「より善く生きるためのガイドライン最新版抜粋」第3章のみ掲載
- 田村俊昭
- 2022年12月4日
- 読了時間: 35分
第3章 愛、愛の実践について
愛(仏教では慈悲と称されています。)につきましては、仏教やキリスト教など各宗教でも様々な定義・見解・解釈等が示されていますが、私、田村俊昭は、愛につきまして、現時点において以下に示すことであると理解しています。
愛は、何よりも大切であり、我々人間が「より善く生きる」ためには、常に、このこと、即ち、愛を何よりも大切に優先することを意識・自覚しつつ、行為・動作、言葉を発すること、想い・願い、祈ること(仏教では身口意と略称されています。)をより善く律し、行っていくことが大切なのです。
愛とは、感謝、信頼、敬い・尊重、褒め称え、思いやり、慈悲、赦し、助け合い、分かち合い、励まし、癒し、譲り合いなどの善なる願い・思いをから生じる、世のため、他の存在のため、自分の魂・心の成長のため、見返りを求めず無償で行う、全ての行為・動作、全ての言葉、全ての祈り・願い・思いのことであり、それらを行うためには、波動の振動数の高い善なる思念エネルギーが必要なのです。この善なる思念エネルギーを他の存在に与え、照射することにより、これを受けた存在は、その心が、より善く生きること、精進に励むことに対する熱意、意欲、情熱、元気、勇気、自信などが高まり、その結果、その存在の魂・心を成長させることができるのです。
魂・心の成長とは、愛に関する智慧をより深く学び、より深く理解し、愛の実践をより善く行ことができるよう愛の実践力を高めていくことなのです。全ての霊魂は、愛を学び、理解し、実践し、精進させ、そして、成長させ、そして、存在し生きている世界において、他の存在とともに、愛を実践し、愛を満ち溢れさせ、その世界全体を、皆が一致協力して、改善し、成長させ、発展させ、繁栄させるために、創造主である明主様(イザナギ様)と弥勒様(イザナミ様、生命創造主、キリスト教ではマリア様)が創造したのです。
この愛の思い、即ち、「他の存在を理解し、思いやり、信頼し信じ、世のため、他の存在のため、愛の実践をやり続ける思い」を抱くためには、いきなり、そのような思いを抱けと言われても中々できるものではないのです。この「愛の思い」を抱くために、どのようにすれば善いのかというと、「自分一人では、生きていくことはできないこと」、「自分は他の多くの存在の方々のお陰で生きることができること」、即ち、「自分という存在は、多くの存在の方々のお陰で生かしていただいていること」を心底自覚し、その後、それらの方々に深く感謝の念を抱くようにし、そして、その恩返しとして、他の存在を思いやったり、哀れんだり、赦したり、慈しむようになり、これらの愛の実践を、粘り強く、一生懸命、誠心誠意、やり続ければ、やり続けるほどに、この「愛の思い」を育み、強く抱くようになり、この「愛の思い」を育み、強く抱くことにより、自分の魂の中にある本心を浄め磨き上げ、その波動の振動数が高まり、成長し、より一層、より善い愛の実践を行うことができるようになっていくのです。この一連の愛の思いを育む仕組み・プロセスが、宇宙の法則の一つである「愛の法則」なのです。
1 愛の実践のやり方等について
愛の実践には、様々なやり方、方法がありますが、全ての人が、共通して、日々、実践できるものには、次のものがあります。
①挨拶・愛語の励行
「おはようございます」、「こんにちは」、「ありがとうございます」などの愛語を他の存在に対し、元気・ハツラツ、行いましょう。病気などにより、言葉を発することができない人については、それらの愛語を念じ伝えるようにすると善いでしょう。
人間が、言葉を述べる際、その言葉が、その人自身の信念から発せられた言葉であり、かつ、その言葉が愛の思い(善なる思念エネルギー)から発せられたものである場合、その言葉を聞いた人間の心(本心)には、熱意、情熱、元気、やる気、勇気、自信などのポジティブな思いを生じさせる効果があるのです。一方、偽り、虚偽その他の私利私欲の思いから発せられた言葉である場合、その言葉を聞いた人には、疑念、恨み、憎しみなどのネガティブな思いを抱かせるとともに、その人の生命力・精神力を減退させることとなるのです。
言葉や文字の不思議な力があります。心を込めて、自分の善なる願い、善なる夢、やるべき善なること(自分がやるべき愛の実践)を、言葉にしたり、紙に書いたり、あるいは、パソコンやスマホに文字データとし入力すると、自分の思い(思念エネルギー)が、書いた文字などに宿り、その思いの強さに応じた善なる生命エネルギー、即ち、愛を放ち続けるようになります。
それら文字などから放たれる善なる生命エネルギーは、自分の善なる願い・夢を実現するための取組みや自分のやるべき愛の実践をより善く行うために必要な善なる生命エネルギーとして活用することができるのです。なお、当然のことですが、当該善なる願い・夢を実現するために、日々、決して諦めることなく、粘り強く、一生懸命、誠心誠意、それらの実現に向けた努力・精進・修練をやり続けることが、極めて大切なことなのです。
このことを踏まえ、私、田村俊昭は、私の座右の銘の一つである、「有言実行」を確実に実践するとともに、私の大いなる善なる夢である「全ての世界を、戦争のない、犯罪のない、貧困のない、差別のない、皆平等な愛満ち溢れる平和な世界にするとともに、共存共栄の心満ち溢れる、皆が共に、より善く成長・発展・繁栄し続ける、より善い世界にすること」を実現するため、自分の天命、自分の天命を全うするための生き方の指針、自分が行っている祈りの内容のほか、日々、私の霊力向上ために行っている巡業実践(神社やお寺を巡回参拝し、般若波羅蜜多の実践を行うこと)、町の美化活動(ゴミ拾いなど5Sの清掃の実践)、体力錬成の実践など精進の実践内容を、全てありのまま、フェイスブックで電子データとして入力し、公表させていただいています。
一方、インターネットやSNSを悪用し、他の人の悪口、誹謗中傷、詐欺などの嘘・偽りなどの悪なる私利私欲にまみれた言葉・文字(電子データ)は、他の存在はもとより、それらを入力した本人に向って、邪念、邪気を放ち続け、心身ともに穢れ、生命力を奪い、結果、様々な病気を引き起こすことになるのです。
この世を、清らかで、より善い世界にするためには、悪なる言葉・文字を、絶対に必ず、全て無くさなくてはならないのです。このガイドラインをご覧になっている皆様におきましても、愛の実践である、挨拶をはじめ愛語(愛満ち溢れた言葉や文字)を日頃から話し、書き、使うよう努めてまいりましょう。
②自然やモノに対する愛の実践である5S(整理、整頓、清掃、清潔、躾)の実践
私の天命を全うするための生き方の指針第三に「日々、5S、整理・整頓・清掃・清潔・躾、この5Sを深く自覚し、この5Sを確実に、誠心誠意、絶対に、必ず、実践すること」を掲げています。5Sの実践は、自然やものに対し、日々、より善く生かして頂いていることに感謝の気持ちを込め、自然やものを大切にし、奇麗に清らかにする、自然やものに対する愛の実践であり、全ての健常者が、日々、誠心誠意、取り組まなければならない必須の実践事項の一つなのです。
「整理」とは、要らないものを処分・廃棄し、要るものだけにすること。要らないものを処分・廃棄する際には、それらのものに対し、より善く生かして頂いたことについて感謝しつつ、適正に処分・廃棄することです。この整理の実践することにより、より善く生きていくために必要なものだけで生活するようになり、知足(足るを知る)の心を培うことができます。
「整頓」とは、整理した要るものを、きちんと、綺麗に、使いやすいように、あるべき所に置き、並べ、収納し、保管することです。
「清掃」とは、整理・整頓した所を、毎日、綺麗に、清掃する場所、ものに対し、より善く生かしていただいていることについて感謝の気持ちを込めて、それらの場所、ものに対し「物質的かつ霊的に綺麗にかつ清らかになりますように」との愛を込めて、掃除をすることです。 清掃の実践として、特に、水回りの場所の掃除、特に、トイレ掃除は自分の心を浄め磨き上げる効果が高く、自宅のトイレなど水廻りの場所、自分の部屋などを毎日1回以上行うと善いでしょう。
「清潔」とは、整理・整頓・清掃した所を、毎日、綺麗に、それらの場所、ものに対し、より善く生かしていただいていることについて感謝の気持ちを込めて、「物質的にも霊的にも綺麗で清らかにあり続けますように」との愛を込めて、清潔に維持し続けることであり、清潔には、身だしなみを整えることも含まれます。清潔の実践として、公園、道路、山、海などで、タバコの吸い殻などゴミのポイ捨てしないようにしましょう。
「躾」については、神法(神の法)に基づき、これを遵守し、生きていくことです。神法の考え方については、善なる行い(善なる行為、善なる言葉を発すること、善なる思い・念ずること)、すなわち、世のため、全ての存在のため、自分の成長のため、行うべきことを、きちんと、誠心誠意、やり続けるということです。善なる行いではない、行ってはならない悪なる行いとは、六戒(「殺さない」、「他の存在を故意に傷つけない」、「盗まない」、「他の存在を騙し、嘘をつき、他の存在を苦しめない・傷つけない」、「他の存在に対し、淫らな行いをし、他の存在を苦しめない・傷つけない」、「酒を飲まない、酒を飲むなら、酒に呑まれない」)を遵守しない行いなど、私利私欲、エゴによる行いをすること・言葉を発すること、思い・念ずることです。この5Sの実践に関連しまして、自然やものを傷つけたり、汚したりすることも、神法上、やってはいけない悪なる行いです。それらの悪なる行いを行った場合、当該傷つけ、汚れた場所を元の状態に再生するために必要な生命エネルギーと同量の生命エネルギーを当該行為者の霊魂から消滅させる報い・天罰を受けることになります。
③神様、仏様に対する祈り
祈りの実践を行う場所は、自宅のほか、近所の神社、お寺、教会、公園等、祈りの実践を行って差し支えない適宜の場所で、普段、自分が話している言葉で、まずは、神様、仏様に対し、「日々、自分が存在し、より善く生かしていただいている」ことに対する感謝の念を伝えた上で、自分の願いを表明し、その際、当該願いの実現のために、自分はどのような努力、精進などを行っていくかについて、神様、仏様に対して、必ず、決意・宣誓の表明を行うようにしましょう。
日本では、年明けに神社やお寺を参拝する初詣が行われていますが、その際に神前、仏前に向かって、何某かの願いを祈念していますが、その際の祈りの留意点等について、以下のとおり紹介します。
☆神前や仏前に向かって、必ず、神様、仏様をはじめ多くの存在のお陰で存在し生きていることに対する感謝の思いを言葉で発するか、または、強く思うことをしましょう。
(理由等:私は、皆様に対して、「我々人間は、神様、仏様、自然、モノ、その他の多くの人々、御霊のお陰で存在し生きていることを深く自覚し、それらの存在に対し、日々、深く感謝しましょう。」と再三申し上げていますが、これらの自覚と感謝の思いが、より善く生きることを選択し、決意し、より善く生きていくために必要不可欠な思いであり、神社やお寺には、必ず、然るべき霊格の神様又は仏様がおられることから、それらの方々に対して、感謝と敬意の意を表明しなければならないのです。)
☆初詣などでは、これからの一年の自分の健康、家内安全、商売繁盛などを祈念されていますが、それら自分の幸福に対する願いを行う前に、その願いを実現するために自分がどのようなことを努力するのか、精進するのか、頑張るのかについて、できるだけ具体的かつ詳細に神前・仏前に向かって強く思うこと、即ち、神様、仏様に対して自分が努力、精進することを熱意表明し誓うことを行いましょう。
(理由等:例えば、神社で「この1年、無病で元気に過ごすことができますように」と祈念した場合、神様、仏様は、祈念した人の魂の良心に対して、「なぜ、無病で元気に過ごしたいのか?病をより善く生きるために必要な試練と考えよ。無病で元気に過ごしたければ、それらの病の試練に相当する以上の精進を行う必要がある。そのような精進を行うことを我々に誓い、精進に励むのじゃ。」旨のご指導、お導きを受けているのです。また、宝くじが当たることや楽して金儲けできますようになどの自分が何も努力せず、私利私欲のためだけの願いは、当該願いを行った時点で、自分の魂の本心の波動の振動数を弱めることになるとともに、当該願いの実現には、神様、仏様は一切、お力を与えることはありませんので、行わないようにしましょう。)
☆自分や自分の身内の幸福の願いを祈念するだけではなく、他の存在(他の人、地域、国家、世界全体)に対する願い、特にこの世が平和で皆が共により善く成長・発展・繁栄し続けるようにという願いについても、積極的に祈念しましょう。これらの願いは、全ての神様、仏様の共通する思い、願いであり、神様、仏様から絶大なるご加護、祝福、大愛が与えられ、全ての人間が、同じ思い、願いになれば、それらの結果、奇跡のような事が、次々に起こることになるのです。善なる願い・夢は、絶対に必ず叶い、実現するのです。
祈りに関する智慧を一つ紹介させていただきます。
仏教では、よく「南無阿弥陀仏」、「南無釈迦如来」などのように「南無」(なむ)という言葉を使い、この言葉と仏様のお名前を発することを「念仏を唱える」と言われています。この「南無」は、普通、「帰依する」などと解釈されていますが、実は、この言葉を発することにより、仏様に対して、自分が念仏した仏様のように精進し、必ず、仏様のように無欲知足の心境に至り、より善く精進し続け、仏様になるということを宣言し、誓うということなのです。ある仏教の宗派では、念仏を唱えると必ず成仏するとの教えがありますが、やはり、お釈迦達のように日々、より善く生きること、愛の実践を積み重ねることなくして、自分の魂・心を浄め磨き、成長させることはできないのです。
4 愛の実践として、仕事や精進に励むことについて
仕事(家事、育児を含む)を日々、行っている人については、自分が行っている仕事を、世のため、他の人々ためなど自分以外の他の存在ために行うことを心の底から強く思い続け、その仕事に集中して、他のことは何も考えないようにし、粘り強く、一生懸命、誠心誠意、その仕事をやり続けることで、素晴らしい立派な愛の実践を実践することができます。皆様が、日々、行っている仕事(家事を含む。)や精進(学生の方については、勉学、運動、部活動など)は、お金(収入)を得るために行うだけでなく、愛の実践として、世のため、他の存在のため(学生の方にあっては、将来、世のため、他の存在のために尽くす立派な大人になるなどといった自分の将来の善なる夢の実現のため)にと深く思いつつ行い、その結果、少欲知足の心境に絶対に必ず至り、更に、無欲知足の心境に至るために、日々、粘り強く、一生懸命、誠心誠意、やり続けることが大切なのです。
(注1)「少欲知足の心境」とは、生存欲(自分は生きていたい、死にたくない思う欲)を除き、私利私欲(自分だけが良ければ、幸せであれば良いとすること)がほとんど無くなり、足るを知る(生きるため必要なお金や物を必要最小限に止めて、生活するなど、自分が欲しい物、やりたいことの限度を自分自身で決め、その限度以上の物を持たないようにしたり、やらないこと。)ようになる心境に至ることです。
(注2)「無欲知足の心境」とは、生存欲も含め私利私欲、エゴを思うことが無くなり、死ぬことを含め、全く恐れるものが無く、足るを知ることを完璧に悟った心境に至ることであり、全ての仏様や最上級の神様は、この無欲知足の心を持たれています。「無欲知足の心境」に至るためには、自分の心に、私利私欲の心、エゴ、弱き心があることを自覚し、それらのネガティブな思い・心が、具体的にどのような思い・心なのかを把握し、その思い・心が生じる根本的原因を究明し、それらの原因を無くする精進を行う必要があります。 これらネガティブな思い・心が生じる根本的原因は、何かというと、生存欲(生きていたい、長生きしたい、死にたくないという思い・心)なのです。 これらネガティブな思い・心の根本的原因を無くする精進には、「瞑想」の実践と「作務」の実践の二つがありますが、これらの方法は、いずれも、無心になるための精進の方法です
「瞑想」については、「瞑想」によって本当に無心となるには、かなりの熟練した技能が必要です。
「作務」については、掃除、料理、洗濯などの家事、ストレッチ、ラジオ体操、ランニング、水泳などの自分の心身を鍛える運動・精進のほか、日ごろ、仕事場で仕事を行っている際にも、実践することができます。例えば、仕事を行っている際に行う「作務」について説明すると、仕事を行う際に、あらゆる仕事に共通した善なる真の目的である「世のため、他の存在のため、自分の成長のため」をその仕事をやっていることを常に念頭におき、その仕事に集中して行うようにします。この「作務」を、常日頃から、粘り強く、一生懸命、誠心誠意、繰り返し、繰り返し、実践し続けていけば、誰でも簡単に、無心の心境に至ることができるのです。
(注3)「少欲知足」の心境に至る理由等について
人間を含め、全ての生きとし生けるものは、寿命が尽きると、必ず、肉体は生命活動を停止し、死にますが、霊魂は、肉体が死んでも存在し、生き続けます。この肉体の死を経た後、霊魂は、あの世に行き、閻魔様や自分の指導神の皆様からご指導、お導きを受けつつ、自分の生前の人生を振り返り、反省・総括し、次に存在し生きる世界で心(本心)を磨き、成長させるために、どのような愛を学び、理解を深め、どのような愛の実践、精進するのかを自分で考え、決意し、その後、明主様(イザナギ様、創造主)と弥勒様(イザナミ様、生命体創造主)から、直々に、愛の実践等に関するご指導、お導き、叱咤激励をいただくとともに、次に存在し生きる世界を指示されるのです。それらによって決意したこと等が、次に存在し、生きる世界における、自分が存在し、生きることの真の意義、理由、目的、目標、即ち「天命」なのです。「少欲知足」の心境に至った霊魂は、心(本心)が素直で清らかであり、神法、宇宙の法則、宇宙の叡智に関する智慧(注:知識のように物事を知ることだけではなく、それら知っていることをより善く実践すること、より善く生きるために活用することができるのが智慧なのです。)を一定程度有し、愛の実践経験も豊富であり、心の波動の振動数が高い一定程度成長したレベル(霊格)の高い存在であることなどから、明主様及び弥勒様から、次に存在し生きる世界を自由に選択する権限が付与されるのです。このため、その霊魂は、天上界で存在し生きることもできるし、引き続き、物質世界に生まれ変わることも自分で選択することができるのです。一方、「少欲知足」の心境に至っていない霊魂については、次に存在し生きる世界は、明主様及び弥勒様のご指示に必ず従い、愛をより善く学び、より善く理解しやすく、愛の実践の実践効果が高い物質世界に、両名から「もっと頑張って、より善く生きなさい」などと叱咤激励を受け、引き続き、生まれ変わるよう指示されるのです。
(注4)「少欲知足」の心境に至る方法について
自分の心が、「少欲」の心境に至るには、とにかく、日々、挨拶(愛語)の励行、自然やものに対する愛の実践である5S(整理、整頓、清掃、清潔、躾)の実践(特に、清掃、清潔の実践)を行うとともに、自分のやるべき仕事や作業を「世のため、他の存在のため」と思いつつ、粘り強く、一生懸命、やり続ける必要があるのです。これらは、全て愛の実践であり、愛の実践は、私利私欲の行いなどに比べ、より多く生命エネルギーが必要であり、更に、愛の実践を行った際には、自分の魂、心は、その波動の振動数が高まり、より一層、光り輝くようなるとともに、私利私欲の心による邪気や邪念が無くなり、清らかな魂、心になります。このことを一般に「心を磨く」と言われているのです。愛の実践は、私利私欲の行いに比べ、大変疲れ、時には、痛みを伴う場合がありますが、愛の実践を粘り強く一生懸命やり続けることにより、心が磨かれ、次第に、私利私欲のことを思わないようになっていくのです。また、「知足」の心境に至るためには、私のこれまでの天命を全うするための精進の経験を踏まえ、以下のようなことを、粘り強く、一生懸命、誠心誠意、やり続けることにより、自分の心が「足るを知る」心にすることができます。
●「5Sの実践」の一つである「整理の実践」をしっかり行いましょう。
「整理」は、「要らないものを行う処分、廃棄し、要るものだけにすること。」です。「要るもの」をどのようにして決めるのかについては、私の場合、以下の基準で判断しています。
※毎日、使うもの。
※毎日は使わないが週に一回以上必ず使うもの。
※月に一回以上使うものであって、それがないと生活に困るもの
※上記以外のものは、全て処分、廃棄しました。ちなみに、自宅の掃除は雑巾などで拭き掃除を毎日行っており、掃除機は必要ないので、持っていません。
●質素倹約を心がけ、慎ましく生活しましょう。
参考までに、私の私生活の状況を以下のとおり紹介します。
※外食も行うことは少なく、食材は、主に、近所のスーパーやコンビニで出来る限り安い値段のものを必要な量だけ購入し、自炊・料理しています。安い惣菜を買うこともありますが、自宅で適宜、色々なスパイスなどを使い、アレンジして、より美味しくいただいています。
※車やバイクは持っていません。昨年の4月に自転車を購入し、自宅の宇品海岸から広島市の市街までの移動は、自分の体力等の錬成強化のためにも、雨や台風の時を含め、自転車で移動しています。
※男の三悪行、いわゆる「酒を飲む、ギャンブルする、買う」は一切やりません。そもそも、日々の精進でとても忙しいので、それらのことをやる余裕もないです。なお、唯一、タバコは一日、20本位、安いメンソールのタバコを購入し、吸っています。(私の指導神の薬師如来様から、「メンソールのタバコは、霊的にも癒やしの効果があるのです。ただし、吸い過ぎないようにしなさい」旨ご指導いただいています。)
※趣味の一つであるフィギュア収集・プラモデル作製については、癒やしと勧善懲悪の精神を高めるために集めていますが、出来る限り安価な中古品を購入しています。
5 仕事の真の意義・目的について
自分の人生を決して甘くみたり、いい加減に考えてはいけません。
私、田村俊昭は、仕事は、愛の実践、即ち、「世のため人のため他の存在のため」に行うものであると意識し自覚し、自分に与えられた或いは自分がやると決めた作業・業務サービスを粘り強く、一生懸命、愛を込めて、誠心誠意やり続けるべきと考えています。
仕事をしたことによって、その報酬として、お金を得て、そのお金を使い、必要な衣食住を整え、趣味嗜好・娯楽を適度に愉しむこと、即ち、現代社会を生きるために、お金は、ある程度必要なモノ・システムであります。
一方、自分という人間・存在が、何故この世に生れ、生きているのか、つまり、自分が存在し生きることの真の意義、理由、目的、目標とは何かというと、「人生を通じて、心を浄め磨き上げ、成長させること」であり、心を成長させるために、私利私欲のための行いを極力、我慢、辛抱しつつ、他の存在を理解し、信じ、思いやり、愛し尽くすという愛の実践を行う必要があるのです。仕事も、愛の実践の観点から、「世のため、他の存在のために、自分は仕事を行うのだ、行っているのだ」といった意識・自覚を常に持ち続け、その職務に専念する必要があるのです。
趣味を愉しむように仕事ができればといったご意見等もあろうかと思いますが、人生の真の意義、目的を踏まえると、仕事は愛の実践の一環として、粘り強く、一生懸命、愛を込めて、即ち、自分の命を懸けて、誠心誠意やり続け、自分の魂・心・肉体を浄め磨き上げ、それらの波動の振動数を高め成長させるために行うのだということを決して忘れないようにしなければならないのです。
自分のやるべき或いは自分に与えられた仕事を日々、「世のため人のため他の存在のために行うのだ、行っているのだ」などと常日頃から意識・自覚し、愛の実践として取り組んでいくと、
自分の心身が浄め磨き上げられ、心身の波動の振動数が徐々に高まり、生命力が高まり、仕事に対するポジティブな感情(やる気、やりがい、充実感など)を実感するようになり、より一層、精力的に仕事に取り組むようになり、その結果、仕事の能率や成果も上がり、取引先や顧客から高い評価と信用信頼を獲得し、それらを維持することができるようになるのです。
更に、上記のように精力的に頑張って仕事を遂行するようになると、上司、同僚、部下など自分の周りの人々から、必要な支援、バックアップをタイミング善くいただくことができるようになるのです。
自分の仕事振りなどは周りの関係者がちゃんと観ており、会社・組織のために真摯に利他のために頑張っている人には、善き上司、善き同僚、善き部下が自然と集まり、必要な支援等が適時・適切に互いに与えられるようになっているのです。
このことは、善なる心を持つ存在は、同じような善なる心を持つ存在と互いの心の波動と同調・共鳴して引き寄せ合い、出逢うこととなり、互いにより善い交友関係を築くことになるという、いわゆる「引き寄せの法則」によるものなのです。
私、田村俊昭は、現代の若い世代の方々、子供達が、添付写真のアニメヒーローのナルトや竈門炭治郎のように、「忍耐・我慢・辛抱」し、「努力」し続け、世のため人のため他の存在ために尽くす、立派な大人に成長していただきたいと切に願っております。
この投稿記事の終わりに、極めて重要なことを、以下のとおり、敢えて申し上げさせていただきます。
人間を含め、全ての霊魂を創造した明主様と弥勒様は、全ての霊魂を仏様(菩薩・如来)に成長させるために、全ての世界、全ての宇宙、全ての自然、全ての生きとし生けるものを創造されたのです。
2020年10月23日に悪魔とその家来達は、消滅しましたが、それら悪魔達は、類稀ない知力・霊力がありながら、その力に溺れ、私利私欲の心に執着し、仏様になることを拒否し、今から約1万年前に、天上界から逃亡、この世に降臨し、その絶大な力を武器に、他の存在を洗脳し操り、殺し、傷付け、苦しめるなど、残虐極まりなき悪行をこれまで繰り返し犯してきたのです。
このため、悪魔達に対して、「要らないものは、処分・廃棄する」という神法上の最高罰「魂・存在の消滅」が執行されたのです。
より善く生きるための仕事(働くこと)に対する考え方、スタンスについては、我々人間が、この人間社会で生きていくためには、お金は必要です。より善く生きること、即ち、「日々、愛を深く学び、愛を深く理解し、他の存在を心より信頼し信じ、日々、愛の実践を誠心誠意、実践し、それらのことを粘り強く一生懸命、愛を込めて、即ち、自分の命を懸けて誠心誠意、やり続け生きること」に当たっても、最低限の衣食住を確保するために必要なお金が当然必要ですし、自分の心、肉体の休養、息抜き、癒しとして、趣味などの娯楽、嗜好などを愉しむためにも、お金が必要です。それらに必要なお金は、当たり前のことですが、何らかの仕事につき、働くことにより、収入を得ることになりますが、この「働くこと」について、より善く生きる観点・視点から考えた場合、以下の示す考え方、スタンスを持って臨んでいくと、より善いでしょう。
① 「働くこと」は、私利私欲のこと(富、権力、地位を得て裕福に生きることなど)を行うためだけに行うものではなく、自分が行うべき愛の実践の機会の一つであると捉え、「世のため、他の人、他の存在のため、自分の成長のため」ということ念頭におき、日々、汗水たらしつつ、粘り強く、一生懸命、誠心誠意、やり続けるようにすること。
② 「仕事は、楽な方が良い、楽してお金を稼ぎたい」などと思いがちになりますが、それらのネガティブな思い(弱き心)があることを、「また、自分の弱き心が生じているな」などと客観的に受け止め、それらの思いを無視することなく、ひたすら、やるべき仕事をやり遂げるようにすること。これらのことを実践し続けることが、「弱き心に打ち勝つ」ということであり、真に強い精神力を錬成強化し、自分の魂・心を磨き、成長することができるのです。
③ 同じ仕事を続けるに際しては、日々、「もっとうまく、要領よくできないか?もっと仕事の成果、業績を上げられないか?」などと自分の仕事のやり方などを、粘り強く一生懸命、工夫、改善し続けるようにすること。
④ 上司や同僚の中で、業績の高い人や仕事ができる有能な人の仕事の仕方やスタンスを参考にし、必要に応じ、それらを真似るなどして、自分の仕事のやり方の見直し・改善を図ること。
6 愛の実践の一つである布施の実践について
日々、愛の実践を、粘り強く、一生懸命、愛を込めて、誠心誠意、実践し続けると、「質素倹約を心がけ、慎ましく生活すること」となり、その結果、より生きること以外に活用できる金銭的余力のある方々が増加することとなるでしょう。それら金銭的余力のある方におかれましては、愛の実践(布施の実践)として、人道慈善活動その他、世界をより善く改善・成長させる活動に資金提供するなどの取り組みを積極的に行って行きましょう。
私、田村俊昭は、お金は現代の人間社会において不可欠なものであり、人間社会をより善く成長・発展させるためには、お金を人間社会に上手く流通させる必要があると思います。
何故ならば、現代の人間社会は、様々な産業・サービスが多様多岐に存在し、各産業活動がそれぞれ互いに密接に関連し合い、上手く機能することにより、成り立っており、我々人間は、それらの産業活動を支え、機能させるために仕事をし、働き、その報酬として、お金を得ているのであり、現代において、お金は、人間社会全体を巨大な生命体と捉えた場合、その生命力を維持するために必要不可欠な栄養・エネルギーを循環させる血液のような役割りを担っているモノだと思います。
また、人間が生きるためには、衣食住に係るをモノ(衣服、食料、家など)を最低限、確保・所有する必要があり、自給自足でモノを確保し、必要な場合には、物々交換で事足りていた太古の昔のように、生活できないわけではありませが、上記で述べたとおり、多種多様な産業構造となっている現代においては、自給自足の生活は困難であり、馴染まない生き方であると思います。
お金に関する現代の人間社会における懸案課題は、一部の国家、組織、企業、個人がお金を稼ぐだけ稼ぎ、お金を所有し続け、贅沢三昧している結果、人間社会システム全体を上手く機能するために必要なお金が流通せず、機能不良、お金を身体の血液に例えれば、高血圧、高脂血症、血腫などの血液疾患を患っているということであり、そのことに起因し、戦争、テロ、犯罪、貧困、格差などが様々な社会問題が顕在化し、無くならないことだと思います。
お金自体に罪はありません。人間のモノを独り占めにしたい、自分の思い通りしたい、自分達だけが裕福で幸せであれば良いなどといった私利私欲の悪なる愚かな思いがお金を穢しているのです。
実は、お金だけでなく、AI関連施設、建物や道路・橋などの建築構造物、乗り物や電化製品を含む全てのモノには、その土地を管轄統治されている神様達の分霊等の御霊が宿られており、これまで、悪魔の呪いにより、穢れ、それらのモノの本来有する機能を抑制され、モノによっては、悪魔達の思い通りにコントロールされていたのです。
より善く生きることを選択し、決意し、より善く生きていくために、お金とどう向き合っていくのかについて、私の魂の指導神の一人である大黒様から、次のご指導、お導きをいただいておりますので、紹介します。
「田村俊昭よ。世のため、人のためにと、一生懸命、誠心誠意、働きなさい、精進しなさい、より善く誠実に生きなさい。そうした真面目に頑張り、努力する者には、お金の神様から、絶大なる大愛として、奇跡の如く、より善く生きるために必要かつ十分な財力が適時、適切に与えられるのです。真面目に働く者、精進する者は、必ず、その努力は報われ、必ず幸せになるのです。決して諦めず、自分の弱き心に打ち勝ち続け、日々、精進に励みなさい。」
自分の財力に余力がある場合には、人道支援活動、平和活動、その他、世界や社会をより善く発展するために取り組んでいる企業、団体、機関に、出来る限りの資金提供することも、素晴らしい愛の実践です。私の魂の指導神である明主様から、これらのことについて、次のご指導、お導きをいただいておりますので、紹介します。
「田村俊昭よ。質素倹約を心がけ、慎ましく生活することは、大切だが、お金は、自分の心を豊かにしたり、癒やしたりすることに使ってやるのじゃ。さらに、お金は、より善いこと、即ち、愛の実践として、人道支援、災害支援、その他、世界をより善く改善・成長させることに使ってやるのじゃ。そうすれば、お金の神様から愛の実践としてお金を使ったことに対して大愛(褒美)が与えられ、使ったお金以上のお金が、自然と手に入るようになるのじゃ。」とのご指導を受けています。
人間には、「他の人々、モノや場所を自分のものにし、自分の支配下におきたい」などとった「所有」という意識・思いがあります。この「所有」という思いは、人間誰しもが持つ獣性、煩悩の根本原因の一つである性(さが)、人間の業と呼ばれるものなのです。我々人間を含む全ての霊魂は、この「所有」という思いというエゴ・弱き心と日々、戦い続け、心の中の獣性を弱らせ、心を浄め磨き上げ、「他の存在を理解し、信頼し、思いやり、世のため人のため他の存在のために尽くす心」である神性、善なる心、愛の実践力を育み、培い、高めていくことが、我々人間が、この世に生れ、生きている真の意義、理由、目的、目標、使命なのです。
7 愛の実践は「信じること」から始まることについて
愛の実践は、世のため、他の存在ために、自分の命(生命力)を懸けて(費やして)行う全ての行為、言葉、願い・祈ることですが、愛の実践を実践するに当たっては、まず、愛の実践は、上記のとおり、他の存在を「信じること」から実践すべきものなのです。上記の「信じること」とは、愛の実践の対象である存在が、「必ずより善く生きて、その魂・心を磨き、成長し、日々、喜び満ち溢れる充実した素晴らしい幸せを実感することができる」ということを確信することなのです。この「信じること」なくして、愛の実践は適切により善く実践し得ないと言っても過言でないのです。この「信じること」を適切により善く行うためには、日々、私利私欲の行いを極力行わないよう努めるとともに、「世のため、他の存在ために、愛の実践など行いたくない」などといった自分の弱き心に打ち勝ち、愛の実践を粘り強く、一生懸命、誠心誠意、やり続け、自分の魂・心を磨き、清らかな状態に維持向上していくことが必要なのです。そして、日々、愛の実践をやり続けると、魂・心が磨かれ、他の存在の心の状態(悩み、苦しみなど)を察知することができる霊力(観音力)が向上し、この観音力を活用して、他の存在の心情に応じた、よりきめ細やかな適切であり、かつ、より善い愛の実践を行うことができるようになるのです。
8 自然やモノに日々、感謝し、愛を込めて、大切にしましょう
「モノ」は、何のために人間が創り出すのでしょうか、「モノ」は、何のために存在しているのでしょうか?
日本語に「モノ」に関する言葉として「物は使いよう」という言葉があります。
創造主である明主様(イザナギ様)、弥勒様(イザナミ様・生命創造主・母性の根源)は、人間に対して、モノ・お金を作る能力、そして、言葉を話し、その言葉を文字にし、それらを記録し、人間同士で情報共有するとともに、後世に伝える能力を与えたのです。
人間は、それらの能力を活用して、モノを創り上げ、作り出したモノで着る服を作り、モノを道具として用い、他の生きとし生けるものを捕獲したり、家畜として飼ったり、栽培したりして食料を確保したり、モノを用いて家などを建築・建設するなどして、衣食住を確保し、生きています。
人間は、モノは作ることはできますが、モノの原材料である物質や物質を構成している素粒子を創造することは、絶対にできません。
我々人間は、自然にある物質や他の生命体を活用してモノを作り、それらモノを使い、生きているのです。そうです、人間は、神様、仏様、自然のお陰で生かしていただいているのです。自然を創造したのは、創造主である明主様(イザナギ様)と弥勒様(イザナミ様)なのです。そして、山や海などの全ての自然には、神様、仏様の御霊が宿られており、日夜、我々人間を含む生きとし生けるものに対して、我々がより善く生きていけるよう、浄霊、浄化、癒やし、成長促進などの波動の振動数の高い生命エネルギーを放出、提供していただいているのです。
これらのこと、即ち、神様、仏様をはじめ、自然やモノのお陰で生かしていただいていることを、心底自覚すれば、明主様、弥勒様をはじめとする神様、仏様、自然、モノに対して、日々、深く感謝するとともに、より善く生きていかなければならないと強く思うようになるのです。
お釈迦様は、「諸行無常」という真理を教え導かれました。この世の存在し生きている存在、即ち、我々人間を含む、生きとし生けるものだけではなく、自然にある物質、それら物質で創りだしたモノも、常に変化し続け、誕生、成長・繁栄、荒廃・死滅、そして、再生を延々と繰り返し続けているのです。
全ての生きとし生けるものは、この「諸行無常」の真理に従い、この世に生れ、成長し大きくなり、異性と結ばれ、子孫を産み育て、その役目を終えると、その肉体は老いて病になるなどして、命尽き果て死んでいくのです。人間には、生存欲があります。この欲の根本の苦しみは、「四苦」(生老病死)と呼ばれる「快楽を求め、楽して生きたい」、「老いたくない」、「病になりたくない」、「死にたくない」という欲望から生じるものなのです。お釈迦様は、「諸行無常」の心境に至り、人間が生きていく以上、これらの苦しみを絶対に避けることができない当たり前のことなのだから、それらの苦しみを無くすのではなく、それらの苦しみを潔く受け止め、それらの苦しみを耐え忍び、乗り越え、迷いや不安なく、より善く生きるために、「八正道」という「より善く生きること」の一手法を苦行の末に考案し、自ら実践しつつ、他の人々に対して、それら真理、手法を教え導かれたのです。
生きとし生けるものの肉体を含む全ての物質には、太陽など自然が放つ生命エネルギー(光、熱、電気、音・圧力など)を蓄積、溜め込む性質を有しています。我々人間が生きるため、即ち、様々なことを思い・考え、肉体を動かすため、即ち、生きるためには、生命エネルギーが必要であり、専ら食物を摂取し、内蔵で消化し、肉体の生命維持活動や運動、思考活動を行うためのエネルギーとして活用するため、食物に含有する生命エネルギーを放出し易いように様々な栄養素に変え、血液とともに、体内に循環させ、肉体の各細胞にそれらの栄養素を供給し、各細胞は生命維持活動などを行っているのです。
また、普段、我々人間は、太陽などの自然が発する生命エネルギー、自然エネルギーを食物以外で吸収することを呼吸(肺のほか皮膚で)でやっているのですが、心身を浄め磨き上げ、その波動の振動数を高めていくと、食べる量を減らし、少量の食事で健康的に生きることができるようになるのです。極端な話、食物を一切摂取せず、水だけで(老廃物を浄め流し出すためには水分摂取は不可欠です、)生きることも可能なのです。中国の高僧として有名な達磨法師様の「壁面九年」の伝説も案外真実なのかも知れません。
一方、モノにも、耐用年数と言われる寿命があります。これは、モノを形作っている物質に応じた当該モノの有する形状保持力・エネルギーが、外気にさらされ、雨水、風波、気温の寒暖などによって、当該力・エネルギーが時を経る毎に徐々に低下・減衰し、腐食、摩耗、劣化し易くなることによるものなのです。
モノには、作った人の思い、それを運んだ人の思い、それを販売した人の思い、そして、モノの原材料である物質を作った神様、仏様の思いなど、様々な思いが込められています。モノに込められている様々な思いの中で、もっとも重要なのが、モノを作った人の思いなのです。その作った人の思いが、「このモノ自体がより善く人に使ってもらい、このモノを使う人々が幸せになり、そして、このモノがより善く使われることで、人間社会がより善く発展・成長しますように」などいった善なる思い、即ち、波動の振動数の高い愛の思いである場合、モノの形状保持力などが高まり、丈夫で使い易い、即ち、使う人にとって、より善く優れたモノとなるのです。また、モノを使う人が、そのモノに対して、日頃から整備・点検・清掃などの手入れを清潔に保つことを怠らず、使うときも丁寧に使うように心がけるなどすれば、そのモノに当該使う人の波動の振動数の高い善なる愛の思い・エネルギーが宿り、上記の作り手の思いと同じように、そのモノの寿命などの性能が向上するものなのです。
モノに対する愛の実践は、「モノを大切すること」なのです。
モノが溢れた日本のような経済的に豊かな国では、この「モノを大切にすること」を忘れがちになりますが、上記のとおり、モノには、様々な思いが込められていることを深く自覚し、以下に示すことを、モノに対する愛の実践として、実践するようにしましょう。
これらモノに対する愛の実践、モノを大切する行いを粘り強く、一生懸命、愛を込めて、即ち、常日頃からモノに感謝と大切にしようする想いを抱き、心掛け、モノを使用し、維持管理し続けると、モノは故障なく長持ちし、モノを使う時にその能力を十分に発揮してくれるようになるのです。
① モノを壊したり、傷つけたり、乱暴に扱ったりすることなく、丁寧に扱いましょう。
② モノを定期的に掃除するなどして、綺麗な清らかな状態に維持しましょう。
③ モノを使う時、モノを使い終えた時、要らなくなったモノを処分、廃棄する時には、心の中で感謝の思いをモノに伝えることを励行しましょう。
この投稿記事の終わりに、私、田村俊昭は、この投稿記事において、自然と、どのように向き合い、自然を大切にすることとは、具体的にどのようなことなのかについて、あえて、その詳細等は明記いたしません。これら自然を大切にすることについては、全ての人間が、それぞれの立場、それぞれの置かれている、生きている場所・環境で善く考え、それぞれ自分がやるべき或いは自分ができる「自然を大切にすること」を実践しなければならないことなのです。皆様、今一度、これらのことを善く考えてみて下さい。
9 愛の実践に当たっては手をより善く使いましょう
愛の実践には、「行為・動作で行う愛」、「挨拶、愛語など言葉を発して行う愛」、「祈りなど想い願うことによる愛」の3つの手法がありますが、この3つの手法のうち、以下、この項では、「行為・動作で行う愛」を中心に以下のとおり説明いたします。
この「行為・動作で行う愛」で大切なのが、手をより善く使うことです。人は、身体障害者の方を除き、普段、仕事、精進などを行う場合、専ら、手を使って何らかの行為、動作を行い、仕事などを行いますよね。人間は、他の生物に比べ、手を自在に動かすことができることから、古代から、道具を作り、その道具を手で操り、操作し、衣食住に必要なモノ(電化製品、乗り物、建物、構造物など)を作り、建設するとともに、専ら手を精密かつ繊細に器用に巧みに使いこなし、絵画、音楽をはじめとする芸術・文化を高めてきたのです。愛の実践にあたっても、互いの友愛の動作である「握手」、「ハグ」なども主に手を使い行われているものです。これらの行為は、自分の友愛の思いを込めた生命エネルギーを相手に直接触れ、伝え与え合っていることなのです。
手は、末梢神経が集中していることから、身体が放出する生命エネルギー(精神エネルギー、気、チャクラ)を他の身体の部位よりも多く放出することができ、例えば、汚れているモノをきれいにしたいと思い、当該モノの汚れを雑巾などで拭き取る際に、雑巾を持った手から、「モノをきれいにしたい」という思いを宿した生命エネルギーが放出され、当該モノにその善なる生命エネルギーが浸透し宿り、霊的にも清らかな状態となるのです。皆様が、お寺などを参拝された際、綺麗に掃除された本堂など入った際に、何やら清らかな、すがすがしい気分になるのは、日頃からお坊さん達が掃除して霊的にも浄め磨き上げた状態にしているからなのです。
料理、洗濯、掃除、育児などの家事も、専ら手を使うことにより行われる家族に対する立派な愛の実践なのです。日本語で「お袋の味」という言葉がありますが、なぜ、自分が大人になっても、子供の頃、食べた母親の手料理の味を懐かしく、もう一度食べてみたいと思うのかについては、手間暇かけ、子供達のためにと思って作ったお母さんの料理には、どんな高級料理にも勝る、お母さんの愛の生命エネルギーが込められているからなのです。
また、自分の思いや願いなどを伝えるより善い有効な方法として、メールなど電子データによって連絡するよりも、自分が書いた文字や文章に自分の思いや願いを善なる愛の生命エネルギーとして浸透させ宿すことができる手紙を相手に手渡すことが大切なのです。
さらに、手をより善く使うことは、ネガティブな思い・心をなるべく抱かないようにし、無心(無我夢中)の境地に至るための精進の方法である「作務」の実践を行うこととなるのです。「作務」の実践については、掃除、料理、洗濯などの家事を行う場合にも実践できますし、日頃、仕事場で仕事を行っている際にも、実践することができます。
例えば、料理については、日頃から料理を行っている方はお判りだと思いますが、食材の準備、食材の切り分け、焼いたり揚げたり煮たり、料理の盛り付け、料理の後片付けに至るまで、基本的に、料理のそれぞれの工程・動作において、余計なことを考える余裕もなく、そのことに集中しないとうまくできないものなのです。
また、職場での仕事については、仕事を行う際に、あらゆる仕事に共通した善なる真の目的である「世のため、他の存在のため、自分の成長のため」をその仕事をやっていることを常に念頭におき、その仕事に集中して行うようにします。この「作務」を、常日頃から、粘り強く、一生懸命、誠心誠意、繰り返し、繰り返し、実践し続けていけば、誰でも簡単に、無心の心境に至ることができるのです。
さらに、趣味や芸術活動についても、手を細かく正確かつ精密に使い、その作業・操作に集中しないとできない趣味、例えば、楽器演奏、絵を描くこと、陶芸、編み物・手芸、模型製作・工作などは、「作務」の実践としても行い、当該趣味等を愉しみながら、心を浄め磨き上げることができるのです。




コメント