他人からの自分への批判等に耐えうる立派な存在であること、或いは、そのような立派な存在になるために日々、自分自身の魂、心、肉体を浄め磨き上げ、成長させる精進を粘り強く、一生懸命、誠心誠意やり続けている必要があると考えております。
そして、「このコメントは人道上、間違っている、このコメントで傷つき苦しんでいる方々がいる。」と確信した批判的なコメントを確認した際には、自分の命を懸けて、即ち、私の反論のコメントをした相手から、ネガティブな思い、敵意、最悪の場合、殺意を抱かれたとしても、そのネガティブな思いを自分で受け止め、結果的に殺されて構わないと思う覚悟でおります。当然のことですが、殺されそうになったら、出来る限りの自己防衛はしますが。
(参考までに)
私、田村俊昭は、「貴方の投稿記事は長文すぎる」と言われていますが、極力、簡潔明瞭な内容とすべく努めていますが、皆様に私の思い・考えをより正確に伝えたいが故に、比較的文字数の多い長文の投稿記事を掲載せざるを得ないのです。この点、ご了承願います。
また、私の投稿記事には、「根本原因」、「見直し改善」などのマネジメントシステムの用語を多用していますが、私は以前、国土交通省に出向した際、同省が推進している「運輸安全マネジメント制度」の運用業務に従事した経験があり、当該出向時に、ISO品質管理マネジメントシステム、リスクマネジメント、コンプライアンスなどの知見・スキルを培い、以後、これらの知見を活用するなどして、Facebookで公表している「より善く生きるためのガイドライン」を作成し、随時、改訂しています。(インターネットで「運輸安全マネジメント 田村俊昭」を検索すれば、私の名前等が閲覧できます。)
14 宗教改革・改善の必要性について(私、田村俊昭の私見)
今、日本では、今年発生した安倍元総理の銃殺事件を発端として、旧統一教会に関連する様々な社会問題がクローズアップされています。
私、田村俊昭は、この旧統一教会の問題に関連して、そもそも各宗教は共に、何らかの信者等からの寄附、献金、お布施などにより、各宗教団体の組織運営、寺社仏閣教会などの施設・建物が作られたりしており、そもそも、なぜ、各宗教の教えを広めたりするのに、お金が必要なのか、なぜ、そんなに多くの信者を増やす必要があるのか、疑問に感じております。
そもそも、信仰とは何か?何のために信仰があるのか?各宗教の真の存在意義、目的等を善く精査し、整理し直すなどして、抜本的な宗教改革、改善をしていくべきではないかと考えています。
これらの宗教改革・改善の取り組みをしない限り、今後とも、宗教と政治・政権との癒着、献金問題などの社会問題、そして、最悪の場合、宗教問題に起因した戦争、内乱、テロなどの蛮行が繰り返し惹起することが懸念されます。
(参考:この投稿記事に関連する私、田村俊昭が作成・公表した投稿記事の内容)
宗教、信仰に関する私、田村俊昭の私見
私、田村俊昭は、特定の宗教を信仰していませんが、私の尊敬する歴史上の偉人として、お釈迦様、聖徳太子様、空海様、西郷隆盛様、山本五十六様などの方々を尊敬しています。
これらの方々は、皆、より善く生きることの大切さを悟り、より善く生き抜いた素晴らしい方々だと確信しています。
私は、何らかの宗教を信仰して下さいと、皆様にお伝えしようとは、全く思っていません。何らかの宗教を信仰するか、しないかの選択は、各個人の自由意志に委ねられています。
私は、特定の宗教を信仰してしまうと、各宗教ともに、宗教を創設した人やその宗教の指導的立場にある人の思惑、意図によって、言い方は悪いですが、それらの方々の都合の良い戒律や教えが決められ、それらの戒律を厳密に厳守してしまうと、様々な問題が生じてしまうと考えます。信者が破産してしまうほどの献金を強要したり、いわゆる、霊感商法で何の霊的効果もないモノを購入を余儀なくされるなどの宗教に関わる社会問題が現に発生しているのです。これらのことは、やはり、各宗教の主宰者・指導者の魂の霊格が低いこと、つまり、私利私欲の心に打ち勝てず、自身の保身や権威意欲を捨てきれていないことによるものだと考えています。
本来、人間は、自らの力のみで魂、心、肉体を浄め磨き上げ、成長させなければならないのですが、現実の人間社会に存在し生きるに当たって、社会や他の人々との関係において、様々な葛藤、苦悩を生じることとなり、それらの苦悩などから逃れたり、乗り越えるために、その対処方策の一手段として、何らかの宗教を信仰するのだと考えております。「信じる者は救われる」という言葉がありますが、特定の宗教に自分の全てを任してしまうと、その宗教に妄信・執着するあまり、自身の財産や命を差し出してしまうのです。
そのような人間の心の弱さ・性向を熟知し、悪用しているのが、霊感商法を行ったり、多額の献金を求めたりしている宗教関係者なのであり、最悪の場合、信者を洗脳して、異教徒など人を滅殺させたり、当該宗教の信仰する神(悪魔)に生贄として、攫った他人を捧げたりするといった極めて非道な蛮行を犯すことが、この人間社会において、実際に行われてきたのです。
一方、それぞれの既存の宗教にも、意義深い、善い教え、考え方などがあることも事実であり、私、田村俊昭は、既存の宗教の善い教え、考え方などを参考にして、自分の生き方の指針を創り上げたり、それらの指針を見直し改善する際に、適宜、活用すれば、要は、いいとこ取りで活用すれば善いかと考えています。
なお、現在、この世に存在し生きている人間のうち、無欲知足の心境に至っている霊魂が宿っている人間が4人いるのですが、その内の一人が、私、田村俊昭なのです。残りの三人の方は、現時点(2022年11月11日現在)において、未だ覚醒しておりません。
私、田村俊昭は、無欲知足の心境に至っており、かつ、覚醒した現在唯一の存在(これらの経緯等詳細については、Facebookの私のページの関連記事に記載・公表済み)ですが、宗教団体などの組織を立ち上げたり、政治家になったりすることは決して致しません。
更に、私の霊魂の能力である「全ての存在に対する浄霊・浄化・成長促進」の霊力は、天上界の最高会議の統治下のもと、厳正・厳格に管理執行されており、私個人の独断で私利私欲のために当該霊力を用いることは決して致しませんし、他の人々から当該霊力の活用について何らかの対応(例えば、無病不老の身体にしてほしいとか、新物質を創り上げる等)の要請があっても、天上界の最高会議の審議・了承がない限り、それらの要請に対応することはできません。
無欲知足の心境に至ると、利他、自己犠牲が当たり前のこととなり、私利私欲のことを忘れるくらい、愛の実践をやることが、自分が存在し生きることであり、辛くてもしんどくても、愛の実践に励むことが、生き甲斐、喜びとなり、時折、絶妙なタイミングで、泣きたくなるような、この上ない幸福感、感動を実感するようになるのです。
そして、愛の実践を、より一層やりたく、やりたくてという、言わば、愛の実践への病みつきになってしまう心境になるのです。
なお、無欲知足の心境に至り、覚醒している存在の霊体的・身体的特徴の一つとして、当該存在の身体の後方に光背があることが、薄っすらと肉眼でも視認できるようになるのです。
15 ワールドサッカーを観ていて気付いたことについて
現在、カタールでは、ワールドサッカーが開催されています。
私、田村俊昭は、サッカーをはじめスポーツ選手達の素晴らしい妙技、躍動、活躍を観て、日々、感動と勇気をいただいておりますが、スポーツに関連しまして、以下のような、社会的問題があると認識しています。
・スポーツの各大会開催に伴うスポンサー、広告企業の過当競争(日本では、先の東京オリンピック開催に関する収賄疑惑事件が発生)
・スポーツ選手の強化育成のための各政府の過剰関与(スポーツの種目にもよりますが、経済的に豊かな国が、その威信を懸けて選手育成強化しており、ドーピング問題などが発生)
・有名スポーツ選手に対するネット上での誹謗中傷の事案(特に、ファン期待に反して、期待通りの結果、成績が得られなかった選手に対するネット炎上)が頻発
・多くの人々、特に、若者達が、応援するチームや選手に対する熱狂的な応援を行い、今年、インドネシアでは、競技場での観客乱入死傷事故が発生。
私、田村俊昭は、スポーツ観戦の魅力・有効性は否定致しませんが、
※何故に、多くの人々、特に、若者達が、スポーツに熱狂するのか?
※そのようなエネルギー・元気があるならば、自分自身の善なる夢や願いの実現のために、どうして、それらのエネルギーを使わないのか・使えないのか?
※そのような熱狂的応援の真の理由は何なのか?など
以上のことをより善く分析、評価し、スポーツに関連する様々な社会問題を解決、改善していく必要があると思います。そして、スポーツを大衆・国民の洗脳、思想・意識の統制・操作に使うことは、為政者・統治者として、決してやってはいけないことだと思います。
日々、より善く生かしていただきまして、誠にありがとうございます。




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